書こうと思っていたのですが、日にちが経過してしまいました。
Bloombergcojp 特集記事コラム
(一部引用)
メード・イン・アメリカ
証券化市場の過去10年の成長は、世界の金融機関が米国の同業者の巨額利益を見て、この「メード・イン・アメリカ」の技術をこぞって輸入したおかげだ。ちょうど、世界の消費者がコカ・コーラやハリウッド映画などの米製品に飛び付いたのと同じように。
ノーベル経済学賞受賞者のジョゼフ・スティグリッツ・コロンビア大学教授は21日の米議会証言で、「証券化という事業は1分に1人ずつ愚か者が生まれるという前提に基づいている」とした上で、「経済のグローバル化によって、この『愚か者』を全世界で探すことできるようになった。そして、愚か者は世界中で見つかった」と語った。
欧州の銀行は特に、米国製技術の取り入れに熱心だった。業界団体の欧州証券化フォーラムによれば、欧州での証券化商品の発行は2000-07年の間にほぼ6倍になり4530億ユーロ(約51兆7500億円)に達した。
アイスランドの銀行3行は多くの証券化商品を含む2280億ドル相当の資産を借入金で購入し、アイスランド経済そのものをヘッジファンド化させた。3行は今回の危機の下でいずれも国有化され、ハーデ首相は国民に、金融よりも漁業に精を出すようにと呼び掛けた。
(中略)
借金文化も輸出
証券化の隆盛によって借り入れが増えた。米国の消費者信用残高は1988 年からの20年で3倍に増え2兆6000億ドルに達した(米連邦準備制度理事会=FRBのデータ)。外国の銀行も証券化の技術を取り入れそれぞれの国で融資を増やした。ソロモンのバンカーだったウィリアム・ヘーリー氏は「米国が輸出したものの1つは、借金文化だ」と話した。
クレジットカードの利用が膨らむなかで、シティバンク(後のシティグループ)のニコラス・ソシディス、スティーブン・パートリッジヒックス両氏(ロンドン)が、資本要らずでさらに融資を増やす方法を思い付いた。こうして1988 年に、初の簿外ストラクチャード・インベストメント・ビークル(SIV)、「アルファ・ファイナンス」が誕生。融資という原材料を証券に「精製」し、SIVに売って利益を上げるという事業モデルが完成した。
資産担保証券(ABS)の草分けであるソロモンを持つトラベラーズ・グループとシティコープの合併によって誕生したシティグループは、デフォルト(債務不履行)の際の弁済順位は最後なものの利回りは最高の「キャピタルノート」という商品も発明した。
=====
元記事をよくお読みいただきたいと思います。とても判りやすく書かれています。日本でも「証券化」を推進しよう、ということが行政内での有識者たちから、さかんに出されていたな。どんな利害関係があったかは知らない。が、実際に住宅金融公庫は証券化業務を行うようになったわけだ。ハヤリには敏感な学者連中がお揃いだったのだろうか。言うなれば、「経済学バブル」みたいな時期だったのかもしれない。
新銀行東京にしても、タコみたいな失敗をする為に税金を大量に呑み込んだ。石原みたいなヤツの言うことを真に受けて、その挙句に「追加投入」までやるという愚かの極みだ。
シティグループだけに限らないだろうが、日本の消費者信用をターゲットにしていたヤツラがいたわけだ。SIVの話をちょっと書いたことがあったが、こういう連中に日本の市場を明け渡していたなら、どんな惨状が待ち受けていたであろうか?
スティグリッツが言うように、世界中で愚か者を見つけるのは容易なのだよ。そして、1分に1人の愚か者が生み出されるようなものなのだ。
何を信じ、何を受け入れるのか、それは、自分の頭でよく考えてみることだ。
経済学だの、理論的にどうだのといった理屈付けを行うことが可能であるとしても、それがより正しい意見であるとは限らないのだ、ということ。見せかけに騙されてはいけない、ということだな。
偶然にも消費者金融の問題に端を発して、別な何かを知ることができたように思う。ヤツラがあそこまで政治的に頑張らなければ、そうした「おかしな何か」には気づけなかったかもしれない。改めて礼を言うよ。
関係ないが、消費者金融の金利問題について、未だに疑問に思うことがあるから書いておくね。阪大グループとかのような経済学者たちなら、きっと判るに違いない。
上限金利が100%の時と、50%の時、そして30%の時に、業者が得られる利益が最大となる金利は、それぞれに異なるのであろうか?
上限金利が無い場合には、最大利益が得られる金利水準は多分一つ決まるだろう。何故なら「単峰性」の関数なのだからね。
その上で、最大値が仮に25%であるとすれば、上限金利が存在していても、上限が100%や50%であるなら、平均貸出金利は25%になっているのではないか?だって、峰の頂点となる金利が上限以下の25%なのだから、それ以上の貸出金利を選択する業者というのは、存在し得ないはずなのだから。もし最大値を意図的に選ばないとすると、それはバカだからということなのだろうか。
が、現実の貸出金利は恐らく違うだろう。
上限が100%と30%とでは、平均貸出金利は異なっていたであろう。それは貸し手が愚かだからなのだろうか?ヤミ金が貸す金利は、べら棒に高いが、これも同じく最も儲けられるはずの最大値を意図的にはずして、もっと儲けの少ない高金利を適用しているのだろうか?(笑)上限が存在しない場合、ヤミ金業者は儲けが少ない金利を敢えて選択している、ということなのか?
経済学理論でこれらが上手く説明できるからこそ、上限金利は課すべきでない、という意見を公表・主張するのだろうから、答えは簡単に見つけられるはずだろう。
私が信じる言葉はいくつかあるけれども、経済学者の言葉がそれに該当することは余り多くはない、ということは言えるだろう。
嘘つきの横行する世界、それが、経済、だ。
Bloombergcojp 特集記事コラム
(一部引用)
メード・イン・アメリカ
証券化市場の過去10年の成長は、世界の金融機関が米国の同業者の巨額利益を見て、この「メード・イン・アメリカ」の技術をこぞって輸入したおかげだ。ちょうど、世界の消費者がコカ・コーラやハリウッド映画などの米製品に飛び付いたのと同じように。
ノーベル経済学賞受賞者のジョゼフ・スティグリッツ・コロンビア大学教授は21日の米議会証言で、「証券化という事業は1分に1人ずつ愚か者が生まれるという前提に基づいている」とした上で、「経済のグローバル化によって、この『愚か者』を全世界で探すことできるようになった。そして、愚か者は世界中で見つかった」と語った。
欧州の銀行は特に、米国製技術の取り入れに熱心だった。業界団体の欧州証券化フォーラムによれば、欧州での証券化商品の発行は2000-07年の間にほぼ6倍になり4530億ユーロ(約51兆7500億円)に達した。
アイスランドの銀行3行は多くの証券化商品を含む2280億ドル相当の資産を借入金で購入し、アイスランド経済そのものをヘッジファンド化させた。3行は今回の危機の下でいずれも国有化され、ハーデ首相は国民に、金融よりも漁業に精を出すようにと呼び掛けた。
(中略)
借金文化も輸出
証券化の隆盛によって借り入れが増えた。米国の消費者信用残高は1988 年からの20年で3倍に増え2兆6000億ドルに達した(米連邦準備制度理事会=FRBのデータ)。外国の銀行も証券化の技術を取り入れそれぞれの国で融資を増やした。ソロモンのバンカーだったウィリアム・ヘーリー氏は「米国が輸出したものの1つは、借金文化だ」と話した。
クレジットカードの利用が膨らむなかで、シティバンク(後のシティグループ)のニコラス・ソシディス、スティーブン・パートリッジヒックス両氏(ロンドン)が、資本要らずでさらに融資を増やす方法を思い付いた。こうして1988 年に、初の簿外ストラクチャード・インベストメント・ビークル(SIV)、「アルファ・ファイナンス」が誕生。融資という原材料を証券に「精製」し、SIVに売って利益を上げるという事業モデルが完成した。
資産担保証券(ABS)の草分けであるソロモンを持つトラベラーズ・グループとシティコープの合併によって誕生したシティグループは、デフォルト(債務不履行)の際の弁済順位は最後なものの利回りは最高の「キャピタルノート」という商品も発明した。
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元記事をよくお読みいただきたいと思います。とても判りやすく書かれています。日本でも「証券化」を推進しよう、ということが行政内での有識者たちから、さかんに出されていたな。どんな利害関係があったかは知らない。が、実際に住宅金融公庫は証券化業務を行うようになったわけだ。ハヤリには敏感な学者連中がお揃いだったのだろうか。言うなれば、「経済学バブル」みたいな時期だったのかもしれない。
新銀行東京にしても、タコみたいな失敗をする為に税金を大量に呑み込んだ。石原みたいなヤツの言うことを真に受けて、その挙句に「追加投入」までやるという愚かの極みだ。
シティグループだけに限らないだろうが、日本の消費者信用をターゲットにしていたヤツラがいたわけだ。SIVの話をちょっと書いたことがあったが、こういう連中に日本の市場を明け渡していたなら、どんな惨状が待ち受けていたであろうか?
スティグリッツが言うように、世界中で愚か者を見つけるのは容易なのだよ。そして、1分に1人の愚か者が生み出されるようなものなのだ。
何を信じ、何を受け入れるのか、それは、自分の頭でよく考えてみることだ。
経済学だの、理論的にどうだのといった理屈付けを行うことが可能であるとしても、それがより正しい意見であるとは限らないのだ、ということ。見せかけに騙されてはいけない、ということだな。
偶然にも消費者金融の問題に端を発して、別な何かを知ることができたように思う。ヤツラがあそこまで政治的に頑張らなければ、そうした「おかしな何か」には気づけなかったかもしれない。改めて礼を言うよ。
関係ないが、消費者金融の金利問題について、未だに疑問に思うことがあるから書いておくね。阪大グループとかのような経済学者たちなら、きっと判るに違いない。
上限金利が100%の時と、50%の時、そして30%の時に、業者が得られる利益が最大となる金利は、それぞれに異なるのであろうか?
上限金利が無い場合には、最大利益が得られる金利水準は多分一つ決まるだろう。何故なら「単峰性」の関数なのだからね。
その上で、最大値が仮に25%であるとすれば、上限金利が存在していても、上限が100%や50%であるなら、平均貸出金利は25%になっているのではないか?だって、峰の頂点となる金利が上限以下の25%なのだから、それ以上の貸出金利を選択する業者というのは、存在し得ないはずなのだから。もし最大値を意図的に選ばないとすると、それはバカだからということなのだろうか。
が、現実の貸出金利は恐らく違うだろう。
上限が100%と30%とでは、平均貸出金利は異なっていたであろう。それは貸し手が愚かだからなのだろうか?ヤミ金が貸す金利は、べら棒に高いが、これも同じく最も儲けられるはずの最大値を意図的にはずして、もっと儲けの少ない高金利を適用しているのだろうか?(笑)上限が存在しない場合、ヤミ金業者は儲けが少ない金利を敢えて選択している、ということなのか?
経済学理論でこれらが上手く説明できるからこそ、上限金利は課すべきでない、という意見を公表・主張するのだろうから、答えは簡単に見つけられるはずだろう。
私が信じる言葉はいくつかあるけれども、経済学者の言葉がそれに該当することは余り多くはない、ということは言えるだろう。
嘘つきの横行する世界、それが、経済、だ。