無ら里 カジュアルな風日記

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高橋博之さん FACE Book からのシェアです。

2012年04月23日 | Weblog
 
写真は、福島市内のリンゴ農家の除染風景。2月11日、自民党青年局長の小泉進次郎氏がこの渡辺さんの畑にやってきて、スーツ姿で除染を体験されたそうです。進次郎氏から名刺をもらった渡辺さんの奥様は「震災がながったら、私のようなのが進次郎さんと名刺交換することなんかありえながった。それだけ異常なことが起きだっていうごど」と、宝物だという名刺と集合写真を大事そうに見せてくれました。

進次郎氏はたくさんの報道陣を引き連れてきましたが、問題は何も解決されません。その後も渡辺夫妻の苦悩は深まるばかり。震災後、渡辺さん宅に3度訪問しましたが、訪れる度に疲れの色が濃くなっています。渡辺さんは高校卒業後すぐ就農。以来43年間、農業一筋の人生を歩んできました。震災前、1.2haの土地でリンゴと桃をつくっていました。特にも「ふじ」は自慢のリンゴで、全国に独自に販路を拡大していましたが、震災後、8割のお客さんから...文が途絶えました。

除染の限界を実感しながらも、除染に明け暮れる毎日が続いました。「人間のやる仕事じゃない」、そう渡辺さんは言います。先がまったく見えない。放射能汚染がこの先、どれだけ続くのかも分からない。このままつくり続けていいものかどうか。岩手県の友人から、「いっそこっちに移住して、一緒に農業をやらないか」という誘いも受けているそうですが、踏ん切りがつきません。福島市内には、リンゴ農家だけで約2千戸あります。渡辺さん同様、他のリンゴ農家も苦悩しているはずです。

4月から、食品の放射性物資の暫定基準値が厳格になりました。国も内部被ばくの問題をより重要視し始めたという見方もできます。しかし、暫定基準を下回っていたとしても、「福島産は売れないだろう」と、福島県民は口をそろえます。「安全だと言われても、福島産を子どもたち食べさせようとは思わない。他県の生産物を買っている」と、福島の生産者ですら言っていました。当事者がこう言うのですから、県外ではよりその傾向は顕著でしょう。

となれば、福島県の生産者、農地はこの先どうなるのでしょうか。つくっても売れないものをつくり続ける。その意味を、市場経済の中に見い出すことは困難でしょう。政府や東電だって、いつまで、どこまで保障してくれるのか、分からない。福島では、沿岸部の浜通りだけではなく、内陸部の中通り、会津も、一次産業は成り立たなくなるんじゃないか。そんな漠たる不安を募らせている生産者に対し、政治も行政も農協も漁協も口をつぐんだままです。

私たちがここで考えなければならないことは、福島の農地は決して福島の生産者たちだけのものではないということです。福島で生産されたものは、すべての日本国民の命を支えてきました。そう考えれば、日本人全体で支えなければならないものだという理屈も成り立ちます。それは福島の生産者に対する単なる同情ではなく、我々自身を守るため、この国に生まれてくる将来世代を守るために必要なことではないでしょうか。

日本は人口減少社会になりましたが、世界では人口爆発が続き、今世紀半ばには人口は100億に達すると見込まれています。一方で、温暖化や砂漠化で農地の減少も拡大しています。そう遠からず食糧事情がひっ迫するときがやってくるでしょう。日本はこれまで海外に工業製品を売り、儲かったお金で海外か農産物を買って、命をつないできました。しかし、よその国も自分の国民を食べさせていくことで精一杯になったら、いくらお金を積まれても輸出などしないでしょう。そのとき、自給率が40%に満たない日本人はどうやって食べていくのか。

長期的に考えると、福島の農地を切り捨てるという選択は、国民全体の利益を損ねます。農地は一度荒らすと、元に戻すのに多くの時間と労力を要します。20年放り投げておいて、やっぱり農地が必要になったからといって、安全になった福島の農地を使おうとしても、そこには荒れ果てた雑木林広がり、もはや使い物にならないでしょう。では、どうすればいいのか。前回、指摘した「NIMBY(ニンビー)」を脱し、みんなが当事者としてこの問題を考え、福島の痛みを分かち合うことです。それが将来、自分たちの命を守ることにもつながります。

具体的には、市場経済のルールに従わず、福島と不特定多数とが結びついた共同体の力を発揮することです。共同体とは古くから、いくつもの共同体が多層的に重なり合って存在してきました。海との関係を軸にした共同体、土との関係を軸にした共同体、人と人の関係による共同体、死者やその地域の先祖との関係の上につくられる共同体、そして地域の外部の人たちとも結ばれる共同体。それらが多様に展開する形で、共同体は存在しています。福島の農地と生産者を守るためには、地域の外部の人たちとも結ばれる共同体の力が必要とされます。

この共同体の力をどう活かすか。立教大学大学院教授の内山節氏は言います。

「私は放射性物資で汚染された農作物や魚介類は、たとえ国の基準では安全だったとしても、無理して売る必要はないと思っている。それよりも、たとえば米なら、米の『商品券』を売ればいい。ただし将来、米と替えられる『商品券』ではなく、たとえば米十キロ五千円の『紙』だけを売る。その『代金』が確実に被災した農家に届けられる仕組みができれば、買ってもいいという人たちも現れてくるだろう。そのことを通して、代金は農産物という商品に対して支払うものではなく、その作物を作った農民と背後の自然の行った『手間』に対して支払うのだという新しいルールを提案したほうがいい」。

「それなら今年は農業ができなかったとしても、その田畑でできたであろう作物の『商品券』を人々が購入し、農民は農地や農村を復活させるための『手間』を今年は優先させる、で構わない。農作物が売れるかどうかだけを考えれば、原発の被災地は行き詰ってしまう」。

これは、福島のみならず、疲弊する農山漁村を再創造する上で、一つの大きな手がかりになる考え方ではないでしょうか。福島の生産者のみなさんとこの提案について、掘り下げて考えてみたいと思っています。
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