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肝炎訴訟に関する雑考~その9

2007年12月09日 18時29分53秒 | 社会全般
前の記事が長くなったので、分割しました。

今度は「フィブリン糊」ですか。
ターゲットにできそうなものであれば、何でもということですかね。これらの戦略というのは、原告団の人数をできるだけ大勢にして、被害を訴える「強さ」を増すものと思います。弁護団の先生方にも、たくさんの弁護料が入ることになるので、参加者を多くすればするほど効果的ですね。経済原理に適っていますね。

フィブリン糊の調査は行われたであろう、ということをシリーズ中で書いた(その4、5、7)。この感染リスクは、輸血や静注用に比べれば低いであろう、ということも述べた。これは調べたわけではないので、正確な文献的考察もできないが、用量依存性にウイルス感染リスクが高まるというのは一般的な傾向であると思われるので、そこから考えると、感染リスクは低いであろうな、ということである。それと、B型は微量でも感染することはあるが、C型になるとあまりに少ないウイルス量では感染し難いからである。従って、最も感染リスクの低いのがこの「フィブリン糊」であろうと推測される。

しかし、原告団に加わったらしい、との報道があった。まるで駆け込みみたいな感じですわな。被害を訴える側がリスト全員に通知しろ、通知しろ、と再三要求するのは、こうして訴訟に加わる人数を増やすことが目的なのではないかと勘繰らざるを得ない。人数が増えるとマスメディアが騒いでくれるし、同情が集まりやすいので勝利する可能性は高くなる。合目的的な戦術と言えよう。たとえ、そういう意図でないにせよ、結果的にはそういうことになっているだろう。


「フィブリン糊」薬害提訴 手術で感染の2人 ニュース 医療と介護 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

(以下に一部引用)

血液製剤フィブリノゲンによる感染で提訴した原告は170人以上いるが、この製剤に別の薬品を加えて作るフィブリン糊の使用による提訴は初めて。「糊」は心臓外科などで、フィブリノゲン使用者の3分の1以上にあたる7万9000人に使われたと推定されているが、被害調査も遅れている。患者は「潜在的な感染者が多数いるはず。早急な調査と救済を」と訴えている。

 訴訟に加わったのは、静岡県内の40歳代と、東京都内の70歳代の男性。11月30日に提訴した。いずれも心臓手術を受けた際に、旧ミドリ十字が発売したフィブリノゲン製剤で作られたフィブリン糊を使っており、現在、慢性肝炎の治療を受けている。

 「糊」による感染者は、厚生労働省が2001年に発売元の旧ミドリ十字を引き継いだウェルファイド社(当時)に、医療機関を通じて調査を求めたが、全国で48・5人(「1人から2人」という回答を1・5人と算定)としか判明しておらず、実際の感染者は1000人以上との推計もある。今回提訴した2人についても、病院が心臓外科のカルテ等を調べておらず、報告された症例数には含まれていない。

 提訴した2人のうち、40歳代の男性は自ら静岡県内の総合病院に問い合わせ、1987年に心臓の手術で血管を縫合する際、止血のため「糊」を使っていたことが手術記録から判明した。

 かつてこの病院に勤務していた医師は「当時、輸血や『糊』を使って心臓手術をした患者の中に、黄だんの症状が出るケースが急に増えた。3分の1はいたように記憶している」という。

 87年は、青森県内の医院で集団感染が確認されるなど、フィブリノゲンによる肝炎が集中発生した時期。この医師は、「輸血用血液の衛生管理が急に悪くなったのが原因かと疑ったが今思うと不自然。『糊』のせいかもしれない。当時、『糊』を使用していた患者は、心臓手術だけでも年間60人から120人はいたと思う」と証言する。だが、同病院によると、カルテの調査などを行っておらず、01年の調査でも感染者数の報告はしていなかった。また、そのカルテ等も今は一部しか残っていないという。

 提訴した70歳代の男性も1年ほど前、長崎県内の総合病院に確認し、84年に心臓の手術で「糊」を使っていたことを知った。病院幹部は、「問い合わせがあるまでフィブリン糊による感染の可能性も知らなかった」と振り返る。この病院でも、01年の調査で「糊」についてのカルテを調べたことを記憶している人はいなかった。

=====


感染者1000人という推計は、恐らく殆どが輸血を含むものであって、非輸血例で「フィブリン糊」単独使用によって感染例があるなら、是非教えて欲しいですね。前の記事に書いたように、「動く歩道」を通ったことは確かであるが、「エスカレーター」も利用していた人たち(ルート②の場合)である、ということ。動く歩道単独(ルート①の場合)だけで感染した例は確認されているか、ということですよ。90年代以降の他社製品での感染例が確認されていないのなら、ほぼ皆無に等しいのではないかと思われる。

しかし、原告団は「加われ」と引っ張り込んだわけだ。「C型肝炎になったのはフィブリン糊のせいなんだよ」とか説得した人でもいたんでしょうか?普通、自分に「フィブリン糊が使われていました」と聞かされたとして、「訴えてやる」と考える人というのは多くはないでしょうからね。

もう少し記事を詳しく見てみましょう。
まず40代男性は87年にフィブリン糊を使用。心臓の血管縫合で用いた、と。20歳代での手術ですので、珍しいですよね。先天性疾患でもあったとかでしょうか?それはいいとして、かなりの確率で術中に輸血しているでしょうね。この当時にはHCVは検査できなかったので、輸血後肝炎の症状が高頻度で見られた時期です。80年代中頃でも1割程度の肝炎症状出現が見られたのではないかと思います。輸血が何単位くらい入れたのか判りませんけれども、感染可能性でいえば「1単位輸血 >>> フィブリン糊」ということになるでしょう。
よく知りませんけれども、縫合部一箇所に用いるフィブリン糊の量なんて、1ml も行かないでしょう。何箇所も血管縫合を行っていたとしても、全部で10ml も使うかどうかです。仮に「フィブリン糊10ml 」の危険性と、「MAP3単位」の危険性との比較となれば、感染可能性が高いのは圧倒的にMAPだろうと思いますよ。


記事中には、かつて勤務していた医師というのが登場しますけれども、この証言をもう一度見てみましょう。

「当時、輸血や『糊』を使って心臓手術をした患者の中に、黄だんの症状が出るケースが急に増えた。3分の1はいたように記憶している。」

輸血や『糊』、と併せて言ってますけれども、いかにも「フィブリン糊を使うことで、黄疸の症状が出たケースが急増した」という印象付けを行おうとしている、ということですね。何故そのような証言をするのか判りかねますが、思い込みの一つではないか、或いはこの医師という方が何かの党派に関わる方なのかもしれない、などと裏読みをしてしまいますね。
この頃にはB型肝炎のスクリーニングは行われており、術前検査でもチェックはできていたでしょう。なのでB型肝炎についての輸血後肝炎の可能性は数%程度まで低下していたであろうから、約3分の1という数は多すぎですね。では本当にフィブリン糊を使用したから、ということなのでしょうか?

ここで注目すべき点があります。「黄疸の症状が出た」ということなんですよ。
まあ普通に考えると、肝炎に感染したのであれば黄疸が出ても不思議じゃない。そうですね、確かに。しかし、肝炎というのは色んな特徴があって、急性肝炎の場合には黄疸が出ますけれども、C型肝炎では黄疸の症状が出るというのはあまり多くないはずなんですよね。それ故に、輸血や血液製剤等の使用や、その他刺青とかピアスとかモロモロの理由で感染してしまったとしても、本人は勿論周囲から見ても気付かないのですね。そして知らないうちに病状は進むことがある、というのが特徴なのですから。つまり、不顕性で経過する例が大変多い、ということなのです。だからこそ、血液製剤を投与された方々で「黄疸などの肝炎症状が出現」した報告例は、リストになっている僅か400例超しかなく、実際に薬剤が使用された例数に比べると圧倒的に少ないのですからね。

よって、黄疸がよく出た、ということになれば、術後にC型肝炎となっていたことは中にはあったかもしれないが、黄疸症状がこれほど多く出るというのは別な理由かもしれない、と考えることはできますね。例えば麻酔薬剤などが変更になったりして、肝毒性の程度が変わってしまうことで、薬剤性黄疸が出現した、ということは考えられます。この頃であれば、ハロセンが結構用いられたりしていたかもしれず、そういう影響というのはあるかもしれない。或いは、術創の感染コントロールとして抗生物質の種類が変わったとか、そういう薬剤の採用状況によって黄疸の出現頻度は変わり得るでしょう。

あとは、対象患者の年代的な話、ということもあるかもしれません。心臓手術で多かったのは当時で40代後半~60代前半程度だったのではないのかな、と。最も多いと思われるのは、冠動脈疾患でのバイパス術だったのではないでしょうか。となると、病気の特徴から見て、その年代くらいの方々が多く手術を受けていたのではないのかな、と。87年頃に50歳の方で1937年生まれ、60歳だと1927年生まれということになります。この年代の方々は1950年代には20歳前後の若年世代方々であり、当時には薬物濫用が問題となった時期なのですよ。この年代におけるC型肝炎のキャリア率は、他の年代よりも多いのです。それらの方々のうち、術前から既に「C型肝炎だった」けれども、検査方法がなかったので判らなかった、ということは十分考えられるでありましょう。B型肝炎ではない、というだけの人の中にも、実はC型肝炎だった、という方は大勢おられますからね。術前に既に感染している場合には、大きな手術によって身体への侵襲が肝機能障害を惹起して、術後に黄疸が出現することは十分考えられるでありましょう。C型肝炎キャリアの最も多い年代の方々が手術対象だったので、黄疸に遭遇する確率は高くなった、と考えることは可能でありましょう。

それにしても、ざっと100人手術すると30人に黄疸が出る、ということですから、この病院では余りに多いですよね。
フィブリン糊を全例に用いていて、なおかつ原因が全てフィブリン糊であるとすれば、全国各地の使用例のうち大体3割近くが黄疸出現となり、不顕性感染例を含めると、最低でも半分程度以上は全員がC型肝炎に感染することになります。恐るべき高頻度で「C型肝炎になる」ということですね。フィブリン糊やフィブリノゲン製剤を使用していない、輸血例だけで見てもそんなに黄疸は出現しませんので、血液よりも5倍以上の確率で感染することになりますかね。
そんなことが起こるのは、フィブリン糊の製造に用いられた血液は相当部分がC型肝炎キャリアからの供血であり、製品の殆ど半分以上が汚染されており、血液そのもの以上に感染力がある、ということですかね。だとすると、使用した医療機関のほぼ全部において黄疸出現が確認され、87年の青森で起こった連続感染例どころの騒ぎではないでしょうね。


まあ、いずれにせよ、この医師の証言というものをよく見ると、黄疸出現例があまりに多すぎであり、C型肝炎の特徴とは若干ズレがあるように思われます。それらの原因として、「フィブリン糊」を第一番に疑う、という医師の感覚というのも解せませんね。どうみても感染リスクの高いのは輸血ではないかと思いますけど。当時HCV抗体検査ができなかったのですから、唯一肝炎感染を知るのは「黄疸」などの肝炎症状出現例だけです。術後肝炎の症状が出て初めて「ああ、肝炎だな」と判るだけなのですよね。となると、フィブリン糊だけではなくフィブリノゲン製剤も含めて、黄疸出現例がそこまで多くないのですから、証言した医師の病院での多さは別な要因である可能性が高いと思いますね。原告団に加わった方々には、「何にも症状が出なかった」人たちが大勢おられるのではないですか?02年以降に血液検査をして初めて知った、という方々もおられますでしょう?つまり、そのこと自体が、C型肝炎の方々の黄疸出現の少なさを物語っているのではないでしょうか?ということなんですよ。


もう一例の70代の方ですけれども、どうやら手術の予後は良かったようで、男性の平均寿命くらいまでは生存できたと思われます。フィブリン糊を用いられたからといって、寿命が平均よりも短くなることはなかった、ということなのではないでしょうか。グラフト部の血栓が飛んで致死的となることもなく、再狭窄で再手術にもならなかったのであれば、割と良かったのではないでしょうか。全然状況は判りませんけれども。抗凝固療法も長年続けてきて、長期生存例となっておられる様子ですので、日本の医療水準がそれなりの結果を出しているのだな、と思いました。ワーファリンとか使ってたりするかも、と思ったもので。ああ、この薬も黄疸の副作用はありますね。参考までに。


日本のマスメディアは、何とでも好きなことが書けるようで、羨ましい限りです。先日のガン患者にモルヒネ投与の話も、20年くらい前から判っていた話でしょうに。何で昔の時点から言わないんですかね?後出しジャンケンはいつも有利だからですか?合成アルカロイドだって色々とあるし、天然もの(笑)なら紀元前数千年前からあるでしょう。麻薬なんて昔からのものであって、今に始まったことなんかじゃないんですよ。

マスメディアやジャーナリストとかが、何かを判ったような気になって言うんですけれども、その中の誰1人として責任なんて取らんでしょう。バブル期頃には、コンチンとかあったし、モルヒネだけじゃなくケタミンも昔からあるじゃないの。
多分、ペイン・コントロールそのものが難しいものなんですよ。特に、ガン患者になればもっと困難だろうし、終末期になれば更に難しいのだろうと思う。それをただの素人連中が、麻薬を使えばいいじゃん、みたいに簡単に言うのもどうかと思うのですよ。だったら、もっと昔から麻薬緩和とか、運動をやってりゃ良かったじゃないか。ケタミンごときで死亡するとかヤク中になるくらいで薬事法改正すんな、とか反対すりゃ良かったんじゃないか。
そもそもガンは昔からあるし、昔のガンだって今と同じく痛いし、麻薬なんて昔からあるのも判ってたでしょう?今と何が違うっていうのでしょうか?何にも変わってなんかいないんですって。

こうした軽々しい論調の一方で、落ち着いて順に考えれば判りそうなことについてでさえ、「命を軽視するな、薬害のせいだ、薬が原因なのは明らかだ」とか、散々騒いでいるだけじゃないの。
タミフルのせいだ、リレンザのせいだ、フィブリノゲンのせいだ、フィブリン糊のせいだ、リタリンのせいだ、結局どれでも同じなんだよ。薬剤が原因かどうかも判らんのに、何が問題があれば、使うな、と。その一方では、もっと簡単に使えるようにしろ、と。どっちなんだよ。

裁判官と一緒。
ニトロをもっと使えば狭心症発作は起きなかった、だからもっと使っとけ、とか言うのだよ。
でも別な薬の場合では、常用量内ではあったが必要最小限にはなっていなかったから過失、とも言うのだよ。
じゃあ一体どうしろと?
最適量を算出できんのか?ならば、やってみ。
必要最小限の量って、「どんだけ~」。教えてくれや。
薬を使わなかったら、「患者が飲みやすい環境になってなかったので義務違反」って、どういうこと?

急患のたらい回し問題も同じさ。
とりあえず引き受けて診ようと思ったら、
・危険なのに1人でやったので逮捕・刑事裁判(福島産科死亡事件)
・できないのに引き受けた(バイト当直医が挿管できないので過失)
・次の転送先を探した時間かかり告訴(奈良県産科事件)
・転送までの時間が長かったので過失認定(加古川事件)
とか、刑事・民事責任を取らされることになるのですよ。
下手に診ない方がまだマシだ。
もし逮捕されたりすれば、病院は閉院となったりするかもしれんからね。悪い噂は(病人じゃなくても)「命取り」なんですよ。こういう状況は報道とか司法からのバッシングや患者権利団体とかの活動とか弁護士営業活動の結果、こうなったということなのではないでしょうか。

今はできない、とか、自分にはできそうにないから、と断ったら、「医者なのにできんのかー!それでも医者か!」とか。
専門が違いますから、という話もあるけど、専門外で診断がついてなかったり不正確だったりしようものなら、「頭蓋内出血が判らんかったのかー!それでも医者か!」とか。とことん「無限責任」ループからは逃れられんのですよ(笑)。
どこまでも注意義務は発生しており、医師の能力が神の領域まで高められた幻のスーパードクターでなければできんのですよ。
そんな責め苦を負うくらいなら、やらない方がマシだってことかな、と。

完璧を求めるのであれば、そういうシステムにしといて頂戴、って話。
確実に捌けるような体制を組んで、遠くまで行かなければならないとしても、行き先固定とかで受け入れ側には常に空きのある体制としておかないと無理だね、とか。施設もマンパワーも無限じゃないからね。できる人たちを常に配備しておける体制を作ればいいだけ。


最後は殆ど文句みたいな話で大きく逸れてしまいましたが、要するに「フィブリン糊」で原告団に参加というのは、疑問点が多いな、ということ。当時の病院医師の話としても、合点のいかない部分は多くあるね、と。
ひょっとして、訴えれば保障対象になるかもしれないから、ということなのではないか、というのが下衆の勘繰りです。



肝炎訴訟に関する雑考~その8

2007年12月09日 14時16分24秒 | 社会全般
まず、これまでの記事をまとめておきます。

肝炎訴訟に関する雑考~1

肝炎訴訟に関する雑考~2

肝炎訴訟に関する雑考~3(追記あり)

肝炎訴訟に関する雑考~4

肝炎訴訟に関する雑考~5

肝炎訴訟に関する雑考~6

肝炎訴訟に関する雑考~7(追記あり)

B型肝炎訴訟最高裁判決について~精度に疑問あり(一部修正)

B型肝炎訴訟最高裁判決について~集団予防接種は感染を拡大したか?


その後、最高裁判決について、法学関係者の方々とか医療訴訟専門の法曹とか、何かの検討なんかを行ったのですか?評釈は上記参考記事中にもありましたけれども、最高裁判決についての疑義について取り上げたものはなかったと思います。そうであれば、もう一度最高裁判決が言うように「高度の蓋然性」でもって、水平感染の最大要因が集団予防接種による感染なのであって、その他要因については一般論に過ぎず無視できる程度に影響が小さく、B型肝炎感染は母子感染以外では「集団予防接種によるものと推定できる」ということが本当なのかどうかを確かめるべきなのではありませんか?それもできない上に、判決だけ参考にされたり、他の判決文に引用されたりして定着してしまえば、取り返しがつかないでしょう。

母子感染の対策が取られる86年以前からキャリア率(世代人口に占める割合)が減少していったのは、最高裁の考えたストーリーでは不可能だ。簡単な数字(人数みたいなものと思って下さい)で示せば、次のようになる。
(全くの架空の数字ですので。あくまで考えやすくするためだけのものです)

◇昔           ◇後年
母子感染 50      母子感染 50
水平感染 30      水平感染 10
               (減少分 20)

母子感染は効果的対策は取られていなかったので、ほぼ100%で感染が成立しキャリアとなるのであるなら減少には寄与しない。従って、母子感染以外の水平感染の数が減少したということだ。水平感染のうちどれが、というのは判らないけれども減少したんですよ。集団予防接種によって、水平感染の機会は増加し感染確率が上昇するかもしれないと言えるが、その増加分が1とか2程度の影響であるなら、その他要因による減少分の効果の方が大きい(=集団予防接種によるキャリア増加分を大きく上回って減少させる)ので時代経過と伴にキャリアが減少していくのは整合的となる。つまり、過去のある時点では、集団予防接種の感染確率よりもはるかに大きい影響力を持つ何らかの要因(複数かもしれない)が存在していた、ということになる。その要因とは、栄養状態改善や衛生環境整備や覚醒剤取締強化や輸血や消毒方法の発達などかもしれないが、誰にも正確には判らない。いずれであったか、ということは立証できないけれども、母子感染の減少が殆どないのに日本全体でのキャリア率が減少するということは、水平感染の可能性が減ったということしかないのである。母子感染の可能性が減少することは想定し難いからである。

しかし、最高裁判決では集団予防接種以外の要因については、「一般論に過ぎない」と退けているのである。無視できるほど影響が小さい、感染可能性も無視できる、ということで片付けているのである。これが高度の蓋然性と呼べるのであろうか。

母子感染の予防措置が取られるようになってからは、最も大きな感染要因となっていたであろう母子感染が大幅に減少することになったので、キャリア率は減少したであろう。その効果が大きかったのは、水平感染がその前までの時点でかなり減少していたからだ。故に、近年までの期間ではキャリア率は減少の一途を辿ることになった、と考えるのが普通だろうと思うが。

HIV感染者のように元々存在が極めて少ないのであれば、母子感染がほぼないにも関わらず、水平感染だけで感染は拡大していくし、集団予防接種で感染が拡散するという可能性は殆どゼロに等しいのに(最高裁判決で言うところの一般論であって、その影響は無視できるほどに小さい、ということ)、感染者は増加しているではありませんか。非血友病患者において、そうなのですよ。血液製剤を用いたわけでもなく、輸血を受けたわけでもなく、同性愛者ではない人であっても現実に「感染している」のですよ。そういう感染可能性を否定できる裁判所というのが、信じられない、と言ってるんですよ。それを肯定している人たちも同じだ、ということです。


結局のところ、法学専門家たちや法曹実務家たちが科学的応用力を発揮して考えることなんて、誰もやってないのではありませんか?最高裁判決に対して法曹の中で異議を唱えた方がおられましたか?評釈ではなくても、新聞記事とか雑誌とかの何か論評みたいな形で疑問の意見を出した方がおられたのですか?法曹とか法学関係者が何万人おられるかは知りませんが、そのうちの誰1人として意見を言わなかったのであれば、司法への信頼性が揺らぐと言っているのですよ。判決もダメ、評価する人たちもダメ、ということである時、国民はどうしたらいいんですかね。評釈や批判があるから、判決の評価はできている、信頼性もある、なんてのは、全くの幻想に過ぎないのですよ。たとえ間違いを含むものであっても、権威を持つものが勝つ。そういうことですか。なるほど。

最高裁判決はひっくり返せないことは理解できますよ。一度出してしまった結論を取り下げるわけにもいかず、間違いでした、と最高裁判事たちが認めることもできないでしょう。それはしょうがないですよ。しかし、判決文に対して吟味し、もっと正しく考えられたのではないか、という研究を行うことにこそ意味があるのですよ。信頼醸成の方法は、最高裁判決に誤りが含まれないか、含まれるならどのような答えであったなら良かったか、どうすればそこに辿り着けるようになるか、そういうことを「社会に対して明らかにすること」だけですよ。次の裁判で考える人たちの役に立つようになるじゃありませんか。それを唯一実行できるのは、法学の専門家、法曹という「同業者」の人たちだけなんですって。匿名の卑怯者であるオメガ級ブロガーなんかではありません。それとも最高裁判決には全員ひれ伏すことしかできないのですか?

だから何度も言ってるのですよ。たった一度の手術で良くない結果を招いてしまうことは、完全には防げないのだ、って。判決だって、一度出してしまえば元には戻せないのですよ。不可逆的なものなのですよ。だからこそ、次からどうしたらよいかを考えることが重要なのであって、失敗したこととか失敗した人に個人的責任を問うことではないのです。そういう考え方を身に付けることが、法曹の中にまだできていないのです。無批判で受け入れるという、裁判所の過誤を正すシステムが全く機能しない状態なんですよ。



今度はもうちょっと違う例で書いてみます。

駅から店に行く道があるとする。道の途中には、動く歩道やエスカレーターがあるとする。店には、動く歩道を通り、その後エスカレーターで上がって店に行ってもよいし、動く歩道だけ通過して、エスカレーターは利用せず店に行くこともできる。更に、動く歩道を利用せずエスカレーターだけ使って店に行くこともできる。

駅を出発すると、
 ①動く歩道 → 店
 ②動く歩道 → エスカレーター → 店
 ③エスカレーター → 店
という行き方がある、ということです。

ここで、動く歩道とエスカレーターの手すりには偶然できた傷があって、表面がギザギザしている部分がほんの一部にあるとしよう。これらの利用者の中には、このギザギザで腕に怪我をして傷跡が残るものとする。全部が同じ傷跡で、怪我したかどうかは本人には気付くことができないものとする。でも、手すりはグルグル回っているので、必ずしもそのギザギザ部分に触れるかどうかは判らない。なので、誰がいつ怪我をするのかは予期不能であるとする。

こうした条件があった場合、駅から店に行った人たちが大勢いて、腕に「傷跡」がある人たちが存在すると、その傷跡は「動く歩道のギザギザが原因であった」と言えるか、ということです。薬害肝炎訴訟の問題というのは、これと同じなんですよ。

動く歩道を利用したことがある人=フィブリノゲン製剤を投与された人
傷跡=HCV(+)

と考えて頂ければ、いいのではないかな、と。


マスメディアとかも含めて、「動く歩道にギザギザがあったせいだ」と主張するんですね。腕に傷を受けたのは、動く歩道を通ったからだ、と被害者の方々も言うわけです。
でも、傷跡のある人たちを大勢集めてくると、全員がルート①というわけではないんですよ。③の人たちもたくさんいるわけです。エスカレーターを利用したのであれば、動く歩道で怪我をしたのかエスカレーターで怪我をしたのかを判定するのは、とても難しいですよね。主張として、動く歩道のせいだ、というのは、本当に言えるんですか?ということです。多くの人たちは、みんな揃いも揃って「動く歩道が悪いんだ、ギザギザがあったせいだ」と強硬に主張しているんですよ。

エスカレーター=輸血としましょう。
フィブリノゲン製剤の感染リスクと輸血を比較するなら恐らく輸血の方がはるかに危険ということで、感染の危険性で言えば

 輸血>フィブリノゲン製剤

となるでしょう。
エスカレーターと動く歩道で比較すると、同じく

 エスカレーター>動く歩道

ということです。動く歩道を利用した人たちよりも、ずっと多くのエスカレーター利用者で傷跡があるのであれば、「動く歩道が原因だ」とか言いますかね?どうして「動く歩道だけじゃなく、エスカレーターにも乗りましたよね?ならば、エスカレーターで怪我をしたかもしれないですよね」と誰も聞かないんでしょうか?本当に動く歩道で怪我をしたんでしょうか?

もっと厳密に言えば、傷跡の原因には動く歩道やエスカレーター以外にもたくさんあって、親子喧嘩、兄弟喧嘩、夫婦喧嘩、自転車転倒、交通事故、鉄棒、みたいに、要因がいくつも存在しているんですよ。個々に調べると動く歩道よりも少ないものもあるかもしれないけれど、動く歩道を利用した人の中にはそこで傷がつかなくて自転車転倒で傷跡になっている人もいるかもしれないんですよ。普通に考えれば、動く歩道を通りました、という事実だけで、全員が「動く歩道のギザギザのせいで怪我をしたんだ」という主張は難しいと考えるはずなのです。

ところが、エスカレーターのせいでもなく、自転車転倒でもなく、喧嘩でもなく、鉄棒でもなく、「動く歩道が原因だ」と強硬に主張する方々が大勢おられ、マスメディアも全部がそれに賛成しているんですよ。おかしいでしょ。動く歩道を通過した人で傷跡のある人には全員に無条件で保障しろ、ということを求めているわけですね。

本当は、動く歩道を通過する以前から傷跡があったのでは?
本当は、エスカレーターで怪我をしたのでは?
本当は、喧嘩したことがあるんじゃないですか?

こういうことが、一体どうやって判るんでしょうか。


動く歩道を通過した人たち全部を調べて、全員に通知しろ、とか、かなり難しい話ですよね。
腕に傷跡のある人のリストがあって、全部通知をしろ、と言うのも、誰が何の責任でやるんですか?エスカレーターで怪我をしたかもしれないのに、動く歩道の人に責任があるということですか?本当は親子喧嘩が原因かもしれないのに、全て面倒を見ろと?要するに、動く歩道を通ったことがあって腕に傷跡のある人たちは、全部「動く歩道が原因だ」という結論に押し込めて、取れるものは取る、ということなんですね?

肝炎が判明した患者さんにフィブリノゲン投与を通知しなかったことは、国の責任なんですか?製薬会社が悪いからでしょうか?動く歩道を通過したことを本人が知らないことが多いのは判りますよ。けれど、傷跡の原因を正確に知る術がないのに、「あなたは過去に動く歩道を通過しました」ということを聞かされたとして、どうだと言うのでしょうか?過去に動く歩道を通ったことを知ると、途端に「動く歩道のせいだ!」と主張できるようになるからなのでしょうか?

根本的には、投与責任も説明責任も医療機関にあるでしょう。特に、87年に集団感染が明らかとなって以降は、フィブリノゲンを使う医師に多くの責任があるのですよ。何も、02年時点の役人が書類を放置していたからといって、90年前後の肝炎発症に繋がったわけではないのですよ。役人の無能は過去に遡れないですからね。07年現在の役人に罵倒してみても、80年代の感染を防ぐことなどできないし、病状が良くなるわけでもない。慢性経過例で既に20年近く経つのであれば、今通知をしてもしなくても予後は殆ど変わらないのかもしれないし。

現実には動く歩道で怪我をした人たちは、割合としてはあまり多くはないだろう。元々傷跡があったか、エスカレーターで怪我をした人の方が断然多かっただろう。朝日新聞風に言えば、通過したことがあるだけで、「動く歩道『で』怪我」と書くということ。原因が判らないにも関わらず、全てを「動く歩道が原因だ」と断言するのだ。これは薬害被害を訴える方々とも共通であり、新聞記者をはじめとするマスメディアの人も、裁判官でも、大体同じなのだ。C型肝炎患者が潜在的に300万人くらいはいるだろう、ということだとして、フィブリノゲン投与を受けた患者はそのうちの1割以下でしかない。投与した全例で100%の確率で感染したとしても、30万人にも達しない。では、他の方々は一体どのようにして感染したのか?その人たちは、フィブリノゲンを投与されずとも感染しているのですからね。

腕に傷跡があっても、動く歩道を通ってない人たちの方が圧倒的に多いのですよ。これで本当に「動く歩道のせいだ」と言い切れると思いますか?まあ、自信のある方々がマスメディアなどにも大勢いるでしょう。是非お聞かせ頂きたいものです。

科学リテラシーだの、科学的応用力だの、大事なんでしょ?
ゆとり教育によって教育水準低下を嘆くマスメディアなのですから、自分たちのリテラシーだか応用力だかを発揮してごらんなさい。大人たちの能力を実証してみて下さいよ。



霞ヶ関「埋蔵金伝説」論争(笑)

2007年12月09日 03時06分33秒 | 政治って?
本物の小判が埋まってるわけない、でもそんなの関係ねえー
というのはどうでもいいですが、色々と盛り上がっているようです。

永田町で「埋蔵金探し」過熱 複雑怪奇、28特別会計積立金(産経新聞) - Yahooニュース

実は「埋蔵金」という表現を先に使ったのは与謝野氏だった。自らが会長を務める自民党財政改革研究会(財革研)は先月21日にまとめた中間報告で、増税なき財政再建路線を「埋蔵金伝説の類にすぎない」と切り捨てたのだ。
 中川氏はこれにカチンときたらしく、翌22日に自らが代表世話人を務める町村派で財政健全化の基本姿勢を発表。まず、「特別会計の余剰積立金の活用」を盛り込んでジャブを放つ。その上で、12月1日の愛媛県新居浜市の講演で、「40兆~50兆円の埋蔵金がある」とぶち挙げたのだ。
 中川氏の攻勢はこれで終わらず、5日には「埋蔵金は実在する」と題したメモを記者団に配布。同日夕には首相官邸を訪問し、福田康夫首相との直談判となった。
 中川氏は「埋蔵金の話をしたら首相も『わかっている』と言っていた。10兆円ほど出せば一般会計の重みが楽になる」と周囲に漏らし、自説が来年度予算に反映されることに自信を見せる。


 ■埋蔵金をめぐる発言

中川秀直元自民党幹事長
「特別会計の過剰な積立金は国民に還元すべきだ。40兆~50兆円は『埋蔵金』があるのではないか」(1日、愛媛県新居浜市での講演)
「最近の政治家は複雑な予算書から埋蔵金を探す能力が求められている。財務省は財融資金特会から国債整理基金に多分10兆円ぐらい出すのでないか」(6日、佐藤ゆかり衆院議員のパーティー)

福田康夫首相
「埋蔵金というのを探しに行きましょうか、一緒に。まあ、あるかないかを議論する前に無駄を削ることに全力を挙げる方がいいんじゃないか」(4日、記者団に)

町村信孝官房長官
「恒常的に費用が増える財源に1回きりの積立金の取り崩しはありえない。恒常的な支出には、恒常的な歳入を考えないといけない」(4日、記者会見)

伊吹文明自民党幹事長
「取り崩しは1度だけ。次の年はない。埋蔵金を発見したら、ある年には突然成金の気分になるかもしれないが、次の年の埋蔵金は1つもない。恒常的財源は税収以外にない」(7日、記者会見)

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まあ飛び火が広がって、かなり燃え盛っているようですな。民主党は胸を撫で下ろす、と(笑)。
上の記事中にもありますが、発端というのはこんな話ではなかった。11月21日の話からこうなってしまった。

NIKKEI NET(日経ネット):政治ニュース-政策、国会など政治関連から行政ニュースまで

自民党の財政改革研究会は21日の「中間とりまとめ案」で、民主党の歳出削減案を「霞が関埋蔵金伝説」と皮肉った。民主は政権公約で補助金の一括交付金化や特殊法人の廃止などで約15兆円の財源を捻出(ねんしゅつ)するとしているが、財革研はこれを「具体的な根拠のない提言」と一蹴(いっしゅう)。「埋蔵金」にたとえて実現性の低さを強調した。

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ここにもあるように、財政改革研究会が「民主党の選挙公約」について、埋蔵金伝説の類ということを非難したものであった。単年度収支の話であるから、フローの話なんですよね、元々は。単年度の歳出から15兆円を削ってくる、というのは、困難でしょう、そんな金はどこにあるんですか、ということが自民党の言い分だったわけです。別に、霞ヶ関が埋蔵金を隠し持っている、いない、とか、上げ潮派の手法を「埋蔵金伝説と同じだ」みたいに言ったことではなかったんですよね。この後、「死人にクチナシ男」(笑)の伊吹幹事長が講演会か何かで「民主党の公約なんてのは、埋蔵金伝説みたいなもんだ」とか言ってたんですよ。

で、これとは関係なく、この数日後に日テレ系番組に竹中平蔵さんが出演した時に、「霞ヶ関にも埋蔵金はある」とか表現したと思うんですね。このことから、当初の民主党批判の為に持ち出された「埋蔵金」という言葉が、霞ヶ関が隠し持っている「埋蔵金」に変化していったということです。まあ埋蔵金というくらいですから、フローの話ではなくてストックの話でしょう。

<ちょっと寄り道:
昔あった、コーラの空き瓶なんかに小銭を溜め込む、みたいなものと同じかと。「ブタの貯金箱」をトンカチでガシャン、というのでもいいんですけど。子どもの頃、取り出し口のないブタの貯金箱というの実際に見かけたことはなかったんですけれども、どういうわけだか漫画やアニメなどでは、典型的描写であったんですよね。このブタの貯金箱を割るというのが。なけなしのお金、というのがよく判るのですが、ブタの貯金箱という理由は謎でした。でも、その後にブタの貯金箱が本当の商品として登場したのを見るようになりましたね。>

こうして竹中さんが「霞ヶ関埋蔵金」伝説を、実際にあるんですよ、と強調するに至ったので、問題は広がったんです。タネ本は当然高橋洋一氏の例の著書です。竹中さんが総務大臣時代には、財務省に「積んでる金を出せ」と言ったら、本当に10兆円だったか12兆円だったかを国債償還費用に出してきたんですね(笑)。それ以前から埋蔵金がある、というのはみんな知ってたわけですよ。

参考記事:エコノミー・オブ・スコープ

政府資産圧縮の問題で、個別に調べていたからね。土地建物の不動産関係も、会計別の金融資産も、結構資料を出させられたはずですからね。本間先生なんかも色々とやっていたんじゃなかったでしょうか。もう随分前からの話ですわね。


でも今は、財政再建派と上げ潮派との仁義なき抗争みたいな方向になってみたり、町村さんみたいにフローじゃないんだから、とかの見当違いの方向に行ってみたり(貯金箱の中身の話なんだから当たり前すぎだわな)、与謝野さんの金持ちボンボンの家財道具売り払い生活にまで話が拡大して、民主党の影も形もないんですよね。これも一つのネタ投下、といいますか、燃料投下で釣りを狙っているのかもしれませんがね(笑)。

今の独法改革が頓挫しているのだから、いつまで経ってもフローでは「離れですき焼き」喰ってるヤツラが蔓延ることに変わりはない、ということだわな。これも満足に成果を挙げられないのに、財政再建なんて夢のまた夢、ってこと。クチナシ男が言うように「一回きり」ということであって、まさしく天下り軍団にすき焼きを食わせ続ける為だけに家財道具を売ることになってしまっているのです。それを止めさせない限りは、いずれ売るものもなくなるし、掘り返した埋蔵金も有限ですので底を尽くでしょうね。

埋蔵金を活用するのは当然であるとしても、フローで無駄に食い尽くしているイナゴみたいな連中を排除しない限り、状況が改善することはないでしょう。ところでイナゴと書いたのは結構昔だったね。「ネットイナゴ」よりも早かったよ(笑)。

参考記事:
開発王国の不正疑惑

公益法人の構図2




日本の報道機関は科学的応用力や読み取り能力が低いのか

2007年12月09日 01時51分40秒 | 社会全般
だから何遍も言ってるように、勝手に事実を作り上げるのですよ。報道機関の方々が。日本を代表する報道機関であり、入社試験や年収などの面では他業種から見ても「ずぬけて」(笑)いるはずの朝日新聞だろうと思うのですが、その記者をしてこのレベルなのですから、子どもたちに「ゆとり教育のせい」で成績や能力低下を来たしたんだ、みたいな非難はできんでしょう。はっきり言えば、科学リテラシーの欠如、読み取り能力の欠如としか思えないのですよ。そんな連中が判ったようなことを言い、好き勝手に書く。それは誰からも咎められない。罰も受けない。だから何度でも繰り返される。


asahicom:インフル治療薬 リレンザで少年が異常行動 - 暮らし

(一部引用)

 インフルエンザ治療薬リレンザ(一般名ザナミビル)を服用した横浜市の少年(12)が無意識のまま歩いて外に出たり、意味不明な話をしたりする異常行動を起こしていたことが7日、わかった。診察した病院は「因果関係が否定できない」とし、国に副作用として報告することを決めた。

 病院側によると、少年は6日に医院を受診、インフルエンザと診断された。同日午後5時ごろ、処方されたリレンザなどを服用。直後から意味不明の言葉を発し、約4時間後には家族が目を離したすきに自宅外に出た。無意識のまま寝床を出て歩いたとみられる。少年は病院に運ばれ入院したが、夜中にベッド上で立ち上がり、壁をなでるなど異常行動が続いた。

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この見出しを付けた人は誰ですか?記者氏ですか?発表して下さいよ。
こういうのを「煽り」と言わずして何と言う?もし誤報であった場合には、何らかの罰を与えたり、裁判で責任を取らされたりするといいよ。威力業務妨害みたいなもんですよね、製薬会社から見れば。明らかな営業妨害だってこと。「リレンザ『で』少年が異常行動」と書いている以上、リレンザが原因だ、という特定ができたことを意味するでしょうよ。本当に記者氏にそんなことが判るんですか?これこそ「何様のつもり?」って話なんですよ。もっと正確な書き方ができるはずでしょう。

普通に考えれば、「リレンザ服用後に異常行動」とかでもいいじゃないですか。それを何ですか。この見出しを見た人たちは、どう思いますかね?全員が記事内容を全て正確に読むと思いますか?明らかに誤認を与えるものだ。こういうのを引っ掛けというのですよ。病院の話を聞いてみても、誰も「リレンザが原因だ」なんて言ってませんよ。あくまで「(可能性が)否定できない」と言ってるだけです。


例えば、見出しに「朝日新聞、買収される」とか書いてみますか?(笑)
記事をよく読むと、近所のじいちゃんが「朝日新聞を1部購入しただけであった」とか、「買収したいな、それがオレの夢だ」と語ったとか、そういう記事でいいとでもいうのでしょうか?そんなのが通用するのであれば、何とでも書けますよ。好き放題で書けますよ。


「リレンザで異常行動」と書くからには、相当の信頼性をもって原因と特定できていなければならないでしょう。そんな報告はあったのですか?あるなら朝日新聞が証明をできるはずですよ。それとも、何かの薬害利権みたいなものでもあるんですか?
タミフルやリレンザを投与できなくなった時、インフルエンザで死亡とか重篤な脳症になったら、マスコミが責任を取るのか?高齢者ではなくとも数百人規模でそうした被害が出る可能性があるのだからね。何一つ責任も取らないクセに、煽るだけなのだよ、マスコミは。


タミフルとの因果関係を調べてみると、どうやら否定的であるらしい、ということが厚生労働省から出されていたと思うが、それに関する報道では確かタミフル以外の服用例においても異常行動はあった、ということであったと思う(ソース探したが見つけられなかったのでうろ覚え)。もしもインフルエンザという疾患そのものが原因であるとすれば、何を服用したかには関係なく、異常行動例が出現することは有り得るだろう。そうであれば、「リレンザで」なんて言えないはずなのですよ。「タミフルが原因だった」なんてことも言えなくなくなるのですよ。朝日新聞ではそういうことが結論として出ているのですかね。本当に判るの?
毎日新聞の理系白書っぽく表現すると「文系専門バカ」の記者の方々に、薬理学的な結論が出せるもんなんですか?

判らないなら、判らないなりに書けばいいのですよ。なのに、いかにも判ったように書く。何でも勝手に断定するな、と何度も言ってるのに、未だに「文系専門バカ」には理解できないらしい。これが有名大学を優秀な成績で出て、何十倍だか何百倍だかの競争に勝って朝日新聞社に入社した記者の科学的応用力のレベルなんですよ(笑)。これで日本の教育水準が低下しているだとか、よく言えますね。それはあなた方が実証している、ということなのではないでしょうか。

教育の低下はもっとはるか昔から始まっており、上の年齢層でもその影響で科学リテラシーは貧弱なのであり、高等教育を受けた高学歴の人たちでさえも大学教育の水準が低いせいだ、ということなのでしょう。