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本当に血尿だったのか

2006年09月12日 21時55分57秒 | 法と医療
この事件も、ちょっと気になったので取り上げてみます。医師でもないのに、書くのは躊躇われるのですが、どうしても不思議に思えたので。

矢部先生のところで知りました。
元検弁護士のつぶやき これもカテーテルです。

報道は次のようなものです。

千葉 地域 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

(以下に一部抜粋)

判決によると、二男は同年1月1日未明、ぜんそく薬の服用直後に吐き気などの体調不良を訴えて同病院を受診。医師は、ぜんそく薬に含まれるテオフィリンの血中濃度などから、この成分の中毒と判断、治療に際して脚部に挿入したカテーテルが静脈などを損傷して出血し、二男は同日夜に死亡した。病院側は「死因はテオフィリン中毒などであり、血管を傷つけた事実もない」と反論したが、判決では「テオフィリン中毒が出血性ショックを引き起こす医学的知見がない」として、血管損傷が死因とした。




医療過誤:病院に慰謝料8100万円支払い命令 千葉地裁-事件:MSN毎日インタラクティブ

(記事より一部抜粋)

判決によると、男子生徒にはぜんそくの持病があり、治療のため同病院に入通院していた。01年1月1日午前4時半ごろ吐き気を訴えて受診したところ、ぜんそく薬による中毒と診断され、胃洗浄、薬物投与などの治療を受けたが、けいれんなどを起こした。医師が血管にカテーテルを挿入した数分後、血尿が止まらなくなり、午後9時半ごろ死亡した。




・通常の操作では血管損傷は考えられない
・仮に血管損傷があったとしても、出血が数分で尿と一緒の可能性は殆どない
・死因が本当に出血性ショックだったのか?

こういった疑問があるのですよね。


記事からだけの情報なので正確には判りませんが、「ミオグロビン尿」の可能性が高いように思えるのです。血尿というような、出血などではないのではないか、ということです。痙攣があった後ですので、ミオグロビン尿は普通に起こりえます。しかも、テオフィリンの使用であったので、それがトリガーとなり横紋筋融解症が惹起された可能性があったのではないのかな、と。


尿は腎臓で「血液」が濾過された結果ですので、わずか数分で尿に血液が混ざるのは「尿路系」の何処かに「穴が開いている時」だけです。仮に腹腔内に出血があっても、尿路に穴がなければ尿に血液が入ることはほぼ有り得ないのではないでしょうか。


例えて言うと、我が家の風呂場の下水管に穴が開いて、床下に風呂の排水が漏れたとします。下水管はもっと大きな本管に繋がっていますが、遠く離れたご近所の下水管まで「我が家で漏れた風呂の排水」が本管を逆流して行って、そこの家のトイレの水に色が付いた、というようなことです。想定が困難すぎなのです。


「出血」というのは、血管の外に漏れ出ることですので、それが、再び別な管内に「戻り」、腎臓という濾過タンクを通過して尿中に出るなんてことはないのです。そもそも濾過タンクである腎臓には「血液しか」やってこないのですから。仮に本管部分に穴が開いても、尿と一緒に血液が出てくるということはまずないのではないかと思われます。


事実認定で、「血管損傷があったか、なかったか」という争点は殆ど意味をなさないことである可能性が高いのではないでしょうか。問題になるのは、「横紋筋融解症」のような病態が認められる状態であったか、否か、ということではないかと、素人考えで申し訳ないのですが、思った次第です。



活動家の気持ちを考えてみる

2006年09月12日 21時13分54秒 | 俺のそれ
ふと思ったのだが、何かの運動家とか、活動家の心境って、どんな感じなのかね。


時折ネット上で見かける、ジェンダーだのバックラッシュだのとかも、毎回毎回「戦うべき敵」みたいなのが、周りにはウヨウヨいて、いくら個別に撃破したとしても、同じことを何度も無意味に繰り返さざるをえなくなるのかも。少数派であり続ける限り、あちこちから無限に湧いてくる「ゾンビ兵士軍団」みたいなのを相手にすることになるので、次第に疲弊し、徒労感を味わい、大差のリソース投入の限界を感じ、諦めを感じるようになるのかもしれない。それか、虚しさを知りつつも、機械的にそれを行い続けることで自己の活動意義を確認するか、ある意味惰性的な力によって活動を続けるのかな。

よく判らんね。


今のところ、上限金利引下げ派は、主に弁護士軍団とか、共産党系とか、市民グループとか、そういう人たちなのかな。私は共産党系の一派とか、思われているのかもしれんね。友軍(笑)としては、ちょっと・・・だが、最終的には数が重要なので、「烏合の衆」のたった1人に過ぎないけど、それでも抵抗を続ける。とてもじゃないが現状肯定なんかには賛同できない。先月終わりに、あまりの徒労感から、「どうにでもしろ」というようなことを書いたのに、無駄と知りつつも続けてしまった(笑)。

その気力も萎えるけどね。


あのですね、私は何かの闘士でもなければ、活動家でもないので、誤解のないように。