いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

いい加減にしてくれ

2007年12月17日 20時58分14秒 | 社会全般
随分としつこいな。
日経の社説も産経と似たり寄ったりのレベル。

NIKKEI NET(日経ネット):社説・春秋-日本経済新聞の社説、1面コラムの春秋

(一部引用)

 同訴訟は全国5つの裁判所に提訴された。9月までに出そろった地裁判決は「国に感染被害を止められなかった責任があるかどうか」について、感染源である薬剤の種類や薬剤を投与された時期で区切って判断した。その結論は、「どの時期も責任なし」からほぼ原告の訴えどおりに広い範囲で認定したものまで、5つの判決がそれぞれに異なる。

 大阪高裁が提示した和解案は、国の責任を限定的にとらえる内容で、原告側は薬害被害者の一部が救済されないとして拒否する意向を表明した。同高裁は和解案と同時に出した所見・説明書で「(原告側が要求する)全員、一律、一括の和解金支払いによる解決が望ましいが、被告の国・製薬会社の格段の譲歩がない限り、地裁判決の内容から外れられない」旨、述べている。

 ここで留意すべきは、裁判で争われる「国の責任」の有無とは賠償責任が生じる「違法な行政」があったか否かだ、という点である。肝炎訴訟のような、行政の不作為を問責するケースでは「行政権限を行使しなかったことが著しく不合理」と判断された場合だけが「違法な行政」になり「国の責任」が認定される。

 国民が薬事行政に求める「安全確保の責任」が、そんなものでないのは論をまたない。当の厚労省も「“著しく不合理”にならなければいくらサボっても構わない」などとは考えていないだろう。血液製剤を原因とするC型肝炎感染が発生し広がった原因に、「著しく不合理」とまではいえなくても薬事行政の手抜かりや怠慢があったのは明らかだ。

=====


責任があったか、なかったか、というような2択(マスメディアの好きな論調だ)でいえば、簡単に「行政に責任はあった」という方向になっていくだろう。社説で「そんなものでないのは論をまたない」とまで言われているからね。要するに、完璧を求められているということだ。「薬事行政の手抜かりや怠慢があったのは明らか」と断言されてますし。

私の個人的感想を言えば、薬事行政は十分であったとは言えない、とは思いますよ。しかし、完璧ではなかったにせよ、一応の対策はとっていた。回収指示もしていた。その回収で漏れがあったのは業者や医療機関側に主たる責任があるのであって、特に医療機関が返却してなかったことや使用を継続したことには、個別に責任があるものと思われる。全てが厚生省のせいではない。責任の大きさというものには違いがあるのであり、過失の賠償はそれに応じたものであるのは普通だろうと思うのだが。

私だって、肝炎訴訟について裁判で決着を付けるのが望ましいなどと考えてはいません。原告側が個々に因果関係を特定したり、感染原因を立証することが甚だ困難であり、行政の責任を問うことも主張としては判らないではないが、現実に裁判で争うとなれば原告側主張が全て通る可能性というのは厳しいと言わざるを得ない。それ故、裁判で時間を浪費するよりも早急に決着を付けることに重点を置き、医療費等の負担を受けずに済むようになる方が肝炎患者の方々にはメリットが大きいと判断しているからだ。争うことが「大変難しい」事例であると思うからこそ、時間を使うのは無駄だと思うからですよ。


過去に問題となってきた薬事行政の怠慢について考えるのと、C型肝炎については同じように考えることは大変難しいと思いますよ。
例えば、HIV訴訟は80年代末から始まっていて、その当時から血液製剤の「ウイルス感染」の問題は判っていたでしょう?何故、マスコミはその時に「血液製剤を使用禁止にせよ」とかのキャンペーンをやらなかったんですか?87年の青森の感染例が報道された後で、フィブリノゲン製剤は使用禁止にすべし、とか主張できたでしょうが。その時にどうして「薬事行政の怠慢だ」と追及キャンペーンをやらなかったんですか?いくらでもできたんじゃありませんか?(笑)マスコミ全部が「不合理にならなければいくらサボっても構わない」などと思って、行政の追及をやらなかったわけでもあるまい?国民が社会の木鐸(笑)に求める責任が、そんなものでないのは論をまたないのではありませんか?

要するに、後になってから「何故あの時やらなかったんだ」と追及するのは、バカでもできるってことなんですよ。マスメディアの卑怯な所は、「自分たちも何もしてこなかった」ということを棚に上げて、後になってからいくらでも責任追及キャンペーンをやることなんですよ。自分たちに責任を感じる、などということもなければ、反省の言葉を述べるでもないでしょう?「87年に判明した時点で、もっと調査報道を頑張っておけばよかった、もっと我々にもできたことがあったんじゃないか、感染被害の拡大をもっと小さくできていたのではなかったか」というような、自省を書いた新聞はどこかにありましたか?「HIV訴訟の時から、肝炎ウイルスの感染リスクについても注意を払っておけばよかった」と、自らの失敗として感じる人たちなんて、マスメディアの中の誰一人として存在してないんですよ。そういう連中が寄って集って、自分たちにはよく判ってないことを、さも判ったような顔で偉そうに「政治決断せよ」みたいなことを言うのです。

まあ、よく考えていたなら、そんなことは安易に言わないでしょうがね。
もし責任を問うのであれば、まずそれ以前の話としてどうして肝炎になるのか、感染リスクはどういったものがあるか、血液製剤以外での感染はどうなのか、などといったことについて等しく情報提供を行って、そこで初めて「血液製剤での感染」という問題を言うべきだろう。今のようなマスメディアの騒ぎ方では、「何かの薬のせいで、ウイルスをうつされたんだ」という誤解が撒布されているだけだ。「HIVと同じような薬害」というような、誤った認識を抱いている人々が多くなるだけ、ということ。社説を書いている人たちも、殆どがそうした認識を持っていると思われ、その考え方が間違っていると指摘されていてでさえ、なおかつ判ってないわけだから、世の中の一般の人々に間違えないように理解してもらうのはかなり困難なのですよ。それは、マスメディアの垂れ流す断片情報からだけでは、正しく理解することは難しい、ということだ。社説子が判ってないことが、何よりの証拠ということ。


HIVの場合には、血液製剤以外の感染要因なんて「極めて稀」というレベルなんですよ。HIV陽性の方々を多数集めてみたら、ほぼ全員が「血液製剤による感染」なんですよ。だって、他にHIVウイルスを持っている日本人というのは、ほぼ皆無に等しいからです。ゼロではないかもしれないが、その人を発見するのは極めて困難な程度でしか存在していなかったからですよ。血友病の方々以外で、100万人の全員検査を実施したら、1人いるかいないかくらいであって、多分ゼロだろうという水準なのですよ。なので、血液製剤投与以外の感染経路は、水平感染の可能性は極めて低い、ということです。お互いにウイルスを持ってない人たちばかりですので、水平感染が滅多に起こらない、ということだったのです。なので、HIV感染は血液製剤以外の要因というものを疑う余地はほぼゼロに等しい、だから全員一律に救済するのは問題なかったのです。

サリドマイドやスモンによる被害というものもこれとほぼ同様で、他に疑われるべき要因というのは皆無に等しい、という水準だからこそ、因果関係を推定することもその責任や補償について単一に考えることができたのですよ。サリドマイドによる奇形以外に先天奇形が有り得なくはないかもしれないが、それは起こりうる可能性がサリドマイドの危険性に比べれば極めて低く、原因として「サリドマイドではなく、先天奇形だ」などと主張するのはほぼ無理だからです。


何も置いてない部屋に机があり、机の上にアイスクリームがあるとしよう。部屋には、Aさんしかいない。1時の時点でアイスクリームが机の上にあって、2時に見たらアイスクリームは消えていたとしよう。すると、アイスクリームは何処へ行ったのか、ということになるが、ここから推定されるのは、「Aさんが食べたんだろう」ということだ。他に隠す場所もなければ、捨てる場所もないのだから、消えるわけがないもんね。こういう時、Aさんが「アイスクリームはドラえもんが4次元空間に飛ばしたんだ」とか、「溶けて空気中に蒸発したんだ」とか主張しても、その可能性は極めて低いということは誰でも判るだろう。疑うべき要因が単一なので、結論を得やすいのである。

しかし、この部屋に10人の人間がおり、部屋には暖炉や流し台やダストシューターなどがあれば、どのような結論が出せるだろうか?
1時に机の上に置いてあったアイスクリームが2時には無くなっていたら、この理由を探し出すのは容易ではない。色々な証拠や証言などを精密に組み立てていかない限り、結論が出せないのだ。Aさんが食べた可能性と、Bさんが暖炉に投げ入れた可能性とが残されたとしても、最終的に真実を明らかにするところまでは行けないかもしれない。そういう事柄は世の中にたくさんあるんだ、ということを認識し受け入れてもらう以外にない。この時、Aさんが食べたに違いないのだからAが弁償せよ、と勝手に決め付けることはできますか?と言ってるんですよ。マスメディアがやっているのは、全然間違った犯人探しを行っており、その間違った犯人に弁償させようとしているだけなのだ。
いくらでも好き勝手に言えますよ、そりゃ。
「Cさんがシューターに落としたんだろ」とか適当に決めて、「Cは責任を認めろ、遅くて歯切れが悪い、何をぐずぐずしているのだろうか」とか文句を言ってやれば済むんですからね。無責任なヤツラほど、何だって言えるんですよ。


こういう話であれば、真実はもっと調べなければ判らないはずだ、と誰しも考えるのに、何故肝炎だと直ぐに結論が出せるのだろうか?科学的応用力がないのは、子どもたちではなくて、大袈裟に嘆いている、高学歴の社説を書いているような連中だ、って思うわけですよ。


C型肝炎の場合には、血液製剤が原因だ、と特定するのは、極めて困難です。若年世代で水平感染機会の滅多になかった人であれば「血液製剤が最も疑わしい」と言えるでしょうが、輸血していたりするような場合であれば、輸血が最大の要因として考えられるのであるから、それを退けられる証拠を出せない限り無理ですね。同世代内のキャリア率の高い世代(今の高齢世代だ)であれば、水平感染の機会自体が多かったわけで、それを全て否定するのは困難でしょう、と言っているのです。
フィブリノゲンが用いられなくなった今現在においても、「新たなC型肝炎患者は確認されている」のですからね。この感染者たちは、血液製剤投与以外の何らかの理由がなければ感染したりはしないのです。少ない割合かもしれないが、感染しているんですよ。これらを考慮することなしに、何故血液製剤が原因だ、ということろに短絡的に結びつくのか、ということです。


それと、国の責任を認めるとしても、責任割合みたいなものが出てくると考えるのは普通なのではありませんか?
自動車事故で過失を認める場合にも、全てが100%の責任割合となるわけではないのです。過失責任の範囲で賠償されるだけです。責任があることを認めていても、100%の賠償義務を負うとは言えません。「責任の重さ」ということを考えるのではないですか?行政に落ち度があってそれがたとえ改められていたとしても、全ての感染例を防げたわけではありません。HIV感染の場合とは違うんですよ。HIV感染はほぼ全部が血液製剤に起因するものでしたが、C型肝炎の感染は「血液製剤投与による感染」例というのが、全体のごく一部なのです。これを同列に責任を問うというのも、賠償を課すのも、おかしいと言っているのです。落ち度がなかったとしても、多くのC型肝炎の感染者を防ぐことはできず、水平感染も生じていた、と推定するのが合理的だろうということです。


どうして新聞記者はこういうことさえも考えることができないのか、不思議です。

責任はありやなしや。
あると認めるのだな?
あるなら、全部賠償せよ。
責任があるなら、全部お前が払え。


こんな主張は明らかにおかしい。