選挙に勝てば、首長が独裁者みたいになれると考えている御仁がいるのかもしれないが、それは大きな間違いであろう。
実は事件についてよく知らなかったのであるが、例の市職員の給与をブログに勝手に公開したらしい市長さん、というのは見かけたことがあった。その市長が張り紙を剥がしたというだけで懲戒免職処分というのは、どう見ても権限の濫用としか思われないので、書いておくことにした。
事件の概要はこちら>阿久根市長、人件費張り紙はがした職員を懲戒免 阿久根対立 ニュース特集 九州発 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
記事から市長側の主張を引用してみる。
・竹原市長は「行財政改革を支持する市民に対する挑戦的な行為」と説明
・処分は地方公務員法29条の「職務上の義務に違反し、又は職務を怠った場合」「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合」に該当する、としている。
・竹原市長は「人件費削減を公約としており、張り紙は公約実現の手段の一つとして行った。職員から提出された顛末(てんまつ)書にも反省は見られない」と説明。「市役所の指揮、命令機能の危機的状況を明らかにした。事件の重大性にかんがみ、処分することにした」と述べた。
言ってることが、どうもヘンなんですよね。
この問題についてはいくつかの論点があるかと思うが、勝手に挙げてみるよ。
①張り紙の正当性の根拠について
竹原市長曰く、「行財政改革支持の市民に対する挑戦的行為」「人件費削減という公約実現の手段」ということらしい。まずやるべきことは、竹原市長の言い分が本当に正当性のあるものであるか、ということを、市長側が立論するべきである。
例えば、「人件費の張り紙を市民が希望している」とか、「張り紙をすれば公約が実現できる」といった、具体的正当性を説明できなければならないはずである。だからこそ、市長の職務命令ということになるわけで。
具体例としては、
ア)行財政改革支持の市民は張り紙を実行することを支持している
イ)人件費金額を書いた張り紙によって人件費削減の公約が実現できる
といった事実を、竹原市長が説明できればいいのである。
個人的予想では、恐らくア)もイ)も、立証できないだろうと思いますね。
ア)についてであるが、市民にそうしたアンケートを行った実績はあるか、あるなら示せるはずだが、多分ないだろう。また、多数の市民が張り紙を希望します、といった意見を市役所に寄せていた、などの実態はあったのか?というと、多分ないだろう。あるなら、どれくらいの数の市民が「張り紙をしてくれ」と希望していたか、ということを示せばよい。
次のイ)についてであるが、竹原市長の公約が人件費削減であるとして、張り紙をするとそれが達成されるのであろうか?人件費総額を書いた紙を壁に張るだけで、アラ不思議と人件費が減るという効果を実証せねばなるまい。
参考までに、市の財政についてなのだから、市職員側の抵抗というのはあるだろうけれども、本質的には「市議会」での予算可決という基本的手続を経なければ実現できないのではないかと思料するが、いかがであろうか。市議会が可決する、という手続が本質なのであって、その達成の為にこの張り紙が一体全体どういった効果を生むというのであろうか?竹原市長ならば、説明ができることであろう。外見的に見る限りにおいては、単なる職員への嫌がらせとしか見えないが。何故張り紙が市議会での可決に繋がるのか、甚だ疑問である。
②張り紙を剥がす行為が、地方公務員法第29条2号ないし3号規定に該当するか
張り紙そのものの正当性は立証されてはないものの、とりあえず、今度は行為を見てみる。
○地方公務員法 第29条
職員が次の各号の一に該当する場合においては、これに対し懲戒処分として戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる。
一 この法律若しくは第五十七条に規定する特例を定めた法律又はこれに基く条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に違反した場合
二 職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合
三 全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合
さて、剥がすという行為自体が、職務義務違反、職務懈怠、非行行為、のいずれかの要件を構成しているかどうか、ということである。
・職務上の上司は、そうした要件を構成しているという判断を下さなかった
・賞罰委員会においても、該当しているという評価にはならなかった
これが事実である。社会通念上では、そのように判断されるであろう、ということである。判断が異なっているのは、これまでのところ竹原市長だけである。
例えば洗面台の前に「手を洗つて」という張り紙(笑、映画『県庁の星』に出てきたヤツだな)をするよう、市長が命じた場合、これを剥がせば「義務違反」「職務懈怠」「非行行為」とされる、ということになるわけである。何という恐怖の職場なのか。
竹原市長は、独自の論理を用いてでも(笑)、これら要件に該当するということを立証できねばならない。そうでなければ処分できないからである。懲戒免職事由に該当するということを立論できなければならない、ということである。
普通に見れば、懲戒免職事由に該当するとは到底考えられない。
むしろ、懲戒権濫用である。任命権者の裁量権を大きく逸脱していると言わねばなるまい。現に、賞罰委員会は市長に意見を述べているわけであって、処分程度についての社会通念上の判断を示しているわけである。これを敢えて無視してまで、竹原市長独自の判断によって懲戒免職処分としたわけであるから、訴訟で敗訴した場合には当然のことながら損害賠償請求を食らってしまう可能性はあるであろう。処分取消訴訟だけではなく、精神的苦痛を与えられたということで損害賠償請求も可能であろう。
張り紙を剥がしただけで、懲戒免職処分というのは、どう見てもおかしい。少なくとも、例えば元通りに回復しなさい、などといった他の職務命令を取りえるわけだし、市長の命令には従うようにという注意を幾度か与えるなどの改善努力をするのが懲戒権発動前に求められるだろう。それらの改善努力を行った形跡もないのに、突如として懲戒免職というのは濫用と言わざるを得ない。普通の会社であっても、懲戒解雇に至るには幾度かの注意や改善努力を行った上で、それでもなお改善が見られず当人にもその意思がないというのが明らかであれば、解雇処分も止むを得ないということになるのだから。そういう過程を一切飛ばして、たとえば一度命令に背いたという理由だけで「ハイ、お前はクビな、解雇だから、会社に来なくていいぞ」などとやったら、不当解雇認定されること請け合いである。
③職員側から見た張り紙
かねてより、職員間では張り紙について、極めて不評であり強いて言えばストレッサーとなっていたであろうことは窺われるわけである。それより前にも、ネットのブログ上で個人の給与明細公開を独断で行っているので、度重なる嫌がらせとしか思えない、という評価は十分に考えられるであろう。
張り紙の正当性が立証されない上に、効果もなく、公約実現にも役立たないものであれば、単なる「便所の張り紙」との違いはないようにも思われる。また、職場の環境として見てみると、張り紙があることにより、かえって能率低下や萎縮を招いている、という当該職員の指摘は頷けるものである。もし裁判になったりする場合には、他の職員の証言も必要になるだろうが、張り紙によって「多大なストレスを感じた」とか、「職務に当たって訪問者の目が気になり集中できなくなった」とか、「作業効率が低下した」というようなことが多数出されるなら、処分を受けた職員だけの問題ではなかった、ということが明らかにできるだろう。
そもそも守るべき法として、労働基準法がある。
○労働基準法 第42条
労働者の安全及び衛生に関しては、労働安全衛生法 (昭和四十七年法律第五十七号)の定めるところによる。
つまり、職場環境については労働安全衛生法を見よ、ということですな。これは公務員であろうと遵守義務があるのである。更には、
○労働基準法 第112条
この法律及びこの法律に基いて発する命令は、国、都道府県、市町村その他これに準ずべきものについても適用あるものとする。
とあるので、原則的には適用除外とはなっていないのだ。よく公務員は労働基準法等の法令適用が外れている、ということが言われたりするが、部分的に適用除外規定はあるものの、基本的には適用されているのである。
今度は労働安全衛生法を見てみる。
○労働安全衛生法 第71条の三
厚生労働大臣は、前条の事業者が講ずべき快適な職場環境の形成のための措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るため必要な指針を公表するものとする。
2 (以下略)
このように、指針を定めているのだ。で、指針はどうなっているかというと、次の通り。
>安全衛生情報センター 事業者が講ずべき快適な職場環境の形成のための措置に関する指針
(以下に一部引用)
労働安全衛生法(昭和47年法律第57号)第71条の3第1項の規定に基づき、事業者が講ずべき快適な職場環境の形成のための措置に関する指針を次のとおり定めたので、同項の規定に基づき公表する。
(中略)
第3 快適な職場環境の形成のための措置の実施に関し、考慮すべき事項
1(略)
2 労働者の意見の反映
職場環境の影響を最も受けるのは、その職場で働く労働者であることにかんがみ、快適な職場環境の形成のための措置の実施に関し、例えば安全衛生委員会を活用する等により、その職場で働く労働者の意見ができるだけ反映されるよう必要な措置を講ずること。
3 個人差への配慮
労働者が作業をするに当たっての温度、照明等の職場の環境条件についての感じ方や作業から受ける心身の負担についての感じ方等には、その労働者の年齢等による差を始めとして個人差があることから、そのような個人差を考慮して必要な措置を講ずること。
4 潤いへの配慮
職場は、仕事の場として効率性や機能性が求められることは言うまでもないが、同時に、労働者が一定の時間を過ごしてそこで働くものであることから、生活の場としての潤いを持たせ、緊張をほぐすよう配慮すること。
=====
ここにある通りである。
労働者の意見をできるだけ反映せよ、という措置は講じられたか?
心身の負担についての感じ方、その個人差などに配慮はあったのか?
生活の場としての潤いや緊張をほぐす配慮はどうだったのか?
少なくとも、竹原市長にはそうした視点は一切ないであろう。職員は軍隊式の絶対命令服従主義、とでも思っているのであろうか。旧日本軍のワケのわからん上官みたいなのを思い起こすよ。
別な見方として、当該職員の剥がした行為についてである。
一応、竹原市長が在職中には剥がしていなかった、市長選に入るので剥がした、ということらしい。で、市長が再び当選して戻ってきてみると、「誰が剥がしたんだ」という話になったわけで、市長退任後に剥がす行為は職務命令に違反するのか、ということもある。だったら、前任者のやったことや命令は永続することになってしまい、それらを止めると全て懲戒免職に該当するとでも言うのか?
職場環境改善の為に行った行為であるなら、別に問題とも思われないが。
市長の指摘する「顛末書でも反省が見られない」というのは、あくまで主観的評価であって、それをもって処分というのも問題であると思われるが。何らかの客観性が保たれているわけでもないなら、「お前は反省してないだろ」と一方的に責めることが可能になってしまうよ。どんな労働者であろうと、自分が気に入らない相手には「お前は反省してないな」ということで、いくらでも首切りできるということになってしまう。そういう恣意性みたいなものは、権限行使のできる側に制限が課せられないと裁量権濫用ということになるわけで。
結局、張り紙自体の正当性とか根拠が疑問、剥がす行為が懲戒免職事由に該当するという判断が疑問、労働安全衛生法上の職場環境の措置としても疑問、ということで、裁判所の懲戒免職停止決定は当然ではないかな。
職場復帰を意図的に妨げるというのも、不利益処分に該当するだろうと思うので、違法認定してもらえばいいのではないか。
首長は独裁者ではないぞ。
これに類する首長はいるような気もするが、限度というものがあるだろう。
実は事件についてよく知らなかったのであるが、例の市職員の給与をブログに勝手に公開したらしい市長さん、というのは見かけたことがあった。その市長が張り紙を剥がしたというだけで懲戒免職処分というのは、どう見ても権限の濫用としか思われないので、書いておくことにした。
事件の概要はこちら>阿久根市長、人件費張り紙はがした職員を懲戒免 阿久根対立 ニュース特集 九州発 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
記事から市長側の主張を引用してみる。
・竹原市長は「行財政改革を支持する市民に対する挑戦的な行為」と説明
・処分は地方公務員法29条の「職務上の義務に違反し、又は職務を怠った場合」「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合」に該当する、としている。
・竹原市長は「人件費削減を公約としており、張り紙は公約実現の手段の一つとして行った。職員から提出された顛末(てんまつ)書にも反省は見られない」と説明。「市役所の指揮、命令機能の危機的状況を明らかにした。事件の重大性にかんがみ、処分することにした」と述べた。
言ってることが、どうもヘンなんですよね。
この問題についてはいくつかの論点があるかと思うが、勝手に挙げてみるよ。
①張り紙の正当性の根拠について
竹原市長曰く、「行財政改革支持の市民に対する挑戦的行為」「人件費削減という公約実現の手段」ということらしい。まずやるべきことは、竹原市長の言い分が本当に正当性のあるものであるか、ということを、市長側が立論するべきである。
例えば、「人件費の張り紙を市民が希望している」とか、「張り紙をすれば公約が実現できる」といった、具体的正当性を説明できなければならないはずである。だからこそ、市長の職務命令ということになるわけで。
具体例としては、
ア)行財政改革支持の市民は張り紙を実行することを支持している
イ)人件費金額を書いた張り紙によって人件費削減の公約が実現できる
といった事実を、竹原市長が説明できればいいのである。
個人的予想では、恐らくア)もイ)も、立証できないだろうと思いますね。
ア)についてであるが、市民にそうしたアンケートを行った実績はあるか、あるなら示せるはずだが、多分ないだろう。また、多数の市民が張り紙を希望します、といった意見を市役所に寄せていた、などの実態はあったのか?というと、多分ないだろう。あるなら、どれくらいの数の市民が「張り紙をしてくれ」と希望していたか、ということを示せばよい。
次のイ)についてであるが、竹原市長の公約が人件費削減であるとして、張り紙をするとそれが達成されるのであろうか?人件費総額を書いた紙を壁に張るだけで、アラ不思議と人件費が減るという効果を実証せねばなるまい。
参考までに、市の財政についてなのだから、市職員側の抵抗というのはあるだろうけれども、本質的には「市議会」での予算可決という基本的手続を経なければ実現できないのではないかと思料するが、いかがであろうか。市議会が可決する、という手続が本質なのであって、その達成の為にこの張り紙が一体全体どういった効果を生むというのであろうか?竹原市長ならば、説明ができることであろう。外見的に見る限りにおいては、単なる職員への嫌がらせとしか見えないが。何故張り紙が市議会での可決に繋がるのか、甚だ疑問である。
②張り紙を剥がす行為が、地方公務員法第29条2号ないし3号規定に該当するか
張り紙そのものの正当性は立証されてはないものの、とりあえず、今度は行為を見てみる。
○地方公務員法 第29条
職員が次の各号の一に該当する場合においては、これに対し懲戒処分として戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる。
一 この法律若しくは第五十七条に規定する特例を定めた法律又はこれに基く条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に違反した場合
二 職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合
三 全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合
さて、剥がすという行為自体が、職務義務違反、職務懈怠、非行行為、のいずれかの要件を構成しているかどうか、ということである。
・職務上の上司は、そうした要件を構成しているという判断を下さなかった
・賞罰委員会においても、該当しているという評価にはならなかった
これが事実である。社会通念上では、そのように判断されるであろう、ということである。判断が異なっているのは、これまでのところ竹原市長だけである。
例えば洗面台の前に「手を洗つて」という張り紙(笑、映画『県庁の星』に出てきたヤツだな)をするよう、市長が命じた場合、これを剥がせば「義務違反」「職務懈怠」「非行行為」とされる、ということになるわけである。何という恐怖の職場なのか。
竹原市長は、独自の論理を用いてでも(笑)、これら要件に該当するということを立証できねばならない。そうでなければ処分できないからである。懲戒免職事由に該当するということを立論できなければならない、ということである。
普通に見れば、懲戒免職事由に該当するとは到底考えられない。
むしろ、懲戒権濫用である。任命権者の裁量権を大きく逸脱していると言わねばなるまい。現に、賞罰委員会は市長に意見を述べているわけであって、処分程度についての社会通念上の判断を示しているわけである。これを敢えて無視してまで、竹原市長独自の判断によって懲戒免職処分としたわけであるから、訴訟で敗訴した場合には当然のことながら損害賠償請求を食らってしまう可能性はあるであろう。処分取消訴訟だけではなく、精神的苦痛を与えられたということで損害賠償請求も可能であろう。
張り紙を剥がしただけで、懲戒免職処分というのは、どう見てもおかしい。少なくとも、例えば元通りに回復しなさい、などといった他の職務命令を取りえるわけだし、市長の命令には従うようにという注意を幾度か与えるなどの改善努力をするのが懲戒権発動前に求められるだろう。それらの改善努力を行った形跡もないのに、突如として懲戒免職というのは濫用と言わざるを得ない。普通の会社であっても、懲戒解雇に至るには幾度かの注意や改善努力を行った上で、それでもなお改善が見られず当人にもその意思がないというのが明らかであれば、解雇処分も止むを得ないということになるのだから。そういう過程を一切飛ばして、たとえば一度命令に背いたという理由だけで「ハイ、お前はクビな、解雇だから、会社に来なくていいぞ」などとやったら、不当解雇認定されること請け合いである。
③職員側から見た張り紙
かねてより、職員間では張り紙について、極めて不評であり強いて言えばストレッサーとなっていたであろうことは窺われるわけである。それより前にも、ネットのブログ上で個人の給与明細公開を独断で行っているので、度重なる嫌がらせとしか思えない、という評価は十分に考えられるであろう。
張り紙の正当性が立証されない上に、効果もなく、公約実現にも役立たないものであれば、単なる「便所の張り紙」との違いはないようにも思われる。また、職場の環境として見てみると、張り紙があることにより、かえって能率低下や萎縮を招いている、という当該職員の指摘は頷けるものである。もし裁判になったりする場合には、他の職員の証言も必要になるだろうが、張り紙によって「多大なストレスを感じた」とか、「職務に当たって訪問者の目が気になり集中できなくなった」とか、「作業効率が低下した」というようなことが多数出されるなら、処分を受けた職員だけの問題ではなかった、ということが明らかにできるだろう。
そもそも守るべき法として、労働基準法がある。
○労働基準法 第42条
労働者の安全及び衛生に関しては、労働安全衛生法 (昭和四十七年法律第五十七号)の定めるところによる。
つまり、職場環境については労働安全衛生法を見よ、ということですな。これは公務員であろうと遵守義務があるのである。更には、
○労働基準法 第112条
この法律及びこの法律に基いて発する命令は、国、都道府県、市町村その他これに準ずべきものについても適用あるものとする。
とあるので、原則的には適用除外とはなっていないのだ。よく公務員は労働基準法等の法令適用が外れている、ということが言われたりするが、部分的に適用除外規定はあるものの、基本的には適用されているのである。
今度は労働安全衛生法を見てみる。
○労働安全衛生法 第71条の三
厚生労働大臣は、前条の事業者が講ずべき快適な職場環境の形成のための措置に関して、その適切かつ有効な実施を図るため必要な指針を公表するものとする。
2 (以下略)
このように、指針を定めているのだ。で、指針はどうなっているかというと、次の通り。
>安全衛生情報センター 事業者が講ずべき快適な職場環境の形成のための措置に関する指針
(以下に一部引用)
労働安全衛生法(昭和47年法律第57号)第71条の3第1項の規定に基づき、事業者が講ずべき快適な職場環境の形成のための措置に関する指針を次のとおり定めたので、同項の規定に基づき公表する。
(中略)
第3 快適な職場環境の形成のための措置の実施に関し、考慮すべき事項
1(略)
2 労働者の意見の反映
職場環境の影響を最も受けるのは、その職場で働く労働者であることにかんがみ、快適な職場環境の形成のための措置の実施に関し、例えば安全衛生委員会を活用する等により、その職場で働く労働者の意見ができるだけ反映されるよう必要な措置を講ずること。
3 個人差への配慮
労働者が作業をするに当たっての温度、照明等の職場の環境条件についての感じ方や作業から受ける心身の負担についての感じ方等には、その労働者の年齢等による差を始めとして個人差があることから、そのような個人差を考慮して必要な措置を講ずること。
4 潤いへの配慮
職場は、仕事の場として効率性や機能性が求められることは言うまでもないが、同時に、労働者が一定の時間を過ごしてそこで働くものであることから、生活の場としての潤いを持たせ、緊張をほぐすよう配慮すること。
=====
ここにある通りである。
労働者の意見をできるだけ反映せよ、という措置は講じられたか?
心身の負担についての感じ方、その個人差などに配慮はあったのか?
生活の場としての潤いや緊張をほぐす配慮はどうだったのか?
少なくとも、竹原市長にはそうした視点は一切ないであろう。職員は軍隊式の絶対命令服従主義、とでも思っているのであろうか。旧日本軍のワケのわからん上官みたいなのを思い起こすよ。
別な見方として、当該職員の剥がした行為についてである。
一応、竹原市長が在職中には剥がしていなかった、市長選に入るので剥がした、ということらしい。で、市長が再び当選して戻ってきてみると、「誰が剥がしたんだ」という話になったわけで、市長退任後に剥がす行為は職務命令に違反するのか、ということもある。だったら、前任者のやったことや命令は永続することになってしまい、それらを止めると全て懲戒免職に該当するとでも言うのか?
職場環境改善の為に行った行為であるなら、別に問題とも思われないが。
市長の指摘する「顛末書でも反省が見られない」というのは、あくまで主観的評価であって、それをもって処分というのも問題であると思われるが。何らかの客観性が保たれているわけでもないなら、「お前は反省してないだろ」と一方的に責めることが可能になってしまうよ。どんな労働者であろうと、自分が気に入らない相手には「お前は反省してないな」ということで、いくらでも首切りできるということになってしまう。そういう恣意性みたいなものは、権限行使のできる側に制限が課せられないと裁量権濫用ということになるわけで。
結局、張り紙自体の正当性とか根拠が疑問、剥がす行為が懲戒免職事由に該当するという判断が疑問、労働安全衛生法上の職場環境の措置としても疑問、ということで、裁判所の懲戒免職停止決定は当然ではないかな。
職場復帰を意図的に妨げるというのも、不利益処分に該当するだろうと思うので、違法認定してもらえばいいのではないか。
首長は独裁者ではないぞ。
これに類する首長はいるような気もするが、限度というものがあるだろう。