孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

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第2次世界大戦の飛行機 番外編 (飛燕の…)

2020年03月11日 20時00分00秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

またしても番外編です。
飛燕を見たいというコメントを聞き、といっても飛燕の実物を見たことはないので、飛燕に関係するもので我慢してもらおうということで2つほど飛燕の関係写真をupします。

1) 川崎 キ61 三式戦闘機「飛燕」の図面
撮影:所沢航空発祥記念館 (2012年12月)
飛燕の設計者から提供の青焼き図面です。 1940年頃、製作されたものとの説明があります。
飛燕の初飛行は1941年12月ですので開発途中の図面の一部ということでしょう。

 

2) 大沢掩体壕1号・2号

調布飛行場に隣接する都立武蔵野の森公園の敷地内に戦争遺跡として2つの掩体壕が保存されている。
掩体壕とは飛行機を隠す壕。
大沢1号には、飛燕の模型を使って壕の形を説明している像、そして壕の前面は覆われているがそこに飛燕が描かれている。
当時首都の防空任務で調布飛行場には飛燕が配備されていた。
武蔵野の森公園のHPには下記の記載がある。
“「掩体壕」とは、軍用機を敵の空襲から守るための格納庫で、目的は「本土決戦」に備えて、残り少なく貴重な飛行機を温存するためでした。
「飛燕」は川崎航空機製で、ドイツのダイムラーベンツの技術をもとに、国産化した液冷エンジンを搭載した戦闘機です。
エンジン出力は1,100馬力で、最高時速590km/hで飛行でき、高空能力に優れ1943年に陸軍の主力戦闘機として正式に採用されました。
1945年、B29による爆撃機による本土空襲が激しくなるなか果敢に迎撃しましたが、物量に勝る圧倒的なB29爆撃機の攻撃で戦死者が出て、成果を挙げることが出来ず、最後は「体当たり」戦術で抵抗しました。
武蔵野の森公園の掩体壕は戦争の記憶を残す証拠とし、「平和への語り部」として保存してあります。”

撮影: 武蔵野の森公園(2020年3月)