今までとは違った視点で考えてみることにする。まず、分かり易い例で、住宅ローンから。
住宅ローンの返済総額は借入金額の約2倍程度になることもザラである。借入元金の金額も大きいし期間も長いが、貸倒率は2%以下だった(ハズ)。借入金利は消費者金融なんかと比べれば相当低い。これは審査が厳しいから、ということもあるが、別な理由もあるのかもしれない。
以前に書いたが(
貸金業の上限金利問題~その11(追記後))、風呂オケモデルで言うところの「必須的支出」に該当している為、「削減努力」があまり必要ないだろう。しかも、住宅ローンがない人であっても必ず家賃はかかってしまうので、借入による収支変動の影響は小さくなっていると思われる。仮に、毎月の住宅ローン返済額が5万円で、公営住宅の家賃が3万円かかるとき、実質的に必要となる余分な支払は2万円で、返済負担の実額が収支変動をもたらすわけではない、ということだ。これを将来に渡って続ける時、返済負担から賃貸家賃を引いた差額分と、最終的に不動産が手に入る+減税を受けられる、などのメリットとの比較で住宅投資(=住宅ローン設定)を決定するものと思われる。普通は投資収益率が金利負担額を上回ることが多いのではないだろうか。
それから、住宅ローンの場合には「有担保融資」であることが最も大きな違いではないかと思われる。個人を企業と同様に見立てると、住宅ローンによって大きな長期負債を抱えることになるのは確かなのだが、同時に取得した不動産が資産計上される為、バランスシート上では負債そのものが大きな問題とはなってこないのではないか。たとえ不動産評価額の方が劣化するのが早いとしても、担保価値と負債のバランスで大幅に離れることは少ないかもしれない(バブル崩壊のような時には大幅に劣化したかもしれないが)。故に、貸し手にとってもリスクが軽減される為、貸出金利としては「長期プライムレート+(リスク+保証料)」のような形(実際どうなのか判らないが、概ねこのような感じだと思う)で比較的低い金利が設定可能ということだろう。中には、2番抵当や3番抵当などが付いていることも有り得るが(担保設定があっても、どの程度回収可能かは微妙?な場合がある)、バブル期ならいざしらず投機的リスク選択はあまり行われていないのではないか。これは貸し手がそのような選択をする、ということだろう。まあ普通は、保証協会もあるので、ほぼ安全な貸出先ということだろう。
これを喩えてみれば、次のようなことではないか。
1)住宅ローンの場合
①住宅投資事業(=住宅購入)を予定
②資金調達のための債券を発行
③発行体は住宅購入予定の個人
④標準的な期間や表面利率は大体決まっている
(旧住宅金融公庫のように利率が明示されるので)
⑤担保や保証がある
⑥ある水準のリスクに達すると調達総額が抑制される
⑦更にリスクが高いと債券そのものに買い手が付かない
⑧通常短期債のような頻繁な借り換え必要性はなく、長期債の性質に近い
(変動金利とかの場合にはちょっと事情が異なるかもしれないが)
ざっと、このような感じであろうか。
実際は元利均等返済の場合、最初の頃は利払いが主体であるし、債券のように一気に償還というのとはちょっと異なるが、概ね似ていると思う。特に、④のような「標準的条件」が公的機関によって明らかにされている場合、発行体にとっては債券を買い叩かれずに済むということになる。債券の買い手(通常は金融機関など)が一方的に条件を決めたりはできない、ということでもある。これによって、交渉力の差が改善されていると思われる。
また、リスクの高さは「金利水準」で直接的な調整を受けず、調達総額が減額される(=買い手が付かず、発行予定額が消化できない)か、事業そのものを着手不可能にさせることでデフォルト確率が抑制される。審査時には、発行体の情報(年収、その他資産や他の借入状況等)がある程度開示され、買い手や保証機関にもそれが判るようになっている。これらの結果、住宅投資事業の資金調達という債券においてはデフォルトが少なくなっており、投資対象評価としての格付と同じように機能しているとも言える。リスクが高いと判断されれば、着手以前に債券発行が停止される、という予防効果が存在するということだ。
次に、貸金業などの個人無担保融資を考えてみる。
住宅ローンと同じように、個人が債券を発行して資金調達を予定すると仮定する。
2)消費者金融の無担保融資の場合
①借入する個人がジャンク債の発行体
②無担保、無保証
③債券発行で資金調達しても、資産に計上されるものがない?
④標準的な金利水準は不明であることが多い
(大抵買い手が有利に決めることができる)
⑤調達総額の抑制水準は不明
⑥買い手が付かなくなる水準は不明
⑦短期債に近く、頻繁に発行する発行体が存在する
⑧発行体の情報は、どの買い手にも平等に見える訳ではない
無担保・無保証の為デフォルト率は高く、言うなればジャンク債のようなものである。標準的な利回り水準は不明なことが多く、発行体自身には「誰に、どの程度」債券を売ればいいのかが正確には判りにくい。通常このジャンク債の買い手は金融機関、クレジット会社や貸金業者などがいるが、表面利率を固定してあるとしても実質利回りは高くなっている。つまりは、債券価格は驚くほど安くなっており、調達資金の為に「どうしても売り切りたい」という発行体の事情もあって、乱発を余儀なくされる。大体が買い手優位な取引であり、発行体の交渉力は買い手に比して極めて弱く、リスクの高いジャンク債ゆえの「買い手優位性」なのである。結果的に、この優越的地位を利用した「買い叩き」が横行することになる。そもそも投資対象として不適格なのではないか、という水準にまで債券価格が下落しているとしても、これを強制的に「償還」させられる自信のある買い手が存在しているので、買い手が付いてしまうのである。買い手の中には、こうした投機的取引を積極的に行っているものがいるのである。
割と優良な買い手には、発行体の情報が見えていないことがしばしば起こる。例えば、銀行のような民間金融機関には情報開示が拒否されるので、ひとたび貸金業者という買い手が付くと、ジャンク債を追加発行する際には、どうしても同じ業種の買い手が付いてしまいがちである。短期債がほとんどの為、以前の中南米諸国の国債同様に「借換」を頻回に行わねばならない発行体も少なくないのである。これもまた、ジャンク債の「買い手優位性」を助長しているかもしれない。ジャンク債の投資リスクを抑制しようとする優良な買い手にとっては、発行体の情報が見えない為に、この市場には参加しにくくなっているのである。買い手の平等なアクセスは制限されていると考えられる。このことが、貸金業者に有利な「買い叩き」に繋がっている可能性がある。
ジャンク債の利回りが30%とか40%、あるいはそれ以上であっても、何故か必ず「買う」連中がいると考えられている(単なる予想?か期待?に過ぎないと思うだが)為に、異常な安値水準であるにも関わらず暴落したり買い手が付かなくなったりすることは少ない。償還させられる方法か裏技を知っているとしか考えられないのである。ジャンク債の平均利回りは、貸金業が買い手である場合、20%を優に超える水準なのであり、信用リスクに問題があると考えられている発行体ばかりなのであれば、このような平均利回りでの投資行動は長期的には失敗するとしか思えないのである。正常な市場として機能しているとは到底考えられないのである。
住宅ローンと異なるのは、無担保・無保証であることは当然なのだが、もっと奇妙なことがある。個人のバランスシート上では、負債は明らかに増加するのだが、資産に何か増えるかと言えば、特にはないのである。これが企業の事業活動のようなものであれば、負債を増加させたとしても、それを上回る収益を達成して回収できればそれで済む。ところが、個人の借入の場合には、そうもいかない。単に生活費として消えてしまったりするからである。増加した負債を使って新たな投資を行い、その成果によって負債分を回収する、ということは殆どが困難なのである。ただ単に、個人のバランスシート上で負債が計上されていくだけなのである。
考え方を変えてみて、「個人の能力」とかの「無形資産」が増加しているかもしれない、と考えることにする。その場合、増加した借金の投資効果によって、個人の将来現金の獲得能力が向上し、返済負担分の収入を得るべき、ということになる。それはどの程度実現可能なのであろうか?そのような投資事業は、どの程度のリスクで成立するのであろうか?普通個人の給料などの収入が年率で数十%も上昇することは少ないであろう。
それとも、発行体のリストラ効果によって、将来時点で売却(=ジャンク債償還)可能な資産を生み出すだろうか?具体的に言えば、個人の節約能力向上のようなものだ。現在資産に計上されている部分で、例えば支払予定の子どもの授業料とか。この支払を停止する(=リストラみたいなもの?)ということが資産売却と同じ効果を持ち、債券の償還や利払い費を捻出するということなのだろうか。
もしも資産に変化がない場合、ジャンク債の乱発によって負債が膨れ上がって行けば、自己資本が大きく毀損されている、とも考えられる。では、自己資本とは何か?発行体の自分自身(場合によっては生命)であるかもしれない。それとも、その人の持っている能力(収益力)かもしれないし、約束を守る能力とか、個人の尊厳であるとか、家族・親戚・友人等の人的繋がりであるとか、そういうものかもしれない。或いは、元々持っていた土地などの不動産なのかもしれない。そういう自己資本を喰い尽くすまでは、ジャンク債の買い手が付くとも考えられる。自己資本や資産の評価において、特殊な手法を用いるからこそ、それが可能になるということなのではないか。従来の方法で言えば、発行体本人ばかりでなく親兄弟・親戚なども含め、所有する不動産や金融資産等がある、連帯保証に引きずり込める人間がいる、といったようなことだ。そして自殺といったことも当然含まれる。究極の自己資本比率ゼロ化が、自殺だろう。
これが果たして買い手の正常な投資行動なのか?
本当に公正な取引になっているのか?
甚だ疑問だと思うが。
とりあえず「ジャンク債取引市場」というのを想定してみた時の問題点として
a)買い手の平等な参加を阻む情報非開示
b)取引ルールが不明瞭
c)優越的地位を利用した「買い叩き」
d)追加発行の乱発を誘発
e)債券価格が適正なシグナルとなっていない
f)バランスシート評価が不適切
g)債券発行額に比べ過少な自己資本
h)ULが過大な投機的取引の横行
こういったことが挙げられるのではないか。これまでの市場に任せておくだけでは、公正な取引は達成されなかったと言えよう。市場規律が機能するように促すこと、取引ルールを明確にしていくこと、発行体にも買い手にも平等に参加できるようにすること、これらが行政の介入理由となるだろう。