ひょんなことから音楽院近くの運河に停泊している船の前衛ライブハウスみたいなところ「ラ・ポップ」で、即興アトリエと一緒に、とあるプロジェクトに参加することになった。
アーバンアートのようなことをやっていて、一目彼の作品を見て気に入ってしまった。
楽譜は読めないし特に楽器が弾けるわけでもないが、グラフィックな楽譜を描いて自ら作曲、演奏するそうである。
今回はそんな彼が考えたプロジェクト、「老人ホームに行っておじいちゃんおばあちゃんに好きなように楽譜を書いてもらい、それを私の即興アトリエで生徒たちが演奏する、そしてそれをシャルリさんが録音し、ミックスして自分のアート作品と一緒に展示する」!
個人個人の思い出のフィルターを通した「音の過去と現在」に興味があるのだそうである。
2月とは言え晴天の続く気持ちのいい日。
シャルリさんに誘われて、第一回目の老人ホームでの「楽譜描きセッション」に行ってきた。
しかし、演奏が始まっても半数ぐらいの老人たちが緊張して何も描こうとしないので、スタッフたちは一生懸命説明しながらも、少し困惑気味だった。
中には「こんなのやりたくない」と意固地になった人もいたらしくて。
じゃあ私も一緒に描いてみようか?ということで、おばあちゃんと一緒に絵を描き始めた。
因みに連れてきたうちの子(9歳)は「ママー、この五線紙邪魔。裏の白いところに描いていい?」ということでした。大人の発想がジャマなこの人たちは偉いや。
で、一緒に描いていると、おばあちゃんに褒められたり、褒め返したりしているうちに、どんどんアイデアが出てくるものなんですね。
おばあちゃんとも友達になってしまった。
一週間後にセッション2回目をやろう、と言うことになり、今度は私が演奏で参加することに。
到着するやいなや、と、司会進行の人が「前回、結構ハードな音楽で始まってみんなびっくりして固まったみたいだから、今日はソフトに始められないかしら?」って申し訳なそうに言ってくる。
前衛ライブハウスさん、弱気になっちゃったか(泣)
今回初めて即興演奏を一緒にさせて頂いたのは、ヴァイオリン奏者でアイルランドからパリのIRCAMに来ている作曲家、セバスチャン・アダムスさん。
演奏を始めて1時間ほど経過。緊張していたおばあちゃん、おじいちゃんたちが、徐々にきらきら目を輝かせ、「これ、これは音楽にしたらどないなるかのぅ?」みたいな感じで絵を次々に差し出してくれるではないですか。
それぞれの絵のスタイルの違いに引き込まれ、その線や色、描き方のパーソナリティー、異なる才能に驚き、作業に入り込むにつれて、音楽の何かが人々の感性に響いた時は、反応も手に取るように分かるようになってきた。
居合わせたヘルパーさんが突然「すごい、今本当に絵の中の花が音楽に咲いていたわね、この音楽は好き!」と叫んだり。
エネルギーが循環し始めると、絵から勝手に音が紡ぎ出されて、どんどん面白くなっていく。
私たち音楽家のやらねばならないことは、音のなるがままに任せるということに、最大限の注意を払うだけだ。
結果ライブハウスのスタッフさんからも
「即興ってどうやったら出来るの?」
「即興ってどうやって教えてるの?」
という心から興味津々の質問がたくさん飛び出したのでした。
即興アトリエでの長い経験で私が言えることは、一番大事なことはひとりひとりの持っている感性を、自己への固執や殻から解放して引き出すこと、そしてそれには時間がかかるから、すぐに結果が出なくても焦らないこと。
表面の言葉などに惑わされずその人の深い真実を見ること。それには自分を提示するのでなく、自分を透明にすること。
それで思い出すのが、尊敬する今世紀最大の即興家、キース・ジャレットの言葉。
「何かを起こす」のは簡単だ。しかし「何かをあるがままにさせる」こんなに難しいことはない。。。
それは、西洋文化じゃなくやはり東洋的な日本文化だと思う。
在仏30年が近くなって、逆説的に、私は最近いつも自分に回帰することを感じている。
そして、時を同じくして造形美術家の母から、土井義晴さんの料理論の本の言葉が送られて来た。
「人間は、素材と向き合うべきで、それを飛び越えて、あの人のためにつくるとか、変に競うとかしても、「いや、素材はそうなりたがっていない」と言うのもあるんじゃないですか。素直にしたら、本来は上手く行くんだと思うんですね。」
関係ないけど、ウルクズノフ家は今日も一汁一菜です(笑)
さて、この楽譜(デッサン)を見た子供達がどんな即興を繰り出すのか、どんな音が出てくるのか?!
続きは新学期、お楽しみに。想像もつきません(笑)。
フランス語ではla vie est la contrainte、人生とは制約である。
五線を超えたところに自由な音楽はある、なーんちって😆