●そこには
生意気な経理マンがいました
はい唐突に書き出しです、なんでしょうなあ、、、いま、眠りが深いんだか浅いんだか、 コサインサインタンジェント(すみません、やはり頭はぼけているのでしょう) 歳は取りたくないものですが、こんな時間に目が冴えてきたもので、少し書きます。
生命保険会社に新入社員として就職して、四年目、そろそろ自分の社内でのキャリアを確立させるときなのかな
とまぁ、そんな、いちサラリーマンだったのでしょう
二年目からいわゆる社内公募とやらには毎年必ず応募して積極性をみせ、
生意気な経理マンがいました
はい唐突に書き出しです、なんでしょうなあ、、、いま、眠りが深いんだか浅いんだか、 コサインサインタンジェント(すみません、やはり頭はぼけているのでしょう) 歳は取りたくないものですが、こんな時間に目が冴えてきたもので、少し書きます。
生命保険会社に新入社員として就職して、四年目、そろそろ自分の社内でのキャリアを確立させるときなのかな
とまぁ、そんな、いちサラリーマンだったのでしょう
二年目からいわゆる社内公募とやらには毎年必ず応募して積極性をみせ、
それが奏功したか、いや、やる気根性だけはあるなとみられただけなのか、当時本社内ではいつも午前様近いかも、それでもいいよねやる気出してるんだし、ぐらいだったのでしょう。本社主計部(いわゆる経理業務)へ行きな!との内示
支社長や同期のみんなは、ご愁傷様!たいへんなとこへ、、、と憐れまれたものだ。
その主計部、なかなかハードな部署で、鉄より重いよ判子がという所属長、一つ上の先輩、一つ下の後輩、とも最初からの経理とのベテラン、あとは十数年選手のそろばんパチパチのお姉さま方、という環境に、右も左もわからぬ生保現場マンが放り込まれた 1993年
とにかく必死だった、とにかく盗んだ、あいや経理ですから、盗むだなんてでもそうした、、、スキルを、考え方を、
で経理も3年で決算締め、税務申告書作成の責任者として成長
4年目からははやく経理から出してくれ、という始末の5年目ぐらいだったか 1998年
ときは 金融不況の暗雲立ち込める時期
おのずと、そんな環境下での経理マンは決算締めのために、会社の資産運用部門のひとたちと、あーでもない、こーでもないと議論を始める
為替がこう、金利がこう、でも保険の配当もこうしなきゃだから、株式売りましょか、いや投信ですか、債券ですか え?不動産
なんて感じで
そしてもう5年め充実の経理マンは、そんじょそこらの本社スタッフとは十分渡り歩ける状況
そんなときでしたな、なんで、なにをおこさせたのか
なにげないひとことで、資産運用課長を大激怒させたのは、、、
いや覚えていない、というか、そのときも、そして今もって、自分のなんの言葉が課長の逆鱗に触れたのかわかってないんですわ。
だけれど、今あらためて思うに、その資産運用課長、確か運用の専門畑としては、外国株式の投資キャリアが相当だったから、会社の外国株式投資の運用状況などで悪い、とでも生意気に言ってしまったのだろう
なにせ当時は為替リスクも相当だったし、為替の乱髙に悩まされていたような気がするから。
しかし、課長は数週間は口も聞いてくれなかったな、、、たしか
それまでは、仕事の後のそれ、ちょい飲み、晩酌セットだ、なんて、しょっちゅう連れて行ってももらったのに
「あいつはゆるさん!」と、完全に資産運用企画部門への出入り禁止のような状態だったと記憶している。
でもね、やはり会社もたいへんではあったのだろう
数週間して3月決算が近づくころ、ちょうど季節いまごろからの当時、何事もなかったかのように、また決算対策の打ち合わせ、協議をしていたように思う
そんな、二十代後半だったな・・・ しかし生意気な
そうか、だが待てよ、してみるといまの二十代の若者やら、若手起業家やら、すごいなと思ったけれど、よくよく振り返ると、やっぱり自分もそれなりにやってたんだなと思う。
情報量やら、インターネットの普及度の違いかねぇ。
あれ、いや書き出しタイトルの意図をわすれつつあるな
で、戻るとすると
せっかく今日も夜中に目をさましてしまったので、松下翁の「道をひらく」を開いたわけです
で、また教訓をとみていて
「こわさを知る」に目がとまったというわけでして、過去の経験話 こわいもの知らずの生意気経理マンの話を思い出した次第。
こわいものがあるということは、ありがたいことである。これがあればこそ、かろうじて自分の身も保てる。
こわいもの知らずということほど危険なことはない。時にはなければよいと思うようなこわいものにも、味方によっては、やはり一利があり、一得があるのである。
ということですな
しかしなあ、いまもう経理マン35年 ほんとうにこわいものがなくなっているかも
とにかく必死だった、とにかく盗んだ、あいや経理ですから、盗むだなんてでもそうした、、、スキルを、考え方を、
で経理も3年で決算締め、税務申告書作成の責任者として成長
4年目からははやく経理から出してくれ、という始末の5年目ぐらいだったか 1998年
ときは 金融不況の暗雲立ち込める時期
おのずと、そんな環境下での経理マンは決算締めのために、会社の資産運用部門のひとたちと、あーでもない、こーでもないと議論を始める
為替がこう、金利がこう、でも保険の配当もこうしなきゃだから、株式売りましょか、いや投信ですか、債券ですか え?不動産
なんて感じで
そしてもう5年め充実の経理マンは、そんじょそこらの本社スタッフとは十分渡り歩ける状況
そんなときでしたな、なんで、なにをおこさせたのか
なにげないひとことで、資産運用課長を大激怒させたのは、、、
いや覚えていない、というか、そのときも、そして今もって、自分のなんの言葉が課長の逆鱗に触れたのかわかってないんですわ。
だけれど、今あらためて思うに、その資産運用課長、確か運用の専門畑としては、外国株式の投資キャリアが相当だったから、会社の外国株式投資の運用状況などで悪い、とでも生意気に言ってしまったのだろう
なにせ当時は為替リスクも相当だったし、為替の乱髙に悩まされていたような気がするから。
しかし、課長は数週間は口も聞いてくれなかったな、、、たしか
それまでは、仕事の後のそれ、ちょい飲み、晩酌セットだ、なんて、しょっちゅう連れて行ってももらったのに
「あいつはゆるさん!」と、完全に資産運用企画部門への出入り禁止のような状態だったと記憶している。
でもね、やはり会社もたいへんではあったのだろう
数週間して3月決算が近づくころ、ちょうど季節いまごろからの当時、何事もなかったかのように、また決算対策の打ち合わせ、協議をしていたように思う
そんな、二十代後半だったな・・・ しかし生意気な
そうか、だが待てよ、してみるといまの二十代の若者やら、若手起業家やら、すごいなと思ったけれど、よくよく振り返ると、やっぱり自分もそれなりにやってたんだなと思う。
情報量やら、インターネットの普及度の違いかねぇ。
あれ、いや書き出しタイトルの意図をわすれつつあるな
で、戻るとすると
せっかく今日も夜中に目をさましてしまったので、松下翁の「道をひらく」を開いたわけです
で、また教訓をとみていて
「こわさを知る」に目がとまったというわけでして、過去の経験話 こわいもの知らずの生意気経理マンの話を思い出した次第。
こわいものがあるということは、ありがたいことである。これがあればこそ、かろうじて自分の身も保てる。
こわいもの知らずということほど危険なことはない。時にはなければよいと思うようなこわいものにも、味方によっては、やはり一利があり、一得があるのである。
ということですな
しかしなあ、いまもう経理マン35年 ほんとうにこわいものがなくなっているかも
昨日も経理1年の娘っ子に少し声を荒げた? あいや、こわさをみせた、、あ、いかん、やさしく、ご指導申し上げた次第です。