書くとまた怒られるかもしれないけど、書いてみます。
「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」の47thさんが、上限金利規制に関する論考を詳しく書いておられ、勉強になります。市場の構造が分断的である可能性や、独占的競争状態の可能性ということについても述べられています。いよいよ需要サイドの部分に突入したので、これからの記事に更なる期待をしています。
<行動経済学の分野についても触れるとのことですので楽しみです。因みに大竹先生はブログで、「人間が非合理だから何でも政府が規制がすべきだという議論にはならない」と、キッパリ述べておられるので、多分上限金利規制は「よくない」という御意見なのだろうと推測しています。>
経済学的な観点から評価をしていく時、このような可能性を検討することは必要だろうと思うし、知的誠実さ(こういう言い方が正しいかどうか判りませんけれど)が感じられます。経済学を詳しく知っているのであればなおのこと、このような多面的な検討を加えることに価値があると思いますし、説得的だと思います。
47thさんがこれまで示した、「広告規制」とか「貸出条件開示フォーマット標準化」という手段については、以前に記事に書いた(消費者金融の広告、貸金業の上限金利問題~その5)ので共通するかな、と思いました。まあ、私の場合には、単なる思いつきなんですけど(笑)。
とても判りやすく書いて頂いているので、読んでいてナルホドと思う部分が大半なのですが、少し疑問に思う(というか正確に判らない)部分もちょっとありました。
市場の「競争」というのがどういうことなんだろうか、という基本的な部分です。
普通、競争というのは、同一の需要者が購入する時に、①同一製品で異なる価格が存在する、②種類は同じだが異なる製品・価格が存在する、ということかなと思うのですが、どうなのでしょうか。
ビールで考えてみましょう(私が好きなので、笑)。まず①からです。
A社が出してる「ビールa」が、ある温泉の自販機では1缶350円だが、全く同じ製品なのに量販店では180円だとします。普通はこのような価格は知っている人が多いのではないかと思います。このような価格差は地域差とか時間選好(?、という表現は間違いかも)による違いによって生じると考えられます。温泉の自販機の隣とか割と近い場所に、同じビールが異なる価格で販売されていれば「競争」が働いていると思います。しかし、温泉旅館を出て100m先に行かなければ買えないような場合、たとえ異なる価格の「ビールa」が存在しても、そのことを需要者が知らなければ、温泉の自販機は「独占状態」となってしまうのではないかと思えます(情報の偏在による?)。自販機の価格は販売側が一方的に決定できますが、あまりに高すぎると今度は「買わない」という選択をされてしまうため、やはり微妙な感じの適度な「高さ」で設定されていると思います。「とりあえず今飲みたい」ということで、やむなく買ってしまう訳ですね(笑)。
<ビールの自販機の中にジュースが入っている場合、これは「競争」ということになるのでしょうか?ビールとジュースの?効用も違うと思うのですけど。こういう場合、「飲料」ということで考えると「競争」なのかもしれませんが、例えば靴下を買うのとパンストを買うのとの違いくらい大きく違っているようにも思えますが、それでも「競争」ということかもしれませんし。そうなると、これは②の場合に該当することになってしまうのかな?うーん、何となく納得できないけどね。>
ビールの話に戻りましょう。
②の場合を想定していたのは、A社の「ビールa」とB社の「ビールb」といった違いでしたので。上記の飲料という話は取り合えず忘れてみます(笑)。今度は量販店で買う時、180円の「ビールa」と230円の「ビールb」をどちらを選択するか、というのは競争なんだろうな、と思います。「プレミアムビールが飲みたい」という理由で、「ビールb」を選択することは不思議ではありません。この場合にも、需要者は「ビールa」と「ビールb」のいずれも価格等の違いが判っており、両方選択可能であるが、どちらかを選ぶ、ということだろうと思います。
しかし、先の温泉の自販機とか、酒屋が一軒しかない町で「ビールa」しか販売していない場合、「競争」とは呼べないように思えます。需要者の選択権は存在しないから、と思えるからです。
貸金業界は「独占的競争」という状態である可能性が示されていましたが、これは大手とその他中小業者間での「市場分断」ということが考えられており、同一需要者に対して「複数の大手貸金業者」が貸出を行える、という状態であるのかな、と思いました。つまり、たとえば「初回借入」という需要者をターゲットにした場合、需要者側は複数のビール銘柄の中から選択できるのと同じように、「大手貸金業者」を選択することができる、というものです。このような状態から、「独占的競争状態」という可能性を述べているのではないかと思いました。
しかし、大手から既に借入を行っていて増額を申し込んで断られた層は、次の準大手に申し込み、そこで融資を受けられたとしても、次の選択は厳しくなっていくように思います。故に、もっと弱小の貸金業者に流れていくのではないかと推測しています。
需要側には、「250万円を1社だけから借入可能」とか、「各50万円まで、5社から借入可能」というような区分があるんじゃないでしょうか。本来的には「現在負債残高200万円、次の50万円の借入」という条件に対して、幾つかの貸金業者が存在していて、それぞれの価格(金利)やサービスが異なっている、というのが競争なのだろうと思いますが、現実にはそういう選択は厳しいのではないかと思えるのです。需要側の選択権は終末に近づけば近づくほど「失われていく」ということになっているのではないかと思います(残ってくるのは「貸し込み業者」か「闇金業者」ではないのかな、と)。なので、既に大手・準大手の3社から借入を行ってしまった需要者は、必ずしも次に「大手・準大手・弱小」から自由に選択できるというものではない、ということです。ビールの自販機で言えば、初めのうちは全ての種類の銘柄について選択ボタンを押せるが、4本目以降になると押せるボタンの数がかなり減っていく、というようなことなんではなかろうか、と。このような市場は「独占的競争」状態、というのだろうか?と、ちょっと疑問に思ったりします。
「市場の分断」ということは、こうした「顧客層の違い」ということによっているんでしょうか・・・?もしもそうであれば、大手・準大手とそれ以外の中小業者の市場そのものが異なっているということになり、競合ではないし、大手は弱小貸金を駆逐したりはできないはずではないでしょうか。ならば、90年代から業者数が減少していった理由というのが気になります。多重債務者を相手にするのが中小業者であるとすれば、多重債務者の絶対数が増加した方が生き延びられる可能性が高くなりそうですけど、どうなんでしょうか。でも、00年の上限金利引き下げ前なのに、営業利益率がマイナスに転落することは不思議なんですよね。貸倒率をある程度管理するはずですから、リスクが大きくて上限金利を超えなければ貸せないような人には「貸さない」ですよね。貸倒率で見れば、準大手よりも少ないくらいですし。99年度は特別で、次々と破綻して貸し倒れていったとか?なのかな。
それと、過去の上限金利引下げによって、貸倒リスクの高かった層は本来排除されていくと思うんですけどね。適用金利が29.2~40.004%の間にあったような人たちが、市場から締め出されているんですよね?ならば、貸出全体に対する貸倒率は改善するはずではないでしょうか?顧客は29.2%以下の層で利用者が増加して信用供与額が伸び、尚且つこのラインより上の層は消えているのですから、貸出全部の平均的リスクは低下するように思うんですけどね。なぜ大手の貸倒率が97年頃の2.5~3倍くらいにまでアップしたか、というのは、大手の貸出行動だけを見ていても判然としないんですよね。債務者の収入が減ったから、ということは影響するのだろうと思うけど、これほど増加するんだろうか、とちょっと思っています。
「競争が働く」というのは、「大手貸金」と「カードキャッシング」の競争、とかそういう意味ではないかな、と思ったりもします。ただ、この場合には、「現金を手に入れる」(借入でキャッシュディスペンサーからお金を得る)という効果は同じようなものだと思うんだけど、「飲料」の違いみたいに、「ビール」と「缶チューハイ」の違いだ、とか言われたら、そうなのかな、とも思えたり(=どちらもアルコール含有、酔っ払える、笑)もするし。このような場合に「独占的競争」状態と言うのだろうか?とも悩んでみたり。銀行系とかクレジットカード系とか、そういうのがターゲットにしている層と「大手貸金業」のターゲット層は「分断」されている、ということなのかな、とも思ったり。そうならば、多重債務者の借入先は全額貸金業だけか、銀行借入だけか、クレジットカードだけか、というように大きく偏っていてもいいようにも思える。ふーむ、よく判らなくなってきた・・・。
あと、参入障壁の問題が残ってるんではないかな、と。信用情報の統一化が行われてないと、通常は障壁として作用するんではないかと思い、それで業界枠を超えた競争が働きにくいんではないのかな、と。銀行系と貸金業系の争いは有名だったように思いますが、過去の曖昧な記憶なんですけど・・・
「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」の47thさんが、上限金利規制に関する論考を詳しく書いておられ、勉強になります。市場の構造が分断的である可能性や、独占的競争状態の可能性ということについても述べられています。いよいよ需要サイドの部分に突入したので、これからの記事に更なる期待をしています。
<行動経済学の分野についても触れるとのことですので楽しみです。因みに大竹先生はブログで、「人間が非合理だから何でも政府が規制がすべきだという議論にはならない」と、キッパリ述べておられるので、多分上限金利規制は「よくない」という御意見なのだろうと推測しています。>
経済学的な観点から評価をしていく時、このような可能性を検討することは必要だろうと思うし、知的誠実さ(こういう言い方が正しいかどうか判りませんけれど)が感じられます。経済学を詳しく知っているのであればなおのこと、このような多面的な検討を加えることに価値があると思いますし、説得的だと思います。
47thさんがこれまで示した、「広告規制」とか「貸出条件開示フォーマット標準化」という手段については、以前に記事に書いた(消費者金融の広告、貸金業の上限金利問題~その5)ので共通するかな、と思いました。まあ、私の場合には、単なる思いつきなんですけど(笑)。
とても判りやすく書いて頂いているので、読んでいてナルホドと思う部分が大半なのですが、少し疑問に思う(というか正確に判らない)部分もちょっとありました。
市場の「競争」というのがどういうことなんだろうか、という基本的な部分です。
普通、競争というのは、同一の需要者が購入する時に、①同一製品で異なる価格が存在する、②種類は同じだが異なる製品・価格が存在する、ということかなと思うのですが、どうなのでしょうか。
ビールで考えてみましょう(私が好きなので、笑)。まず①からです。
A社が出してる「ビールa」が、ある温泉の自販機では1缶350円だが、全く同じ製品なのに量販店では180円だとします。普通はこのような価格は知っている人が多いのではないかと思います。このような価格差は地域差とか時間選好(?、という表現は間違いかも)による違いによって生じると考えられます。温泉の自販機の隣とか割と近い場所に、同じビールが異なる価格で販売されていれば「競争」が働いていると思います。しかし、温泉旅館を出て100m先に行かなければ買えないような場合、たとえ異なる価格の「ビールa」が存在しても、そのことを需要者が知らなければ、温泉の自販機は「独占状態」となってしまうのではないかと思えます(情報の偏在による?)。自販機の価格は販売側が一方的に決定できますが、あまりに高すぎると今度は「買わない」という選択をされてしまうため、やはり微妙な感じの適度な「高さ」で設定されていると思います。「とりあえず今飲みたい」ということで、やむなく買ってしまう訳ですね(笑)。
<ビールの自販機の中にジュースが入っている場合、これは「競争」ということになるのでしょうか?ビールとジュースの?効用も違うと思うのですけど。こういう場合、「飲料」ということで考えると「競争」なのかもしれませんが、例えば靴下を買うのとパンストを買うのとの違いくらい大きく違っているようにも思えますが、それでも「競争」ということかもしれませんし。そうなると、これは②の場合に該当することになってしまうのかな?うーん、何となく納得できないけどね。>
ビールの話に戻りましょう。
②の場合を想定していたのは、A社の「ビールa」とB社の「ビールb」といった違いでしたので。上記の飲料という話は取り合えず忘れてみます(笑)。今度は量販店で買う時、180円の「ビールa」と230円の「ビールb」をどちらを選択するか、というのは競争なんだろうな、と思います。「プレミアムビールが飲みたい」という理由で、「ビールb」を選択することは不思議ではありません。この場合にも、需要者は「ビールa」と「ビールb」のいずれも価格等の違いが判っており、両方選択可能であるが、どちらかを選ぶ、ということだろうと思います。
しかし、先の温泉の自販機とか、酒屋が一軒しかない町で「ビールa」しか販売していない場合、「競争」とは呼べないように思えます。需要者の選択権は存在しないから、と思えるからです。
貸金業界は「独占的競争」という状態である可能性が示されていましたが、これは大手とその他中小業者間での「市場分断」ということが考えられており、同一需要者に対して「複数の大手貸金業者」が貸出を行える、という状態であるのかな、と思いました。つまり、たとえば「初回借入」という需要者をターゲットにした場合、需要者側は複数のビール銘柄の中から選択できるのと同じように、「大手貸金業者」を選択することができる、というものです。このような状態から、「独占的競争状態」という可能性を述べているのではないかと思いました。
しかし、大手から既に借入を行っていて増額を申し込んで断られた層は、次の準大手に申し込み、そこで融資を受けられたとしても、次の選択は厳しくなっていくように思います。故に、もっと弱小の貸金業者に流れていくのではないかと推測しています。
需要側には、「250万円を1社だけから借入可能」とか、「各50万円まで、5社から借入可能」というような区分があるんじゃないでしょうか。本来的には「現在負債残高200万円、次の50万円の借入」という条件に対して、幾つかの貸金業者が存在していて、それぞれの価格(金利)やサービスが異なっている、というのが競争なのだろうと思いますが、現実にはそういう選択は厳しいのではないかと思えるのです。需要側の選択権は終末に近づけば近づくほど「失われていく」ということになっているのではないかと思います(残ってくるのは「貸し込み業者」か「闇金業者」ではないのかな、と)。なので、既に大手・準大手の3社から借入を行ってしまった需要者は、必ずしも次に「大手・準大手・弱小」から自由に選択できるというものではない、ということです。ビールの自販機で言えば、初めのうちは全ての種類の銘柄について選択ボタンを押せるが、4本目以降になると押せるボタンの数がかなり減っていく、というようなことなんではなかろうか、と。このような市場は「独占的競争」状態、というのだろうか?と、ちょっと疑問に思ったりします。
「市場の分断」ということは、こうした「顧客層の違い」ということによっているんでしょうか・・・?もしもそうであれば、大手・準大手とそれ以外の中小業者の市場そのものが異なっているということになり、競合ではないし、大手は弱小貸金を駆逐したりはできないはずではないでしょうか。ならば、90年代から業者数が減少していった理由というのが気になります。多重債務者を相手にするのが中小業者であるとすれば、多重債務者の絶対数が増加した方が生き延びられる可能性が高くなりそうですけど、どうなんでしょうか。でも、00年の上限金利引き下げ前なのに、営業利益率がマイナスに転落することは不思議なんですよね。貸倒率をある程度管理するはずですから、リスクが大きくて上限金利を超えなければ貸せないような人には「貸さない」ですよね。貸倒率で見れば、準大手よりも少ないくらいですし。99年度は特別で、次々と破綻して貸し倒れていったとか?なのかな。
それと、過去の上限金利引下げによって、貸倒リスクの高かった層は本来排除されていくと思うんですけどね。適用金利が29.2~40.004%の間にあったような人たちが、市場から締め出されているんですよね?ならば、貸出全体に対する貸倒率は改善するはずではないでしょうか?顧客は29.2%以下の層で利用者が増加して信用供与額が伸び、尚且つこのラインより上の層は消えているのですから、貸出全部の平均的リスクは低下するように思うんですけどね。なぜ大手の貸倒率が97年頃の2.5~3倍くらいにまでアップしたか、というのは、大手の貸出行動だけを見ていても判然としないんですよね。債務者の収入が減ったから、ということは影響するのだろうと思うけど、これほど増加するんだろうか、とちょっと思っています。
「競争が働く」というのは、「大手貸金」と「カードキャッシング」の競争、とかそういう意味ではないかな、と思ったりもします。ただ、この場合には、「現金を手に入れる」(借入でキャッシュディスペンサーからお金を得る)という効果は同じようなものだと思うんだけど、「飲料」の違いみたいに、「ビール」と「缶チューハイ」の違いだ、とか言われたら、そうなのかな、とも思えたり(=どちらもアルコール含有、酔っ払える、笑)もするし。このような場合に「独占的競争」状態と言うのだろうか?とも悩んでみたり。銀行系とかクレジットカード系とか、そういうのがターゲットにしている層と「大手貸金業」のターゲット層は「分断」されている、ということなのかな、とも思ったり。そうならば、多重債務者の借入先は全額貸金業だけか、銀行借入だけか、クレジットカードだけか、というように大きく偏っていてもいいようにも思える。ふーむ、よく判らなくなってきた・・・。
あと、参入障壁の問題が残ってるんではないかな、と。信用情報の統一化が行われてないと、通常は障壁として作用するんではないかと思い、それで業界枠を超えた競争が働きにくいんではないのかな、と。銀行系と貸金業系の争いは有名だったように思いますが、過去の曖昧な記憶なんですけど・・・