日大豊山水泳部 活動日誌

インターハイでの総合優勝を目指して、日々練習に励んでいます。

教えその36 「バカ、不平多し」

2015-05-08 04:45:58 | Weblog

言葉はよくありませんが、よく言われた教えです。

利口ではない人ほど不平不満をよく口に出す、ということです。

マイナスの発言をすることで、本人にとっても周囲にとっても何もプラスになることはありません。

ただ雰囲気を悪くし、より気持ちが暗くなるだけです。

皆、それぞれの立場で不満を抱えて生活しているのが普通であると思います。

すべてが完璧な環境でまったく不満がない人はほとんどいないでしょう。

不満があるのであれば、それを少しでも改善しようとすることが必要であって、陰で不満を言っても何もよいことはありません。

口に出して言うのであれば、せめてユーモアをこめて言うべきです。

「愚痴」とは仏教の用語で、無知という意味です。

真理に明るくないということで、煩悩のなかでも特によくないとされる「三毒」の一種です。

「三毒」とは、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)です。

それぞれ、欲望をむさぼること、怒ること、知恵のないことをあらわします。

つまり、欲望にまみれて怒ってばかりいる利口でない人が、最も「たちがわるい人」ということになります。

その「たちが悪い人」が不平を口に出すのでしょう。

相手に不満がある場合、怒りの感情でいうのではなく、落ち着いて言えば相手も聞く耳を持つはずです。

また、自然環境など不満を持っても何も改善されないようなことであれば、黙っているべきです。

与えられた環境の中で精一杯の努力をするだけです。

私がよく試合で選手に言うことは、マイナスの発言をするな、ということです。

マイナスの発言は周囲に良い影響を与えないからです。

たとえ言葉で発しなくても、不満を持つ態度や行動も同様です。

レースで負けて泣いていることがどのような影響を周囲に与えるかを考えれば、人前で泣くことはできないはずです。

チームの一員として恥ずかしいことをしない、ということにもつながります。

不平をもらすことは、その人の無知をさらすような恥ずかしいことでもあるのです。

私自身、これからもこの教えを忘れずに気をつけていきます。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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教えその35 「部室が汚いチームは弱い」

2015-05-07 05:06:17 | Weblog

この教えも何度も繰り返し言われ続けてきたことです。

私たちは毎年同じように指導しているわけですが、清掃や片付けができない年というのは結果を残せません。

清掃には上級生の指導力が示されています。

下級生が自ら清掃や片付けをするということはありません。

上級生の指導によって下級生が動きますが、それがうまくいっていない場合、それが部室の乱れとなってあらわれます。

私たちも忙しかったり、疲労が蓄積していたりすると身の回りが乱れがちになりますが、そこには心の状態が反映されています。

クラブ活動の場合、清掃に組織力が表れているといえます。

私たちは何年間も同じことを同じように指導し続けているわけですが、戦力的な違いはあるとはいえ、結果に違いが出るのはやはり上級生の責任感にあります。

上級生としての責任感が強く出ている場合、戦力的には強くない場合でもそれなりの結果には結びつきます。

そうでない場合、戦力的には強くても試合の結果には結びつきません。

上級生の責任感の強さが部室の清掃状況に現れているわけです。

清掃の指導もできない上級生が練習や試合で下級生を引っ張ることはできません。

近年、運動部に限らず、あらゆる組織で上下関係というのは薄れる傾向にあるようです。

最近は上級生に下級生の指導の仕方を教えなければなりません。

十年前の上級生というのは怖い存在というのが普通であり、学生時代に運動部に所属していた人であれば誰でも苦い思い出はあるものだと思います。

上級生は怖い存在であっただけでなく、可愛がっていただいた思い出もたくさんあるはずです。

それが運動部に所属していたことの良さの一つともいえます。

時代の変化はあると思いますが、上に立つものが責任をもって指導をすることで組織が成立することは変わりません。

水泳部はこれからも上下関係を失うことなく、毎年のように部室がきれいになるチームを目指していきます。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

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教えその34 「楽観的である」

2015-05-06 05:10:53 | Weblog

物事に対する根本的な見方として、楽観的であるという教えです。

いつも悲観的になって、だめかもしれないという気持ちではなく、前向きに物事をとらえているということです。

決して将来に対して甘い見通しをもっているというわけではなく、努力を重ねていればそのうち風向きがよくなることを信じているわけです。

「やまない雨はない」、「必ず夜明けはやってくる」という気持ちでいれば、今は厳しい状況にあってもそのうち花開く日を待ち続けることができます。

楽観的であれば厳しい状況にあっても慌てることなく、落ち着いて行動することが可能です。

また、一度や二度の挫折に負けることなく、たとえ失敗したとしても何度でも立ち上がることができます。

何度も厳しい状況を耐え抜いてきた人は、ユーモアの精神も持ち合わせているようです。

一緒に仕事をしていて楽しい人であれば、つらいことも乗り越えられるでしょう。

つらい状況であればあるほどユーモアの精神は生きるものと思われます。

ユーモアのセンスは心のゆとりであるともいえます。

同じ場面に遭遇したときにそれを悲観的にとらえるか、ユーモアに変えられるかという違いでずいぶんと感じ方は変わるものです。

同じ仕事をしていても、いつも不平不満を口にし、悲観的な考えをもつような人とは一緒にいたくなくなるのではないでしょうか。

「結果がすべてである」ことは間違いないことですが、結果のみにとらわれて努力の過程で楽しさをまったく感じられなければ長続きしません。

基本的に「何とかなる」という思いで将来をとらえ、今やるべきことを誠実に取り組んでいれば、いつかチャンスは巡ってくると考えています。

そのために常に最大限の努力を継続していく必要があります。

気持ちを前向きに、いつも健康で頑張り続けることです。

中国には古来より伝えられている「陰陽の思想」があります。

世の中をすべて陽と陰の移り変わりでとらえる考え方で、四季や時間、医療まですべての事象を説明します。

人生も同様でいつまでも陽の時はないように、いつまでも陰の時はありません。

仏陀は、すべての物事は常に変化しているという真理を「諸行無常」と説きました。

「人間万事塞翁が馬」という格言もあります。

これから先のことはどうなるか予測がつかない以上、与えられている環境の中で全力を尽くすのみです。

「楽観的である」ことは気持ちを楽にさせてくれる教えなのです。

竹村知洋

 

 

 

 

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教えその33 「疲れない」

2015-05-05 05:32:14 | Weblog

仕事、練習、学習、人間関係、日常生活など疲労につながることは山のようにあります。

「疲れない」とは、疲労につながるようなことがあっても、それを疲れたと感じないことです。

疲労することがあることは当然であって、それを疲れたと感じなければ何があっても「疲れない」わけです。

同じことに取り組んでいてもそれを疲労と感じるか、充実感と感じるかで成果は異なってくるでしょう。

練習をしていて疲労するのは当然ですが、高い目標があればそれを疲労とは感じないはずです。

それは指導者側にも同じことがいえるでしょう。

仏陀が悟ったことのひとつに「一切皆苦」という真理があります。

この世のすべては苦である、という教えです。

仏陀は苦しみそのものを消すことはできないので、そのうえでどのような心の持ち方をすれば安らかな心をもてるか、ということを説きました。

仏陀の生きた時代から現在まで変わらない苦しみである「四苦八苦」はその一例です。

四苦とは、生・老・病・死です。

生きること、老いること、病気になること、死を迎えることは誰もが避けられない苦です。

八苦とは、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦です。

愛する人と別れる苦しみ、憎しみを持つ人に会わなければならない苦しみ、欲しいものが手に入らない苦しみ、五感など感覚から生まれる苦しみは、2千年以上前から変わっていないのです。

競泳コーチとして活動していれば、ゴールデンウィークやお盆などの休みがないのは当然であり、教員をやっていればあらゆる問題行為に対応しなければなりません。

問題はそれに対しどう感じるか、ということだけです。

仏陀は「八正道」という正しい修行方法によって欲望を抑えることを説きました。

私たちは仏陀の教えを実践して欲望をおさえるようなことはできませんが、学校業務やクラブ活動はすべて必要な仕事であると考えていますので、疲労につながるようなことだとは感じていません。

好きだからということで行っていることではなく、与えられた仕事として必要なことを行っているわけです。

日常的に疲れを感じていれば、おそらく今頃は仕事を変えているものと思われます。

目標を高く持っている人であれば、苦しいことがあってもそれを苦しいとは感じないだけです。

逆に疲れたとか苦しいと感じるのは、それをやることに意義を見出していないからであると思います。

「疲れない」ことは、物事に対する心の持ち方を教えてくれます。

 5/4の昼食 1500gのつけ麺特盛

竹村知洋

 

 

 

 

 

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教えその32 「たくさん食べる」

2015-05-04 06:02:34 | Weblog

強い選手には色々と共通することがありますが、この教えはそのひとつといえるでしょう。

これまで見てきた強かった選手は皆、よく食べていました。

食事をしっかり摂るということは、厳しい練習に耐え、発達した身体づくりをするために不可欠です。

激しい練習をするから空腹になるということもありますが、それだけたくさん食べて消化できる強い胃腸を持っているともいえるでしょう。

しかもその食べ方というのは、ただ単に大盛りを食べるというのではなく、驚きを感じてしまうくらい大量に食べ続けることができるというようなイメージです。

そのエネルギーが練習や身体づくりに生かされて良い結果に結びつくのでしょう。

そのため、一度にたくさん食べることができない選手は、複数回に分けるなどたくさん食べる工夫をしなければ強くなれません。

消化吸収の良い胃腸をつくるというのは容易なことではありませんが、強い胃腸や食欲旺盛であることも一流選手の条件であるといえます。

この教えは選手だけでなく、指導者側にもあてはまります。

やはり指導者も元気でなければなりません。

教えその30で「身体を鍛える」ことをお伝えしましたが、身体を鍛えていればお腹は空きます。

指導者もたくさん食べることで、身体をより発達させることができ、健康状態を良好に保つことができます。

健康であれば日常の指導により力が入ることは間違いありません。

私もよく食べる方だと思います。

1日のスケジュールが朝練習→授業→午後練習で、その間に担任業務や諸会議があり、さらにその合間に授業の準備や自分のトレーニングを行っています。

休みも少ないなかでほとんど病気をすることもなく、このような日々を続けてこられているのは、トレーニングを積み、たくさん食べることで健康を維持しているからだと思います。

私が今まで接してきたなかで「仕事ができる人」というのは、年配の方であってもよく食べる人が多かったように感じます。

それだけ日常的にエネルギーを必要としているのでしょう。

たくさん食べられるということはそれだけでも幸せなことです。

これからもたくさん身体を動かし、たくさん食べてよい仕事につなげようと思います。

    

豊山水泳部スタッフの5月3日の昼食です。

竹村知洋

 

 

 

 

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教えその31 「科学的な知識を応用する」

2015-05-03 06:05:35 | Weblog

この教えは、とかく精神論に傾きがちな日本人にあてはまるものであると思います。

精神的な強さが生かされるのは、あくまでも合理的なトレーニングを行っている場合です。

科学的な知識をもとにトレーニングやコンディショニングを組み立てることで、段階的に運動能力を向上させることができます。

科学的な知識とは、解剖学や生理学、運動科学、栄養学などです。

人体の仕組みを理解し、練習メニューを作成することが第一です。

エネルギーの供給系に基づき、各選手の大会種目にあわせて練習量や強度を決定しています。

解剖学はウェイトトレーニングやストレッチングの指導にとって不可欠です。

どの筋肉をどのように鍛えるかという理解に役立ちます。

栄養学は食事やサプリメントの重要性を教えてくれます。

食事や補食をしっかり摂ることは当然として、それ以外の栄養をサプリメントで補うことはスポーツ選手として必須のことです。

豊山水泳部では20年以上前から栄養面には力を入れています。

どのようなサプリメントをいつ摂ればよいのか、ということは血液・尿検査で明らかになります。

その数値の読み方は栄養学的な知識がなければ読むことはできません。

人体に関する科学的な知識を実践していくことで経験を積み、応用ができるようになります。

運動中に水を飲むと疲労が増すとか、ウェイトトレーニングをやると背が伸びないなどの迷信に対しても明確な説明をすることができます。

注意しなければならないことは、科学というのは常に進歩・発展しており、現在認められていることでも数年後にも同様であるとは限らないということです。

例えば、私たちが選手であった20年前には練習やレース前には静的ストレッチングを入念に行っておりました。

現在は運動前、動的ストレッチングを行うことが常識とされています。

良いことであると思われていたことが実は…、ということがよくあります。

また、理論上ではよいとされることであっても現場では取り入れにくいこともあります。

特に高校生は学業との両立を図ることや学校行事との関係などもあり、すべてを水泳だけのことで考えることはできません。

大きな大会の前に身体を休めたくても、6時間の授業があったり、運動会が開催されるなどがそれにあたります。

しかし、科学的な知識を身につけてそれをもとに現場に生かしていくことは、自信を持って指導をすることにつながります。

そのうえで経験を積み重ね、応用することでより知識を現場に生かすことができるのです。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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教えその30 「身体を鍛える」

2015-05-02 05:40:00 | Weblog

この教えは選手ではなく、指導者に対するものです。

良い仕事は健康でなければできません。

健康であってこそ、仕事に精を出すことができます。

自分の健康面の管理ができることは良い仕事にもつながります。

また単に病気でないだけでなく、年間を通してトレーニングを行い身体を鍛えることでより健康状態を向上させることができます。

身体を鍛えることは、トレーニングの方法や食生活、時間の管理など自分の肉体や生活と向き合うことで充実した毎日を送ることとなります。

私は週に4~5回のウェイトトレーニングと就寝前にはストレッチングを行っています。

毎食たくさん食事をし、さらにサプリメントも摂取して健康に留意しています。

体調を崩すことはほとんどなく、毎年のようにインフルエンザなどが流行していますが罹患したことはありません。

現在までのところ筋力・柔軟性共に向上し続けています。

この習慣は長年継続しているものであり、今後も続けていくことになるでしょう。

なぜそんなに鍛えているのですか、とよく聞かれますが私のほうが逆に問うことは、なぜ鍛えないのですか、ということです。

身体を鍛えることの意味は、鍛えてみればわかります。

私はたまたまウェイトトレーニングを好んでいますが、身体の鍛え方には様々な方法があります。

その人に会った方法であれば何でもいいと思います。

トレーニングをしていない人の大部分は、時間がないことを理由にあげますが、本当にそうでしょうか。

トレーニング方法にもよりますが、30分の時間があれば何かしらの運動はできます。

いつもより30分早く起床することでその時間は確保できます。

TVやパソコンにむかう無駄な時間を削ればいいだけの話です。

そのような少しの意志が健康状態を良好にし、精神的なストレスも軽減します。

何より充実した日々を送ることで、自分への自信にもなります。

それも運動は継続していくことに意味があります。

継続することが習慣となれば、苦とは感じないはずです。

アリストテレスは、行動をひきおこすのは習慣的徳であるとしました。

日々の良き習慣は、良き行動に結びつくのです。

今まで運動不足で健康にも問題のある方には、是非、運動の習慣をおすすめします。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

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教えその29 「大きな筋肉を使う」

2015-05-01 11:08:30 | Weblog

大きな力を出したいときに、身体を動かすための最も大切な原則です。

大きな筋肉とは、腹筋・腰背部の筋肉などの体幹のことです。

大きな筋肉そのものの動きは小さくても、指先や足先に伝わるときには大きな動きとなります。

体幹をうまく使えている場合、身体の中心軸はぶれることがありません。

腕や足だけではそれなりの力しかでませんが、体幹から指先・足先へと力がうまく伝わっていれば大きな力を発揮することができます。

また、肩や肘、膝などの関節部分の故障も少なくなります。

大きな筋肉に力を入れる方法やそれを指先に伝える方法を最初に教えると、その後のフォームの改善もスムーズにいきます。

それができないのに細かな指導をしても、結局のところ時間だけがかかり最初からやり直すということがよくありました。

体幹をうまく使うことを実感するのに最も自然な動きは、ドルフィンキックであると考えています。

もともと陸上で生活していた哺乳類であるイルカやクジラといった生き物の動きがその例として挙げられるでしょう。

そのため、体感を使う練習としてドルフィンキックからはじめることが通例となっています。

次にその体幹の力を指先に伝えることが必要となります。

大きな力を伝える指先というのは、小指や薬指のことです。

競泳で小指や薬指の大切さを指導するコーチがどれほどいるかわかりませんが、このことはすべての運動にあてはまることであると考えています。

親指や人差し指というのは細かな動きをするための働きが中心であって、大きな力を発揮することには向いていません。

体幹でも特に腰の力が背中を通して小指や薬指に伝われば、大きく力強い自然な動きとなって、その人本来の良さが発揮されます。

今まで指導してきた経験から言うと、もともとその動きができている人から、いくら教えてもなかなかできない人まで様々です。

なぜ人によってこれほどの差があるのかは今もって不明ですが、筋力の強さとはまた別のようです。

大きな筋肉を使うことができれば、力みがなく、自然と美しいフォームになります。

腹筋や背筋など体幹をしっかり鍛える理由もここにあります。

競泳は道具を使用しないので体幹から指先への動きは意識しやすいものですが、おそらく道具を使用するスポーツも同様ではないでしょうか。

「大きな筋肉を使う」という原則は、人間本来の自然な動きと一致するものであると考えています。

竹村知洋

 

 

 

 

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