【はじめに】
144,000人。これは黙示録7章4節の中にある数字である。これを実際の数と受け止めている人々もいるようであるが、私はそれは違うのではないかと思っている。
【黙示録の数字について】
黙示録には、4・6・9・12と数字が出てくるが、これらはいずれも象徴的な意味で用いられている。例えば1節の「四人の御使い」「地の四方」「四つの生き物」とあるように、古来世界は広げられた一枚の地図のごとく、四角いものと考えられていた。4とはその四方の全地を表す数字だ。
7は不思議な数で、どうやっても割る数(約数)が無い。だから完全数として位置づけられている。だからその一つ少ない6は7に足りない、2でも3でも割れる不完全数である。その意味で6は、神に比べ不完全な存在である人を表す数だとも言える。したがって文字通りの意味にとって、666という数字を忌み嫌うか、または恐れる方は、少し頭を冷やされてみてはいかがだろうか?これは神とは程遠い、完全な人間を装ったサタンの象徴であろう。
次に12である。これは今は現存しないイスラエルの全部族であり、新約においては神の民を表す。24人の長老については、倍数という完全な神の民とも、あるいはイスラエル十二部族とイエスの十二使徒を合わせた数とも言える。
【14,4000人】
仕上げは14.4000人である。その前に千という数についてだが、私たち東洋人とはその感覚が異なる。東洋人にとっては万、億、兆と四桁ごとに位取りするが、金銭でもわかるように、世界的には三桁の千単位である。聖書でも百人隊長、千人隊長はあっても、万人隊長は見られない。2019年の呼び方も英語ではthousandを使わずtwenty -nineteen と言う。つまり千以上は数えることが難しいすうじであって、=たくさん、たくさんなのである。
また一辺の自乗である平方は、単に面積という広さを表すより、膨大さを表す意味があると思える。これらのことを勘案するならば、14,4000人の意味は次のように明らかになる。《12×12=144×1,000》とは《漏れ一つない、霊的イスラエル全部族、膨大なそのすべての神の民》である。このように見ていけば、14,4000人とは、9節から後に続く言葉「その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数えきれないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。」という本体の先触れか、あるいはその象徴的な意味であることがわかると思う。
【結論】
こうして見れば、私としては、14,4000人が実際の数であって、彼らだけが印を押された特別な存在だと見ることに、同意できない。