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W杯日本戦を総括してみる

2006年06月24日 18時16分34秒 | 俺のそれ
もう色々な意見が出揃っていると思いますが、私の独断と偏見に基づいて、今回の日本のW杯を振り返ってみたいと思う。異論はあると思いますが、一応、「一億総評論家」の一億分の一と考えて頂ければ。

※高原選手のブログは、噂によればコメントスクラム状態らしいのですけど、そういうのは止めるべきですね。いかに罵詈雑言を浴びせても、結果は結果です。


1)監督の問題

これについては、厳しい意見が多いと思う。だが、この4年間は「それなりに結果を出してきた」のであり、予選を勝ち上がった時点では「ジーコ監督にはツキがある」「監督として結果を出した」という肯定的なものが多かったことを思い出すべきだろう。

采配の判断は、疑問点があることは以前から指摘されていたし、そのことを判った上で今まで起用してきたのだから、これは仕方がないと思う。事後に「やっぱり失敗だった」というのは誰でも言えるだろう。

ジーコ監督の出した課題は、次のステップには必要なことなのだと思う。子どもの勉強で例えてみると、次のようなことだと思う。

ある程度基礎的問題が解けるようになった子に、次の段階に進む、ということを考えてみよう。

①問題毎に「解き方」を具体的に教え、その通りやらせる
②基本的な解法を学ばせ、後は自分で考えさせる


①に該当するのが、チーム戦術重視の監督であり、監督の能力が高ければ短期間のうちに「効果」が期待できるだろう。しかし、監督の解法が間違っていたり、適切ではない場合には、うまく結果が出ないこともある。トルシエ監督のようなタイプだろうか。

②に該当するのがジーコ監督で、ある程度「自分の頭で考えろ」ということであり、①の場合に比べると、個々の能力に依存してしまうのだが、何かのキッカケがあると、ぐんぐん成長していく可能性もある。また、「問題解決」に対して、柔軟な対応が可能になるかもしれない。解法の習得は少ないかもしれないが、応用がききやすくなる可能性もある。


ある程度の段階までは、①のようにやるのが効率的だろうと思う。言ってみれば、試験勉強みたいなものだ。テストの対策を立て、有効な解法パターンを覚えて、その通り実行する、ということだ。特に、高校野球のような「限られた時間」という中で「勝てるチーム」を作り、結果を出すことが必要な場合には、①の方法を選択せざるを得ないことが多いだろう。それ故、指導者の影響力が大きく、結果にもそれが反映されていると思う。


一方では、長期的な能力伸長ということを思えば、必ずしも①の方が優れているとも言えないかもしれない。本質的には自分の頭で考え、柔軟に対応できる方が好ましい。解法パターンだけで対応しようとすると、状況の変化があったりした時に、うまく答えを出せないこともあるからだ。日本サッカー全体のレベル向上を考えると、②の方法を咎めることはできないのではないだろうか。ただ、子どもの能力がそこまで達していなかった、と言われればそうなのかもしれないが。


2)敗因は何か

a)コンディショニング:

大きな失敗の一つと私が考えるのが、コレ。ドイツに移動してから、ドイツとのテストマッチくらいまでは、多くの選手がある程度は調整していったのだと思う。なので、仕上がりはそれなりに良かった。故に、ドイツ戦での動きは、悪くなかった。


ところが、その後の暑さによって状況が変わっていったのだと思う。消耗が思いのほか激しかったのだろう。合宿に入ってから「猛練習」というのは、本来的にオカシイ。各選手の調整・疲労回復を最重視するべきであり、試験前の徹夜勉強みたいなのが本当に役立つ訳ではない。せいぜい各選手同士の「呼吸合わせ」というようなことだろう。ドイツ入りしてから、全体的に早く仕上がりすぎて、その後の不調を呼び込むことになったかもしれない。


高校野球でもそういうことはあるように思う。地区予選では強さを発揮して、甲子園出場を決めたとしても、現地入りしてから思うように実力が発揮できなくなることはあるだろう。特に「打線」とか。通常は、各人の好不調の波はバラツキがあり、誰かが不調でも、別な誰かは調子がいい、ということはある。「調子の良い選手」が起用されて試合に出れば良いし、不調の選手が混ざっていたとしても、他の好調の選手がカバーできればそれでいいと思う。


ところが、今回の日本代表は、全体の調子が割りと早くにピークとなってしまい、その後に調子が下降気味になって行った時に本大会となってしまったかもしれない。要するに「打線が湿りだした」時期だった、ということだ。それに加えて、試合中の気温が想像以上にきつかったのではないかと思う。


b)技術面

ブラジル戦では、個人の能力の高さというものが注目された。それは確かにそうだろう。個々の能力を比較すると、スター軍団であるブラジルと、日本とで差があるのは当たり前だ。その比較をすることは、あまりに酷だろう。しかし、サッカーの試合ということで言えば、その差は縮まる。チーム戦というのは、そういうものだと思う。


ブラジルは日本との試合の中で、何か特別な「スーパープレイ」を出した訳ではない。一つひとつを見れば、あくまで基本の積み重ねでしかない。パス、トラップ、ドリブル、それぞれは、普通にプレーされており、超ファインプレーみたいな「有り得なさ」というのが、実はほとんどない。得点された場面でも、あの2点目だけは「真似できねー」というのはあるかもしれないが。結局、パス、トラップという普通のプレーの精度が劣っているということがある。それは、プレッシャーを受けない場面では難なくこなせるのだが、相手ディフェンスがついてくるとミスが多くなる、というものだ。恐らく普段の練習の中でも、あまりに「定型的」な練習に終始してしまうと、相手にも読みやすくなる、ということがあると思う。「練習の為の練習」よりも、常に「実戦を想定した練習」というのが必要になってくるだろう。


差が大きいと思ったのは、ゴール前というか、相手に囲まれた・相手人数が多い状況の中で、どのようにプレーするか、だろう。玉田のゴールは、ボールを持ってない時のプレーで生まれた。そういう工夫が常に求められるのだ。ただ待っているだけでは、チャンスは作れない。ボールを待つ時、或いは、ボールを持ってない時のプレーの質の高さ、そこに緩急・変化がない選手が多かったのではないだろうか。


c)戦術面

日本のチーム力が極端に弱い、ということはないと思う。本当にそうであるなら、予選は勝ち抜けないだろう。アジアカップでも優勝できなかったであろう。「世界レベルでは通じない」とか、「フィジカル面で勝てない」とか、必ずしもそういうこともないと思う。敏捷性とか、工夫によって変えられる余地はあると思う。


日本にとって、初戦が全てであった、というのは、確かにそうだろう。オランダ、イングランド、ポルトガルなどの世界の強豪チームにとってでさえ、初戦というのは難しいのであり、「1-0勝ち」なのだ。フランスやスウェーデンは、引き分け発進だった。ブラジルと同組であることを考えれば、最後のブラジル戦に行くまでに1勝1分が最低条件なのであり、「負けない戦い方」というのが何よりも重要に決まっている。


「後半35分、1点リード」という局面において、どうやって戦うか、攻める場合にはどのような手段を用いるのが望ましいか、といったことは、あくまで確率論的な問題であろう。オーストラリアは、日本のFW陣が「当たっていない」(調子悪い)と判っていたので、「マンマークで抑える」という判断をして、後半に勝負を仕掛けたのだと思う。その読みは当たっていた。DF2人を残して、残りは日本陣内で攻めることに全てを賭けることができた。リスクを高めるが、チャンスも増えるのは当然だ。「初戦負け」は同時に「予選敗退」を意味するくらいの価値があるということを、ヒディンク監督はよく判っていた。それは当たり前なのだけれど。


日本はどんなに「卑怯な勝ち方だ」とか、「セコイやり方」とか言われようとも、勝ちに拘るべきであった。後半に入って、敵FWの高さに何度か苦しみ、その脅威を感じてはいたが、何とかしのいでいた。日本が相手の攻めをはね返した後で、必ず見られるのが、FWに長いボールを入れてみるものの、相手DFと競り合いに負けるとか精度が悪くミスになって相手ボールとなり、アッサリ日本陣内にボールを戻され攻められる、というものだった。小野が投入された後に求められる形は、再三攻めを食らっていた左サイド~中央での守備をまず強化することであり、得点チャンスを産む長いスルーパスを沢山供給することではなかった。日本のDFラインは次第に後退し、パスの出所である選手へのプレスが少なくなり、相手は自由にエリア付近に迫ってくることができるようになっていた。


日本の反撃は縦パスに終始しており、全く工夫がなかった。攻めにもっと時間をかけて、ゆっくり態勢を整えることを考えるべきだったろう。前線ではボールをキープする時間を稼ぐことが最も必要なのであり、確率の低い攻め手(無理気味なパスや苦し紛れに裏に出すロングボールとか)を繰り出すことが重要だった訳ではないのだ。無駄にパスを奪われるか、パスをミスしてしまって、相手にチャンスを与えるというのが多かったと思う。


結局、「勝ちゲームを勝ち切る」ということの難しさ、それが達成できなかったメンタル面での弱さ、そういった部分はあったと思う。それができるチームが「強いチーム」ということなのだろう。チームの仲間を信頼することは大切だ。仲間に託す、ということは、信頼関係によっていると思う。しかし、単にボールを預けて、「あとは任せた」という依存的な関係ではダメなのだ。守備の時にも、「誰かがプレスに行ってくれる」という、安易な他人任せではダメなのだ。「パスを回させられた」というのは、まさしくそういうことで、誰かに回して預けてみても、結局同じように、戻ってきてしまって、何も局面が動いてない、ということになってしまうのだろう。


前半の戦い方をだけを見れば、日本の攻めがある程度通用すると思う。ブラジル戦だけではなく、オーストラリア戦でもそうだった。運動量の問題(後半に入ると疲れるので格段に悪くなる)もあるが、相手が戦い方に馴れるのに多少は時間がかかる、ということだと思う。ブラジルは個々の能力が高いので、途中で「日本のやり方」に適応して、戦い方を変えてくることができたのだろう。


オーストラリアはうまく局面を変えられなかったから、監督が選手起用で「巨神兵」(笑)を投入し、日本側に変化を来たすように仕向けた。局面を打開できない時には、そういった選手起用で強引に変えさせる、ということなんだろうと思う。ひたすらハイボールを入れて、落としたところでうまく競り勝てばチャンスを作れる、という目論見だろうな、と。特に「セットプレー」(の獲得チャンス)を取りにきていたのだと思う。以後、コーナーキックが何度もオーストラリアに行ってたように思う。そういうのをオーストラリアは何度も試みて、その結果、日本はハイボールへの対処に追われ、ドリブルやショートパスに対する守備が甘くなってしまった。オーストラリアの得点は、「長身選手」のヘッドで得点されたわけではないのだ(1点目は川口の飛び出しのミスだったかもしれないが、相手選手がヘディングできたわけではなかったはず)。守備陣の意識が、「ヘッド」にばかり向いてしまっていたのだった。


ブラジルに同点ゴールを決められたのは、これとは逆に足元のボールに注意していて、ドリブルで突破されてはいけないと思い、ヘディングへの注意が抜けていたのだ。数人でロナウドやロナウジーニョを止めに行っていたから、浮き球が左サイド行った時にも、ヘッドで折り返されるとは思っていなかった。なので、ロナウドのヘディングには誰も飛ばず、完全ノーマークシュートを決められた。エリア内にノーマークで行く選手がいることも問題だが、それまでの攻撃パターンにばかり気が行って、他の注意が疎かになった。あの同点ゴールがなければ、後半の戦いは全く違っていただろう。

後半に3得点されたのは、日本側に「やっぱり厳しいかもしれない」「無理かもしれない」というメンタル面での弱さが出たからで、元々のチーム力・技術力の差を正確に示すものではないだろう。モチベーションがひどく低下した状態で、集中力を保ってプレーし続けろ、ということの方が難しいと思う。


サラブレッドにも、先行逃げ切り型とか、追い込み型とか、そういう色々のタイプがあるのだと思う。日本の場合には、先取点をゲットして、後は逃げ切るという戦い方を身に付ける必要があると思う。ブラジルのように、強豪チームになればなるほど試合中に適応してくるから、今度はそれに対応した戦い方が求められると思う。日本の場合だと、うまく先取点を取れたら、後は「日本の良い部分」を多少犠牲にしても、「相手の良いところを潰す」というような戦術も必要なのではないかな、と。


元々得点能力が低いのだし、ワンチャンスを生かして運良く得点できれば、後はしっかり守ってカウンター狙いでいくしかないのでは。地区予選までは「自分のよい所」を生かして勝ち抜けたのだが、それは相手が弱かったから通用したわけで、強い相手になればそううまく行かないこともある。日本は、前半にはうまく敵の隙をついて行けることが多いのだが、ずっと同じようなことを繰り返すので段々相手も馴れてきて、手の内を読まれやすくなり、主導権を奪われるということになってしまっていたのではないか。


野球でも、相手投手の出来が良ければ中々得点できない。ましてや、打線の調子が落ちてきてる時には、なおさらだ。そういう時には、少ないチャンスを活かす攻め方(盗塁、犠打、犠牲フライとか・・・)をする、得点を奪えないのであれば相手にも得点を与えない、というような戦い方が必要になる。それと同じように、攻撃陣の調子が悪くて中々得点できないのであれば、「負けない戦い方」ということも必要になるし、場合によっては守り切る、という考え方も必要だろう。そこへの意思統一ができてないと、オーストラリア戦のようなことが起こってしまうのだと思う。


こうして日本は予選敗退したんじゃないだろうか。