スティグリッツの話が出されていたので。
>踏み倒しの合理性 - hiroyukikojimaの日記
ええ、ええ、信用割当ですね。
で、「バンザイ」されると、貸し手が困るということですわな。これが、普通。つまりは、「貸し手責任となる」ということなんですね。しかし、そうではないのが、貸金市場だったわけで。
信用割当に関しては、貸金関連記事を書き始めた06年5月頃の時点で、47th氏が記事で取り上げていたのを拝見したと思います。ただ、暴走ネット厨の如き池田某のような「経済何とか」の類が、実証がないだのアネクトードだのと言っていたな(笑)。法的規制をすることについて家父長主義だと蔑んでいたが、彼の言う理屈の正当性がただの一度だって補強されたことなどない。もう済んだ話だから、どうというわけでもないんですがね。
さて、話が逸れたが、戻ろう。
信用割当の話は、この辺に書きました。
06年11月>「大竹先生の異論」に異論あり
07年10月>貸金業の上限金利問題~その19
では、経済学者たちがこの問題にどのような答えを出してきたか?
それは現実をどの程度反映しているものか?
阪大グループのペーパーは良い部分も多くあるが、疑問に思える部分もある。
本当に政策立案に際して、実用的な水準に到達しているのかといえば、その信頼性は残念ながら高いとは思われない。
このこと以上に、経済を専門としている大学研究者たちが、「正しいとは思えないような理屈」をいかにもっともらしく言うか、ということは判りました。いかにも学術っぽく、理論の装いだけはあるんですよ。超過需要だの、正規分布だの、需給曲線だの、一般人に見分けられない程度に、学問の匂いだけはあるわけだ。これに加えて、他の同業者たちが評価すれば正しい答えが判る、といったレベルではない、ということです。経済学以外の分野でも、例えばインチキ医学とかありますが、その殆どが専門の医師たちによって評価されると「それはトンデモだ」というような共通の評価を得られるのではないかと思います。しかし、経済学は違う。同業の経済学者たちが寄り集まって考えたとしても、何の役にも立たないことの方が多い。より「専門家ヅラ」した連中が幅を利かせたりするだけで、経済学素人でしかない多くの一般人はまんまと引っ掛かる。同業者にでさえ「ウソが見破れない」のであれば、一般人になんて無理に決まっている。つまりは、エセだろうが何であっても通用してしまう、ということだ。
そんな人たちの言う「正しさ」なんてものは、あまり当てにはできないな、と個人的には考えている。
>踏み倒しの合理性 - hiroyukikojimaの日記
ええ、ええ、信用割当ですね。
で、「バンザイ」されると、貸し手が困るということですわな。これが、普通。つまりは、「貸し手責任となる」ということなんですね。しかし、そうではないのが、貸金市場だったわけで。
信用割当に関しては、貸金関連記事を書き始めた06年5月頃の時点で、47th氏が記事で取り上げていたのを拝見したと思います。ただ、暴走ネット厨の如き池田某のような「経済何とか」の類が、実証がないだのアネクトードだのと言っていたな(笑)。法的規制をすることについて家父長主義だと蔑んでいたが、彼の言う理屈の正当性がただの一度だって補強されたことなどない。もう済んだ話だから、どうというわけでもないんですがね。
さて、話が逸れたが、戻ろう。
信用割当の話は、この辺に書きました。
06年11月>「大竹先生の異論」に異論あり
07年10月>貸金業の上限金利問題~その19
では、経済学者たちがこの問題にどのような答えを出してきたか?
それは現実をどの程度反映しているものか?
阪大グループのペーパーは良い部分も多くあるが、疑問に思える部分もある。
本当に政策立案に際して、実用的な水準に到達しているのかといえば、その信頼性は残念ながら高いとは思われない。
このこと以上に、経済を専門としている大学研究者たちが、「正しいとは思えないような理屈」をいかにもっともらしく言うか、ということは判りました。いかにも学術っぽく、理論の装いだけはあるんですよ。超過需要だの、正規分布だの、需給曲線だの、一般人に見分けられない程度に、学問の匂いだけはあるわけだ。これに加えて、他の同業者たちが評価すれば正しい答えが判る、といったレベルではない、ということです。経済学以外の分野でも、例えばインチキ医学とかありますが、その殆どが専門の医師たちによって評価されると「それはトンデモだ」というような共通の評価を得られるのではないかと思います。しかし、経済学は違う。同業の経済学者たちが寄り集まって考えたとしても、何の役にも立たないことの方が多い。より「専門家ヅラ」した連中が幅を利かせたりするだけで、経済学素人でしかない多くの一般人はまんまと引っ掛かる。同業者にでさえ「ウソが見破れない」のであれば、一般人になんて無理に決まっている。つまりは、エセだろうが何であっても通用してしまう、ということだ。
そんな人たちの言う「正しさ」なんてものは、あまり当てにはできないな、と個人的には考えている。