いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

理解に苦しむね

2006年09月02日 18時47分49秒 | 社会全般
今までペーパーを並べ立ててた割には、最後になれば大した理由がなくなってくるのが不思議だね。


池田信夫氏の回答を以下に引用。


問題は「完全競争」とか「均衡」がどうとかいうむずかしい問題じゃないんですよ。たとえば都心で200円のビールを、富士山の上で500円で売っている場合、「ビールは全国どこでも200円で売らなければならない」という規制をしたら、おそらく(運賃を入れたら赤字になるので)富士山でビールを売る業者はいなくなり、500円払っても飲みたい人が飲めなくなる、ということです。

もう一つの予想される結果は、1000円で売る闇ビール業者が出てくることです。彼らは、警察に摘発されたら罰金を科されるので、そのリスクプレミアムを乗せなければならない。結果的に、規制によって富士山でビールの価格は高くなり、飲める人は減り、その売り上げは地下経済に流入するのです。


今の貸金業界に置き換えてみれば、本当は200円のビールが最も広く売られているはずが、情報格差・偏在などによって気付かないのですよ。で、500円とか600円のビールの自販機が大量に市中に設置されており、あたかも200円のビールと違いがないかのように売られているんですよ。人々は、高価なビールなのか、200円のビールなのか気付かないことが多く、価格には「関心がない」とか「イメージ」で選択してしまい、500円のビールであっても何となく買ってしまうのですよ。多くは「誤認」によるものなのです。200円のビールが販売されていなければ、代替手段がなくなってしまいますが、実際には存在しているし、人々がそのことに気付かないだけなのですよ。その価格差の大きさにも。アクセスの困難さは、以前ほど違いはないでしょう。無人機の威力は、「ネット」「携帯電話」によって、昔ほどではなくなっているでしょう。


もしも、富士山の頂上だけで500円で売ってるなら、これほど多くの多重債務者は生まれんのですよ。そういう自販機はひっそりとビジネスホテルの暗い廊下の向こうとか、あまり多く利用しない温泉旅館とかで売られているだけならば、問題は大きくなんかならないでしょう。消費者契約法に書かれているように、消費者と事業者の「情報の質・量、交渉力の格差」というのは、消費者金融においてはかなり大きいのが現状なのですよ。しかも、500円の値付けが、「借り手のリスクを正確に反映している」なんてことはないんですよ。「コストがかさむから500円でしか売れない」ということなんですが、「200円で売れる」業者は現実に存在しているわけですし。


私が、どこかの消費者金融の信用供与を受ける場合、リスク評価はどの業者であってもほぼ同じであるハズですね。残りの違いは、調達金利や人件費等のコストの違いが上乗せされてくるわけですが、その「リスク」部分以外が金利差上では数倍にもなっているのであって、「貸出金利」自体が「リスクを正確に反映する」というシロモノではないのです。事実、私が借入可能なクレジットキャッシング・銀行ローン・ノンバンク・貸金等という手段の中で比較すれば、金利差は数倍になります。消費者金融市場の貸出金利を借り手のリスク水準と置換して、これが人口比で正規分布になっている、という仮定・説明自体が非現実的です。「私」という1人の人間に対して、「いくつもの金利が存在する」=単一のリスクを表してはいない、つまり「金利水準が借り手のリスクを正確に反映しているということはない」、ということですよ。


結局のところ、消費者金融市場では、500円ビールというのがいつの間にか幅を利かせ、人々の無知・無関心に付け込み大々的に販売されるようになってから、問題が大きくなってきたのです。そこでトラップにかかる人々の絶対数が増えてきたから、闇金もウマミを見つけてドンドン手を出すようになってきたのですよ。200円ビールを売っている量販店の向かいに設置されている「500円ビール自販機」をついつい利用してしまう人々が多いからなのです。利用者の多くは500円ビールを200円ビールよりも敢えて飲みたくて選んでいるわけではないのです。「知らずに」とか「うっかり」選んでいるだけなのですよ。それが、貸金業者の戦略なのです。


闇金市場は多重債務者が多いと思われ、利用業者数が多くなればなるほど「怪しげな勧誘」確率が増えるし、新聞広告などで「一本釣り」を狙われるのも借り手の「無知」に付け込んでいるだけです。「飲みたくて飲んでいる」のではありませんよ。初めは貸金に嵌められてしまったために、やむなく飲んでいるのが多いのですよ。アノマリーの出現は規制に無関係に、一定割合で登場することになるでしょうから、闇市場を絶滅させることはなかなか困難でしょうね。


「富士山で500円払っても飲めなくなる人たちが受ける不利益」と「みんなが間違ってバカ高いビールを買わされずに済む利益」の経済学的評価を行わないのは何故なのか不思議ですよ。後者の方が大きければ、経済学的には望ましいのではありませんか?


多くの利用者たちでは、スタートの「初期借入」の資金需要自体は、大して多くないのが普通なのですよ。20~30代の若年世代が、そもそも多額の資金需要がある確率の方が低いのでしょう。せいぜい20~30万円程度でしょう。しかし、これが蟻地獄への第一歩なのです。将来キャッシュが借入金利と同程度で増加すればいいですが、現実にはそれは困難なことが殆どで、返済負担増分だけ将来消費額を減らさなければならないのです。これが完璧にできれば、比較的短期で返済が終了できるでしょうが、普通はそれが難しかったりするのですよ。数年間も「毎月一定額を決まって返せる」ということが可能な人であれば、いくらかでも預貯金ができるはずですよね。「返済しなければならない」という強制力は働くので(「自分で自由に勉強」よりも「宿題で仕方なく勉強」の方が強制力が働くのと似ているか)、確かに違いはあるかもしれないですけど。


毎月の返済余力と金利負担の比較で、後者の方が上回れば確実に新たな借入を生む。余力の小さい人ほど短期的収支変動にも耐えられないのであり、借入を一つでも増やせばこうした余力(=予備的能力)を確実に狭める。金利負担は借入金利と額の大きさによるが、「低金利・借入額大」と「高金利・借入額小」を比較すると後者の方が破綻リスクは高いことが多いのではないか。


既に記事に書いたが、元金50万円で金利40%、4年払だと、総支払額は約101万円になる。これと同じくらいの返済額を考えれば、金利20%、4年払で総支払額約101万円(実際には上の条件よりも約2000円位少なく、月々では30円程度の差で、微々たるもの)ならば69万円借りることができるのである。初期借入の段階で現金収支の改善度が大きく違うのである。なので、資金需要がある時に、金利が大きく異なれば、その後の変動許容幅の残余部分が違ってくるのである。それと、仮に返済が苦しくなり滞っていくと、一回返済額を減らして期間を延長していくことになるが、この時にも金利が高い方が破綻リスクは高まるはずである。成長速度が速いので、利息が利息を生んでいく事態が起こってくるからである。こうして、初期借入から、「次の借入」へと誘き寄せられていくのだ。他社からの借入というのは、「返済のための借入」であることが多く、まさしく「利息が利息を生んだ結果」と言える。


全く別の話で、たとえば、心臓の負荷の問題なのだが、心拍数と血圧という変動要因がある。心臓にとっては、心拍数が増えても、血圧が高くなっても、負荷は大きくなるのは同じなのだが、どちらが大きな負荷をもたらすかと言えば「心拍数」である。「回数の負荷」の方が「圧の負荷」(=ある意味、ボリュームの負荷である)よりも負担が大きいのである。従って、同じ血液量が1分間に送り出されるとしても、「心拍数・多、血圧・低」と「心拍数・少、血圧・高」を比較すると、心負荷は前者の方が大きいのである。volumeの変動よりも、beatの変動の方が負担になるのだ。これとよく似てるのですよ、借金も。