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日本語の未来

2008年11月11日 15時50分26秒 | 俺のそれ
ここ最近の話題。
読売朝刊に記事が出た日、梅田氏がブログで絶賛したこともあって、注目を集めたようだ。


このままいくと日本語の知的水準は低下してしまうのではないか、他言語に飲み込まれ日本語が消滅してしまうのではないか、そうした危惧があることは、日本にとってはよい兆候かもしれない。その危機感こそが、日本語の知的活動を促す動機となるかもしれないからだ。

参考:「言葉の力」


時代というのは、流れていく。
言語もそうだろうと思う。

大昔であれば、先端知識の多くがヘブライ語とかギリシャ語とかアラビア語だったんじゃないだろうか。よく知らんけど。
ギリシャ哲学は、ギリシャ語だったんじゃないかと思う。だから、昔の知識人はギリシャ語原典を読める人でなければならなかったろう。けれども、ヨーロッパ世界ではギリシャ語はマイナーな存在となっていったろう。代わりにイタリア語とかラテン語なんかが台頭してきたからだろう。


イギリスがノルマンディー候に征服された時、英語は辺境の未開人が用いている言葉でしかなかった。極端に言えば、奴隷や野卑な者どもが用いる言葉であり、フランス語がヨーロッパ貴族階級の言葉であった。イギリス貴族はフランス語で会話できねばならなかった。上流階級の人間たちは、イングランド人であろうともフランス語が使えなければならなかった。このような認識は長く続いたであろう。100年戦争でイングランド軍がフランスの一部を占領していた時代にあってでさえ、そうだった。ジャンヌ・ダルクはイングランド軍を蹴散らしてオルレアンを解放したが、後に宗教裁判で異端とされイングランド軍に処刑された。この時代には、フランス語が知的階級の言葉であり裁判での言葉だった。イングランド軍にジャンヌ・ダルクを引き渡したブルゴーニュ公フィリップは、フランス貴族だったのだけれどもね。

漫画の話で恐縮だが、「小公女セーラ」でもロンドンの私立寄宿学校のフランス語授業のシーンが数多くあった。市長夫人やその取り巻き一派は、全員が「おフランス」語が必須であったし、授業参観(学校への寄付を募りたいが為の学院長の企て)でもセーラさんのフランス語発音が大層褒められていたのだった(時代設定はフランス革命から暫く後で、蒸気機関車が走っていたので、恐らく1800年代の終わりくらいだろうと思う)。つまり、当時のロンドンでさえ、やはりフランス語が上流階級には不可欠の言語であった、ということだ。

フランス語がこれほど広まる以前には、イタリア語だって最先端をいっていた時があったろう。なんたって、文化も金も知識人もローマ界隈とか、イタリアの都市国家なんかに多かったから、イタリア語こそが「花形」だったとしても不思議じゃない。世界初の大学だって、イタリアで誕生した。知の共有財産の多くは、イタリア上流世界にあったのだろうな、と。ルネサンス期にも、イタリア人が大活躍したしね。そんなイタリア語であっても、今では共通語でも何でもない。
その頃の英語と言えば、やはり、ド田舎の方言でしかなかった。金を稼ぎたいが為に、貧乏人のイングランド人はフランスとの戦争で経験値と金を稼ぎ、もっと金になるイタリアに一攫千金を夢みてやって来ていた。恐らく誰も英語なんか使ってなかったろう(笑)。戦闘では、きっと鳴り物(ドラみたいなもの?それとも太鼓や角笛みたいなもの?)で合図を決めていただろうから、外人部隊(例えばイングランド人、スイス人、ドイツ人など)の傭兵軍団が共通の言葉なんかを知らないとしても、何とか戦えたんだろうなと思う。

植民地支配領域の多かったスペインは、世界中にスペイン語を拡散した。だから未だにスペイン語を公用語としている国は多数ある。そうやって一時期世界の言語圏に影響を与えることは幾度か発生し、どの言語が重要になってくるかは時代によって移り変わる。政治的な情勢によっても、変わってしまうのだ。例の「最後の授業」っぽいことだって、起こりえるのだ。


確かフリードリヒ2世だったと思うが、「スペイン語は神に話しかける語、フランス語は貴族の語、ドイツ語は馬丁の語だ」と言った。ヨーロッパ世界での言語というのは、そうした価値観みたいなものが長らく残っていたのではないかと思う。

フランス語は今でも国連の公用語になっていたと思うが、欧州的価値観が長らく続いていた時代には、最終的に君臨することになったのはフランス語だったと思う。


しかし、大英帝国が世界最強の覇権国家となり、その後には欧州という旧大陸ではなく米国が最も大きな影響力を持ったので、過去100年とかの「短い」(笑)スパンで見れば、英語が頂点を極めたかのように見えるのである。英米とたまたま英語圏の国が連続だったのだから。これは、基軸通貨と同じような意味合いだろうと思う。ドルが基軸となったのは確かだが、だからといって、他の通貨が無価値になるとか、全ての通貨が消えるということにはならないだろう。世界の重心は常に動いてきた。だから、英語は今後にも「便利語」としての意味はあるだろうと思うけれども、知の財産を英語以外には殆ど集積できない、とする考え方には必ずしも賛同できないかな。

ロシア語であろうと、アラビア語、中国語や日本語であろうと、知的活動は行われていく。古典が消えることがないのであれば、ドンキホーテが読み継がれてきたように、長期間残る可能性はあると思う。ロシア文学が消えてなくなるわけでもないだろう。結局のところ、世界は通貨圏が広がったのと同じように、基軸通貨と同じく共通理解を得る為の言語が必要とされるであろう。


現在だって、「レッセ・フェール」とか「ノブレス・オブリージュ」とか「レゾンデートル」とか言うじゃないですか。「マニフェスト」も使っていますね。「アウフヘーベン」だの「ゲゼルシャフト」だのとか使うこともありますよね。日本語に翻訳された言葉で伝わるものもあれば、原典通りのものが用いられることもある。
日本語だって、日本語でしか「音」「リズム」みたいなものが伝わらないものもある。詩や歌や俳句ばかりではなく、落語、講談や浪曲みたいなものだってそうだ。それらは、勉強とか強制とかではなく、文化を遺そうとする意志によるのではないかと思う。どんな形でもよいのだが、「日本語で書かれた原典」を読ませるような気を興させることこそが必要なのだと思う。それは日本人がフランス語やドイツ語や英語で書かれた原典を、日本語ではなく元の言語で読みたいと思わせたのと同じだ。それには、他の言語圏の人々を惹き付けるような「何か」がなければならない。何もなければ、日本を知る為に日本語を理解しようとする人たちは生まれてこなくなっていくかもしれない。




腐った鯛に群がる欧米礼賛主義

2008年11月11日 01時39分54秒 | 経済関連
色んな意見があることはよいことだ。たとえ間違っているとしても(笑)。
私自身、かつては欧米金融業界と比して、日本が劣っているのは何故なのだろうか、と考えたこともある。日本の金融市場が投資銀行業務を海外勢に奪われていることを嘆いたこともある(企業のダイバーシティ)。だが、いつまでも欧米礼賛、「だから日本はダメなんだ教」信者でいようとは思わない。

はっきり言おう。日本人の中に誤った「欧米かぶれ」がいるが故に、日本人全体に悪影響がもたらされるのだ。正しい知識や情報を伝えるのではなく、単なる崇拝者でしかないのだ。
外国には、偉大な知の集積がある。世界中に、だ。別に、アメリカやイギリスだけにあるわけじゃない。素晴らしい文化は、世界中にあるのだ。そのことに気付けないか、認めようとしない人はいるだろう。ある種の差別主義的傾向を持つ人なのかもしれない。

著名人だから、正しいことを言うかといえば、全然そんなことはないという見本(笑)がこれだ。

米銀は「腐っても鯛」/藤巻健史フジマキ・ジャパン社長Voice - Yahooニュース

(一部引用)

10月15日にJPモルガン・チェースの7-9月決算が発表され、その記事が10月16日の『日経新聞』9面に「JPモルガン84%減益」というタイトルで出ている。これを見ると、たしかに米国金融界が壊滅的な打撃を受けているように感じてしまう。しかしJPモルガンは3カ月間(米国は四半期決算)の純利益の額が5億2700万ドル、すなわち約530億円だ。1年間だと単純計算で4倍して2120億円である。

 一方、同じ日の『日経新聞』7面には「中央三井トラスト純利益66%減」という記事も載っている。中央三井トラストの場合は半年(日本は半年決算)で160億円の純利益だから、1年間だと単純計算で320億円である。2120億円と320億円を比べてみれば、米銀はまさに「腐っても鯛」であるように思える。
 
 さらに、84%減と66%減という数字を使って昨年の数字を逆算すれば1兆3250億円と940億円という差があったわけである。

=====


はい、はい、米銀は鯛で、日本の銀行は海老ということですか?(笑、エビちゃんには無関係)
ま、それでも構いませんが、そんなに米銀がいいのであれば、今頃は世界中の銀行が全部米銀が取って変わっていても不思議でも何でもないわけですが?そんな現象は観察されていないのが、現実の経済でして。


藤巻氏は、具体例としてJPモルガン・チェースと中央三井トラストHDを比較しているわけですが、これって数字の読み方としてどうなの?とは思うわけですね。ド素人を騙すには都合がよいのかもしれませんが。

具体的に書いてみますか。
ここに資金規模M、利益が1の銀行Aがあるとする。これの比較として、利益が10倍の10である銀行Bがある。藤巻氏の言い分としては、「銀行Bは利益が多い、腐っても鯛の銀行だ」みたいに言ってるわけですね。
もしも銀行Bの資金規模が銀行Aの10倍である10Mであれば、銀行AとBではどちらが優れていると思いますか?
実際には変わらないでしょう?資金効率というか、どれだけ新たな利益を生むかというと利回り的には同じわけですから。つまり、銀行Bが存在せずに銀行Aと同じ銀行が10行あれば、何ら変わらないんですよ。ある国には銀行Bが1個だけあって業務を行っているのと、同じ国に銀行Aが10行あるのでは、同じなんですよ。

ところが、藤巻氏の言ってることは、単に「銀行Bは素晴らしいが、銀行Aは利益が少ないのでダメだ」ということなんですよ。これって、おかしいでしょ?どうしてそう考えないのかが、甚だ疑問。しかも専門家というか、プロの人なんですよね?藤巻氏って。こんな簡単なことを知らないわけがない。気付かないということも有り得ないでしょう。なのに、どうして「銀行Bの方が凄い、やぱり腐っても鯛だ」のように言うのでしょうか?それは、根底にあるのは「米銀は凄いんだぞ」と言いたいが為ではなかろうかと。これは勝手な推測なので判りませんが、そうでないなら資金規模を比較することが考えつかなかった、ということくらいしかないでしょうね。

因みに、JPモルガン・チェースは破綻した銀行(ワシントン・ミューチュアルだったか?)を買い取ったので、総資産は大幅に増えたでしょう。預金量だけでも1兆ドル近くまで増えたはずです。買収前であっても、8000億ドル以上はあったでしょうし、総資産は1.4兆ドルとかいわれていましたね。一方の中央三井はというと、都市銀行でもないただの信託銀行ですから(笑、見下しているわけではありません)。信託銀行って、日本の金融の中ではどちらかといえば、一般的ではなくちょっと特殊な銀行という感じですよね。で、総資産額は08年3月の決算では14兆超程度しかなく、言ってみれば10分の1くらいしか規模がないわけですよ。ならば、利益が少ないとしても、別に不思議でも何でもないのです。例で見た、銀行AとBの違いみたいなもんです。中央三井は直近の決算期では利益が大幅減となっていますが、07年3月期には1100億円程度はあったので、1兆3250億円と1100億円×10倍として1兆1千億円の比較ならば、そんなに大きな違いというわけでもないでしょう。

もっと預金量の大きいメガバンクと比較すればいいのに、そうしないのは「悪意」を感じますね。
日本のメガバンクと比較しても、多分収益は多いとは思いますけれども、だからといって何倍も優秀かというと、そうでもないかもしれませんね。かつての郵政公社は利益水準だけでいえば2兆円以上を出していましたから、ならば一番優れていたのは郵政公社ってことですかね?郵政以下なのが米銀なんですか?それで、郵政民営化を米国が求めていたんですか?競争にならないから。全く勝てないから。

そうじゃないんでしょ?だったら、もっと適正に比較するべきなんではありませんかね。日本のマーケットに関する識者の意見の多くは、こうした「いい加減なもの」みたいなものが、あたかも「専門家の正しい見解」として流通してしまうため、大勢の人たちに誤解を与えることになっているのではないかと思わないでもありません。

また、藤巻氏はこんなことも言っています。
『日本がかつてバブル崩壊に直面して不良債権処理の泥沼に落ちたとき、当時の会計制度は簿価会計であった。簿価会計だと100万円で買ったものが、マーケットで30万円になっても、売らないかぎり、帳簿上の値段は100万円になる。損を出したくない経営者が損切りをしなかったため、溜まった膿が表面化せず、十数年ものあいだ景気が低迷した。』

なんといいますか、欧米の時価会計回避は正しくて、日本のは邪悪なんですかね?(笑)
藤巻氏によれば「合理的な将来価値」というものが算定できるのだそうです。だったら、正確な「合理的な将来価値」をたった今算出してみたらよろしいんじゃありませんか?
もう大笑いだわ。できるもんなら、やってみ。合理的将来価値を出して欲しいですね。世界中から喜ばれることでしょう。
これがプロのお言葉らしいですから。

日本の場合にだって、損を出したくないから簿価のままにした、なんてことが圧倒的大多数であったとも思わないんですけれどもね。むしろ、有利子負債を削減するという目的で、不動産だろうが株だろうが、そうした資産は現金化されていったものと私は考えていましたけれども。政府資産だって、大蔵省所有の土地なんかは、全国的に売り出されていましたけれども。企業だって、持合株を売り出して、持合解消売りがずっと続いていたのではありませんか?適正価格かどうかなんて、考慮されてなどいなかったんですよ。現金化することだけが優先されたのですから。
これは過去にも書いてきましたがね。


藤巻氏は次のようにも言っている。

『時価会計では企業経営が丸裸になり、金融機関はリスク管理が容易になる。逆にいえば、時価会計制度の下、リスク管理が確立していたからこそ、アメリカの金融機関は1990年代に躍進できたのだと私は自分の経験から分析している。』

これまでに何を見てきたのだろうかと思わずにはいられません。エンロン事件を知らないのでしょうか?
丸裸って、そりゃ本当ですか?会計のゴマカシでしょ。だからこそ、大手会計事務所は消滅しちゃったではありませんか。もっと疑問なのは「リスク管理が確率していた」という記述です。ハア?リスク管理が確立ですって?
大爆笑だわ。本当にリスク管理が確立していたのであれば、今のような金融危機なんて起こりっこないんですって。どうして大混乱がもたらされたかといえば、「リスク管理が不十分だったから」なのではありませんか?この期に及んで一体何を言っているのですかね。

90年代に躍進できた最大の理由は、博打の胴元が儲けられるような環境整備を世界中に求めていったからだ。特に、ファンドの躍進があった。クァンタムファンドだのタイガーファンドだの(うろ覚えだ)、投機マネーの絶対量が増大した結果、弱小マーケットを粉砕するくらいの破壊力を持つに至ったからだ。つまりは、資金量=力、ということが、経験則として判ってしまったからだ。これは、相場の戦いとほぼ同じ。昔から、買い方と売り方が勝負することになった時、戦闘を継続できるだけの資金量が多い方が勝つわけなんですよ。これは当たり前。過去に繰り広げられた仕手戦では、結局資金量が底をついた方が負けることになってるんですわ。胴元側が資金量をレバレッジで何十倍にもできるというルールによって、市場支配力が高まったに過ぎない。これは金融自由化の名の下、金融帝国が世界市場を席巻できるようにしただけの話。市場規模が100万円で、胴元が持ち金1万円でも市場の半分の取引ができるようになっていれば、そりゃ仕掛けられるだろうね。

昔、ポンド防衛戦があったけれども、あれだって、ファンド側が持ってる金が巨額であったが故に、資金量に劣る英国側が非常手段に出た(たった1日で金利を10%から12%、更に15%と一気に引き上げた)から防御できただけで、現在では考えられないような手法ですよ。買い資金が底をつけば、アジア通貨危機みたいなことは起こってしまうわけですから。


藤巻氏の反論みたいなものは延々と続いているが、疲れたのでこの辺にしておく。

いずれにせよ、米銀は素晴らしい、というご意見は判りましたが、相当眉唾だな、とは思いますね。これが本当にプロの見解なのかと、幻滅するだけですな。

米銀は鯛ではあったけれども、今後はそう簡単ではないでしょう。安く資金調達し高く貸し出す、という基本原則があるので、そうそう簡単に大儲けできるなんてことは、ほぼないわけですよ。もし大幅に高く貸せるなら、他の銀行がとってかわるだけでしょうね。他の業務とか手数料収入とか、仕事の種類は色々とあるでしょうけど、銀行が簡単に大儲けできているとすれば、それは殆どが詐欺的商法に近いものになっていくだろう、とは思いますな。