SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

「ごめんね」と新学期

2022-09-18 17:14:00 | Essay-コラム

以下は私が音楽を付けた、まなみさんの詩です。


ごめんね

こんなことになってしまって


ごめんね

痛かったね、我慢させてごめんね

君の声を聞いてあげられなくてごめんね

 

本当は、守りたかったんだよ

君を守りたかった

君の心も、君がやりたかったことも

みんな、守りたかった

 

でも、できなかった

どうしようもできなかった


本当に、何もかも、君のせいじゃないんだ。

君は何もしていないんだ。


君の大事なひとに起こったことも

君のせいじゃないんだよ。

君のせいじゃない

大人たちの問題なんだ

 

 どうして、愛の言葉だけを話せないんだろう?

僕たちは

 

 

 今日、君に約束したいんだ

君の痛みを忘れないことを

痛みから目を逸らさずに

答えを探しつづけることを

  

僕は

問いかけつづけるよ

 

答えが見つかる日まで

 

君が安らぎに辿り着くその日まで

By Manamy Sasaki




「ごめんね」は、友人で、近所に住んでいた日本人のソフロローグでヴァイオリニスト、まなみさんの詩から生まれました。


どんなに助けたくとも、どうしようもないものごとがあり、痛みを忘れないことしかできない、そのもどかしく苦しい思い。ねぇ、音楽つけられる?と問われたとき、えー?私が?あー、へー、なるほど、やったことないけど良いかもね、と調子のいい私は思ったわけです。


彼女はこの詩に書かれた想いを胸に日本に長期帰国されましたが、彼女が帰国するまでになんとかこれに曲を付けてプレゼントしたい、という思いで、私たちの地元パリ郊外バニョレにて夏前に初演、その後で夏の間に色々細部を詰めました。


歌の入った作品では、「ビューティフルリング」という曲に、後付けで英語の歌詞をつけたのがあります。これは娘の誕生の時の独特の感覚から生まれたものです。


このように私の作曲においては、人生の瞬間の大切な感覚を写真のように切り取っておきたい、という大変に個人的なもので、それ以上の大義みたいなものはありません。


私はいわゆる生まれ持った声がなく、しゃがれ声で声量も皆無なので、詩をそのまま囁くという方法で歌いましたが、今回はもう少しだけちゃんと歌う方向で、少しだけでも音程に響きが乗るように、自分のよく知っているフルートの呼吸の方法論と、プロの歌手の友人ガクちゃんのアドバイスを参考に、ちっとは努力した。


中でも、自分の声を認める、この作業がキツイけど面白い。


どんなにイヤでも、自分の中のそれを認めてあげないことには表現することは出来ないですからね。


しかし、歌とか言葉とかの奥の深い世界。


絵といっしょで、上手いからいい、とかそういう次元ではない、楽器とはまた違った、一筋縄ではいかない二律背反の面白さがあるんですね。


次は新学期早々、フランスで非常に盛んなArt dramatique (演劇芸術のクラスと、ひょんなことから(実はトンデモない大喧嘩から!)仲良くなった演劇科の先生の希望で、フランスの詩による即興の共同プロジェクトをやる予定。ますます言語と音楽、声と楽器、その繋がりがどのように即興、また作曲という過程で出て来るのか、それはまったく目前に道のない雑草だらけの未知の世界。しかしそれも自分で蒔いた種、またしても成り行きの恐ろしさ。


またスパイラルメロディー・プロジェクト(自作による、聴衆も巻き込んだ即興プロジェクト)においても、今年は新たに我らのプロジェクトにぴったりな真面目でオープンマインドなベーシスト、また何でも叩けるパリ最高峰のひとりのドラマーを得て、19区内小学1年生とのプロジェクトやパリ市音楽院数校でのコンサートと、コロナ後再スタートとしては上出来。このメンバーにシンセを加えれば、オーガニックで高度なリズムに肉厚なオーケストレーションを加えられるのでは?とイメージは膨らみます。さてシンセをこの目的に沿ったものに新調しなくては。


作曲は日常の個人的な瞬間を音にしますが、それを単に発表するのでなく、それを元に即興で欲しい音を獰猛な欲求を持って、周囲を巻き込みながら今現在に追求していきたい、それがスパイラルプロジェクト。



また、らるちぇにっつぁトリオのコンサートも、今年度ヨーロッパ各地にて行います。

(日程このブログ上またFBページにて更新!)


私は教育活動と演奏活動の間に線を引きません。教育現場は生徒たちと一緒にやる壮大な音楽の実験場なんです。


そこはバルトークの言う「ミクロコスモス」です。


教えることはクリエーション。そしてクリエーションこそ私の伝えたいこと。


また、今回の歌も、特に歌にこだわっている訳でも、また日本語に拘っている訳でもなく、即興-作曲-演奏というクリエーション活動の必然性として自然に派生してきたものです。


一つ掘り下げると他のこともどんどん掘り下げたくなる、よう知らんけど多分、科学者も音楽家と同じ気持ちで過ごされているのではないでしょうか。



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