ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

たといそうでなくても

2021年09月03日 | 示されたこと
 私が大学を卒業し、広島に帰って、確か最初ぐらいに買った本が「たといそうでなくても」だった。もちろん一気に読んだ。そしてその後何年かして、著者の安利淑さんが当時の私の教会で講演してくださったので、記憶に深く刻まれた本になった。


 
 しかし当時はまだ若く、朝鮮での苛烈な迫害をにわかには信じられなかったし(そのことは当時でも知られてなかったと、この書の中でも触れられている)、講演で著者から私たちは相当厳しく叱責されたので、決して印象が良かったわけではない。その上せっかくの本を、拒絶感のためか誰かにお貸ししたらしく、その後行方不明になった本である。

 普通はこれでお終いなのだが、そうはならなかった。滅多に夢を見ない私だが、その後いったい何度赤い帯のこの本が夢に現れたことだろう。特に聖霊の恵みを受けてから幾度も。1972年刊だから半世紀近い書物である。失われて何十年も経ってるのにだ。またただ手をこまねいていたわけではない。古本屋で調べたら万以上のべらぼうな金額なので、手が出なかったのである。

 しかし(神の)時というものがある。七月の終わり、八月の東京カリスマ聖会前に、思い余って私は切り出した。ドルカスに「ねぇ、どんなに高くても買いたい古本があるんだ」と相談した。しかし答えは予想通り「ノー」。そりゃそうだろう、何十倍にもなっていたのだから。

 しかしすぐその後の八月東京カリスマ聖会で、驚いたことに益川さん制作のちょっと古い動画「たといそうでなくても」が映し出されたのである。こういう不思議な動画が出て来たことに、私はピーンと来ていた。それだけではなく聖会終了後、駅までの短い距離の中、同乗の牧師夫妻に「『たといそうでなくても』をもう一度、どうしても読みたくなりました」とつい言ったところ、何と「持ってますので貸してあげます」と。びっくりしたが、お言葉に甘えることにした。
 しかも1ヶ月後の再会の機会にお借りできると思っていたのに、すぐに郵送で届いたのだった。何という感謝!そして、主の手があるとはこういうことを言うのだ、早い。

 さて、読めば読むほど、神が幾度も「読みなさい、読みなさい」と示された訳がわかる。これはノンフィクションの事実であって、過去の私たちの(父母が行った)罪禍を赤裸々に描いてやまない。真摯に悔い改め、その上にこれからまた起こるであろう患難と迫害の時代に、絶対に生かさなければならない警世の書だ。歴史は繰り返す。日本のリバイバルの使命を果たすための神の備えであることがわかる。「ああ主よ、御心を行わせてください」と祈るばかりだ。

 そこでやはり自分の本がないといけない、と今一度古本屋を調べると、何とこれまでない安さのを見つけた。しかも私が買った待晨社のもので、実際届いてみると注文票まで付いている、手垢の付いてない未販売物であった。いったいどこで眠っていたのか、半世紀近い古本なのに、素晴らしく状態が良い。

 神様、ありがとうございます。そして今はどうしてこんなに、あなたが私にもう一度読ませようとされたのか、ようくわかりました。

左が少し大きい初巻本、右がお借りした再刊本)


ケパ 
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« TVの買い替え | トップ | 9月最初の主日礼拝 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。