韓国と中国が「日本叩き」で共同歩調を取る、これは両国国内の批判を外に向けさせるためとか、対北朝鮮対応とかの理由があるようだ。都合の良いことに、日本はどんな理不尽な理由でも叩いてもよい安全牌の相手という意識もあるのだろう。それぞれの国の経済を、日本ほど深く支え続けている国は他にないのだが。
それなのにこの度中国が一方的に敷いた防空識別圏には、韓国の領土上空なども入っていて、「後から銃を撃たれた」などと韓国は騒いでいる。このようなせめぎ合いは極東のアジアだけではない。こうなると私は聖書のこの個所を思い出す。
「また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。」(マルコ13:7-8)
これは終末の時代が来ることとその状況、天変地異、そして私たちにその対処法を教えているくだりである。実に聖書は二千年前の書物であっても、これから起こる終末以外には、実に正確に預言し実現しているのだ。最近の一例を挙げるなら、イスラエルが2千年の時を経て再建される預言が成就した。
これまで予言といえば、すべてがいい加減なものであった。が、この聖書だけは違う。外れている預言など何一つ無いのだ。聖書を知っているかいないかは、これから迎える患難の時代に、地図をもっているかいないかのような大きな違いになると思う。
※予言と預言の言葉の違いは、前者が占いの域を出ないにも関わらず、後者は「天地創造にして三位一体なる唯一の神の言葉を預かって話す」の意味がある。 ケパ