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「テニュアトラック」導入

2006年06月12日 17時47分22秒 | 教育問題
大学は中々大変ですね。少子化による学生の減少、ということにも対応せねばならない。研究等の実績も必要だし、資金集めや学内ベンチャーなどの成功も必要です。そして、企業側からは「もっと、ちゃんと教育しろ」と要求水準が高くなるし、学生からは「ちゃんと就職できるようにしてくれ」と求められますし(それに失敗すると、一生涯学生から恨まれかねない)。


今後「大学院生を4倍に増やそう作戦」というのを文部科学省が是非「やりたい」(笑)ということですので、社会全体で見れば大学院卒とか博士が続々誕生する訳です。また、ロースクールのように、特化した分野を作ることも重要ですね。これらの作戦は、学生1人当たりで見れば「大学在学期間の通算年数」が延長されるというものです。以前であれば4年しか大学に通わなかったが、現在や今後は、例えば「大学4年+ロースクール2年」、「大学4年+博士課程4年」、「大学4年+社会人大学院4年」というような具合で、在学期間が延長される、と。結果的には、少子化に伴う学生数減少を補って、大学経営にはプラスとなるんじゃないかと思えますが、一方では「大学院まで出たのに、いい仕事がない」という人々も多数生まれてくるんじゃなかろうか、ということですね。


で、そんな中、「テニュアトラック」導入、ということらしいです。

asahicom:研究者昇進「ガラス張り」に 9大学-社会

(以下に記事より抜粋)


東京工業大や京都大など9大学は今年度、研究者の昇進をより実力本位に改めるため、一部に新しい昇進審査制度「テニュアトラック」を導入する。選ばれた若手研究者が独立して研究を続け、一定期間の後に、研究業績に基づく昇進審査を受ける。合格すれば教授や准教授としての終身在職権(テニュア)が与えられる仕組みだ。文部科学省が各大学に3億円ずつを5年間助成する。 導入するのは、ほかに、東北、東京医科歯科、東京農工、名古屋、大阪、北陸先端科学技術大学院、九州の各大学。

従来の人事制度では、研究室に所属した研究者の昇進は、研究室の教授の意向に大きく左右された。研究室に所属せず、任期付きポストで研究する人も増えてきたが、任期終了時点で希望する空きポストがなければ、再就職先を自分で探さなければならない問題が指摘されていた。 テニュアトラックは、一定の評価が得られれば、確実に昇進できるのが特徴。人事の透明性を高め、研究意欲を支えると期待されている。

標準モデルでは、博士号を取得した30歳前後の若手研究者を対象に大学が10~20人を選抜し、1000万円ほどの資金を支給して自分の研究室と専任スタッフを持たせる。以後、年1000万円ほどの研究費を5年間支給したうえで、昇進審査をする。審査に際しては大学や学部が学外委員も含めた審査委員会を設けるなどして、透明性を確保する。




不満がくすぶっていた「ポスドク問題」ですけれども、「テニュアトラック」導入で緩和しよう、ということになったのでしょうか。能力もやる気もある若手研究者にとっては希望が持てる面がありますが、それでも「競争」であることに違いはなく、「業績主義」ということが重くなってくるのではないかと思われます。

そういう環境に置かれると、ついつい「研究データの信頼性」という部分に手をつけてしまう(具体的に言えばデータ捏造とか改竄とか・・・)、というようなことも起こってくるかもしれないので、研究業績の評価に関してはある一定の指針のようなものが必要でしょうね。外部からの客観的評価が可能になるような、研究履歴の保存とかデータ管理とか・・・よく判りませんがそういう何らかの対策ということです。


この前に書いた(仕事の「コモディティー化」ですか・・・)のですけど、「大学教育とは何か」という難しい問題があって、やっぱりそこに行き着くかもしれないですね。単に職業的な有利さを求める為に必要なのか、純粋に学究的な意味に正当性を見出すのか、・・・・どちらという風には決められないものだろうと思うけれども、学生の多くは大学や研究などからは離れて生きていかねばならないので、より大きな要請には応える必要はあるように思う。「実学的な分野」(例えば工学系とか医療系とか)が例えば哲学なんかに比べれば”俗な”分野であって、即効性の高いスキル修得が大学教育の本筋ではない、という考え方にも同意しかねるのです。いかに「歴史学が大事なんだ」とかいっても、新幹線は動かないし、手術もできないんですよね。


学問の純粋な研究は重要、これはそうだろうと思います。その意味では、誰かが非実学分野の研究もやらなきゃいけないし、基礎研究にも労力を注がねばならないとは思いますよ。でも、実学分野だって必要だし、就職に役立つスキル修得だって必要だろうと思います。変な喩えですけど、「世の中には絵画が不要である」と全否定されないと思います。特別絵画が存在しなくても、生きていくことは可能ですよね。直接生活に役立たないかもしれないけれど、そういう分野も必要なんだろうな、と、大抵は考えると思います。だからといって、全員が「絵描き」になっちゃったりしたら、これは大変です(笑)。「オレは絵描きになりたいから、絵を描くこと以外はやらないから」と言い出したら、みんな生活していけません。誰かが絵を書いて生きていけるとなれば、その他大勢は「絵描き」にはなれず、バスの運転手や農家や小学校の教員などになって社会の機能を支え続けるしかないんですよね。全員が「絵描き」の崇高な思想を持ち、それを実践してしまうとすれば、逆に誰も「絵描き」にはなれないでしょう。


なので、学問的な探求にしても、その他大勢のある種の「犠牲」があってはじめてできるんですよね。「テニュアトラック」はその選別システムといえるかもしれません。従来は、「よくわからない」システムによって選別されていたが、今後はより分かり易い方法で「選別」されていくということです。つまり、「犠牲者」がハッキリと選り分けられるということでもあります。最後まで誰が「絵描き」として存在することを許されるのか、ということですね。


今日はサッカー観るのが一番大事、と思っている人たちがきっと多いと思いますので(私もそうなんですけど)、とりあえず。

何だか、結論のようなものが出てこなくて・・・喉の奥に小骨が引っ掛かっているような感じです。もうちょっとこの問題は考えてみようと思っています。

swanさんの所の新しい記事(+ C amp 4 + - 「みえないものをみたい」ということについて)が非常に重たい。そちらも勉強させて頂いて、と思っています。因みに、一度読んだのですけど、難しい。何度か読もうと思います。