いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

dpj を救う効果的方法

2009年10月20日 01時50分59秒 | 経済関連
今はピンチの時ですが、まだ負けたわけではありません。2アウト、2、3塁、くらいなもんです。ここで、きちんと抑えてピンチを凌げば、次の回以降にチャンスが訪れるかもしれません。ピンチの後にはチャンスあり、ってノムさん(笑)っぽいですけど。


ここで、秘策を授けましょう。
といいますか、秘策でも何でもなくて、前政権下からしつこく言われていた、例の「政府通貨発行」ですよ。


ここまでの展開で何が一番ダメだったか、というのは、事前に説明をしていなかったことだ、って言ったでしょ?
合計の数字を出す前に、各省庁から数字を持ち寄る前に、「こういう方針で行きます、ルールはこんな風です、司令塔は誰です」(=中華料理?フランス料理?、或いは、どんな家なのか、というようなこと)、という基本計画を出すべきだったのです。そうすれば、事後的に足りなくなったからこうしたんだろ、というなし崩し的な印象を防ぐことができたでしょう。

今からだと、目標には届かないということが明らかになってしまったので、だから当初予定から転換したんだろ=ブレた、ということになっているわけですよ。これは明らかに失敗。

でもまあ、過ぎたことはしょうがないので、ここから挽回することを考えるべきでは。


これまで書いたように、持続性のある政策については、来年度以降にもずっと継続していかなければならないわけだから、そういう政策の財源は安定的に供給できるようにするべき。その為の数字を積み上げるよりほかない。
例えば初年度の優先目標として、①子ども手当の2分の1(2.5兆円くらい?)実施、②基礎年金国庫負担額2分の1引き上げ額2.6兆円、③医療・介護費自然増1兆円、ということなら、これら合計額の6.1兆円をどこからか調達してこなければならないのですよ。

なので、この6.1兆円の分捕り先を掘り起こしてくる、ということになります。
カット先としては、これまで予定されていた公共事業費を削っても、この数字は届くわけがないのですから、各省庁に最低でも5千億円級の削減を割り当てなければならない、ということになるでしょう。それか、目標とすべきカット水準を提示して、各省庁の予算額に定率でカットさせる、というようなことですね。昨年度の予算額の10%をカットせよ、というような目標を設定しないと、かなり難しいのでは。

また、一般会計からの繰入、それとも特別会計からの繰入というのがあるので、これを優先的に削るよりないでしょうね。
例えば、独立行政法人のうち、特定法人以外の法人で、「~機構」みたいな名称の組織がありますよね?理事長以下、理事職の給与総額を「ある金額以上」の法人(1人平均額でもいいけど)については、運営交付金の○%カット、足りない分は各法人の経営努力をして下さい、ということだな。ポストを削るのではなく、各法人の経営裁量に任せてもいいけど、高すぎる人件費を圧縮してもらうか、無駄な事業への支出をカットしてもらうかすればいい、ということだな。天下り役人たちが無駄に高すぎる役員報酬を取り続けて、そのせいで天下る前の省庁職員の給与が大幅カットされ本予算も削られるというのに、OBに金を流し込んでもしょうがないだろうから。

このルールは公益法人にも使えるから。
元公務員(国家公務員、地方公務員)が理事や評議委員等の役職員に就任している人数割合が○%以上の法人については、補助金・交付金・補給金・整備費・業務委託費等の合計額の○%をカット、とか。こうしたルール適用だけで、かなり削れるはず。基本的には「~機構」に降りてゆく金を絞れば、そこから先の公益法人への資金供給も細るであろう、ということは当然だろうね。どうしても事業運営に必要だ、という組織については、基本的には個別に精査、更には組織自身での資金調達が大原則、ということになる。本当に大切で欠かす事のできない事業であるなら、民間から資金手当をするなり、借入起債をするなり、工夫して自己収入を増やすなり、寄附や協賛金を集めるなり、自助努力をせよ、ということだな。これが、独立した行政法人、ということだから(笑)。民間の普通の組織というのは、みんなそうやっているわけで。資金不足に陥るなら、知恵を絞って工夫せよ、ということだな。


仮に、どうにか6.1兆円を集めることができたとしますか。
これが達成された、ということが確認されたなら、上述した①~③をやってもいいですよ、と。

次に、昨今の経済・雇用情勢を鑑みて、経済対策を打ち出してゆきます。
これには、政府通貨発行という手を考えればいいのです。例の「洋一」案とほぼ同じようなことですね。
補正予算に近い性格の予算となりますので、ほぼ臨時的な支出ということになるかと思います。これまでのカットで切られてしまった案件とか、政府が優先して取り組みたい政策とか、そういうものに割り当てていくということになるでしょう。財政出動規模としては、10兆円や20兆円の数字となってもよいと思いますよ。賃金引上げと同額の法人税減税とか、できるだけ各個人への給付を増やすものでいいと思います。失業で無収入となってしまった人への、公営住宅家賃補助とかでもいいですし。

日銀に発行した政府紙幣を買い取らせて、同額の現金を調達してくればいいだけですもん。これで、景気・雇用対策とできるのであれば、やった方がよい。これを実施するには、事前に政府が国民に約束をしておかねばならなかったんですよ。予算オーバーがカットできなかったので、こうしたバラマキ政策に切り替えたんだ、とか言わせない為にも、上記例のように6.1兆円を削りで調達してきて、なおかつ国民の側に給付を増やすことが実現できていたなら、dpj への信頼は厚くなっていたことだろう。

約束通りに、まず「削って取ってきた」、で、その分予算を「人へ」振り替えた、他には「臨時に経済対策の財政出動した」ということで、整合性が取れているはずだし、国民との約束にも期待にも応える結果となっていたはずだ。だが、事前に「宣言」がなかったが故に、これから同じことをやったとしても、「どうせ金が足らんかったからだろ」としか受取られないわけで。

ま、政府紙幣による財政出動では、何を復活させるのか、優先順位を決めなければならなくなる。
八ッ場ダムという公共事業を復活させるのか、若手研究者の研究費か、36000円の子育て支援費か、どれを優先させるか、考えてごらんなさい、という話だな。これは政治的な判断ということになる。国民側の要望というのもある。地方の事情というのもあるだろう。

そういう手順とか、段取りがないままに、これまでただ何となく進んできてしまったのだ、ということですわ。




懲りない経済学

2009年10月20日 01時48分38秒 | 俺のそれ
また、いつものつまらないダジャレ失礼。

はてなブックマーク - pdf盛田常夫「コルナイ経済学をどう理解するか」『比較経済研究』第46巻第2号2009年6月 1-10頁

(以下に一部引用)

『経済学者が発見するもののほとんどは、企業人にとっては自明のことか、よく知られれた事象である。経済学者はそれを気の利いた概念としてまとめ上げるだけである。それを「世紀の発見」のように誤解し、「メタファーの含意を政策化すれば問題が解決する」と考えれば、それは経済学の存在価値の過大評価であり、きわめてナイーヴな政策提言にしかならない。』 (p.6)

『経済学に限らず、社会科学理論には、長期に存在するシステムを扱う抽象理論、短期の問題を扱う具体的な理論や政策、長期短期に限らず社会的公正や弱者救済の視点から提言される政策がある。それぞれの役割や機能は著しく異なる。理論家がすべての問題に答えられるわけではない。
このような分業関係は、たとえば医学における分業と類似している。抽象理論を扱う理論経済学は基礎医学あるいは解剖学に相当し、短期の経済政策立案は内科や外科の臨床医学に、規範的な政策提言はカウンセリングや心理学的両方に対応する。これら三つの分野を全てカバーする医師や医学研究者はいない。ところが、理論経済学者はあたかもすべての問題に応えられるかのような言動を行うことが多い。これは理論経済学を汚染している自意識過剰、経済学に対する過大評価であると言わざるをえない。理論に基づく政策提言に自制が要求される所以である。』(p.7)

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このような理解は期待をはるかに超えています。
イワンとし…あいや、言わんとしてきたことを、こうしてうまく表現してもらうと、大変有り難いことでございます。

残念なことに、「どうしてそういうことを考えてこなかったのでしょうか」という疑問を呈したくなるような経済学者さまが日本には大勢揃っていらっしゃるようですから、まず経済学の世界の中でどうにかしてもらえればいいのではと思います。


大勢の学者たちがいながらにして、誰も目が覚めない、誰も指摘しない、誰も振り返り反省しない、そして何より「素人ですら判りそうなことなのに、誰も気づかない」という、恐るべき現状を目にしましたので、期待してもしょうがないんだろうな、ということは感じましたね。
ああ、これが日本の経済学の世界なのだな、ということは、本当によく判りました。

こういうのは、思考というか、物事の捉え方、もっと言うと捉え方の思想哲学みたいなものでもあると思うので、言っても無駄な人には何を示しても変わらないんじゃないかな、と思えます。少しくらい言っても、判ってはくれないんですよ。こっちの説明の仕方が悪いから、というのはあると思いますけれどもね。