マネタリーベース、マネーサプライや国債などについて、また若干考えたことを書いてみたい。
これまでの経過:
信用乗数低下と貨幣供給のこと
日銀の自慢?
続・日銀の自慢?
まず基本的なことを。
ケインズやワルラスが言っていた現金と債券の関係は表裏一体、ということです。
現金⇔債券
ある金利で決まる状態のようなもので、等価であり交換可。
ここで言う「債券」とは、現代の国債のようなものとは異なり、所謂「コンソル債」のことです。無期限債券なので、「目に見える貨幣需要」みたいな意味合いかもしれません。ほぼ貨幣と同等物ということになります。紙幣は言い方を変えると「ゼロクーポンの無期限債券」というものであり、コンソル債は「表面利率X%の利付無期限債券」みたいなものです。この等価交換とは、現在価値が等しい割引債券と利付債券の交換という意味です。
額面100万円、表面利率年利10%のクーポンであると、1年後には110万円の受取ですが、これが現在100万円で売られているとします。
1年後満期額=110万円として、
a)10%クーポンの利付債、現在価値100万円
b)満期額面110万円の割引債、現在価値100万円
この両者は等価(厳密にはちょっと違う)で交換されます、という意味です。b)の方が一般的には「紙幣」の形をしてる、というだけです。市場金利はどちらかでも判りますよね、という話です。でも、経済活動によって何らかの変動が発生すると、うっかりb)の利率が下がって(=割引債の価格が上がって)しまい、例えば額面105万円の割引債が100万円の現在価値となっている(と圧倒的多くの人々が考える)と、a)の方が断然お得(割安)なので「紙幣(割引債)を売って」、10%クーポン利付債を購入しようとしますから、a)の現在価値は値上がりしてゆくことになります。そうすると現在価値が105万円近辺にまで上がってゆくので10%クーポンよりも利回りは低下し、結局のところ割引債(紙幣)と利付債の金利水準は同等になるだろう、ということです。
この時、通常の状態であるとb)の「満期額面Xの割引債」(=将来額面Xの紙幣)の現在価値がいくらなのか、というのを正確には見ることができないのですが、これと等価であるa)の利付債を見ることができ実質的な利回りを計算することができるので、そのことが重要なのです。
①「流動性の罠」に陥ると…
a)の債券でいえば、10%クーポンだったのに利回りがほぼゼロ近傍にまで低下してしまう、というような状態になることだ。通常であると、現金と債券の交換状態は現金の供給が超過すると債券買いが進むので、結果的には債券価格上昇=利回り低下ということが起こる。しかし、利回り(市場金利)が既にゼロ近傍となっていると、今後「債券価格が値上がりする」という状態が訪れない限り、利付債の「高値掴み」となってしまって損をする、という可能性が高くなるわけである。こうした状態ならば「誰も債券を買いたい」とは思わないので、いくら貨幣供給を増大させてみても、市場金利低下は起こせない。
市場金利低下は、多くの場合には「銀行貸出増加」などの資金需要を生み出す。多くの事業は利益率の高い事業になっていくにしたがい、その存在確率や成功確率は低下するだろうから。利益率10%とか20%といった事業はあまり多くはないけれど、5%の事業ならそれらよりも多いだろう、という話。貸出の際に資金コストが1%の場合だと、利益率5%の事業や10%の事業のいずれにも貸出可能な余地があるが、資金コストが6%だとこれ以下の事業に貸し出すことは「赤字」になってしまうので、貸し出せない。よって、ベースになる市場金利が下がるということは、資金コストが低下することを意味するので、貸出余地は増大するから資金需要を増加させる効果が期待できる。
ところが、ゼロ金利になってしまっていると、これ以上市場金利が低下しないのだから、新たな資金需要は起こせないというものである。これが「流動性の罠」なのである。
②貨幣流通を考えると…
貨幣にはいくつかの側面があります。大雑把にわけると、現金として保有する状態と、銀行に預金している状態です。銀行預金となった後には、金庫でキャッシュになっている分、国債を買う分、貸出になっている分、という具合になっています。信用創造に向かうには、流津して銀行との出入りが旺盛じゃなければダメなのです。普通の人たちの財布の中やタンスに現金として保有されていると信用乗数減少となるからです。
ア)大別すると: 現金⇔預金
イ)預金を分けると: 貸出⇔金庫(現金)⇔国債
中央銀行は金庫(現金)と国債比率を「変えさせる」という政策金利変更、オペなどや準備率などによって調節をしているわけである。社会全体で見ても、ア)の現金預金比率に影響を与えることは不可能ではない。
日本の量的緩和政策というのは、簡単に書くと、
ウ)中央銀行の金庫(現金)⇔市中銀行の金庫(現金)
という経路を「太く」しただけに終わったのである。イ)の銀行の金庫にある現金をいくら増やしても、左側の貸出増には行かず、右側の国債買いにばかり流れてしまった、ということである。これが「資金需要を生み出さない」ということの意味である。ウ)の状態で、中銀が紙幣を必死に印刷して金庫(現金)を増大させても、市中銀行の金庫(現金)には流れるだけに過ぎないからだ。
また、「流動性の罠」に陥った状態で、中銀が紙幣をジャンジャン刷って、そのお金で市中銀行の「国債」を吸い上げようと「買いオペ」をいくら打っても、上の例で挙げたa)とb)が等価で利付債の現在価値がクーポンと額面の合計と全く同じ(=ゼロ金利)になってしまうと、これを「買いたい」という人は出てこないでしょう、という話である。満期額面110万円の割引債の現在価値が110万円(=ゼロ金利)という事態は、保有動機として貨幣も債券も区別がなくなってしまうよ、という理屈である。なので、イ)とウ)の流れでいえば、
中央銀行の金庫―市中銀行の金庫―国債
というのが直結状態に近いのであり、状態としては「どれでも同じ」、ということ。キャッシュでも金利ゼロの国債も、変わらないよね、と。
これが「紙幣をいくら刷っても、資金需要は増えない」ということの意味だ。だが、これには留保があって、中央銀行が紙幣を供給するのが「買いオペ」という現金と国債を置換する手法を取っていること、市場金利を示す債券が「無期限債券」という特殊な債券でしか考えられないこと、がある。これはちょっとした落とし穴ではないか、というのが私の考えだ。
③無期限債券と「満期の異なる債券」は同じか?
現実には、政策金利とか市場金利と呼ばれるいくつかの金利水準が存在しているということは、誰でもご存知の通りだ。かつてコンソル債の利回り=利子率(市場金利)としてみなされた場合と、例えば「オーバーナイトもの金利がゼロ」という政策金利がゼロ、という話が同一なのだろうか、ということだ。日本の政策金利がゼロになった時であっても、3ヶ月物、6ヶ月物、1年物、10年物、といった国債金利は同一ではなかった。全てがゼロになったわけではなかった。これはどういうことか?
無期限債券と有期限債券では、金利形成が異なるだろう、ということだ。ゼロ金利の意味が違っているのである。たとえゼロ近傍であろうとも、金利はプラスに残っていた。確かに買いオペをして金利低下を達成できたとしても、例えば1年物が0.2%→0.15%と低下したとて僅かに0.05%しか違わないので、これで「新たな資金需要がどんだけ増えるのさ」ということはある。もっと短期資金だと、0.032%だった金利が0.03%に低下したって、たったの0.002%しか変わらないんじゃないか、と。こんな程度の変化で「資金需要が増えるのか」と。
けれども、ア)の現金預金比率では「現金比率が増加する」(金利がほぼゼロなので)、ということが起こるわけだから、過去と同じ程度にしか供給しなければ、現金比率が高まった分だけ預金は低下し、余計にマネーサプライは小さくなってしまう。その低下分を補うだけの供給を続ける必要があるのだ、ということが、まず一つ。
期間の異なる国債金利を引下げさせると(国債買入償却や買いオペ等)、例えば5年物や10年物の資金コスト低下が期待できるようになるから、その部分での貸出増加という効果が若干ながらも期待できるようになる。例えば住宅ローンのような長期借入などでは、借入金利水準は大きな影響力を持つと考える。中長期的事業の資金手当てとしても、資金コストが低下している方が望ましいので、借入を10年後分まで調達しようかな、と考える人は出てくる可能性がある。
株式投資のような投資との比較において、国債需要増大で国債価格が上昇することにより安全資産運用利回りが低下すると、リスクのある投資にも資金配分が行われやすくなるだろう。そうすると、株式の価格上昇によって資産効果が期待できるようになる、株式を保有する法人や金融機関のバランスシートが改善する、年金運用利回り改善で消費意欲にプラスの影響があるかもしれない、などの効果が期待されるだろう。更には、為替において円安効果を生むので、やはり望ましいだろう。
④単なる「買いオペ」では期待薄かも
貨幣流通では、現金か預金に大別され、預金は貸出か国債が主なものになるから、全体を見た時の「国債」の比率を低下させなければならないのである。銀行にとっては、利息の付かないキャッシュに持ち替える動機があまりないので、国債を引き剥がすのは結構難しい。そこで、中銀が国債を競合的に買うことによって、国債需給をタイトにしてしまうのである。需要超過となるわけだから、価格は上昇する。ある価格に到達(=ある水準まで金利が低下)すると、「ここで債券を持つと損をするだろう」という水準がでてくる。それは、国債の値段が高いので、「今後は下落する可能性の方が高い(=金利が上がってゆくだろう)」という見通しが発生する水準があるだろう、ということだ。
「流動性の罠」状態というのは、まさしくそういうことで、金利低下がある水準に到達するとそこから先は「貨幣を選好してしまう」ということなのだから。「債券を持ちたい」とは思わなくなってしまうのだから。銀行が債券を持ちたいと思わなくなるとどうするかと言えば、貸出先を見つけるしかないわけです。或いは、投資先を探すしかないわけですよ。
つまりは、銀行に対して「国債を銀行から引き剥がす=国債を解離させる」という状況を生み出さないとならない、ということです。中銀が「国債を買って現金と引き換えますので、応募して下さーい」みたいに呼びかけても、臆病になってしまった銀行の多くは「いやいや、無理ですからいいです、応じません」ということになってしまって、応札せず、みたいなことになってしまうと、買いオペの意味がなくなってしまいます。そうではなくて、貨幣供給を継続しつつ、国債需給を需要超過にして比率を低下させてゆくようにしなければならない、ということです。国債指標金利が下がると、新発の国債金利は低目になりますから、それもやはり意味があるのです。低すぎる金利であると「他に振り向けようかな」と考える人が出てくる、ということです。
政府紙幣発行で直接ばら撒くという手は、貸出需要を創出するかどうかは判りませんが、
()政府が無期限割引債を発行(実質政府紙幣)
()日銀が割引債を買取って政府に日銀券を渡す
()政府がその日銀券で財政支出について支払う
ということをやるのと大して変わりません。やれば、消費や公共投資は増やせますね、きっと。
⑤重炭酸緩衝系
似たような印象なのが、人体の酸塩基平衡を司る調節能です(以前にも触れました:
日銀には「art」が足りない)。緩衝系にはいくつかあって、小さな調節能のものは血漿蛋白系やリン酸系などがあり、両者併せて約10%程度、次に大きいのはヘモグロビン系で約30%、残りは重炭酸系が担っています。
CO2+H2O ⇔ H2CO3 ⇔ H++HCO3-
呼吸によって二酸化炭素が増加したり、体内pHが変化したりしても、緩衝系のあるお陰で大幅な変動が避けられている、ということになっています。この関係式は、上で見たイ)とかウ)の関係にも似た感じかな、と。国債発行残高の少ない国であると、この国債という緩衝系の持つ影響度というのは変わるかもしれませんが、日本では発行残高が多いことから、かなりのバッファーとなっているのではないかと思えます。
因みに、Henderson-Hasselbalch式の
pH=pK+log[HCO3-]/[H2CO3]
から、pK=約6.1なので、pHは第2項の比で決まる、ということになります。正常状態であると、pH=7.40くらいです。
一般的に、解離定数=[H+][α-]/[Hα] なので、
[H+]=解離定数×[Hα]/[α-]
から、対数をとると
log[H+]=log(解離定数)×log[Hα]/[α-]
pH=-log[H+]、pK=-log(解離定数)とすると、上記pHの式が定義されます。
現金と国債との解離(=需要の違い)は、主に金利によって定まりますから、例えば
・現金預金比率と金利(及び手数料など)の関係
・(銀行内の)現金国債比率と金利の関係
・(銀行内の)現金貸出比率と金利の関係
などが、同じく研究できそうな感じですが、どうなんでしょうか。
国債保有比率が高まれば貸出比率は下がるだろうし、金利が変動すればやはり貸出比率は変化するでしょう。だからこそ「政策金利の変更」が行われているわけですから。
あくまで経済の「均衡」というヤツですが、何の意味もなく変動しているものとは思われないのですね。
他にも、財政赤字が酷くなってゆくと、国債発行が増加してしまうので、民間の資金需要をクラウディングアウトしてしまう、という話があったりしますが、これもイ)において金庫の現金は右に反応がどんどん進んでしまって(要するに国債買いをたくさんやってしまうということ)溜まると、左側の貸出の方には少なくしか行かなくなってしまう、というようなイメージですかね。
中央銀行の調節能というのは、国債、金庫の現金、金利、を変動させることであり、広い意味で、
現金⇔債券
現金⇔預金
貸出⇔金庫(現金)⇔国債
中央銀行の金庫(現金)⇔市中銀行の金庫(現金)
といった部分に効くはずなのです。上で見てきたのは、そういうことです。
貸出需要は生み出せないとしても、他の2つの状態を制御することで変えることは可能、ということだと考えています。それは重炭酸緩衝系でもやはりそうなっているから、というようなことなんですけどね。平衡(均衡)とはそういう性質のものだろう、ということです(預金だけじゃなく投資ということもあるけどね)。