Chris's monologue

二匹+ONE?のクマンズとChris(謎の生命体)の怠惰な生活

三浦三十三観音 第14番 飯盛山 妙音寺

2018-01-20 10:35:22 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの


あれだけのサクラ見たあとなのにずいぶん冷静なんだな



ジョージ・マロリーはいいました。「そこに山があるから」と



ならば去年、高穂の山々を制覇したクマルの実力をお見せしようじゃないの

おまえ、あんときは、車で行って、ロープウェイに乗っただけじゃん



まずは登山の無事を祈って(-人-)



最初はゆるやか



ちょびっときつくなってキタ 休憩しますかね



三浦半島、ヘンなとこな



頂上付近、思ったとおり、大日如来の世界でした



こーやって見ると、けっこう登ってきたことがわかる



なんか極楽浄土の遊園地みたいだったな



この天使さんみたいヒトは、迦陵頻伽(かりょうびんが)といって、極楽浄土に住む鳥さんで妙音鳥(みょうおんちょう)と呼ぶらしいです。駐車所にもこーゆんやあーゆんやいっぱいいて、八十八ケ所巡りもできてしまうんだぞ。むろん巡りました で、そのいっちゃん最後が高野山の奥の院 嗚呼、呼ばれたんだわ、と、八十八ケ所の最後で気づきました(一か所一か所立ちどまってお参りするのけっこうしんどいから

クマルさん かむほーむ@Chris's monologue】←クマルの高野山メモリー



ここでは、かなりの時間を費やしました。なんたって広いし、イッコイッコ手を合わせて巡ってるだけで、そーとーな時間かかるから



思い起こせば、三浦三十三観音のなかで、ここが最大級の寺でした。もうここだけで、満願って気がしないでもない

駐車場はこーゆんじゃないとね ということで、今日はもういいんじゃないですか? 山も登ったことだし

まだまだ あさめし、あんだけむさぼったんだから、しっかり諸費しないとね



*今から400年ほど前(天正年間、1580年代)に中興の祖、賢栄法印により、「昔の寺地、妙音寺原(現在地より北へ2キロの台地)より移し、建設されたもの」とある。当時は戦国大名の一人である小田原北条氏の雨乞いの祈願所として庇護を受けていた。その後、江戸時代に入り、長期にわたる無住職時代や明治時代の廃仏毀釈令、戦後の二町歩にも及ぶ農地解放等各時代に於いて、盛衰をきわめたが、大師信仰を求める地域信者や檀信徒の献身的な努力により伽藍や境内の維持がなされてきた。本尊は不空羂索観世音菩薩で江戸初期のものとされている。





夢のような場所には夢のような花が咲く。正月元旦。に包まれて



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三浦三十三観音 第9番 菊名山 法昌寺

2018-01-19 08:24:03 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの


なんか突然楽になってきたな すんなり来れ杉て逆にこえーから



ぼくとしては、ずっとこーゆーパターンでお願いしたいです



*手伝によると、庄司入道常玄という人物が霊夢によって海岸より見つけ出した観音様をお堂に安置し、潮客寺と名付けたことに始まる。その後、天正三年(一五七五)森四郎左衛門が再建し観音像に蓮坐をつけた。そして天正十八年(一五八七)徳川家康が関東八個所の領主として江戸に移って来た時、家臣に長谷川七郎左衛門と言う人がいた。この長谷川七郎左衛門が文録三年(一五九四)検地を行い、ここ法昌寺の境内を検地する際、観世音の由来を聞きひどく感動し除地にした。後、潮客寺から聞名山法昌寺に改称し、前住職の安叟補全和尚が開山したという。また山号の聞名山もこの地名が菊名町であるところから菊名山となった。



この調子なら今日中にぜんぶ行けちゃうんじゃね? って思いながら次の14番(9番の隣)に向かったんだけど、途中、とんでもない光景に出くわしました



クマルたちが通ったコースは青ではなく、グレー部分 そう、線路際を走るコースな



おそらく、この辺り 正確な位置はわかんないけど(もっと三浦海岸駅よりかも)たぶんここらなような、そうじゃないような



満開

え! お正月、しかも元旦に!?



早咲き? 河津桜かしらん にしても早杉リョータローぢゃね? って、あぁ



これって



ソメイヨシノ

おい、おまえら! 注意しろ 別な次元にぶっ飛んでる可能性があるぞ

次回、マジで別次元にぶっ飛びました でも明日まで待ってケロ



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三浦三十三観音 第10番 海東山 三樹院

2018-01-19 07:57:03 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの


ここはよかったです 駐車場もすんなり見つかったし、なによりもよかったのはキレイなトイレがあったこと

朝から食べ杉だから お茶碗てんこもりのとか、もち二個も入ったとか

宿から緑地区に向かってるころから、ヤバいなぁ、って思ってたんだよね でも、どこのお寺さんにもがなくて、大ピンチってなってたんだよ





さてクマルはどこを撫でまくったでしょうか? ヒント。テカッテるとこです



こんなとこばっかなら楽なんだけどなぁ

その考え、ビミョーに間違ってるから



*当寺は、寛永6(1629)年、江戸増上寺の僧「照蓮社遍誉了海上人」によって開創された。寺伝によれば平安末期に木曽義仲の家臣であった今井四郎兼平の陣屋がこのあたりにあって、その陣屋の古材で寺を建てたのが始まりといわれている。宝永5(1709)年、開山の遍誉上人が江戸増上寺より應行上人作の十一面観世音菩薩像を移遷し本尊とした。霊験あらたかな観音様で昔から近隣の信仰を集めている。本尊左右には、鎌倉仏師の手による西国三十三観音の写しも安置されている。









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三浦三十三観音 第12番 明星山 伝福寺

2018-01-18 09:10:57 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの




*乗用車一台通れるか程の狭い道を行くと、民家の中に伝福寺は建つ。石門を入ると境内は広く靜かそのもの。天文二年(一五三三)の創建で、開基は泉蓮社昌誉源順。

大通り沿いに駐車スペースつくってください



よくまあ、あんな狭い道入っていくな クマルなら大通りに違法駐車な





この程度の道幅はまだ序の口であることを、クマンズはまだ知らない。三浦観音巡りの恐ろしさはこの後どんどん過酷になっていきます。乞うご期待





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三浦三十三観音 第11番 酔蓮山 称名寺

2018-01-18 08:39:19 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの






やっぱ番号入力できるところは楽ですね イッコ前は住所入力だったし、おまけについてみたら神社だったし、ボンクラすぎてお地蔵さんにまで叱られるしまつ



ひょっとしたらイエロー地区、簡単に制圧できちゃうんぢゃね?

だからそういうおちゃらけた気持ちで巡るんじゃねーよ

あら、冗談も通じないの、このネコ クマルたちはかなり真剣(マジ)だから お布施だってばらまき放題だから



*酔蓮山稱名寺。浄土真宗本願寺派。「往古真言宗一水山大塔院」と称し、観音堂とともに千駄ヶ崎にあったと伝えられている。しかし、貞永年間、下総国結城稱名寺の開基転住見真大師(親鸞上人)化導の際、浄土真宗本願寺派として改め、稱名寺と称す。観音堂には、聖観世音が収められている。「灰中出現の霊像」または「腹籠り観音」といわれている。



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三浦三十三観音 第18番 岩戸山 満願寺

2018-01-18 08:03:35 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの


駐車場から寺が見えないってところが敗因でしたね

や、だれに負けたの? ていうか、なんの戦いなの?



だれに?

ここの観音さまとお地蔵さま、パないから 眼光するど杉だから フツー、お地蔵さんって柔和な笑みとかたたえてない? マジ、めっちゃにらまれた

浮ついた気持ではなく、しっかり修行せい! ってことやね



クマル、浮ついてないから いつでもチョー本気(マジ)だから



これで緑地区すべて制圧な 次、イエロー地区、覚悟なさい

いってるそばからソレかよ



*開基は三浦義明(大介)の末子である義連(佐原十郎義連)、開山は大達明岩正因禅師。義連は三浦義明の十男末子で、この地に住し、寿永3(1184)2月、19才の時、平家迫討の戦に源頼朝に仕え、源義経に従い凱旋して、一の谷合戦では、ひよどり越えの崖を真っ先に駆け降りて活躍した。本尊の聖観世音菩薩(国重文)は、寄木造り像高224.7㎝の立像で、義連が西国に出発の際、「戦場に出で、再び故郷に帰ることを思わず、骸を軍門に曝し、名を天下に上げ、後世に残さんと欲す」と、自らの姿を仏像に刻み、一宇に安置して誓願したと伝わる。作者は定かでないが、構造や形相からみて鎌倉時代の初期に運慶によって作られたと見られている。幸いに西国各地に転戦、願望満ちたるに従い寺号を満願寺と称し現在に至っている。尚、近年の境内発掘調査により、創建当初の伽藍は現在の数十倍の広さをもつ寺領百貫の一大伽藍であったとされている。



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三浦三十三観音 クマル的番外3番

2018-01-17 08:30:49 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの


ボンクラいました

ん? 狛犬???



これで緑地区、終了 ってなるはずだったんだけど



だって、ここに停めたら、フツー右側に行っちゃうよね



この駐車場からは寺が見えづらく、おまけに、神社も寺も鳥居や山門どちらも通らずに行ける駐車場なので、目の前にある参道に出ちゃったんだよ



まあ、こことはご縁があるからな なんたって熊野古道制圧したアテクシたちだから

狛犬4匹!? 年だけにな



ていうか、観音巡りに神社を番外として登録してもいいものなのか



本日元旦 初詣完了だから





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三浦三十三観音 第19番 大富山 清雲寺

2018-01-17 08:02:43 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの




道狭かったよ

ちょびっとだけだろ



昨日とは打って変わってこの天気! 幸先よ杉だから



正月元旦は晴れる確率高し




ご本尊の滝見観音像は県の重要文化財に指定されており、もとは同じ大矢部町にあった円通寺のご本尊であった。円通寺は三浦為継の開基で滝見観音は為継が奥州より勧請した中国製の尊像である。円通寺が廃寺となったため清雲寺に移遷され、天保3(1832)年ご本尊とされた。それ以前は木造の毘沙門天像が本尊であった。(鎌倉時代の作で県重文)滝見観音の材質は魏氏桜桃の寄木造りで像高88㎝の半跏の坐像。この他、本堂裏に三浦為通・為継・義継の廟所がある。



とりあえず、昨日やり残した緑地区まで戻って、緑を制圧したら南下して、黄色地区を攻め落としたいと思います

ハイハイ、ゲームじゃないからね そうやって余裕ぶっこいてると、またボンクラするぞ



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第11回初日の出ツアー Part. 4

2018-01-16 08:37:44 | 旅ぃ~ゆけ~ばぁ


車の中で待機かよ どうせヒーターがんがんに入れて、温かいとか飲んでたんだろ

城ヶ島とか行かずに正解な おそらく向こうはヒトでいっぱいだから けど、ここ、クマルたちがに乗り込んでエンジンかけた時点で他の一台切り 明るくなってから、数名(地元民&泊り客)が来たけど、てんでガラガラ







むかしは外でずっと待機してたよな



写真うつすときは外に出てるから



おい! なんか霊が写ってンぞ おまえら寺巡りもほどほどにな



あ、昇った







なんか陸から昇るのも海から昇るのも、あんま変わんないな

いつも水平線のあたり雲がいっぱいで、雲から太陽が出ますからね だから見え方は一緒なんですね



よし、ほんじゃばクマルのあさめし(たぶんオセチ)タイムにするか



うまッ! 昨日も感じたんだけど、この野菜が高騰してる時期に大盤振る舞いだから つか、野菜がシャキシャキで、めっちゃイイやつ使ってるから

朝からがアブラボウズだ 嗚呼、一杯やりたい



あ、クマルは運転しないからヤるけどな

そ、そんなぁ



なんでブランコなんかに乗ってるの?

ここ、初日の出写した場所な。そこに駐車してあるんだけど、朝のを根に持ってか、運転したくないってごねてやがんの



無理やり運転させました

嗚呼、ソレ、宿の付近だろ? 10年以上経っても、あいかわらず見事になんもねえな



こっちはケータイのじゃなく、デジカメバージョンな いくらでもコピペしちゃってケロ



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第11回初日の出ツアー Part. 3

2018-01-15 08:52:11 | 旅ぃ~ゆけ~ばぁ


当初のぼくの予定はこうでした

①朝はゆっくり起きて、ブランチを“味美食堂”でアジっ食い

②日の出ポイントのチェック:城ヶ島の東側付近が狙い(なぜならば、城ヶ島ではその日無料の味噌汁がふるまわれるから)



③チェックが済んだら城ヶ島京急ホテルのでゆっくり疲れをとる(けれどここでの風呂上りはがまん)

④宿の近くの“松輪”という料理屋で、有名な松輪鯖(サバ)を堪能

⑤宿で飲む用のの仕入れ

⑤チェックイン(晩ごはんまでダラダラ読書しながら三昧)

というのが、ぼくのプランでした ところがクマルさんの「三浦三十三観音霊場巡るから」のひと言で、ぼくの完璧で鉄壁のプランがガラガラと音を立てて崩れ去りました 結果…

①16:00“一郎丸”到着(この時間から予定していた②③は不可能 むろん“かねよ食堂”でランチをしたので①及び④も却下

②しかたがないので、日の出ポイントは一郎丸の裏手の駐車場にて方角チェック





城ヶ島だろうが、一郎丸の駐車場だろうが、どのみち、日の出は房総半島から昇ることにちがいはないし、もう運転とかしたくないしのことであたまがいっぱいだし といってもまだそのときはを仕込んでなかったので、またまたを出してコンビニまで



やっててよかった でも元日はやってないとのこと てことは明日は三浦海岸あたりのコンビニまで行かないと仕込めないなぁ



ということで宿の風呂初体験です 晩ごはんは18:00からなので、もうは諦めました

嗚呼、前回はマホロバ・マインズ三浦の入ってから行ったからな、そこの風呂入ってないんだよな

マホロバ・マインズ三浦】←HP

あ、そのホテル、去年研修で泊まったから、そのはもういいや つか、あんたたち、なんで以前ここ(一郎丸)に泊まったの?

たまたまテレビで旅番組見ててな、この宿が登場したわけよ。民宿で(つまり民宿料金で)そこまで豪勢にするのか って驚いて、たまにはうまいもんでも食いに行くか? って、2005年のクリスマスに泊まりにきたわけよ。しかもじゃなく、で。けど、バス停からの道がハンパなくて、あれは驚かされたな いまでもあンなン?

ほぼあのままでした 多少街灯は増えたけど

バス停から一郎丸まで畑ばっかで、あの頃は一郎丸付近まで街灯すらなかったからな もうどこ歩いてるか見当つかなかったもん 地図コピーしてきたんだけど、そんなもん見えやしねぇ 大変な思いして辿り着いたんだよな



おお! その大広間! 懐かしい クリスマス・イヴに、ンなところへ来る客は皆無で、その広間にわたしたちふたりっきりだったんだよな 大広間にテーブルがポツンとあって、鍋がデン!!ってな



今回はぼくたちの他にひと家族(4人)だけ。そもそも二階に3部屋しかないですからね。騒々しくなりようがないんだよね。ていうか、本業は漁師で宿的には奉仕活動❓的なところあるもんね

おい、その、わたしがお歳暮でもらったヤツじゃないのか



だからCちゃんには、もち米の残しておいてあげたよ

や、そういことじゃねえよ 断りもなくもってくなよ



けったくそわるッ



どついたろか!?



クマル、普段マグロなんて食べないけど、これは違ったな 三浦はマグロってガイドブックにはマグロだらけだけど、これはマジうまし



もうサミットで鯛の刺身が買えません



製作中 つっても鍋奉行チャイロ系ちゃん クマルは見てるだけの役



& 食べるだけの役 なにこでー おいしそー杉るぅ

もう、お腹いっぱいで、雑炊なんて食べられませんよね って、クマルさんと話してるところへ、



年越しそばきちゃった――――!



フジモト商店で、さきイカとかいろいろアテ買ってきたけど、食べれそうにないですね 明日は裏の駐車場に行くだけだから、そんなに早起きしなくてもいいんだけど、もう寝てしまいますか

正月料金でも1万円しないってどーゆーこと 金目のうまさにアゴハズれたわ 寿司屋であんだけの金目使ったらいくらぼったくれるんだべか

や、つっこんでやんねえよ



*カテゴリ【旅ぃ~ゆけ~ばぁ】でご覧になっている読者の方々へ
 今回の旅は【三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの】と並行しています
 興味のある方はそちらも併せてお楽しみください

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三浦三十三観音 第16番 栄久山 等覚寺

2018-01-15 07:59:25 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの


つか、本来はあれくらいがフツーなのよね へたすると登山ちっくなお参りとかざらにあるもんね 秩父ンときなんて、鎖つきの岩山登攀したから

札所32番般若山法性寺(後編)@Chris's monologue】←たとえばこンなン(滑落したら死にます

登攀とか滑落とか登山用語使えばそれらしく聞こえるけど、本気のクライマーが見たら失笑されンぞ



でも、階段はこれくらいの長さがベストです



やめんか、その女の子同盟みたいなの





でもさ、あと2か所行けば、その緑地区完了するぢゃん



もう限界だよ 朝から運転しっぱなしだよ







*本堂の左手に観音堂があり本坊へ拝観を願うとお堂を開けてお厨子も關扉してくださった。ご本尊千手観世音は市指定の文化財で一木造りの立像。昔、この近くの御滝社に隣接する経塚山に千手院というお寺があり、そこのご本尊であった。明治の廃仏毀釈で廃寺となったため昭和五年に当覚寺へ移遷された。また、同じ堂内には金剛力士像が安置されており、こちらも市指定文化財で一木造り。古くは丸山不動院にあり、江戸時代にはすでに先の千手院にあり観音像と共に当覚院へ移遷された。損傷は著しく尊容をそこねており、平安時代後期の作といえる。



よし、今日はここまで じゃあチャイロ系ちゃん、明日の日の出ポイント探してきなさい

宿に着くの、たぶん16:00過ぎると思うんですけど



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三浦三十三観音 第17番 普門山 慈眼院

2018-01-14 09:58:54 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの


どうキタ? だいたい察しはつくけど

坂東ではよくこーゆーのに出くわしましたね



まあ、身延山の久遠寺を休憩せずに登れたクマルさまですから、これくらいはちょちょいのちょい



久遠寺ほど一段ごとの幅は大きくないけど、つか、逆にチョー狭いからコエーから



膝にきましたね

普段ジョギングしてるおまえでもか



もう今日はここまでにしてにでも行きませんか?



あの木からパワーもらうべし ……ん? なんか晴れてきたな これって夕陽見れるっぽくね? おし、ラスイチ行って海に行くべし

まだ行くんですか



マーク重なってるべさ てことは、めっちゃ近いってことだべさ それを次回に回すのはおかしいべさ



近いけど、クマルさんなんか忘れてませんか?



*小高い丘の上に建つが、石段を登る途中に石碑があり三浦札所第十七番南無観世音菩薩と彫られている。開山は顕靜院日進聖人と伝えられている。ご本尊聖観世音は本堂内の靉厨子の中に泰安されており文化・大正・明治年号が記されたご詠歌の額がある。



そう、帰りも階段があるということを



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三浦三十三観音 第15番 吉井山 真福寺

2018-01-13 09:43:00 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの


文脈無視か!? どういう流れだ

法善寺付近で、カーナビの案内が終了されたので、なんの疑いもなくその寺の駐車スペースにを停めたんだけど、どうやらここが目的地ではないらしいとわかり、とりあえずを出そうと思ったんだけど、ケータイのナビと道路を見比べ、なんかやたら道が狭そうなので近所のヒトにたずねてみたんだよね すると歩いてもすぐだっていわれたので、をそのままにしてで行くことにしたんだよ



で、来てみて正解だとわかりました。道路が狭いうえ、駐車スペース皆無



航空写真で見ると、真逆の位置に駐車場が見えるけど、これっておそらく山の下ってことだよね それにここの寺の駐車場かどうか定かじゃないし



べつにンなことはどーでもいいから クマル的には観音さまにお会いできれば、それで問題ないから



あ、でも、この観音さまじゃにのよね。って、よくよく案内読んでみたら…… 急いで念彼観音力(ねんぴかんのんりき)

*おくつき観音様はあの世の暗闇のなかでもがき苦しみ彼岸に辿り着けないでいる魂を白コウの輝く光りで招き導き給える
観音様の懐に抱かれた魂は蓮の花の上で遊び戯れながら心が安らぎ救われたり

念彼観音力(-人-)




*開山は乗蓮社一誉上人。正面本堂の左手前階段を登った所に観音堂が建つ。ご本尊はお厨子の中に奉安されており、お前立のマリア観音を拝することができる。観音様(聖母マリア)が子供を抱き坐っておられ戦国時代の作である。子育て観音として親しまれ、関東でのこるのはここだけとか。また、観音堂の格天井には江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎が書いた軍鶏や鰹の浮世絵が色も鮮明に残っている。他に、藤木黄山の名も見うけられる。境内の庭園は手入れがいきとどき、周辺は竹薮で靜かで心やすらぐ寺といえよう。この他、地蔵菩薩が安置されていたがこの地蔵菩薩はそうめん地蔵と呼ばれ願いが叶うお礼に素麺を供えるという。



ということで、今回の旅の目的といってもいい、マリア観音さま なんかいろいろ書かれてあるから、説明を読んでみ……



ちょっと待ってケロ いま酉年(2017/12/31現在)でしょ、年が明けて戌年 てことは亥、子、丑って4年後かよ

クマルさん、クマルさん 観音堂に頑丈そうな鍵がかかってましたよ

え゛え゛え゛え゛え゛

あ、でも、不思議なつくりの観音堂で、扉が障子紙みたいなので出来ていて、誰がやったのかなぁ、一部分だけ破れてましたよ そーゆーことするなんて、罰当たりですよね

ぬわにぃ 破れ障子とな



むろん覗き見してみまスた あ いた

けしからんクマだな!



北斎の天上絵までは見えなかったけど、もう心残りはない チャイロ系ちゃん、もう好きにしていいから

クマルさん、もうチャックインの時間過ぎてますよ 本来この旅って、初日の出を見るためのものですよね いつもなら、日の出ポイントの場所の確認。それが終わったら夕陽を見れるポイントに移動。撮影。それと今夜の酒の仕入れ。と、多忙なはずですよね でも、それら全て手付かずなんですけど



宿まで大した距離ぢゃねーぢゃん



てことは、あと2か所くらい巡れるな ほんじゃば次行ってみよう

……



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三浦三十三観音 クマル的番外2番

2018-01-12 10:16:39 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの


おい、またタイトルおかしなことになってるぞ



ぼくは間違えてないよ この電話番後入力したら、ここに導かれ、この寺の真横あたりで音声案内終了したんだもん



寺自体はよかったから 性懲りもなくまた本堂に無断であがってお祈りもさせてもらったし つか、てっきりココが15番だと思ってたから だって、あまりにも雰囲気がイイんだもん

ならばどうして間違いであることに気づいたんだ?

クマル去年、天草に旅行行ったじゃない?

嗚呼、あのくまモンタオルを土産に買ってきてくれたとこか。つか、どうして話がソコへいく?

天草といったら隠れキリシタンだべさ だからマリアさまを大っぴらに置くことできないから、マリアさまを模した観音さまを置くことにしたのな で、有名なマリア観音さまがサンタマリア館で見れるんだけど、家族旅行だったからソコ行けなかったのさ だから、今回の旅では絶対に見たい って、ある意味それが目的で三十三観音巡りをすることに決めたのな

でも、その観音堂がどこにも見当たらなくて、もしやとケータイの地図開いて拡大してみたら



ぼくたちがいる位置はここ



目的地はここ ここにマリア観音があるんだよ



これでようやくはっきりしたから このカーナビ、絶対アテクシたちに対して悪意がある

そう思う心が苦を生むとお釈迦さまおっしゃられました(-人-) なにごとも常に御修行。中道の精神をお忘れなく(-人-)



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三浦三十三観音 第13番 延命山 東福寺

2018-01-12 08:39:41 | 三浦三十三観音霊場巡礼のようなもの


道元和尚はおっしゃいました。それも含めて修行なのだと(-人-) つか、こんどはなんだ!?



平面だとわかりづらいですよね これ、GPSの弱点かも つまりGPSだと2次元的判断しかしてくれなくて、高低差は無視されるってことなのかも だから山の上でいきなり案内終了されて、え ここはどこ って、フツーの民家が集まる住宅街にとり残されました



あ、3Dにしてもわかりづらいか



つまりこーゆーことだから





どうして駐車場があるところにナビしないかなぁ

坂東とかの大きな寺だと選択肢がありますよね。寺に直接行くのか、その駐車場に向かうのか的な けれども今回はそんな選択はなく、ただ目的地に近づくだけ それがどんなに行きづらい場所でも、そこでルート案内は終了 この後、このナビのせいで、ぼくはめっさ苦しめられることになります まだ今回は序の口だったことに、後々気づくことになるんです



つっても、お寺自体はよかったから さすが禅寺って感じぇ 山の中腹にあるだけあって、あたりはシーンとしてて、まさに森閑という文字がピッタリ 心身脱落を目標とする禅寺は、やっぱこーゆーとこじゃないと



只管打坐

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只管打坐、心身脱落のことを詳しく知りたければ、このがオススメよん



まあ、ナビさまがヘンテコな案内しなければ、この景色はおそらく見られなかったと思うから結果オーライつーことで





*江戸時代の初期、西浦賀廻船問屋淡路屋治兵衛の持船が大しけに遭い、船頭が無事を祈ると船の舳先に観音様が出現し、海は穏やかになり助かったと云う伝説により、当山(東福寺)に聖観世音菩薩が祀られた。海難除けとして浦賀港の出入船の航海の安全を祈願している。
往年、東福寺は天台宗・真言宗の寺であったが、慶長年間(1596~1614)に一機直宗が曹洞宗に改宗した。



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