SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

ホーイチ、ブルガリア、西洋と第三世界

2017-12-08 10:36:00 | Essay-コラム

December 8, 2017


La légende de "Mimi-nashi Hoichi" 


Samedi 13 Janvier 2018  10h à l'auditorium du conservatore Jacques Ibert Paris 19e

81 rue Armand Carrel 75019 Paris (métro Jaurès)


Un spéctacle musical improvisé d'un célèbre conte japonais  se réalisera par un équipe franco-japonais qui splendide!


Elsa Mionet-Miura (conception,violon,voix),Philippe Montaigne (conte), Miéko Miyazaki (Shamisen,voix),Daniel Moreau (piano), Mié Ouou (flûte,voix)


話し手と即興音楽による「耳なし芳一」


2018年 1月13日(土)10時 パリ市立ジャックイベール音楽院オディトリアム


必聴!フランス語による話し手と日仏豪華音楽キャストによってあの日本童話を再現する、即興スペクタクル!!


エルザ・三浦ミオネ(コンセプト、ヴァイオリン、歌)

フィリップ・モンテーニュ(お話)

宮崎美恵子(三味線、歌)

ダニエル・モロー(ピアノ)

ミエ・ウルクズノフ(フルート、歌)

 

タイトルは混ぜこぜになっていますが、すこし徒然の近況と覚え書きを。

ブルガリアに一週間滞在してコンサートをさせていただき、(プレーヴェンというバルカン山脈よりすこし北部の地方都市にて)そのあと雪の降りしきるソフィアを飛び立ち、教えている音楽院で、学期始めから万全のチームで準備してきた子どものための「耳なし芳一」即興スペクタクルの初演をしました。(12月中は区内小学校1年生のための特別公演です。ホームページに掲載したとおり、一般向け公開初演は年明け、1月13日(土)です!)





 Snow in Sofia,Bulgaria

 

なぜ「耳なし芳一」かというと、音楽院の同僚でフランス人と日本人のハーフのヴァイオリン教授のエルザから、どうしてもこのお話を子ども達に伝えたい、それも最高のチームでやりたいと、依頼があったからなのです。共演の話し手のフランス人と、三味線、お琴の日本人、ジャズ奏者のピアニストはみんな超素晴らしいアーチストなの!ということでした。そして彼女の言った通り、最初のリハーサルで即興をしたときから、繊細な耳をもって、「その瞬間にしかできない音楽をするために」万全の準備をする、という意味が分かる人たち、そして誰もレールを敷いた事のないことへの冒険を信じる人たちだ、ということをすぐに感じた!

そして、はびこっている「子ども」だから、「この程度」のことを、という偏見をみんながすぐに否定し、「子ども達にこそ、私たちの全力を、芸術を、即興を、そのまま」ということで一致したのです。

 

先日の初演はおおきな反響がありました。私たち自身も自信こそあったけれど、どういう音楽が出て来るのか一切わからない。。。まず音楽院の学長秘書さまが真っ赤な顔をして興奮した面持ちで聴いておられ、すごく気に入ってくれた様子だった。やったね!音楽家じゃない人が興奮してくれた、一番嬉しいことじゃないですか!そして翌日、多数の同僚から、「凄かったと聞いた、ぜひ聴いてみたい!」と言われました。エネルギーというのは、凄い。その場を駆け巡っているみたいです。

 

子ども達も45分間、集中力を持続し一生懸命聴いてくれた。ただ、数人の担任などから、「この話は6歳には少し難しすぎる。」なぜかというと、この話に出て来る日本の「死者の世界」の概念などがフランスのそれとはかけ離れており、理解が難しい、のだそうです。

でも、私たちとしては、そんなことには関係なく、やっているのだけれど。。。私が思うに、それは「6歳の子に」難しいのではなく、「あなたにとって」難しいのではないのですか?ということです。だってどうやったら6歳の子に「難しい」ことが分かるのかなあ。その子はその子の頭で、大人とは違った理解をしているかも知れないでしょう?その理解の仕方が、大人のそれと違っていたら「理解」できていない、ことになっちゃうのかな?

 

そのあと小学校での授業に行ったので、たまたまそのことを小学校の仲のいい指導員さんと話していたら、「でもなあ、その話の裏には「感動」がある訳だろ?ミエ、「白」はなあ、「感動(心の動き)」は鍛錬できるものだと思ってないのさ」この場合、この人の言う「白」の意味は「フランス人」を指す。

 

私の見る限り、公立の学校の指導員さんたち(給食や課外授業の世話をする人たち)は、前述の人を含め90パーセント以上が「アラブ、アフリカ系」の人たちである。

そしてなぜか、担任(教諭)は90パーセント以上、「白」のフランス人。

 

 

ずっと前に、「白」と「黒」の子ども達では音楽の捉え方、考え方にとても差があることを書いた。

 



  そこで話はブルガリアに戻るのだけれど、今回私たちが演奏してきたギターフェスで、一番凄かった(全部のコンサートを聴けた訳じゃないのだけど)のは、最後の日のバルカンジャズのグループでした。すごい面白い。。。!!バルカン地方のモードが、彼らの体の中にある音程感、リズム感がジャズのコードのなかに入り込むと、絶妙のフレッシュさ、面白さを産んでいる。





Last day of "Pleven Guitar Festival" in Bulgaria (Balkan Jazz,2 guitars and bass,drums)

それは、現在のフランスのジャズのような「模索」ではなく、もっと必然からきている、もっとダイレクトに彼らの体内から来ている。だからダイレクトにこっちの体内まで響いてくる!

こういうのを聴くと、いかに西洋世界で私たちが体と心を切り離され、根無し草になっているかよく分かる。凄いぞ、バルカン!ここは地理的にヨーロッパ連合に入っているとはいえ、西洋とはちがった価値を持つ第三世界なのである。

ピカソは「私は探さない、私は見つける」と言った。言い得ている。そう、音楽とはエキゾチックなものを探しにいくことじゃない。ここに、私の体内に、やらなければならないことはあるのだ。

 

なんか、パリの話とブルガリアの話、リンクしてきているでしょう?西洋世界と第三世界のバトルになってきている世相。これまでの時代と同じくして、また死者のたくさん出る、不穏な世界。でも私はこの時代に生きられて、とても面白いとおもう。そして私たちが生き残るには第三世界の感覚を学ぶことだ。学ぶ事?どういうことだと思う?てアタに聞いたら「触ってそれをただ感じること、それだけ。本を一冊よんで全部のモードを習ったとかいうのは学んだことにならないよ。」

そしてその旅行中、ずっと読んでいた本が、日本のダンサー、田中泯さんの『僕はずっと裸だった』





"Min Tanaka"'s "I was always naked"(Japanese Contemporary-Dancer) ,my favorite book in the moment

 

こやまいずみちゃん、この本をくれて、本当に本当にありがとう!!すーっとフに落ちて、自分の感じてる事は間違ってないんだ、こういう考え方があっていいのだ、と思える。みなさんもぜひぜひ読んでみてください。

 

日本だって、西洋と価値観を同一にしない第三世界の一つである。

ホーイチの話の無限の広がり。この現実の世界と平行して広がる、死者の世界。

 

PS、もうすぐThe flute12月号に私のインタビューが掲載されます。パリのクラスに在籍していた川上葉月ちゃんのアイデア、尽力で実現しました。はっちゃんどうもありがとう!!一読していただけましたら幸いです!

 

 





 Interview in "The flute",Japanese magaz



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