都合よく数字やデータを利用する人たちは絶えないね。
いや、ぼく自身、割といい加減にブログ記事に書いていることは多いわけだが、計算が面倒なのでやることはまずないんだけどさ。
増えたとか減ったとか、「原因は○○だ」とか割と強めに言うような場合だと、有意差があるかどうかという話をきちんとするべきだと思うけど。統計的な話になってしまうから、一般人には理解しにくい、とか、めんどくさいとか、回りくどいねとか、色々とあると思うが、正しい記述を心がけるようにするべきだ。そうじゃないと、原因とか理由を何かに帰するべきでない。
参考記事:
格差社会9(ちょっと追加)
分かりやすいOECD報告書関係>
独立行政法人 労働政策研究・研修機構/海外労働情報
今回発表はこちら>
asahi.com(朝日新聞社):日本の貧困率は15.7% 厚労省が初公表 - 社会
新聞記事から分かるのは、相対的貧困率が
97年 14.6%
00年 15.3%
03年 14.9%
07年 15.7%
ということだったらしい。今回の15.7%が「小泉改革のせいだ」とか、格差拡大の結果が明らかになった、とか、今後にもよく使われるんじゃないかなと思いますね。
ただ、過去の新聞記事に比べると、表現は全般的によくなっていると思いますね。あまり煽り感は出されていないので。
一応、03年→07年の0.8ポイント分が増えているというのが、有意な増加なのかどうかを検定してみました(計算とか検定方法が適切かどうかは自信ないよ、笑)。
間違ってたら、ごめんね。正しく分かる人に、よく聞いてみて下さい。
調査のサンプル数が分かりませんが、多分最低でも1000件くらいのデータは集めているのではないかと思いますので、一応サンプル数は1000と仮定して計算しています。
で、単純にt検定でやってみたら、危険率0.5%水準で03年と07年は「増加とはいえないね、というか、ほぼ同じと言ってもいいよね」ということでした。97年の14.6%との比較でも、危険率5%水準だと「有意差なし」つまり、増加したとは言えない、ということになるのです。もっと危険率を甘くして10%水準くらいにまで下げると、97年と07年では「差がある=増加した」というふうに言えるかもしれせんが、危険率水準は5%以下で見るのが多いかもね、と思うので、そうしてまで「増加したんだ」ということを強調する意味はないかな、と思います。
よく、「倒産が増加した」とか「ヤミ金被害が増えた」とか、まことしやかに言う学者だかモドキだかいますが、そういう連中が「有意に増加した」などと言っているのを、未だ一度も見たことがないよね(笑)。
>
経済学の常識はどうした?(笑)
この中で
『サンケイ記事にあった堂下先生ご指摘の、利用者アンケートの数字が「08年5.5%→09年7.3%」という証拠ですけれど、これって07年とか06年の数字がどうなっていたのか、というのは大変気になるわけでして。
それがないとしても、せめて有意差の有無といった部分くらいは、堂下先生が示してくれればよかったものを、それもないのに「ヤミ金被害が増加した」とか本当に言えるのかな、と疑問に思いますね。それは研究者としての誠実さとしてどうなのよ、と思わないでもない。あくまで数字の提示しかしてないのに、記者氏が都合よく見せているだけ、ということも有り得るので、研究成果をきちんと公開するなり他の研究者たちの批評に晒すなりすればよいのではないかと思いますね。』
と指摘した通りなんですけどね。
検定できるのは、データを持ってる研究者だけですからねえ、一応。
数字の大きい、小さいの見せ方で、何とでも言い様があるなんてのは、ごく当たり前の話ですからね。
こういう連中も一緒だな>
貸金業法改正を全ての原因にする人々
貧困率の特定部分の数字を取り出してきて、
『03年14.9%、07年15.7%と、過去10年で最悪の水準にまで増加した』
みたいに、ある方向へと誘導を意図することは可能ですからね。こういう誘導というのは、詐欺的商法とかと基本原理は似たようなもんですから(笑)。
安易な連中に限って、適当なデータからあること、ないことをこじつけて、いくらでも捏造できる、ということだわな。
そこには、物事を解明していこう、などという姿勢もなければ、知的誠実さも持ち合わせていない、ということになるわけである。そういう連中の方が、もてはやされ、大きな影響力を持っているのが、今の社会なのだな(笑)。