SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

悪魔と天使

2021-12-16 10:39:00 | Essay-コラム

今日朝学校にいつものように娘を送っていくと、学校の入り口である教諭に、主題は分からないが「昨日あなたはちゃんと寝なかったんだろ!だからそういう良い加減なこと言うんだ!」などと食ってかかっているお父さんがいた。「ちゃんと寝ましたよ」「いや、寝てないんだ!」で、お父ちゃんマスクをしていなかったので、教諭が「マスクは学校では義務ですよ、マスクをしないで話すのは失礼です」と言うとその父親は今度は「マスクをしないのは権利だ」と食ってかかる。あーあ、人にちゃんと寝てないと断定するくせに、自分がマスクしてないのは権利なのかい、いい加減にしろ。。。とイヤな気持ちになって我が愛車の自転車で帰ろうとすると、なんとチェーンが外れているではないか!


自分でチェーンを掛け直すには、チェーンカバーを外さなければいけないからいっつもドライバーをカバンに入れてたんだけれど、そうだ、アレはいつか空港の荷物検査で没収されたんだっけ。。。しかもこの後用事があるので、急いでいるしどうしよう。。。


途方に暮れていると、なんとさっきのマスクしない権利派のお父ちゃんがやって来て「どうされました?チェーン外れちゃいました?あら、食い込んでますね。。。カバー取らなくてもやれると思いますよ、、、ちょっと待ってくださいね」と、そそくさとかがみ込むと、5分でチェーンを掛け直してくれたのでした。


呆気にとられて「あ、ありがとうございました」と言う私。しかし、手のひら返しで悪魔が天使に変わる瞬間だった。


この人、きっと教諭にマスクのこと指摘されたときは、もしかしたら本当は悪いと思っていたのに、素直に謝れなかったのかも知れない。それで、そのあと人助けをすることで、その悪い感情を良い感情に変えてプラスマイナスゼロにしたのだろうか。


どうやらひとりの人間の中には悪魔と天使が同居しているようである。


昨日の即興アトリエでも、面白いことがあった。


思春期の子達のアトリエで、一人は素晴らしい存在感と音とフレージングで、でもまったく和声をガン無視してインプロして、もう一人の子は、特になにも面白いことはしてないが、ただ単に完全に和声の音だけでインプロした。


で、結果、どっちの音楽も本当に圧倒的に素晴らしかったのである。


教えながら、こう言うことは自分自身の歴史に残るし、悪魔と天使は行き着くところ一緒なのだ、という真理について考えさせられる。


また、「私今日は人生最悪の日だったの。だからいい即興が出来るわけないわ」と言った子がいたので、キース・ジャレットの話を聞かせた。


彼がかの世紀の名即興で誰もが知る「ケルンコンサート」を弾いた日は、彼の体調は最悪で、しかも会場のピアノの音が全く気に入らなかったのだと。そんな日に、あの圧倒的な音楽は生まれた。


逆に私が2006年にパリで彼のソロ即興コンサートに行った時、彼は一生懸命弾こうとしたが、結局一曲として弾けなかった。それで聴衆が咳をするからだ、現代社会には集中力がないからだ、などと議論を始めて、まさしくあれは彼にとって最悪の日だったと思う。


これがあの、世紀の即興家、天才の話なのである。


また、一番大きい子たちのアトリエでは、一週間前にコンサートしたばかりだったので、最近アトリエに来たばかりのチェリストに、「即興」を初めてしてコンサートしたことへの第一印象について聞いてみた。


すると「即興って、とっても曖昧なもののように感じる」という答えだった。まさしくそれは、私が彼女の演奏から感じる言葉だ。


で、それを聞いたアトリエ先輩たちが「私も!初めて即興した時はそう思った!でもね、長いことやっていると、それが普通になるのよ。経験よ。」


これも面白い感想である。まさしく、曖昧さが習慣になっている、彼女らの演奏から感じられることである。


そこで、一度この日「全くの自由即興」に立ち返ってみた。


すると、先輩の生徒らは、全く経験したことのない音を一から表現することになるから、足場を奪われ、このチェリストとまったく同じ立場に立たされることになるのである。


最初はいきなり極限に追い込まれてしまったので、笑って誤魔化したり、何して良いのか分からなかった生徒たちも、次第にただ「音

」に感応し、「習って出している音」

とは関係のない次元の場所から音を出す、という動作に入っていけたと思う。


今回は一番年齢の高い「高校/大学生」のアトリエで初めてやった自由即興のセッションだが、年齢によって、この「自由即興」への反応の仕方が全然違うのが面白いところだ。


もちろん、年齢が小さいほど、抵抗を示さない。同僚Cによると、言語的に年齢が小さいほど原始言語に近いからではないか、ということである。



即興は私にとっては「その瞬間にあるべき音を瞬間的に選びとっている」という意味で「曖昧さ」からは一番遠い、一番確信的なもの、とも言える。


ただし、その確信を持っている自分が「曖昧」であれば、それは一気に世界一「曖昧」なものになる。


じゃあ「楽譜」を演奏することは確信的なのか?いや、楽譜自体は音楽そのものじゃない。あれは音楽の輪郭を不確かになぞる手段に過ぎない。


即興だから曖昧だ、とか楽譜があるから曖昧じゃない、とか思うのは実は思い込みだけじゃないのか。


だから「ある日は自分がやってることが音階にしか聴こえない。ある日は素晴らしい音楽に聴こえる。どうしたらいいでしょう」この質問に対し、チックコリアが言った。

「そう言う時は外の景色を見て気分転換しなさい」と。


演奏は、自分がどういう価値観、感受性を持っているのかで全て変わってしまう。


そして、その日その瞬間ごとにその感受性は揺れ動いている。


だからこそただ、外の世界を眺める時間を持つことが大事なのだ。


チックはすごい。


いやー、何歳になっても即興は、また音楽はよう分からない。この世界の矛盾をすべて内包しているものとしか思えない。


だからこそ「曖昧な私」を通し、この価値を伝えていきたい、と強く思う。


PS オンラインでパリと日本が繋がる「スパイラル・オンラインレッスン」開始しております!申し込みはこのブログからどうぞ。



2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (cieuxstage)
2021-12-22 23:55:44
ナオフミサマ、天使だけの人は居ないと思う今日この頃。
他人をネットとかで叩く人は、実は自分を天使だと思っていて、自分の価値観に合わないものを悪魔だと思っている。自分はそうなりたくないものだなあと。
返信する
Unknown (ナオフミルク♬)
2021-12-22 21:37:07
光が強いほど影も濃くなる。
俺には多くの悪魔がいたんだ。ミエにはいないだろう・・
だってあなたは天使だから。
なーんちまって♪
返信する

post a comment