井光神社(いかりじんじゃ) 吉野郡川上村大字井光349 PKあり
神話に出てきそうな神社 神武天皇が宇陀から吉野へ巡幸時、人が居て井戸の中から出てきた その人は体が光って尾があった
天皇は「お前は何者か」と問うと「国津神、名は井光」と名乗ったと言う 御神体は十三体、一つは井光神(立石とされる)、十二は十二社権現と言う
「井光(いかり)という村は、ふりあおぐような山の天辺にあり、よく人間が住んでいると思うが、古代の道は尾根伝いを通ったらしく、神武天皇が尻尾の生えた人間に会ったのは、他ならぬこの井光の地であった」白洲正子
金剛寺 (神之谷)吉野郡川上村神之谷126 神之谷公民館前に駐車場あり5台 目的地までだいぶ迷った 無住の寺 後南朝の中心となった古刹 (高野山真言宗) 妹背山 大乗院「金剛寺」 天武天皇の白鳳時代に大峯山の開祖・役行者の開基と伝えられる
元は「那珂寺」と言い、大峯山上奥之院とも号されます 本尊;地蔵菩薩(抛げ地蔵・川上地蔵とも呼ばれる) 瓦葺き入母屋造りの本堂は前面二間が吹き通しになった珍しい造りです
本堂の奥に南朝最後の皇子自天王と忠義王を祀っている 寺の前には由緒を記した「自天王碑」 境内には自天王と忠義王の陵墓や牛頭天王神社と自天親王神社がある 収蔵庫には国の重要文化財の自天王遺品等が有る 高野山真言宗寺院で、後南朝菩提所としても知られている。この寺には、宮内庁の後南朝墓所、自天親王神社や後南朝の遺品の収蔵庫がある。本尊の地蔵菩薩は役行者が造って大峰山から投げたとされ、「投げ地蔵」と呼ばれている
「柏木から、林道のようなせまい道を登ると、金剛寺の裏手の山へ出る。吉野川をへだてて、柏木、神之谷などの村が見渡され、南朝の皇子がかくれるには、絶好の地形のように見える」白洲正子
香炉 閻魔王 閻魔堂と南帝陵南朝の再建を図った後南朝の最後の指導者堂内 本堂軒下赤鬼 白天親王神社境内に鎮座する。元無格社宝物殿・菊の紋河野宮墓木造地蔵菩薩立像御南朝の遺品 NETより
旅行中人と会ったのは桜木神社で男性1人、中社で男女2人のみであった。