週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

興雲庵・陀枳尼尊天 豊川稲荷 2019.03.14

2019年03月19日 | 神社仏閣

興雲庵・陀枳尼尊天 豊川稲荷 京都市東山区小松町599
中国(当時は元)の台州(浙江省)出身の僧侶・石梁仁恭を開基として、鎌倉時代後期に開かれた。境内に鎮守社の陀枳尼尊天 豊川稲荷が祀られている。
陀枳尼尊天堂は、この興雲庵の鎮守の社で、寺院北側の門には「陀枳尼尊天」と書かれた大きな石柱と赤い鳥居が建っている。

興雲庵の南に陀枳尼尊天がある

興雲寺 山門

 

 

陀枳尼尊天  
興雲庵の鎮守稲荷、陀枳尼尊天は、当庵の中興の祖、三江紹益(さんこうじょうえき)禅師の厳父慈母が深く崇神された霊神である。この因縁をもって、三江大和尚も生涯の守護神とされ、また当庵の中興に当たっても、国家安寧・佛日増輝(ぞうき)・寺門昌盛とともに、信者各家の諸願成就の請願のため、『悪事災難を除き、福徳智慧を授け、苦を抜いて楽となし、悲しみを転じて喜びとなす。』といった本誓をもつこの善神をこの地に勧請されて、長く鎮守として祀るようになったと伝えられる。

 

陀枳尼尊天堂

 

   内部

 

山門 内側

 

 

 

 

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両足院 特別公開 その2 2019.03.14

2019年03月18日 | 神社仏閣

 

京の冬の旅より

京の冬の旅より

京の冬の旅より

枯山水庭園

 

 

 

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両足院 特別公開 その1 2019.03.14

2019年03月17日 | 神社仏閣

 両足院 京都市東山区 大和大路通四条下る4丁目小松町591
  建仁寺の開山・明庵栄西禅師の法脈・黄龍派を受け継ぐ龍山徳見禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院

知足 

冠木門

山門

庫裏

方丈

本堂

内陣

毘沙門天堂

毘沙門天

 

 

唐門の窓

井戸

飛び石

茶室

妙喜庵

 

 

 

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霊源院・特別公開  2019.03.14

2019年03月16日 | 神社仏閣

霊源院 京都市東山区大和大路四条下ル小松町594   庭園も室内もすべて撮影禁止 室内は、わかるが庭園も禁止とは、納得いかない 600円 
応永年間(1394年?1428年)、龍山徳見和尚を勧請開山として、その弟子である一庵一麟によって創建されました。鎌倉時代末期から室町時代にかけ、京都五山と鎌倉五山の禅僧たちによって栄えた漢文学・五山文学の最高峰寺院とされた霊源院。「建仁寺の学問面」の中核を担ったこの寺院から、室町時代の五山派を代表する学僧が数多く輩出されました。

 

入口

玄関の衝立「関」

以下撮影禁止のため Home page  net より

毘沙門天

毘沙門天立像

韋駄天

 

今川義元 書

茶室

甘露庭

甘露庭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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禅居庵 摩利支尊天堂(建仁寺塔頭) 2019.03.14

2019年03月15日 | 神社仏閣

 禅居庵 摩利支尊天堂(建仁寺塔頭) 東山区大和大路通四条下る4丁目小松町146  霊源院受付まで、時間があったので、禅居庵を参拝
開山は中国僧である大鑑禅師(清拙正澄 1274-1339)。境内の中には摩利支天堂がある。境内には狛猪がある  摩利支天は亥年の守り本尊として信仰を集めているだけでなく、開運や勝利に導くともされている

 

 

 

 

西門

南門

 

手水も亥

 

本堂 摩利支尊天堂

 

亥の彫刻

朱印授与所

 

韋駄天

 

   

 

 

 

 

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建仁寺塔頭 両足院 霊源院 正伝永源院⇒特別公開 2019.03.14

2019年03月14日 | 神社仏閣

拝観料:各 600円 2019.03.18 まで original 御朱印あり

 

 

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極楽密寺 2019.03.08

2019年03月13日 | 神社仏閣

 極楽密寺 泉南市馬場1-16-1   大いに迷ってしまった 本来はさわやかバスで「文化ホール前」下車 10分で行けるところ バスの待ち時間があったので駅から行ったのが、失敗。 さして広くない寺だが、各お堂が開け放たれているので、楽に撮影できた。御朱印をもらう際、日付がなかったので、言うたところ、自分で入れてという、そっけない返事、気分が悪かった寺
    当山は730年行基菩薩が畿内49院建立のおり、当地に一草庵を建立し、薬師如来を本尊として安置したのを開基と伝わる。その後、観音信仰がこの地に根付き、1185年には俊乗房重源が留錫し、伽藍・坊舎を有する寺院に発展させたという

   

自宅 シーツは台風の名残 

薬師堂(本堂)

須弥壇

薬師如来坐像

十一面観音

地蔵堂

地蔵堂

地蔵菩薩

不動明王

萬霊塔

永大堂

永大堂 内部

弘法大師

 

 

 

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大念仏寺 再訪 2019.03.05

2019年03月12日 | 神社仏閣

 大念仏寺 大阪市平野区平野上町1-7
 1127年鳥羽上皇の勅願により比叡山の僧・良忍が開創した日本最初の念仏道場です。御本尊の十一尊天得如来とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像を指します  融通念仏宗は聖応大師良忍が大原来迎院にて修行中に、阿弥陀如来から速疾往生の偈文を授かり開宗した浄土教の宗派のひとつです パンフより

    

山門

扁額 大源山

小林一茶 句碑 春風や 順禮ともか ねり供養  

 

南門

 

 

本堂

 

梁松院

地蔵尊

円通殿

観世音菩薩

八大竜王堂

黎明殿

香炉

瑞祥閣

白雲閣

 

 

 

 

 

 

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慧光寺 光永寺 永福寺  2019.03.05

2019年03月11日 | 神社仏閣

 慧光寺 平野区平野上町2-6-28 
 「恵光寺」は本願寺八世門主である蓮如の六男蓮淳を開基とし、明応5年(1496)に八尾市萱振に建立された寺院である。「萱振御坊(かやふりごぼう)」とも別称され,河内における本願寺教団の教化の拠点のひとつとなっていた。  慧光寺真宗関係史料より

山門

本堂

庫裏

 

 

 光永寺   大阪市平野区平野本町1-5-13
 光永寺は、中世自治都市として著名な平野郷に所在する真宗本願寺派の寺院である。本願寺10世門主証如が記した『天文日記』に光永寺の名が頻出する。中でも天文5年(1536)6月15日の記事は重要で、大坂本願寺の造営のために、「平野衆」と呼ばれる光永寺の門徒200人が大坂へ手伝いに来ている様子が記されている。16世紀前半には、光永寺が平野郷の中で確固たる地位を確立しており、多数の門徒衆を抱えた大きな勢力であったこと、また本願寺教団にとって摂津南部、河内方面の重要拠点となっていたことがわかる

山門

太鼓楼

 

本堂

寺務所

親鸞聖人

親鸞画像裏書

寺紋

 

 

 永福寺 大阪市平野区平野上町1-15-24  浄土真宗本願寺派 御朱印は有りません

   由緒~(1629)僧永慶の創建。本堂は(1807)に再建し、表門は昭和初期の再建

 

山門

山門 内側

 

本堂

 

寺務所

 

 

 

 

 

 

 

 

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往生院  2019.03.08

2019年03月10日 | 神社仏閣

往生院 泉南市信達牧野1248  熊野街道沿いにあり、その山門前には巨石に由緒が刻まれている
白鳳8年、天武天皇の勅命で道昭が創立した、当地の呼唹(おお)郷は大和朝廷時代から、天皇家の直轄地だった。 国家鎮護のためこの寺院を建立した、道昭は朝鮮百済から渡来した船氏の出身で、船舶、海運、土木工事の担当部族として朝廷に仕えていた

   

由緒 道昭は大2次遣唐大使の随員として唐の都、長安に留学し、玄奘三蔵について、8年間勉学す、帰朝後、飛鳥元興寺の禅院で、法相宗を開き元祖となった、同時に日本全国を回り、港湾を築き、川を整え池を掘り、国土開発に尽くした。 道昭の創立したこの寺院は5町4方の広大な境内を持ち、飛鳥寺様式の伽藍配置で、信達を寺領とした。白鳳10年金熊寺に信達神社が創祀され、神武天皇を祭神とした。平安中期、摂政藤原忠実の荘園となり、鎌倉、南北朝まで近衛家が統治した。熊野信仰が盛んになり、上皇、貴族が行列を組んで百回に及ぶ熊野詣をした。信達の四王子を参拝した。 足利尊氏が信達荘を根来寺へ四季大般若転読料所として寄進す、豊臣秀吉の、根来寺攻めで全焼した。 文禄の太閤検地で寺院境内は404坪となり、浄土宗に、かいしゅうされた。 元禄4年真言宗に戻り、京都仁和寺は本山となった。

 

水子地蔵菩薩

本堂

薬師堂

二面石仏

観音堂

 

途中にある地蔵群

読めない

 

 

 

 

 

 

 

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