伊勢寺 高槻市奥天神町1-1-19 高槻駅北口から北へ徒歩約15分 この寺は、平安時代の女流歌人で三十六歌仙の一人伊勢姫を開基とする。宇多天皇の死後、伊勢姫は古曽部の地に隠棲して庵を結んだ。伊勢姫の死後の(892年)、 その草庵は伊勢寺と号し、天台宗に属した。天正年間、高山右近の兵火に焼かれたが、江戸時代の寛永年間、僧宗永によって再興され曹洞宗に改められた
参道
本堂
本堂
不動明王 文献から
本堂 横
扁額
伊勢姫図 文献より 平安時代に、美しい容貌と文学的才能に恵まれ、その数奇な生涯を生きた、伊勢姫は、時の貴族、藤原継蔭の娘として父が伊勢守であった頃生まれ、国の名をそのまま『伊勢』と名づけられた。
能因法師掛軸 文献より
金毘羅大権現
金毘羅
十三重塔
稲荷大神
中門
高階春帆碑
難波潟みじかき蘆のふしのまも逢はでこの世をすぐしてよとや」伊勢姫
地蔵堂
池
六地蔵
monument
本堂横の建物
筆塚
伊勢廟堂 本堂の西側にあり、碑は慶安4年(1651)、高槻城主の永井直清が建立しました。碑の文章は幕府の大学頭・儒学者林羅山が書きました。直清は、その前年に能因法師を顕彰しており、能因が慕っていたという伊勢と寺名を結びつけた伝承をもとにして、これを顕彰したといわれています パンフ
庭園
庫裏内