はじめに神が天と地を創造されたが、それはそこまでで、混沌であり、認識されることはなかった。そのための光がなかったからである。だから、まず光がなければならなかった。
"神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。"(創世記 1章3節 ©2017)
実にすべては神のことば「光、あれ。」からはじまった。真っ暗闇では、私たちはそこに何か「ある」ことは分かっても、把握することができないからだ。
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(ヨハネの福音書 1章1節 ©2017)
ヨハネ福音書では、さらにことばが神であるとさえ言っている。
「ことば」がどれほど大切なものか、最近私は障害のある児童のための施設で、指導員として関わるようになって、このことを痛感した。ほとんどことばが話せない子どもたちがかなり居るからである。
ことばが話せないからと言って、決して物事がわからないわけではないし、コミュニケーションが取れないわけではない。しかし、ことばがあることで、名前があり、すべての認識が始まるのだ。
ことばが発せられなけれぼ、うまく自分の気持ちを伝えてたりができない。理解し合うことも困難である。そうなるとおそらく、人間の思考力=知性も、おそらくことばが土台である。
してみると私たち人間の知能は、ことばに依拠している。ことばは神からのもので、神の似姿、これを大切のしよう。