前の記事の続きを書いてみました。何度も言うようですが、単なる空想に過ぎないですからね。誤解なきよう、お願いしますね(笑)。
元官僚のもう一人の男、彼もまた、株式市場という戦場では以前から特異な存在として注目を集めていた。キャッシュリッチ企業への仕掛けでは、名を馳せた。
メディア企業やプロ野球の球団を保有する親会社の株買占めを実行したのだが、まさしく先に失脚した男と同じ道を歩いてしまっていた。意図したものか、或いは意図せざるものなのか、本人以外には判らないであるが。旧体制側の逆鱗に触れたのだった。
ただ、彼にはチャンスが少しだけ残されていた。価格交渉で譲歩し、売却に同意してさえいたなら、彼の手から大量に買い占めた株を取り上げられることはなかったであろう。経営への影響力を素直に手放してさえいたなら、メディアでベラベラとしゃべったりせずにいたなら、彼の生き延びられるチャンスは残されていたであろう。先にお縄を頂戴した男のように、テレビという洗脳装置に露出して、大衆の前で旧体制批判と体制破壊賛美の刺激的言辞を弄したりせねば、少なくとも社会からの抹殺だけは逃れられたかもしれない。
旧体制を守り続けてきた閉鎖社会は、目に見えない所で影響力を行使することができるはずだった。しかし、大衆の前に登場した時代の旗手たちは、危険な存在そのものであった。彼らが成功を収めてしまうことは、次々と「体制打破」を目論む者たちを生み出してしまうということに繋がるからだ。そして、「体制破壊者」としての称揚と、「成功者」としての賛美を、大衆から受けるということを意味していた。大衆の拍手喝采を受けた者―それはまさしく破壊を掲げて登場してきた「政治体制を変えた男」と同じだ―が、その影響力を背景にして、暗闇を切り裂き、今まで影だった部分に強い光を当て、秩序ある閉鎖社会で序列を乱さずに守っていた人々を駆逐し、座っていたイスから追い立てていくのを目の当たりにしたのだ。彼らは二度とそういう人物を生き延びさせないように、徹底的に潰すことに腐心した。そして、その反攻作戦は成功した。
大衆の前から「反逆者」を消し去ること、これが最も重要なことなのだ。
人々は直ぐに忘れ去るだろう。そして、再び飼い馴らされていくだろう。「刃向かうことの困難さ」を実感するだろう。
権力には、対抗してはいけないのだ。恭順と恐懼を示す者だけが、体制の一部に組み込まれ、仲間の列に加わることが許されるのである。
造作もなく葬り去られた2人の男たちに共通していたのは、マネーゲームに強かったことと、株式相場の歪みの中に隠された「甘い蜜」を見つけ出すこと、この両方に長けていたことだろう。どんな場合でも、ゲームに勝ちすぎてはいけないのである。そして、「一人勝ち」は最も忌むべき所作なのである。それが旧体制の掟なのだ。勝ちを譲ることも、分け前を与える事も、秩序を守る為のルールなのである。
日本とはそういう国なのだ。
元官僚のもう一人の男、彼もまた、株式市場という戦場では以前から特異な存在として注目を集めていた。キャッシュリッチ企業への仕掛けでは、名を馳せた。
メディア企業やプロ野球の球団を保有する親会社の株買占めを実行したのだが、まさしく先に失脚した男と同じ道を歩いてしまっていた。意図したものか、或いは意図せざるものなのか、本人以外には判らないであるが。旧体制側の逆鱗に触れたのだった。
ただ、彼にはチャンスが少しだけ残されていた。価格交渉で譲歩し、売却に同意してさえいたなら、彼の手から大量に買い占めた株を取り上げられることはなかったであろう。経営への影響力を素直に手放してさえいたなら、メディアでベラベラとしゃべったりせずにいたなら、彼の生き延びられるチャンスは残されていたであろう。先にお縄を頂戴した男のように、テレビという洗脳装置に露出して、大衆の前で旧体制批判と体制破壊賛美の刺激的言辞を弄したりせねば、少なくとも社会からの抹殺だけは逃れられたかもしれない。
旧体制を守り続けてきた閉鎖社会は、目に見えない所で影響力を行使することができるはずだった。しかし、大衆の前に登場した時代の旗手たちは、危険な存在そのものであった。彼らが成功を収めてしまうことは、次々と「体制打破」を目論む者たちを生み出してしまうということに繋がるからだ。そして、「体制破壊者」としての称揚と、「成功者」としての賛美を、大衆から受けるということを意味していた。大衆の拍手喝采を受けた者―それはまさしく破壊を掲げて登場してきた「政治体制を変えた男」と同じだ―が、その影響力を背景にして、暗闇を切り裂き、今まで影だった部分に強い光を当て、秩序ある閉鎖社会で序列を乱さずに守っていた人々を駆逐し、座っていたイスから追い立てていくのを目の当たりにしたのだ。彼らは二度とそういう人物を生き延びさせないように、徹底的に潰すことに腐心した。そして、その反攻作戦は成功した。
大衆の前から「反逆者」を消し去ること、これが最も重要なことなのだ。
人々は直ぐに忘れ去るだろう。そして、再び飼い馴らされていくだろう。「刃向かうことの困難さ」を実感するだろう。
権力には、対抗してはいけないのだ。恭順と恐懼を示す者だけが、体制の一部に組み込まれ、仲間の列に加わることが許されるのである。
造作もなく葬り去られた2人の男たちに共通していたのは、マネーゲームに強かったことと、株式相場の歪みの中に隠された「甘い蜜」を見つけ出すこと、この両方に長けていたことだろう。どんな場合でも、ゲームに勝ちすぎてはいけないのである。そして、「一人勝ち」は最も忌むべき所作なのである。それが旧体制の掟なのだ。勝ちを譲ることも、分け前を与える事も、秩序を守る為のルールなのである。
日本とはそういう国なのだ。