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不戦敗宣言はまだ早いのでは・2

2006年09月01日 20時41分20秒 | 法と医療
前の記事にも関連しますが、次の資料があったので載せておきます。

関連:
助産師・看護師の業務に関する法的検討

不戦敗宣言はまだ早いのでは

厚生労働省通知の判例中での取扱い


資料:厚生労働省:医療安全の確保に向けた保健師助産師看護師法等のあり方に関する検討会 第9回資料


これを見る限り、助産師の数の少なさは深刻なのではないかと思えますね。それから、昔の助産(産婆)院の多い時代には、母体死亡も新生児死亡もかなり高い数字だったのですが、病院(診療所)出産が増えることによって、つまりは医療の範疇にほぼ含まれることによってリスクの軽減が図られたのだろうと思います。これは当然なのですけれども。知見の積み上げとか、医療機器の発達・進歩、そして医師・助産師・看護師等の「パーティの強さ」がアップしたからであろうと思います。昔のような「産婆ひとり」という時代では、どう頑張っても「限界」がありますからね。かなりの名医であっても、外科系は「たったひとり」でできることなど限られているでしょうから。


助産師の担っていた業務は、医療現場の医師・助産師たちに大きくシフトしていったのだと思いますね。国家試験には年間わずか1600名程度、そのうち診療所勤務は2%ちょっとですから、これで「数を充足」するのは困難であると言わねばならないでしょう。それで出産数は半分くらい占めてるんですね。これは無理なのではないかとしか思えないのですけどね。



厚生労働省通知の判例中での取扱い

2006年09月01日 18時22分36秒 | 法と医療
問題になっている助産行為に関する通知ですけれども、これが裁判で取り上げられたことがあります。前にも挙げた判例ですので、そちらから見てみたいと思います。一応、元の判決文全文をお読み頂いた方がよろしいかと思います(私の解釈が混じるので誤りが含まれる可能性が高いからです)。

出生時の過誤と裁判

平成15年(ワ)第11466号 損害賠償請求事件


当該事件を簡単に言いますと、産科診療所において、当直中であった准看護師が破水後入院していた妊婦を監視していたが、異常事態に気付き助産師をコールしたものの解決できず、その後緊急を要する事態となったため開設者である医師をコールして、分娩させたが出生児は仮死状態で生まれ、救急蘇生等処置の数時間後に転院させたものの転院先で死亡した。この因果関係と損害賠償請求が争われた事件であったが、死亡との因果関係は認定されなかったものの、医療機関側に過失が認められたため一部の損害賠償は認定された。


判決文から引用してみます。ちょっと長いです(写すのが大変・・・)。


争点2(分娩監視の適否)について

(1)原告らは、臍帯脱出の可能性が考えられる場合には、出産まで十分に胎児の状況を監視し、異常が認められた場合には迅速な措置をとらなければならないところ、(中略)分娩監視装置記録上の異常の有無の判断能力を欠く准看護師に単独で分娩監視を行わせたこと自体が分娩監視義務の懈怠に当たり、また、厚生労働省の指導(甲B10;筆者注、事件の発生が平成15年であることから、平成14年に出された通知のことであると思われる)に反することが明らかであり、(中略)個人医院の実情のみを根拠に被告を免責することは相当でない旨主張する。

(2)しかし、上記1認定事実によれば、(中略)医師である被告は、被告医院内には不在となったものの、(中略)緊急の呼出を受ければ、数以内に駆けつけることが可能であったと認められる。現に、18日午前3時16分ころにF准看護師から原告Bの臍帯脱出の連絡を受けた被告は、約5分後には被告医院の分娩室を訪れているのである。また、被告は、帰宅に当たり、F准看護師に対し、原告Bの分娩経過に異常が認められたらすぐに連絡すべきである旨の指示をしており、同准看護師は、この指示も踏まえ、被告医院における当直業務に当たっていたものであって、少なくとも原告Bからコールがあれば速やかに病室を訪れて必要な対応をしていた上、原告Bには、分娩監視装置が装着されていて、これによる胎児心拍数、子宮収縮の程度及び胎児心音の確認は、1階の看護師詰所で行うことができるようになっていたものである。
 このような事実に加え、F准看護師の経歴(乙A6)及び本件鑑定の内容をも考慮すれば、被告医院における原告Bの分娩監視体制それ自体が、法的注意義務違反に当たるとまで認めることはできない。
 原告らの指摘する甲B第10号証の確認事項(筆者注、先の厚生労働省通知のこと)は、「分娩信仰の状況把握及び正常範囲からの逸脱の有無を判断すること」が保健師助産師看護師法第3条所定の助産に当たるとするものであるが、准看護師が分娩監視装置の装着された妊婦を医師の指示の下に監視ないし観察することを禁じる主旨であるとは認められない。(中略、異常所見に関する知識のない)と判断されている特定の准看護師に医師が分娩監視装置の記録観察をゆだねたことの適否を判断する中で述べられたものと認められ、他方同号証同頁には、「わが国の診療所は、人手不足のうえに、人件費を節約するために准看護婦に助産行為類似の行為をさせざるをえないことは鑑定人も理解はしている」とも記載されているのであって、同号証の原告らの指摘の記載をもって、本件における分娩監視体制についての上記判断を左右するものということはできない。
 したがって、原告らの上記(1)の主張は、採用することができない。




このように判示されています。私の理解の範囲で平たく表現してみると、次のようなことだと思います。

(1)原告側主張
・(能力の低い)准看護師に「分娩監視」を行わせたのは分娩監視義務の懈怠
・この行為は厚生労働省通知に反することが明らか
・診療所の実情(医療現場)をもって、免責することはできない

で、この主張が退けられたわけです。分娩監視義務は、通知に従えば「医師」か「助産師」にしかできないと解され、それを怠ったので義務違反に当たる、と主張するものですが、これは否認されたのです。とりあえず、続きの部分を見ることにします。

(2)裁判所の判断
・准看護師には「医師の指示」があった
・医師は緊急のコールを受けて直ぐに対応できる体制にあった
・事実、約5分後にはそれが行われた
・分娩監視装置等の装着があり、准看護師が監視していた
・分娩監視体制はそれ自体が法的注意義務違反に該当するとは言えない
・上記条件を満たしている体制下では、通知は准看護師の監視を禁止する主旨とは認められない
・現状の医療現場の置かれている情況に一定の理解を示す?


このように厚生労働省通知の内容について、「監視を禁止する主旨とは認められない」としたのです。これは、助産行為に関する法的解釈として、看護師の診療補助業務として妊婦の監視行為は法的に認められるということを示したものと思われます。

要件としては、
①医師の指示の下
②(一定の安全を担保する)装置等(分娩監視装置等)を装着
③緊急時に医師をコールし、直ちに対応できうる体制

これらを満たせば、助産師以外であっても妊婦の監視ないし観察は可能、ということです。通知の法的解釈上であっても、です。


更に続きを見ていきます。


争点2(分娩監視の適否)について

(4)ア(略)


上記アの事実によれば、F准看護師は、(中略)、被告(筆者注、医師)に対し、本件胎児心拍数陣痛図上、胎児ジストレスと思われる所見ないし遷延一過性徐脈と思われる所見が認められる旨の連絡をすべきであったと認められる。
 ところが、F准看護師は、上記遷延一過性徐脈の所見を正しく認識することができず、(中略)原告Bのコールを受けて訪室し、ネオメトロの自然抜去を認めて分娩が進行しているものと考えて、助産師にはその旨連絡したものの、被告への連絡はこの段階では一切行っていなかったのであって、このF准看護師の対応は、原告Bの分娩監視における注意義務違反に当たると認めるのが相当である。




このように注意義務違反が認定された。これは、准看護師の「業務」としての「分娩監視」を許容する一方で、それには相当の責任を伴うものであって、その注意義務に違反することがあれば法的責任を問われる、ということです。特に、重要な「判断」を要する場合があるのであり(本件では遷延一過性徐脈について正しく認識すること)、医師を呼ばずに助産師を呼んだことが「注意義務違反」を問われているのであるから、正常からの逸脱をも一定水準で「判断」するべき義務を負っている、と考えるべきでしょう。これはある意味当然でありましょう。
(注意すべきは、助産師を呼んでもダメということである。正常か否かの判定行為は看護師であっても正しく行わなければならない)


他の診療科であっても、監視装置や人工呼吸器等を装着したりした場合に、その異常を認識し医師に報告する義務を有しているから、その業務(医師の指示の下であれば、4つの診療補助行為が認められる)が許されていると考えられます。業務として許容されるのであれば、それに伴う注意義務も発生すると考えるべきでしょう。本件裁判においては、分娩監視における看護師の義務として判示されたものと思われます。



池田信夫氏への質問~3

2006年09月01日 11時51分04秒 | 社会全般
あまりに残念なコメントを目の当たりにして、本当にこれが「経済学」を謳っている方の御意見なのか、疑問に思えます。「経済学」とは、このようなものなのでしょうか?以下に、池田氏の回答を引用いたします。

池田信夫 blog:グレーゾーン金利


「消費者金融の推定利用者は2000万人程度」って、どこの推計ですかね。それに、坂野論文のどこに「母集団は2000万人」と書いてあるんですか。この論文の対象は、消費者金融で21%以上の高利で借りている債務者だから、その46%ということは、ありえない話ではない。「貸出金利はリスクを正確に反映する」という仮定も当たり前で、正確に反映しないと仮定して推計なんかできません。

>万全のデータを持った意見をお示
>しいただかないと貸し渋りが起きる起きないという
>話はできないと思います。

などという議論もナンセンスです。世の中の統計に「万全のデータを用いた計算結果」というのがあるなら、教えてほしいものですね。統計データには、制約はつきもので、その範囲の中で議論すればいいのです。大事なのは、金利規制によって高リスクの債務者が市場から締め出されるという事実です。

いろいろ言っている人々は、上限金利を下げれば、こういう債務者が救済されるというのですか?それなら、その根拠を具体的に示してください。それを示さないで、統計データの重箱の隅をつついても生産性はありません。

それから、一知半解の「均衡金利」の話を繰り返すのもやめてください。貸金業者と債務者の約定金利がその取引の均衡水準なので、それが20%を上回っていれば、上限金利の引き下げによって過少供給が起きます。これは論理的に明らかな事実であり、統計はそれを定量的に検証するだけです。




以下に、こちらの主張を書いてみます。


>「消費者金融の推定利用者は2000万人程度」って、どこの推計ですかね。坂野論文のどこに「母集団は2000万人」と書いてあるんですか。


出典を示さずに、「一般的に言われている」数字を挙げたことはこちらのミスでした。失礼しました。が、私のような素人の知っている数字くらいは、経済学を掲げる先生におかれましては「当然御存知」かと思って書いてみたわけですが(笑)。出典は金融庁に提出された弁護士の資料によります。ここでは、約2200万人程度とされておるわけですが、まあ、弁護士団体ということでやや誇張も含まれるやもしれず、大雑把に書いたのですけれどね。参考までに申し上げれば、有名な官僚ブログのbewaad氏もそれを肯定しているようですけれども。

大手貸金業6社の債務のある保有口座数では約1200万口座くらいあるそうですよ。重複も含まれるかもしれないですが。全情連のデータでは約1400万人の利用者がいると言われます。銀行、クレジットなどは含まれない数ですけどね。なので、概ね1500~2000万人程度が妥当な数字かと思っていたわけですが。学者さんならば、これくらい自分で調べて裏をとるべきなのではありませんか?いちいちド素人に尋ねるのも、変な気がしますが。坂野論文に書いてるなんて一言も言ってませんけど?読めば一目瞭然ですよ。


どっちでもいいんですが、1500万人としたって、750万人以上が市場から締め出されると主張なさっているのですよね?この「750万人は闇金に行く」と。


>この論文の対象は、消費者金融で21%以上の高利で借りている債務者だから、その46%ということは、ありえない話ではない。「貸出金利はリスクを正確に反映する」という仮定も当たり前で、正確に反映しないと仮定して推計なんかできません。


坂野論文をきちんと読んで頂いた方がいいですね。「21%以上でしか貸せない」というのが正確にリスクを反映しているですって?「リスク判定」で調べられている対象では、予測される金利水準が低リスク側では20%以下になっているじゃありませんか。低金利帯のリスクは過大に評価されている、ということですよ。乖離が少ないとは決して言えないですよ。現実に有り得ないような仮定を置いて検討することに、どのような学術的意義があるのでしょうか?そういうのが経済学の基本的考え方なのですか?


>一知半解の「均衡金利」の話を繰り返すのもやめてください。貸金業者と債務者の約定金利がその取引の均衡水準なので、それが20%を上回っていれば、上限金利の引き下げによって過少供給が起きます。


その取引の均衡水準なので、と書いてますが、仮に「缶ビール市場」というのがあるとして、新幹線の中、ビジネスホテルの廊下の自販機、田舎の温泉旅館の自販機などで売られている、日常的に見る価格よりもはるかに高い価格が「均衡水準」であると?1缶200円で広く販売されているものが、同一物であっても500円で売られていると、「缶ビール市場」の均衡水準は500円なのですか?(笑)確かにこのような取引は日常的に成立していますので、先生の掲げる経済学理論においては「均衡水準は500円」であると主張するのかもしれませんが。これは単に、競争市場ではないからなのではありませんか?「完全競争市場」という前提を置く限り、「独占的」な市場取引を持ち出して、「均衡水準は500円」なんて結論を出すのは誤りではないですか?と言ってるんですよ。先生の主張する内容の根本がそもそも理論的でもなければ、置かれている仮定・条件を全く満たしていない「矛盾」だらけの分析なのではないですか?それに基づいて書かれたペーパーの結果だけを現実に適用することも間違いなのではありませんか?「貸金業界」は、完全競争市場などではありませんよ。債務残高の9割は0.6%の業者によって貸し出される特殊な市場です。独占的競争市場の可能性があるとも言われています。「缶ビール市場」で見れば、新幹線の売り子を複数業者間の競争にすれば、500円という価格は下がっていき、均衡水準に近づくでしょう、多分。仮に上限価格を400円としたところで、競争市場であれば供給する業者は他から現れる、ということです。この場合、過少供給などではないですよ?一知半解云々する経済学者ならば、当然答えらますよね?


>いろいろ言っている人々は、上限金利を下げれば、こういう債務者が救済されるというのですか?それなら、その根拠を具体的に示してください。それを示さないで、統計データの重箱の隅をつついても生産性はありません。


上限金利が引き下げられれば、新たな多重債務者の生まれる確率は減るはずですよ。リスクの高い層には貸し出されなくなるのですから。それに、坂野ペーパーの言う通りなら750~1000万人程度は軽く貸金市場から締め出されるので、利用者は大きく減少するし、リスクの低い人たちしか残ってないので、破産リスクは大幅に改善するでしょうね。1000万人が市場に残っていても、貸倒になるのはかつてと同様(2~3%程度)かそれ以下になる可能性が高いでしょうね。年間の自己破産者の人口比も大幅に減少しますね。ただ、短期的に見れば、新たな借入が停止されて払い続けられなくなる人も出てくる可能性は考えられますが、個人民事再生や特定調停などの手続きで利払いが減免されたりするでしょうね。債務者個人の総支払額は軽減されるでしょう。これは債務者にとっては「助かります」ね。締め出された750~1000万人の人たちは、自己破産が認定される基準に達しない人々が殆どでしょうし。多重債務者のうち、借入件数の少ない(貸金で4社以下くらいですか)者たちが多いので。この水準では自己破産は認定されないことが多いでしょうね。現状のように、返せないレベルにあっても貸し出すのは、無駄な延命措置に過ぎないでしょう。長期的にはメリットの方が大きい可能性は十分考えられます。


では、上限金利を引き下げない(現状維持、グレー金利容認)、逆に、引き上げ或いは上限撤廃で、「債務者が救済される」という根拠をご提示願います。引き下げに単に反対するだけでは、救済されませんよね?