これには色々な意見があると思うが、初めに感想を言うと、「意外にいいとこあるじゃん」です(笑)。
日本のお役所仕事というイメージで言えば、「規則、規則」という感じで、「絶対にダメなものはダメ」みたいな印象があった。昔の役所の窓口みたいなもので、昼12時ジャストになると窓口のカーテンをすかさず「シャーッ」と閉めてしまい、僅か30秒の遅れさえも許さないという感じでしたので。そういう場面では、「午後は1時からですから」とキッパリ言われてしまって、「えー、でも・・・今こうして話しているんだからやってくれてもいいよね。冷たいね」と思ったもんです(笑、これはかなり昔のことですから)。
これは関係ない話ですが(きっと今はそういうことは極めて少なくなっていると思いますけど)、共通一次試験時代からそうした救済策が取られてきたんだな、と感心しました。しかも、「人力」ですから!そんなめんどくさいことを、よくぞ陰で黙々とやってくれていたもんです。本当に偉い、と思いました。
センター試験「うっかり受験生」を23年間救済 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
『共通一次試験が始まった1979年度入試から5年間は一律0点にしていたが、「あまりに気の毒」と方針を変えた。学力とは無関係のミスを救う「配慮」なのか、それとも「過保護」なのか。文部科学省も「難しいところ」と話す。』
記事にもあるように、「ルールだから」ということを重視する意見もあるかもしれない。でも、高校生(浪人生も含まれるけど)レベルで、そのミスを咎めることが果たして重要なのかどうか、だと思う。大学の入学試験であるということを思えば、やはり「教育的配慮」を重視した決定の方が望ましいのではないかと思う。勉強を成果を見る為のものであって、何かの資格取得といった内容のものではないからですね。全滅であったら、確かに悲しみが大きすぎですよね。
例えば、運転免許の試験のようなものの場合には、「注意力」を見る為の一つのハードルとも考えられる訳で、そういう重大ミスを犯す可能性の高い人を排除することになる。従って、各種資格試験のようなものの場合であれば、「単純ミス」「重大ミス」というエラーを犯しやすい人を「マーク・ミス」ということに置き換えて判定している意味があるように思うので、このような場合には、当然のことながら「0点」とするべきでしょう。
上のは良い例でしたが、社保庁の場合はどうでしょう?申請者の代筆業まで始めてしまっていたようなんですけど、こちらはセンター試験のような救済が本当の目的なのかどうか、怪しいかもしれませんね。同じく陰で黙々とやってくれていたんでしょうが、うーん、判断が結構微妙な気がする・・・。
asahicom:年金保険料、4万人分以上を不正免除・猶予 社保事務所-社会
元はといえば、年金保険料を払わない人が悪いんです。払わない人に免除規定があることを知らせてあげようと思ったけれど、本人ができないので「気を利かせて」(笑)代行してくれてた、というのであれば、将来年金の未加入期間が短くなったりするのだろうから、その人にとっては不利ではないと思うよね。だって、現時点まで元々払ってなかったんだし。「本当は自分で払いたかったのに、勝手に社保庁側が手続きしてしまって、どうしてくれる?」みたいな人はまずいないと思うけど。本当にそうなら、とっくに払ってるように思えるけどね。単に「納入率上げろ」だけを目的としていたのかもしれないし、未加入期間になるよりは「免除」にしておいた方がマシだ、と思ってくれて手続きしてたのかもしれないし、詳細に調査されてみないとよく判らないですよね。
明らかなのは、どちらにしても、「国民年金」という制度そのものが崩壊している、ということです。納付もそうですし、国民側が「信用してない」というのが根本だろうし、本当に「払えない」という水準の人たちも多くいる、ということも現実にある、ということですよね。特に大阪は生活保護世帯比率が高いのですし。そういう保険制度の根本的な問題点に目を向けていかない限り、いつまで経っても解決できないように思う。
前から何遍も言っているように、それこそ年金一元化を達成し、基礎年金相当部分を消費税のような税で徴収するようにしないと、回収コストばかりかかってしまったり、今回の件のような「見せかけだけの回収努力」とか慢性的な「高比率の未納者」発生を防げないですよね。
お役所が同じように「黙々と」陰で直しておいてくれるのはいいですが、何だか釈然としない気持ちになってしまうのは何故でしょうか(笑)。いつもの、というか散々叩かれてきた不信の権化ともいうべき「社保庁」だから、ということが、心のバイアスとして存在するからなのかもしれません。
日本のお役所仕事というイメージで言えば、「規則、規則」という感じで、「絶対にダメなものはダメ」みたいな印象があった。昔の役所の窓口みたいなもので、昼12時ジャストになると窓口のカーテンをすかさず「シャーッ」と閉めてしまい、僅か30秒の遅れさえも許さないという感じでしたので。そういう場面では、「午後は1時からですから」とキッパリ言われてしまって、「えー、でも・・・今こうして話しているんだからやってくれてもいいよね。冷たいね」と思ったもんです(笑、これはかなり昔のことですから)。
これは関係ない話ですが(きっと今はそういうことは極めて少なくなっていると思いますけど)、共通一次試験時代からそうした救済策が取られてきたんだな、と感心しました。しかも、「人力」ですから!そんなめんどくさいことを、よくぞ陰で黙々とやってくれていたもんです。本当に偉い、と思いました。
センター試験「うっかり受験生」を23年間救済 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
『共通一次試験が始まった1979年度入試から5年間は一律0点にしていたが、「あまりに気の毒」と方針を変えた。学力とは無関係のミスを救う「配慮」なのか、それとも「過保護」なのか。文部科学省も「難しいところ」と話す。』
記事にもあるように、「ルールだから」ということを重視する意見もあるかもしれない。でも、高校生(浪人生も含まれるけど)レベルで、そのミスを咎めることが果たして重要なのかどうか、だと思う。大学の入学試験であるということを思えば、やはり「教育的配慮」を重視した決定の方が望ましいのではないかと思う。勉強を成果を見る為のものであって、何かの資格取得といった内容のものではないからですね。全滅であったら、確かに悲しみが大きすぎですよね。
例えば、運転免許の試験のようなものの場合には、「注意力」を見る為の一つのハードルとも考えられる訳で、そういう重大ミスを犯す可能性の高い人を排除することになる。従って、各種資格試験のようなものの場合であれば、「単純ミス」「重大ミス」というエラーを犯しやすい人を「マーク・ミス」ということに置き換えて判定している意味があるように思うので、このような場合には、当然のことながら「0点」とするべきでしょう。
上のは良い例でしたが、社保庁の場合はどうでしょう?申請者の代筆業まで始めてしまっていたようなんですけど、こちらはセンター試験のような救済が本当の目的なのかどうか、怪しいかもしれませんね。同じく陰で黙々とやってくれていたんでしょうが、うーん、判断が結構微妙な気がする・・・。
asahicom:年金保険料、4万人分以上を不正免除・猶予 社保事務所-社会
元はといえば、年金保険料を払わない人が悪いんです。払わない人に免除規定があることを知らせてあげようと思ったけれど、本人ができないので「気を利かせて」(笑)代行してくれてた、というのであれば、将来年金の未加入期間が短くなったりするのだろうから、その人にとっては不利ではないと思うよね。だって、現時点まで元々払ってなかったんだし。「本当は自分で払いたかったのに、勝手に社保庁側が手続きしてしまって、どうしてくれる?」みたいな人はまずいないと思うけど。本当にそうなら、とっくに払ってるように思えるけどね。単に「納入率上げろ」だけを目的としていたのかもしれないし、未加入期間になるよりは「免除」にしておいた方がマシだ、と思ってくれて手続きしてたのかもしれないし、詳細に調査されてみないとよく判らないですよね。
明らかなのは、どちらにしても、「国民年金」という制度そのものが崩壊している、ということです。納付もそうですし、国民側が「信用してない」というのが根本だろうし、本当に「払えない」という水準の人たちも多くいる、ということも現実にある、ということですよね。特に大阪は生活保護世帯比率が高いのですし。そういう保険制度の根本的な問題点に目を向けていかない限り、いつまで経っても解決できないように思う。
前から何遍も言っているように、それこそ年金一元化を達成し、基礎年金相当部分を消費税のような税で徴収するようにしないと、回収コストばかりかかってしまったり、今回の件のような「見せかけだけの回収努力」とか慢性的な「高比率の未納者」発生を防げないですよね。
お役所が同じように「黙々と」陰で直しておいてくれるのはいいですが、何だか釈然としない気持ちになってしまうのは何故でしょうか(笑)。いつもの、というか散々叩かれてきた不信の権化ともいうべき「社保庁」だから、ということが、心のバイアスとして存在するからなのかもしれません。