今回の話題は、書くことをためらっていましたが、それも含め私なりに気持ちを整理したくて、書きます。
今日は大切な友人が、最愛の子供を失った日です。
SIDS
この言葉も、随分認知されてきましたが、皮肉にも、虐待による死亡原因の隠れ蓑にされたり、原因が不明のために、言われもない疑いを母親はかけられることで、世間に知られるようになった印象があります。
SIDS
私がこの言葉を知ったのは、あっちゃんを妊娠した時。
参加したマタニティークラスで、何気に置いてあったパンフレットに書いてありました。
SIDSで赤ちゃんを失くした親御さんの、自助活動の案内だったと思います。
しかし、気には留めたものの、自分の身には無関係に思え、それ以上関心を持ちませんでした。
しかし、昨年。
あっくんとほんの一月違いで生まれた、その赤ちゃんがこの病気で亡くなるとは・・・。
その時も、つい先日会ったばかりで、お互い、再びの育児の大変さを話し合っていた矢先でした。
朝、起きた時には、すでに亡くなっていたなんて・・・。
これ以上の悲しみは、どこにもありません。
その時以来、私は、あっくんが夜中に泣くことも、ぐずる事も安心のバロメータになりました。
今も、あっくんの寝息や、寝返りに胸を撫で下ろすばかりです。
あれから1年。
残念ながら、友にかける言葉が見つからず、私はすっかり連絡をしていません。
と言うより、恐れているのかもしれません。
あっくんは、1歳が過ぎ、SIDSの可能性はだいぶ低くなりました。
しかし、こんなに身近に起こってしまったことに、その現実に触れたくないのかもしれません。
友からも、最近は電話も手紙もありません。
お互いに気まずくなるのが、わかるからでしょうか。
ふたたび、かつてのような語り合い、分かち合った日が本当に懐かしく、そのことを思うと、涙が溢れます。
私にもっと、人を思うチカラがあれば、友の悲しみに添えることができたのでしょう。
いつの日か、また笑いあえる日が来ることを願って・・・。
今日は大切な友人が、最愛の子供を失った日です。
SIDS
この言葉も、随分認知されてきましたが、皮肉にも、虐待による死亡原因の隠れ蓑にされたり、原因が不明のために、言われもない疑いを母親はかけられることで、世間に知られるようになった印象があります。
SIDS
私がこの言葉を知ったのは、あっちゃんを妊娠した時。
参加したマタニティークラスで、何気に置いてあったパンフレットに書いてありました。
SIDSで赤ちゃんを失くした親御さんの、自助活動の案内だったと思います。
しかし、気には留めたものの、自分の身には無関係に思え、それ以上関心を持ちませんでした。
しかし、昨年。
あっくんとほんの一月違いで生まれた、その赤ちゃんがこの病気で亡くなるとは・・・。
その時も、つい先日会ったばかりで、お互い、再びの育児の大変さを話し合っていた矢先でした。
朝、起きた時には、すでに亡くなっていたなんて・・・。
これ以上の悲しみは、どこにもありません。
その時以来、私は、あっくんが夜中に泣くことも、ぐずる事も安心のバロメータになりました。
今も、あっくんの寝息や、寝返りに胸を撫で下ろすばかりです。
あれから1年。
残念ながら、友にかける言葉が見つからず、私はすっかり連絡をしていません。
と言うより、恐れているのかもしれません。
あっくんは、1歳が過ぎ、SIDSの可能性はだいぶ低くなりました。
しかし、こんなに身近に起こってしまったことに、その現実に触れたくないのかもしれません。
友からも、最近は電話も手紙もありません。
お互いに気まずくなるのが、わかるからでしょうか。
ふたたび、かつてのような語り合い、分かち合った日が本当に懐かしく、そのことを思うと、涙が溢れます。
私にもっと、人を思うチカラがあれば、友の悲しみに添えることができたのでしょう。
いつの日か、また笑いあえる日が来ることを願って・・・。