この前、出がけにiPhoneが見つからなくて大変だった。最後の手段、私のiPhoneに電話して音を探した。何のことはない、さっきまで座っていたテーブルの上に、紙一枚を挟んで鳴っていた。
iPhoneのように答えてくれれば良いが、さっきまで使っていた消しゴムとか、クルマの鍵は困る。消しゴムは転んで物陰に、クルマの鍵は何とその時履いていたズボンのポケットにあった。
そう言えば私の母はいつも探し物をしていた。おそらく人生の何分の一かの時間を探し物で浪費してるんじゃないか、そう私は見ていて思ったものである。しかしその息子の私も、徐々にその域に近づいているようだ。
探し物で思うことは、神様のことである。見える世界だけしか信じない人、「神なんていない」と思っている人には、神はいない。霊、魂もないと思ってれば、それらも無い。目をウロコか一枚の紙が覆っているのである。
サタン、悪霊は霊的な存在であり、肉眼では見えない。見えないだけでなく、自分の存在すら宿主から隠し続ける。人を支配する究極的なやり方である。しかし心の目で自分を見るならば、自分を虜にしている物的欲望、性的欲望など気づき、それらは本来の自分の願いやかくありたいと思っていることとかけ離れていることに気づく。
それら自分の願いをひきづかききに一つの意思、方向性があることがわかったら、断固、戦って追放すべきである。
しかし肉の体を着ている私たち、、人間の力でやろうとすると、必ず失敗する。神に頼り頼んでいることが大切になる。