ノートパソコンの異常発生によって、暫くネットにもアクセスできず、いつの間にか日にちが進んでしまいました。対処のアドバイスを下さった方もおられましたが、見ることもできずにおりました(笑)。お礼を申し上げたいと思いますが、アクセスできない時にはそれすらも見れないのだな、ということを知りました。とりあえず復旧しましたが、またダウンしてしまうかもしれず、気がかりではあります。
よく見れば、本日は総裁選です。本日は新政権の誕生の話題で持ちきりでしょう。明日には新政権への注文がズラリと並ぶことになると思います。それは後ほど考えたいと思います。
小泉総理が誕生して5年、ここ最近では過去の総括なども多く出されたと思いますが、評価としては「いいことは少なかった」が「悪いことは多かった」というところではないかと思います。これは私の実感としても、その通りだと思います。「いいことなんて、ちっともなかったよ」というのが大衆から見た評価であり、これは世の常であろうとも思えます(笑)。もっと後の歴史家の評価を待つことになるでしょう。
今の率直な心境を述べると、小泉総理には心の底から「ご苦労様でした」と直接申し上げたいですね(笑)。きっと、ひと時も「心の休まる暇」などなかったことでしょう。一国を預かる身としては、「国のこと」「国民のこと」が片時も頭を離れることはなかったことでしょう。時には、「なぜオレがこんなことを言われねばならんのだ」「なぜみんなはもっとわかってくれないんだ」「もう投げ出すぞ」という反駁さえも心のどこかに生じていたかもしれません。それでも、「ここで放り出すわけにはいかない」「私にはその責任がある」「私がやらねば誰がやる」というような固い決意と、総理大臣としての覚悟によって、ここまで国を引っ張ってきたのでしょう。自らの心の揺れや苦悩する姿を、決して他人に見せないようにすることもまた、計り知れない苦痛を伴うものであったことでしょう。
どんな集団であっても、そのリーダーとなり、切り盛りしていくことは大変です。普通の家庭でも、企業でもそうですよね。一家を預かる身、従業員1万人を預かる身、その立場になれば、困難は多々あるのが当然です。これが、一国、1億2千万人以上ともなれば、それはそれは大変なことに違いないのです。
「あなたがやってごらんなさい」
そう思っています。悪い部分を指摘することは、一般的に得意なことが多いと思います。では、ご自分でやってみてごらんなさいな、と言われたら、批判していた割にはうまくできないものなのです。そういうものかな、と思っています。勿論、もっとこうしたらいいよ、ということは大事です。悪い所を教えてあげることも必要です。そうでなければ進歩がないですものね。でも、できれば「自分がその立場になったらどうするか」という視点で見ていくといいのではないかな、と思っています。
日常生活でも、「いいこと」というのは「悪いこと」や「苦労すること」に比べると少ないものです。毎日が日曜日でもありませんし(笑、たとえが変かな)。実際に従業員100万人の企業経営者になったとしたら、「大きな失敗をしないこと」すら大変なことなのであり、「素晴らしくうまくいった」とか「賞賛に値する成果を挙げた」なんてことは、せいぜい多くても一つか二つ程度しかないものなのです。そのような評価があるだけでも、「いい方」なのかもしれません。文句を言うのは容易いのです。しかし、良かったことを褒めることも、労いの言葉を必要とすることも、私たちと何ら違いなどありません。政治家といえども、一人の人間なのですから。
私の考える小泉総理の最大の功績は、「国民が主役なのだ」ということを思い出させてくれたことです。そして、責任は「国民にある」ということもです。政治を国民の側に引き寄せたこと、これこそ、最も評価されるべき点ではないかと思っています。従来は、国民のエージェントとして政治家や官僚たちなどが政治を担当していたのですが、国民が「よく見てない」ことをいいことに、良からぬことを繰り返し、国民の信頼を踏みにじり、政治への失望と無関心をもたらしたのです。それが、過去の政治でした。
ところが、小泉総理はそのような政治手法を覆し、国民に意思表示の機会を与え、今まで隠されてきた情報をオープンにしていきました。元々は国民の為に存在するべきエージェントたちは、いつしか「勝手に」物事をすすめ、多くの国民が望みもしていなかったことをやってきたのだ、ということを知らしめたのです。まさに国民のモニタリングが全く届かなかった部分の情報を、責任主体である国民の下に届けてくれたのです。こうして国民は新たな統治スタイルを手に入れることができました。今まで成し得てこなかった、日本の民主政治の成熟に繋がる変革であったと思います。
もう一つ重要なことは、以前に比べると行政の情報が得やすくなったことによって、政策決定プロセスにも国民が参加できる余地が生まれ、「政治的闘争」のコストが大幅に下がったのかもしれません。昔のような安保闘争とかのようなコストがかからなくなってきた、ということです。これも、インターネットの効果の一部なのかもしれませんね。有識者会議レベルの議事録までもが、これほどネット上で取り上げられるようになるとは思ってもいなかったことでしょう。議員の委員会発言なども簡単に「晒される」ようになって(笑)、間接的に国民のモニタリングが強化されたように思えます。
国を代表する宰相を選んだのは、私たち国民なのであり、その結果責任は国民も等分に背負うべきです。また、そういうシステムなのです。最後になっても、「批判の雨あられ」しか残されていないとしたら、自らの不明と愚考を呪うべきです。他の選択をしなかった、或いは他の道を示せなかった自らの力量不足をこそ、心に刻むべきです。
ここまでの5年間で、良い点、悪い点、次への課題、等々色々あるでしょう。
それはそれとして、小泉総理には、心の底から感謝しています。
本当にお疲れ様でした。そして、有難うございました。
よく見れば、本日は総裁選です。本日は新政権の誕生の話題で持ちきりでしょう。明日には新政権への注文がズラリと並ぶことになると思います。それは後ほど考えたいと思います。
小泉総理が誕生して5年、ここ最近では過去の総括なども多く出されたと思いますが、評価としては「いいことは少なかった」が「悪いことは多かった」というところではないかと思います。これは私の実感としても、その通りだと思います。「いいことなんて、ちっともなかったよ」というのが大衆から見た評価であり、これは世の常であろうとも思えます(笑)。もっと後の歴史家の評価を待つことになるでしょう。
今の率直な心境を述べると、小泉総理には心の底から「ご苦労様でした」と直接申し上げたいですね(笑)。きっと、ひと時も「心の休まる暇」などなかったことでしょう。一国を預かる身としては、「国のこと」「国民のこと」が片時も頭を離れることはなかったことでしょう。時には、「なぜオレがこんなことを言われねばならんのだ」「なぜみんなはもっとわかってくれないんだ」「もう投げ出すぞ」という反駁さえも心のどこかに生じていたかもしれません。それでも、「ここで放り出すわけにはいかない」「私にはその責任がある」「私がやらねば誰がやる」というような固い決意と、総理大臣としての覚悟によって、ここまで国を引っ張ってきたのでしょう。自らの心の揺れや苦悩する姿を、決して他人に見せないようにすることもまた、計り知れない苦痛を伴うものであったことでしょう。
どんな集団であっても、そのリーダーとなり、切り盛りしていくことは大変です。普通の家庭でも、企業でもそうですよね。一家を預かる身、従業員1万人を預かる身、その立場になれば、困難は多々あるのが当然です。これが、一国、1億2千万人以上ともなれば、それはそれは大変なことに違いないのです。
「あなたがやってごらんなさい」
そう思っています。悪い部分を指摘することは、一般的に得意なことが多いと思います。では、ご自分でやってみてごらんなさいな、と言われたら、批判していた割にはうまくできないものなのです。そういうものかな、と思っています。勿論、もっとこうしたらいいよ、ということは大事です。悪い所を教えてあげることも必要です。そうでなければ進歩がないですものね。でも、できれば「自分がその立場になったらどうするか」という視点で見ていくといいのではないかな、と思っています。
日常生活でも、「いいこと」というのは「悪いこと」や「苦労すること」に比べると少ないものです。毎日が日曜日でもありませんし(笑、たとえが変かな)。実際に従業員100万人の企業経営者になったとしたら、「大きな失敗をしないこと」すら大変なことなのであり、「素晴らしくうまくいった」とか「賞賛に値する成果を挙げた」なんてことは、せいぜい多くても一つか二つ程度しかないものなのです。そのような評価があるだけでも、「いい方」なのかもしれません。文句を言うのは容易いのです。しかし、良かったことを褒めることも、労いの言葉を必要とすることも、私たちと何ら違いなどありません。政治家といえども、一人の人間なのですから。
私の考える小泉総理の最大の功績は、「国民が主役なのだ」ということを思い出させてくれたことです。そして、責任は「国民にある」ということもです。政治を国民の側に引き寄せたこと、これこそ、最も評価されるべき点ではないかと思っています。従来は、国民のエージェントとして政治家や官僚たちなどが政治を担当していたのですが、国民が「よく見てない」ことをいいことに、良からぬことを繰り返し、国民の信頼を踏みにじり、政治への失望と無関心をもたらしたのです。それが、過去の政治でした。
ところが、小泉総理はそのような政治手法を覆し、国民に意思表示の機会を与え、今まで隠されてきた情報をオープンにしていきました。元々は国民の為に存在するべきエージェントたちは、いつしか「勝手に」物事をすすめ、多くの国民が望みもしていなかったことをやってきたのだ、ということを知らしめたのです。まさに国民のモニタリングが全く届かなかった部分の情報を、責任主体である国民の下に届けてくれたのです。こうして国民は新たな統治スタイルを手に入れることができました。今まで成し得てこなかった、日本の民主政治の成熟に繋がる変革であったと思います。
もう一つ重要なことは、以前に比べると行政の情報が得やすくなったことによって、政策決定プロセスにも国民が参加できる余地が生まれ、「政治的闘争」のコストが大幅に下がったのかもしれません。昔のような安保闘争とかのようなコストがかからなくなってきた、ということです。これも、インターネットの効果の一部なのかもしれませんね。有識者会議レベルの議事録までもが、これほどネット上で取り上げられるようになるとは思ってもいなかったことでしょう。議員の委員会発言なども簡単に「晒される」ようになって(笑)、間接的に国民のモニタリングが強化されたように思えます。
国を代表する宰相を選んだのは、私たち国民なのであり、その結果責任は国民も等分に背負うべきです。また、そういうシステムなのです。最後になっても、「批判の雨あられ」しか残されていないとしたら、自らの不明と愚考を呪うべきです。他の選択をしなかった、或いは他の道を示せなかった自らの力量不足をこそ、心に刻むべきです。
ここまでの5年間で、良い点、悪い点、次への課題、等々色々あるでしょう。
それはそれとして、小泉総理には、心の底から感謝しています。
本当にお疲れ様でした。そして、有難うございました。