いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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WBC2009~TR日韓戦

2009年03月08日 12時00分22秒 | いいことないかな
中国戦では順当勝ちだったものの、やや消化不良気味の内容だった。そのことが多くのスポーツメディアなどで語られ、一抹の不安を国民にも抱かせていたかもしれない。北京で連敗を喫した韓国戦だけに、不安視する人々がいたのは当然だったかもしれない。


だが、蓋を開けてみると、コールド勝ちという日本の完勝だった。韓国で期待していた人々をどん底に落とした、まさに屈辱的な敗戦であったに違いない。大敗を喫す、ということが稀にはあるかもしれないが、そうではあっても「コールド負け」というのは違ったものだ。かつて日本がラグビーのW杯で100点差以上の大敗(*1)を喫したのと近いかもしれない。それくらいの負け方をしたのだ、ということ。何年後かになった時、勝った方はあまり憶えていないかもしれないが、負けた方は強く記憶に刻み込まれ忘れられないかもしれない。

(*1):いかにNZが強いとはいえ、145対17という涙の大敗だった。高校生などの国内大会で、あまりに実力差があったりするとこうした負け方を見ることはあるが、それでも滅多にはない話である。これが「国際大会で起こってしまう」というのが、コワイというか悲しいことなのである。途中でギブアップが許されず、コールド負けとかがない分、それなりに残酷ではある。


一言で言うとすれば、イチローの存在は大きかったのだな、ということ。
初回の1本に全てが集約されていた。
スライダーを完璧に狙い打って、相手投手のリズムを崩した。日本キラーの好投手(*2)という前評判は高かったが、あっさりと攻略されてしまった。

(*2):いかに日本戦には強いと言われていたとて、北京五輪準決勝では途中まで0-2で負けていた投手であることには変わりがないのである。日本の打撃陣が打ってない、というものではない。

イチローの打球は、一条の糸を引いてライナーで飛んでいった。
あの打球が、中島や青木に強い気持ちと自信をもたらしたに違いない。「トン、トン、トーン」と長島さん風な表現がピッタリな、あっという間の先制点だった。考える暇も、立ち直りのキッカケさえも与えない、ゴング早々先制パンチでいきなりダウンを奪ったようなシーンだった。スライダーを狙い打ったことが、かなりダメージを与えたに違いない。その後、内川も起用に応え、タイムリーを放った。

試合を決めたと言っていい2回の攻撃。ノーアウト1、2塁で、バッターはイチロー。初回の攻撃に気を良くして、打ちに行っても良かった場面だったが、イチローは「勝つこと」を何よりも重視した。あの場面で最も「得点の入る可能性の高い攻撃」を選択したのだった。全てはチームの勝利の為に。それが、バントだった。あれが結果的にはビッグイニングを呼び込むこととなり、村田の3HRを生んだ。

イチロー、中島、青木という脅威のヒッティングマシーンが機能した結果が、今回のコールドゲームを生んだと言っても過言ではないだろう。


投手陣は、松坂が初回制球に苦しみ、高目の棒球(変化しない変化球?)を2ランされたが、スライダーに拘らずに組み立てを変えてからは良くなった。城島の切り替えとか、松坂の修正能力とかの高さを実感した。北京五輪でも、日本チームの投手力はピカ一だったので、あまり心配はしなくてもいいと思っている。この2戦でも安定感と層の厚さを感じさせた。まあ勝負運みたいな面はあるので、アンラッキーとか、僅差負けとかはないわけではないが、あまり大量失点につながる心配というのはしなくてもいいのでは。

日本のお家芸とも言うべき、投手力は健在と思う。




「流動性の罠」と緩衝系としての国債

2009年03月07日 19時13分56秒 | 経済関連
マネタリーベース、マネーサプライや国債などについて、また若干考えたことを書いてみたい。

これまでの経過:

信用乗数低下と貨幣供給のこと

日銀の自慢?

続・日銀の自慢?


まず基本的なことを。
ケインズやワルラスが言っていた現金と債券の関係は表裏一体、ということです。

 現金⇔債券

ある金利で決まる状態のようなもので、等価であり交換可。
ここで言う「債券」とは、現代の国債のようなものとは異なり、所謂「コンソル債」のことです。無期限債券なので、「目に見える貨幣需要」みたいな意味合いかもしれません。ほぼ貨幣と同等物ということになります。紙幣は言い方を変えると「ゼロクーポンの無期限債券」というものであり、コンソル債は「表面利率X%の利付無期限債券」みたいなものです。この等価交換とは、現在価値が等しい割引債券と利付債券の交換という意味です。

額面100万円、表面利率年利10%のクーポンであると、1年後には110万円の受取ですが、これが現在100万円で売られているとします。

1年後満期額=110万円として、
a)10%クーポンの利付債、現在価値100万円
b)満期額面110万円の割引債、現在価値100万円

この両者は等価(厳密にはちょっと違う)で交換されます、という意味です。b)の方が一般的には「紙幣」の形をしてる、というだけです。市場金利はどちらかでも判りますよね、という話です。でも、経済活動によって何らかの変動が発生すると、うっかりb)の利率が下がって(=割引債の価格が上がって)しまい、例えば額面105万円の割引債が100万円の現在価値となっている(と圧倒的多くの人々が考える)と、a)の方が断然お得(割安)なので「紙幣(割引債)を売って」、10%クーポン利付債を購入しようとしますから、a)の現在価値は値上がりしてゆくことになります。そうすると現在価値が105万円近辺にまで上がってゆくので10%クーポンよりも利回りは低下し、結局のところ割引債(紙幣)と利付債の金利水準は同等になるだろう、ということです。

この時、通常の状態であるとb)の「満期額面Xの割引債」(=将来額面Xの紙幣)の現在価値がいくらなのか、というのを正確には見ることができないのですが、これと等価であるa)の利付債を見ることができ実質的な利回りを計算することができるので、そのことが重要なのです。


①「流動性の罠」に陥ると…

a)の債券でいえば、10%クーポンだったのに利回りがほぼゼロ近傍にまで低下してしまう、というような状態になることだ。通常であると、現金と債券の交換状態は現金の供給が超過すると債券買いが進むので、結果的には債券価格上昇=利回り低下ということが起こる。しかし、利回り(市場金利)が既にゼロ近傍となっていると、今後「債券価格が値上がりする」という状態が訪れない限り、利付債の「高値掴み」となってしまって損をする、という可能性が高くなるわけである。こうした状態ならば「誰も債券を買いたい」とは思わないので、いくら貨幣供給を増大させてみても、市場金利低下は起こせない。

市場金利低下は、多くの場合には「銀行貸出増加」などの資金需要を生み出す。多くの事業は利益率の高い事業になっていくにしたがい、その存在確率や成功確率は低下するだろうから。利益率10%とか20%といった事業はあまり多くはないけれど、5%の事業ならそれらよりも多いだろう、という話。貸出の際に資金コストが1%の場合だと、利益率5%の事業や10%の事業のいずれにも貸出可能な余地があるが、資金コストが6%だとこれ以下の事業に貸し出すことは「赤字」になってしまうので、貸し出せない。よって、ベースになる市場金利が下がるということは、資金コストが低下することを意味するので、貸出余地は増大するから資金需要を増加させる効果が期待できる。
ところが、ゼロ金利になってしまっていると、これ以上市場金利が低下しないのだから、新たな資金需要は起こせないというものである。これが「流動性の罠」なのである。


②貨幣流通を考えると…

貨幣にはいくつかの側面があります。大雑把にわけると、現金として保有する状態と、銀行に預金している状態です。銀行預金となった後には、金庫でキャッシュになっている分、国債を買う分、貸出になっている分、という具合になっています。信用創造に向かうには、流津して銀行との出入りが旺盛じゃなければダメなのです。普通の人たちの財布の中やタンスに現金として保有されていると信用乗数減少となるからです。

ア)大別すると: 現金⇔預金
イ)預金を分けると: 貸出⇔金庫(現金)⇔国債

中央銀行は金庫(現金)と国債比率を「変えさせる」という政策金利変更、オペなどや準備率などによって調節をしているわけである。社会全体で見ても、ア)の現金預金比率に影響を与えることは不可能ではない。

日本の量的緩和政策というのは、簡単に書くと、

ウ)中央銀行の金庫(現金)⇔市中銀行の金庫(現金)

という経路を「太く」しただけに終わったのである。イ)の銀行の金庫にある現金をいくら増やしても、左側の貸出増には行かず、右側の国債買いにばかり流れてしまった、ということである。これが「資金需要を生み出さない」ということの意味である。ウ)の状態で、中銀が紙幣を必死に印刷して金庫(現金)を増大させても、市中銀行の金庫(現金)には流れるだけに過ぎないからだ。

また、「流動性の罠」に陥った状態で、中銀が紙幣をジャンジャン刷って、そのお金で市中銀行の「国債」を吸い上げようと「買いオペ」をいくら打っても、上の例で挙げたa)とb)が等価で利付債の現在価値がクーポンと額面の合計と全く同じ(=ゼロ金利)になってしまうと、これを「買いたい」という人は出てこないでしょう、という話である。満期額面110万円の割引債の現在価値が110万円(=ゼロ金利)という事態は、保有動機として貨幣も債券も区別がなくなってしまうよ、という理屈である。なので、イ)とウ)の流れでいえば、

中央銀行の金庫―市中銀行の金庫―国債

というのが直結状態に近いのであり、状態としては「どれでも同じ」、ということ。キャッシュでも金利ゼロの国債も、変わらないよね、と。
これが「紙幣をいくら刷っても、資金需要は増えない」ということの意味だ。だが、これには留保があって、中央銀行が紙幣を供給するのが「買いオペ」という現金と国債を置換する手法を取っていること、市場金利を示す債券が「無期限債券」という特殊な債券でしか考えられないこと、がある。これはちょっとした落とし穴ではないか、というのが私の考えだ。


③無期限債券と「満期の異なる債券」は同じか?

現実には、政策金利とか市場金利と呼ばれるいくつかの金利水準が存在しているということは、誰でもご存知の通りだ。かつてコンソル債の利回り=利子率(市場金利)としてみなされた場合と、例えば「オーバーナイトもの金利がゼロ」という政策金利がゼロ、という話が同一なのだろうか、ということだ。日本の政策金利がゼロになった時であっても、3ヶ月物、6ヶ月物、1年物、10年物、といった国債金利は同一ではなかった。全てがゼロになったわけではなかった。これはどういうことか?

無期限債券と有期限債券では、金利形成が異なるだろう、ということだ。ゼロ金利の意味が違っているのである。たとえゼロ近傍であろうとも、金利はプラスに残っていた。確かに買いオペをして金利低下を達成できたとしても、例えば1年物が0.2%→0.15%と低下したとて僅かに0.05%しか違わないので、これで「新たな資金需要がどんだけ増えるのさ」ということはある。もっと短期資金だと、0.032%だった金利が0.03%に低下したって、たったの0.002%しか変わらないんじゃないか、と。こんな程度の変化で「資金需要が増えるのか」と。

けれども、ア)の現金預金比率では「現金比率が増加する」(金利がほぼゼロなので)、ということが起こるわけだから、過去と同じ程度にしか供給しなければ、現金比率が高まった分だけ預金は低下し、余計にマネーサプライは小さくなってしまう。その低下分を補うだけの供給を続ける必要があるのだ、ということが、まず一つ。

期間の異なる国債金利を引下げさせると(国債買入償却や買いオペ等)、例えば5年物や10年物の資金コスト低下が期待できるようになるから、その部分での貸出増加という効果が若干ながらも期待できるようになる。例えば住宅ローンのような長期借入などでは、借入金利水準は大きな影響力を持つと考える。中長期的事業の資金手当てとしても、資金コストが低下している方が望ましいので、借入を10年後分まで調達しようかな、と考える人は出てくる可能性がある。

株式投資のような投資との比較において、国債需要増大で国債価格が上昇することにより安全資産運用利回りが低下すると、リスクのある投資にも資金配分が行われやすくなるだろう。そうすると、株式の価格上昇によって資産効果が期待できるようになる、株式を保有する法人や金融機関のバランスシートが改善する、年金運用利回り改善で消費意欲にプラスの影響があるかもしれない、などの効果が期待されるだろう。更には、為替において円安効果を生むので、やはり望ましいだろう。


④単なる「買いオペ」では期待薄かも

貨幣流通では、現金か預金に大別され、預金は貸出か国債が主なものになるから、全体を見た時の「国債」の比率を低下させなければならないのである。銀行にとっては、利息の付かないキャッシュに持ち替える動機があまりないので、国債を引き剥がすのは結構難しい。そこで、中銀が国債を競合的に買うことによって、国債需給をタイトにしてしまうのである。需要超過となるわけだから、価格は上昇する。ある価格に到達(=ある水準まで金利が低下)すると、「ここで債券を持つと損をするだろう」という水準がでてくる。それは、国債の値段が高いので、「今後は下落する可能性の方が高い(=金利が上がってゆくだろう)」という見通しが発生する水準があるだろう、ということだ。

「流動性の罠」状態というのは、まさしくそういうことで、金利低下がある水準に到達するとそこから先は「貨幣を選好してしまう」ということなのだから。「債券を持ちたい」とは思わなくなってしまうのだから。銀行が債券を持ちたいと思わなくなるとどうするかと言えば、貸出先を見つけるしかないわけです。或いは、投資先を探すしかないわけですよ。

つまりは、銀行に対して「国債を銀行から引き剥がす=国債を解離させる」という状況を生み出さないとならない、ということです。中銀が「国債を買って現金と引き換えますので、応募して下さーい」みたいに呼びかけても、臆病になってしまった銀行の多くは「いやいや、無理ですからいいです、応じません」ということになってしまって、応札せず、みたいなことになってしまうと、買いオペの意味がなくなってしまいます。そうではなくて、貨幣供給を継続しつつ、国債需給を需要超過にして比率を低下させてゆくようにしなければならない、ということです。国債指標金利が下がると、新発の国債金利は低目になりますから、それもやはり意味があるのです。低すぎる金利であると「他に振り向けようかな」と考える人が出てくる、ということです。


政府紙幣発行で直接ばら撒くという手は、貸出需要を創出するかどうかは判りませんが、

()政府が無期限割引債を発行(実質政府紙幣)     
()日銀が割引債を買取って政府に日銀券を渡す
()政府がその日銀券で財政支出について支払う

ということをやるのと大して変わりません。やれば、消費や公共投資は増やせますね、きっと。


⑤重炭酸緩衝系

似たような印象なのが、人体の酸塩基平衡を司る調節能です(以前にも触れました:日銀には「art」が足りない)。緩衝系にはいくつかあって、小さな調節能のものは血漿蛋白系やリン酸系などがあり、両者併せて約10%程度、次に大きいのはヘモグロビン系で約30%、残りは重炭酸系が担っています。

 CO2+H2O ⇔ H2CO3 ⇔ H++HCO3-

呼吸によって二酸化炭素が増加したり、体内pHが変化したりしても、緩衝系のあるお陰で大幅な変動が避けられている、ということになっています。この関係式は、上で見たイ)とかウ)の関係にも似た感じかな、と。国債発行残高の少ない国であると、この国債という緩衝系の持つ影響度というのは変わるかもしれませんが、日本では発行残高が多いことから、かなりのバッファーとなっているのではないかと思えます。

因みに、Henderson-Hasselbalch式の

 pH=pK+log[HCO3-]/[H2CO3]

から、pK=約6.1なので、pHは第2項の比で決まる、ということになります。正常状態であると、pH=7.40くらいです。

一般的に、解離定数=[H+][α-]/[Hα] なので、

 [H+]=解離定数×[Hα]/[α-]

から、対数をとると

 log[H+]=log(解離定数)×log[Hα]/[α-]

pH=-log[H+]、pK=-log(解離定数)とすると、上記pHの式が定義されます。


現金と国債との解離(=需要の違い)は、主に金利によって定まりますから、例えば
・現金預金比率と金利(及び手数料など)の関係
・(銀行内の)現金国債比率と金利の関係
・(銀行内の)現金貸出比率と金利の関係
などが、同じく研究できそうな感じですが、どうなんでしょうか。

国債保有比率が高まれば貸出比率は下がるだろうし、金利が変動すればやはり貸出比率は変化するでしょう。だからこそ「政策金利の変更」が行われているわけですから。
あくまで経済の「均衡」というヤツですが、何の意味もなく変動しているものとは思われないのですね。

他にも、財政赤字が酷くなってゆくと、国債発行が増加してしまうので、民間の資金需要をクラウディングアウトしてしまう、という話があったりしますが、これもイ)において金庫の現金は右に反応がどんどん進んでしまって(要するに国債買いをたくさんやってしまうということ)溜まると、左側の貸出の方には少なくしか行かなくなってしまう、というようなイメージですかね。

中央銀行の調節能というのは、国債、金庫の現金、金利、を変動させることであり、広い意味で、

現金⇔債券
現金⇔預金
貸出⇔金庫(現金)⇔国債
中央銀行の金庫(現金)⇔市中銀行の金庫(現金)

といった部分に効くはずなのです。上で見てきたのは、そういうことです。

貸出需要は生み出せないとしても、他の2つの状態を制御することで変えることは可能、ということだと考えています。それは重炭酸緩衝系でもやはりそうなっているから、というようなことなんですけどね。平衡(均衡)とはそういう性質のものだろう、ということです(預金だけじゃなく投資ということもあるけどね)。




続・日銀の自慢?

2009年03月06日 12時04分40秒 | 経済関連
昨日の補足です。


マネタリーベース(2009年2月):日本銀行

これを見ると、あー、なるほどな、ということは感じ取れますよ。
ドル円が「90円割れ」となった後に、中川(酒)の朦朧会見&小沢爆弾があったにせよ、98円まで円安になってきた理由というのは何があったのだろうか?

いや、そんなアホな理由で円安が達成されるわけでもないんですよ、多分。


まず、世界中の中銀が協力して「ドルの流動性供給」をやる、ということになり、ドルは潤沢に供給されたんですよ。それに、英や欧州の大幅利下げとか、東欧やロシアの落ち込みなどの危機が表面化してからは、それら通貨の下落となったんです。こうした中で、円だけは供給を増加させずに来ていたので、他国通貨に比べると相対的に減って(=外国の通貨は増大)価値増大となった、すなわち円高が達成されたというわけです。けれども、マネタリーベース拡大のギアを変えて、09年1月と2月で94兆円規模まで大幅に増量した(=円通貨供給の増大)ので、これまでに比べると相対的に円の価値が落ちた、と考えると、局面には符合しているわけですよ。伸び率を見れば、かなり高い水準であることが見て取れますもの。


景気悪化が来ている、という07年後半になってもマネタリーベースを絞り続けた結果が、日本だけは「07年から景気後退局面入り」となった、というわけです。急激な円高に見舞われたのも、08年末~今年はじめにかけて円高が一層きつくなったのも、日銀のマネー供給のペースが「諸外国に比べて圧倒的に遅かった」為であると考えれば、納得がいくわけなんですよ。

09年入り後までのマネタリーベース増の効果が次第に顕在化してきたものと考えると、円の相対的減価が起こるのは不思議ではない。


だから言ったでしょう?
円高は日銀がもたらしたんだって。輸出企業を中心とする財界のお偉いさんたちは、全く気付いていなかっただろうけど。

誰を支持するべきか、というのは、よく考えて下さい。



日銀の自慢?

2009年03月05日 20時05分05秒 | 経済関連
マネーサプライが増えない理由とは何か?
明確な答えを探すのは難しいかも。


でも、日銀はミシュキンに罵られたように、恐らく本物の「God damn stupid」なんです。

人間はウソをつく。
だが、データはウソをつかない。
数字を見れば、何かが見つけられるかもしれない。


ごく基本的な話を書くと、

 マネーサプライ=信用乗数×マネタリーベース…①

という決まりになっています。信用乗数低下したことを書いたのだが、これは観察される事実であり、90年代から今世紀を通じて同じ傾向でした。量的緩和でマネタリーベースの一時的増額があったからだ、という見方はあるかもしれませんが、でも、運営が下手であることには変わりないでしょうね。


08年3月時点での信用乗数を見てみましょう。日銀統計のマネタリーベース(2008年3月):日本銀行より、

マネタリーベースは88.3867兆円、季節調整済値で88.0091兆円、08年第1Qの平均残で88.7859兆円。
「M2+CD」は734.0兆円だったので、信用乗数=(M2+CD)/マネタリーベース…② から計算(①式の変形だね)すると、ざっと8.30前後(8.27:1Q平均残、8.34:季節調整済値)ということになる。以前の10~12という時代とは明らかに異なっている。

言えることは、信用乗数が低いのなら、①式においてマネタリーベースを増やさないとマネーサプライは増加しない。仮に、マネタリーベースを増加させると信用乗数が減少してしまう、というような関係にあるのであれば、増加させることに意味はないだろう。だが、信用乗数をマネタリーベースの減少関数に書き換えられる、ということであるなら、①式は違った形になるのではないだろうか。そういう関係式が見出されていないのであれば、マネタリーベースを増やさない、ましてや減らすという意図が判らない。


マネタリーベースの85年~08年のデータを四半期毎に並べて見てみたら、流れが掴めますから。グラフ入れられる人は、是非とも作ってみたらいいですよ。前年同期比と、一つ前の期との伸び率を見ると、緩和的か引き締め的か判りますからね。幾つか特徴を挙げてみます。

ア)
86年までは前期比約7~8%の伸び率だったのが、87年第1Q以降には10%超となり、以後89年までこれが持続。90年第3Qでようやく9.16%の伸びという10%割れになるまで、14四半期連続で大きな伸びを示した。これが所謂「バブル」という状況になっていった局面でした。

イ)
91年第1Qに前四半期比でマイナスに転じ(前年比では約4%の伸び率と大幅に低下)引き締め効果が見られる。91年第3Q~92年第1Qまで3四半期連続でマイナス、前年比では92年第3Qまでマイナスが継続。この頃には、既に景気悪化が起こっていて「バブル崩壊」は過ぎていた。にも関わらず、引き締めがきつく効き過ぎていて、後遺症をもたらしたであろう。

ウ)
93年~95年第3Qまでは前年比伸び率が約4%程度と、かなり低目に押さえ込まれていたことが判る。この時期にもバブル崩壊の危機的ダメージは食らっていなかったし、デフレでもなかったので、脱出チャンスはあった。景気が回復基調となった96年には8~9%を超える伸び率が見られていた。90年代後半の金融危機が表面化した時期であっても、伸び率は高めで推移し、前年比では9%以上を記録していることは少なくなかった。

エ)
しかし、ITバブル期を迎えると2000年第1Qには前四半期比マイナスで引き締めに転じ、01年第1Qまでそうした引き締め傾向が続いていた。既に株価は急落してしまっており、日本のITバブルなんて消え去っていたにも関わらず、無駄に引き締めたのだ。ゼロ金利解除とか引き締めの失敗だった。これ以後には、深刻なデフレ不況が襲ってきて、量的緩和政策の実施に移行(01年3月に決定)していった。

こんな感じ。


また、数字の推移を見ていくと、四半期の速度感には若干の違いがあるものの、前年同期比の伸び率では経済成長率がある程度保たれている時期(景気が上向き)であると8~9%程度の伸び、10%を越えてくるとやや過熱気味の時期という感があり、5%を下回っている時期には「悲惨な頃」が多い。量的緩和実施後になると伸び率の目安が利かなくなるので一概には言えないだろう。

01年以降の第1Qのマネタリーベース金額を書くと、次の通り。

01   662169
02   846158
03   950134
04   1081709
05   1107369
06   1116179
07   887863
08   887859
  (単位 億円)

02~03年の当座預金残高の増額は判らないではない。けれど、04年以降にも100兆円を突破しているのに、そこから増量という意図がよく理解できなかった。まあ、「やり続ける」という決心を見せたかった、ということなのかもしれないが。でも、金が滞留していたのは銀行で、間接的には銀行に「バクチ資金」を供給するだけになってしまったのでは。これは、今は本題ではないのでおいておく。


06年3月に量的緩和解除となってしまったわけだが、その後の運営には大きな問題があったといわざるを得ない。緩和解除決定から3Qに至る僅か3ヶ月間程度に、一気に落とし過ぎたであろう。
解除前には約111.6兆円あったのを2Qには約96.4兆円と15兆円以上減らし、次の3Qには約88.4兆円まで落とした。半年程度でこの水準にまで、一気に減らしたのだ、ということ。これがまずかったであろう。その後、利上げが行われたし、07年の失速というのは、「既に後退期に入ってきていた」のに引き締めをやったせいで、世界中のどこよりも早く景気後退になったということだ。

離脱期には「時間をかけろ」と忠告しておいたにも関わらず、慎重にいかなかった為に逆戻りになってしまったのだ。

量的緩和策導入頃のマネタリーベースの規模は約66兆円だったのだから、単年の伸び率が約8%水準だとして(85年~99年の平均でも約7.2%程度、これは不景気の頃やバブル崩壊の引き締め過ぎも入れて、の数字だ)、05年3月には約90兆円、08年3月には約104.7兆円の規模になるのだ。
ところが、06年に量的緩和解除後に88兆円規模に落とし、それ以降の06年第3Q~08年3Qまで9四半期連続で「88~89兆円で維持」していたのだ、日銀は。

08年なんて年頭から「サブプライム危機が本格的に来た」と世界中で大騒ぎになっていたのに、それでも「絞り続けた」わけですよ。日銀はバカなんですか?
日経平均は世界で一番落ち込み、ベア・スターンズ危機だのファニー&フレディの危機だの、経済失速のリスク顕在化がそこかしこにあってなお、「88兆円を維持」することに一体全体何の意義があるのですか?そうやって世界中が「流動性の危機だ」と騒ぎになっているのに、「10月までは絞り続けました~」という大マヌケが日銀なのだ。105兆円規模まで増加していても不思議ではありませんね、という時期でさえ、「88兆円死守」ってバカか?

まあ、年率で4%程度も伸びればいいよ、ということなら、08年でも87兆円くらいだから、それを目標としていたのかね。減量を急にやっては危険だ、ということの意味がまるで判ってないね。落とすピッチをゆっくりやれ、ってことだろ?普通は。上にも書いたけど、8%水準の増加があったものと見込めば、66兆円→105兆円なんだから、2年かけて10兆円の減量で済む、って話じゃないの。当座預金残高に30兆円超も積んでおくのはオカシイ、ということなら、銀行に「直で流れない」代替的な措置とか、それこそ「激変緩和措置」とかをやるのが普通なんじゃないの?

ところがどっこい、日銀のバカときたら、88兆円台に落とし過ぎたので、年末くらいには大慌てになってしまい、09年初めの急激な膨張というのは、こりゃ一体何ですか?(笑)
約94兆円まで「急激に増やしました」という、マヌケっぷり。

こういうバカにハンドルを握らせると、大変なことになるから。
急ブレーキ!!
と思ったら、今度は急にアクセルを踏み込む。
誰が、床が抜ける程にブレーキペダルを踏み込め、って言った?
もっとエンジンブレーキを利かすとか、惰性で速度を殺すとか、色々とあるのが普通だろ?
日銀みたいな運転の仕方では、凍結路面では即死亡だわな。
というか、本当は一生懸命やればできるんでしょ?
だって、9四半期も連続で「88~89兆円」という狭いレンジでやってきたんだから。

そういう職人芸を見せてくれ、って言ったんじゃないの。
あんたらはバカか?
適用禁忌なのに、「わざと低血圧」で維持、みたいなもんだろ、そりゃ。
喩えて言えば、収縮期血圧を「100以下に落とすと危険です」って術前に判っているのに、術中にわざと「低血圧麻酔にしてみました~、頑張って90以下を維持しております~」って、バカか?
戻すピッチを考えろ、これまでの薬剤効果(量的緩和だな)でマスクされていた部分が顕在化してくるかもしれないから、慎重に行け、っていうのが当たり前だろ。「90以下に維持できる能力」が一番大事なんじゃない。そんなもんは自己満足でしかないんだよ。
100以下になったらどうなるか、90以下になったらどうなるか、そういうことを事前に考える能力、危険を判断できる能力、そういったことの方が圧倒的に重要なの。薬を入れれば「90以下に落とせる」というのは当たり前だっつーの。「狭いレンジで維持」は職人芸的な能力は必要だよ、そりゃ。だけど、それでは本末転倒なんだよ。

本来、「決してやってはいけない場面」で90以下に落としてしまい、その「重大な欠陥」に気付けず、それを維持し続けるということの方が、はるかに害悪なの!それなら、狭いレンジに維持する能力なんかまるでなくて、「ありゃ、95になってしまいました~」「100に戻っちゃいました~」とかの方が、実質的被害は少ないんだよ。ダメージも食い止められる。でも、無用に低血圧を長期に維持したので実質的被害は拡大し、ダメージは蓄積されたんです。その結果が、「デフレに逆戻り」という大きな代償だ。落とすのが早すぎたし、大幅に落とし過ぎたんだよ。薬剤の減量ペースを考えられないようなヤツが、どうして薬剤調節を司っているのか不思議だ。

「ドンドーン、と90まで一気に落とし、後は長めの時間を一定範囲で維持」という発想がそもそも間違いでは。違うでしょ。ある量を落とすまでゆっくり時間をかけて、後は元からある状態(策の影響のない状態)に近づけるのでしょ。


日銀のヤツラは、判っていて、ワザとやったのさ。
意図的にレンジを定めて維持したんだろ。それがどんな最悪の結果をもたらすのか、ということを考えずに。言うなれば「患者のことを一顧だにせずに」、自分の満足の為に「ワザと低血圧」を選択したのさ。その選択は「自分の能力を示す機会」にはなれども、患者の為には全くならない、というものだ。

2人乗りのオートバイで、「オレはこんなカーブも高速で曲がれるぜ」と曲芸的コーナリングを見せてくれるのはいいが、後ろの同乗者の顔も手も足も皮がズル剥け(道路との摩擦w)で大怪我するんじゃ、意味がない。同乗者を大怪我させてまで、そんな腕自慢を見せるくらいなら、やらない方がマシ、ってこと。やる前から「同乗者がどうなるか」ということに気付かない運転者がオカシイし、怖い。無駄なコーナリング技術を自慢するくらいなら、怪我をさせずに安全な低速コーナリングをしてくれた方がいいに決まってる。

日銀は何が求められているか、ということさえ、うまく自力で考えられないのかもしれない。



とりあえず混沌

2009年03月03日 18時38分03秒 | 政治って?
小沢の秘書逮捕、ということらしい。

これって、何がどうなのかは判らないが、自民の反撃が始まる、ということかも。

民主防戦、下手すりゃヘッドを失って、緊急に鳩山か菅とかを立てて、ということになってしまうか。


検察がどこまで狙ってるのかが焦点か。
小沢に届かないのに、秘書には行かないだろうけど。

陸山会解体、というか、崩壊危機?
うむむ…


どっちに転んでも、政治は空転、国民は被害を受ける、ということか。




私が混合診療に反対しないワケ

2009年03月03日 16時09分49秒 | 社会保障問題
にゃーにゃーの人(笑、悪気はないよ)が混合診療の問題点について指摘&説明しているわけだが、ハズレというわけではない。大体は同意できるものであるし、怪しげな代替医療の問題みたいなのがあるというのはその通り。
近頃大都会であるらしいのが「点滴バー」とかいう、「どう見ても~です、ありがとうございました」的医療機関があるそうな。まあ、東京モンは常日頃疲れているのだろうから、点滴バーだの酸素バーだのというような、アレげな場所に行かねばなんね、ということかもしれませぬ。

はてなブックマーク - ニセ科学が日本の医療を食い散らす日 - 地下生活者の手遊び

これはこれでいいのだが、個人的には「混合診療の(部分)容認派」である。それは何故か?

簡単に言えば、「請求できない壁」みたいなものの存在でしょうか。
そんなに詳しく研究したりしたことはないし、知ってる範囲も狭いのだが、一応書いてみるよ。


よく取り上げられた話として、リハビリの期間制限という問題があった。6ヶ月間という縛りができた為に、患者サイドが大変困っている、という話である。これを例にして、少し書いてみる。

テレビなんかではセンセーショナルに取り上げられるのだけれども、リハビリの期間制限の為に「もう診てもらえない」とか言う話になってしまっているのだが、これは本当なのだろうか?6ヶ月を超えて「リハビリをしてはいけない」、などという医療上のルールなどあるのだろうか?

はっきり言えば、それはウソだ。
できないのは、「保険請求上の算定」だけであって、リハビリを行うことは医療保険制度上では「何らの禁止事項」もない。できないというのは、医療機関側が患者サイドに「もう算定できないので、やりたくありません」と言っているに過ぎないのである。本当は、診療の求めがあるなら、これに応じなければならず、医療機関側は原則拒否できない。保険診療のルールとは、「やるな」という制限とか、行為についての禁止というものは殆どないが、基本的に算定ルール(保険請求ルール)というものなのだ。

従って、患者がリハビリをどうしてもやってくれ、という求めをした場合、医療機関側にはこれを拒否できる合理的理由というものがなければ、実施せざるを得ないのである。たとえ実施したとしても、それを保険請求することは認められていないので、単に請求できない、というだけである。つまり、タダ働き、ということ。もし厚生労働省に解釈を尋ねたとすると、「6ヶ月を超えて~を実施した場合には、算定できない」ということになり、強いて解釈するなら「再診料に含まれ、算定できない」とか、「6ヶ月以内の~の所定点数に含まれるので、6ヶ月以降には算定できない」とか、強引に疑義解釈を作られてしまうだろう。
医療機関が「リハビリをやってはいけない」というように言ってるのは、実は不正確だ、ということ。やっていいんですよ、別に。けど、保険請求ができない、というだけ。良心的な医療機関であるほど、そういった請求できない費用を医療機関側がかぶって、患者さんにその分の医療サービスを提供してきたんですよ。だから全然儲からない上に、仕事ばかりが増えるわけだ。


これに類する、期間制限や回数制限などのある算定ルールは多く存在し、「○○検査は月に2回まで」しか算定できない、ということになっているなら、「3回以上やってはいけない」ではなくて「やってもいいけど、請求できない」ということである。医療なのだから、必要に応じてやらねばならないものはやるし、保険で算定できないからといって「やらない」ということにはならない。これが基本。なので、リハビリがまだ必要だ、と医師が判断するなら、6ヶ月を超えても「やるべき」だし、普通はやる。けど、タダ働きになってしまうね、ということだね。

こういうのを回避することは、基本的に医療機関側にはできない。
保険の算定ルールというのは、かなり複雑であるし、硬直的でもある。検査回数は~回まで、とか、絶対的基準があってそうなっているわけではなく、大体の場合(あくまで確率的問題)にはカバーされるでしょう、でも例外も必ず存在していますよ、ということです。また、検査法、薬剤や治療法について、算定条件として「○○をやった場合に、~~について算定できる」みたいなこともあり、そういう前提に合致しない場合には、やはり算定できないということになってしまうわけである。薬についても、適用外使用(例えばサリドマイド、低容量アスピリン、とか)の場合には、認可が出るまでは原則「保険適用外」ということになってしまい、どうしても使う場合には、自費ということになってしまって、これもまた患者負担が重い、ということになるわけである。


なので、必ずしも硬直的な保険上のルールが望ましいとは到底思っていない。
患者の希望という点についても、「もっと詳しく説明してくれ」とか「もっと血液検査回数を増やせ」とか「どうしても頭部のMRI とCTを撮ってくれないと納得できない」とか、そういった無理難題を要求する方も中にはおられるわけです。そういう方々は、負担額が問題なのではなく、「この内容では満足できない」という方々が多いわけですよ。能力の高い医師になればなるほど、無駄な検査とかはやらないし、必要最小限でもかなり診断をつけられるし、薬もやたらと使ったりはしないと思うんですよ。でも、「あなたはゆっくり寝ていれば大丈夫ですよ」とか言っても、「どうしてもカゼ薬を出してくれ」とか「検査してくれ」とか要求されることはあるんだろうと思います。そういう場合にこそ、必要最低限のセットメニュー(=保険診療)と、その範疇にはルール上入らない請求については「別途保険外料金を頂戴いたします」と請求できる方がいいと思うのです。


保険の縛りというのは、割と理不尽なものとか、使いづらいとか、何で請求できないんだろとか、そういうのがかなり含まれているのです。どうしてかといえば、儲けさせない為、です(笑)。保険の点数や請求金額が「過少評価」であるかどうかなんて、誰にも判らないわけなんですよ。言ってみれば、医療業界だけは「社会主義」原理っぽくて、従事者たちには「これくらい」という大雑把な水準の給与があるだけです。おまけに今の保険制度というのは、上手ければ上手いほど、全然儲けられないという制度になっているわけです。下手な医師ほど儲かる制度なんですから。だったら、上手いか下手かに関係なく保険診療はあってもいいので、それなりに請求させてくれ、という部分については「別途いただきます」ということでいいと思います。

例えば保険診療にある点数を準用して、仮に500点の算定の認められるものであれば、これを保険外で実施するなら5000円徴収すれば済みますよ。「保険点数にあるもの」を自費でもらうならそれで問題ないし、適用外使用にしても「現に存在している薬剤」ということで既に薬価があるのだから、その分を貰えば済むことです。別に、儲け主義だから混合診療はダメだ、とかいう話ではないでしょう。リハビリの制限にしたって、最大公約数的な話が6ヶ月ということであって、それを超えて実施したいという人には、その別途追加料金を貰えば実施できるのではないでしょうかね。それは、あくまで「保険診療の延長上」にあるものであり、特別な「紛い品」みたいなものではないでしょう。詳しい説明にしても、希望する人にはタイムチャージで30分まで初診か再診料と同等水準で貰ってもいいと思えます。


食堂に行った時に、セットメニューで「○○定食」しかない、というのが保険診療の基本です。サイドメニューとかは原則選べない、ということであり、もし万が一「定食にない冷奴を追加したい」とか「みそ汁のおかわりをしたい」とか言っても、保険では認めません、という制度になっちゃってるんですよ。「みそ汁は1杯までしか算定できない」という最大公約数的ルールになっちゃってるんです。これを、「もう一杯注文したい」という人には、「注文できるようにする、その金額を請求できるようにする」というのが混合診療ということの意味合いです。

保険診療の硬直的ルールである「○○定食」は絶対であって、「患者サイドでは選択の余地がない」ということになってしまっていて、これではサービス水準が低いと言わざるを得ないと思います。若干なりとも、患者サイドにだって選択の余地を認めることがそんなに悪いとは思いません。そういう要求をしたい人だけが、自己負担で行えばいいことです。いくら「みそ汁お替り自由がいいよね」と言っても、保険財源がそこまでは許容できないのですから、みんなに2杯目をタダで出すというわけにはいかないのです。ならば「みそ汁は1杯しかダメ」という硬直的制度から、「2杯目以降は自己負担で追加料金を頂きます」という制度になっている方がいいでしょう、ということです。


なので、混合診療がそんなに悪いとは思わない。
使い方次第なのではないかな、と。




信用乗数低下と貨幣供給のこと

2009年03月03日 10時36分55秒 | 経済関連
またまた素人考えで申し訳ないんですけど、ちょっと考えたことがあったので。

まず、こちらの資料を御覧下さい。

第1-8-9図 信用乗数とハイパワードマネー

第1-2-15図 貨幣乗数の推移

第1-2-14図 マネタリーベースの要因分解


①信用乗数は92年頃に12.4、以後低下が継続、99年に10を切り、03年以降には6倍台まで低下。
②現金預金比率は85~90年には約8%程度だったが、バブル崩壊後に上昇、02年には10%超。
③量的緩和で日銀当座預金残高の増加でマネタリーベース増はあったものの、信用乗数は戻らず。


信用乗数が約半分にまで落ちてしまっていたので、信用創造機能は大きく落ちたということです。この理由として考えられるのは、
 ・企業が有利子負債圧縮の為にひたすら返済
 ・人々はあまり銀行に預けない(=現金選好)
ということがあるかもしれませんが、そもそもデフレだから、というのが一番でしょう。
何故なら、0.1%の定期預金なんかよりも、借入金利3%の住宅ローン返済に回す方が断然お得だからです。以前3%で借りたローンがあっても、5%の投資があればそちらに回すのが合理的です。けれども、そんな投資先がない、という状態になってしまったのです。現金比率が高まったのは、銀行への不信感というのもあるかもしれませんが、手数料をあれこれ取られてまで銀行に置く意味がない、と多くの人々が考えたのではないかと思います。普通の人にとっては、ATM手数料というのが「負の金利」と同じ意味を持っていたのではないかな、と。その上、デフレですから、キャッシュのままで置いておくだけで価値が増加しているんですから。銀行に置く必要性が乏しくなったのは、経済学的には合理的では。

<例>
100万円が1年後にどうなっているか。

ア)金利0.01%預金の場合:利息100円、うち20%源泉され手元には80円、ATM手数料に525円、『合計 -445円』
イ)タンス預金の場合:ゼロ、何にもナシ。『合計0円』

結果的に、デフレで実質金利がついているわけだから、イ)の方が断然お得だと思う人が多くいたのでは。おまけに、銀行閉鎖とかでATMの機械はどっか行ってしまったり台数削減などで不便さが増したりとか。酷いのは、機械に行列で、毎回並ぶのが腹立たしい、みたいなことがあったりとか。つまり、銀行に預けると、これらのコストが加わり、「マイナスの利息」が大幅にアップしてしまったのではないか、と。それで現金主義が好まれたのでは。

銀行は金を貸出たくても、多くの企業が負債圧縮で「返済、返済、また返済」ということで借りない。貸出先が乏しくなっていった、というわけですよ。それで銀行や金融機関はこぞって「国債購入」を行ったんです。その結果が、指標金利の0.5%なんていう事態だったわけです。安全地帯への退避・避難という意味合いもあったかもしれませんが、銀行等が国債の持ち高を増加させたのは事実です。

こうした「既発国債」に銀行資金が回ると、恐らく信用乗数を低下させるのではないかと思います。だって、国債は次の誰かに預金を増やしたり、貸出したりはしませんからね。
政府はどうかと言えば、今世紀以降には政府支出の大幅削減を掲げて緊縮財政を目指し、政府信用さえも削ったわけですから。公共事業の持続的削減などが、そうです。結果的には、民間信用はマイナス、政府信用もマイナス、ということになって行けば、必然的に資金の貸出先がない、ということになっていくわけです。他には、所謂「竹中ショック」というような事態ですかね。どこの金融機関も、いつ「金融庁に撃たれるか判らない」というような、極度の恐怖に陥ったものと思います。それで、リスク回避が極端化してしまい、貸出には回さず安全な国債を買う、という選好を招いた側面があるのでは。


各コンパートメントのようなイメージで書くとこんな感じ。

日銀 ― 市中銀行(金融機関) 
     ↓↑  ↓↑
     家計 ― 企業

(銀行、家計、企業のトライアングルの中央には、金融機関のサブとして、ローン会社、カード会社や消費者金融等がある、というイメージかな。)

もうちょっと日銀と銀行のところを書けば、

◇◇◇国債◇◇◇
 ↓↑    ↓↑
 日銀 ― 市中銀行

というトライアングル形成、かな。法人や家計も国債を持つけれど、銀行が持ってるのとほぼ変わらないし、直接取引での調節機能というのはないから、今は考える必要性がない。国債というプールは、日本においてはかなり巨大なものだという印象。


銀行の資金比率が(自己資本比率は別に自己資本で基準が達成されており、一定であるとして)、

ウ)貸出50、国債50
エ)貸出90、国債10

という場合であると、それぞれ信用乗数というのが大きく変わってくるのではないか、というのが、問題意識だ。ウ)の状態が酷くなってきたのは、言わずと知れた98年以降の金融危機からで、年々国債保有比率が高まっていった。特に最悪だったのが02~03年で、不良債権問題がどうのとか金融システムがどうのということではなくて、デフレが最悪だったこと、極端な清算主義的手法が取られたこと(金融機関への荒療治)、などがあったが故ではないだろうか。

日銀が当座預金残高を維持して量的緩和だと言っていたものは、単に銀行に国債買い付け資金を供給しただけ、というものだったのでは。銀行は日銀から潤沢にいくらでも資金は引き出せるわけで、そこから企業や家計には流さず、国債というプールにバイパス形成を行ってしまったんじゃないか、ということです。まさに「スティール現象」なんですよ。日銀がマネタリーベースを増やした、と言っても、それは準備金が増えたというだけで、そこから先には「資金を送る方法」を何ら考えなかった、ということです。だからこそ、国債買いの資金としてジャンジャン流れてしまった、ということでは。その為に、信用乗数は低いまま、国債金利は低下、ということになった、と。


対抗措置としては、銀行というコンパートメントに資金が滞留してしまうので、そこから先に流し込まなければならない、となれば、それなりの「デリバリーシステム」というものを考えるのは当然でして、薬だって同じですよ。銀行にバラマキをやったけれども効果がなかった、というのは、当たり前。銀行が資金需要を作るわけではないから。ならば、そこから先に作る方法を考えるべき。通常は公共事業のような、政府支出が多いかもしれないが。所得税減税ならば家計へ配分だし、企業減税、投資促進補助金、優先的貸付、信用保証補助などは企業への配分ということになる。

日銀がやるべきは、マネタリーベース残高をある程度維持し供給を増加すること。当座預金残高を減らすというのなら、銀行券残高を増やすとか政府信用を増やすなどで対応するべきなのでは。そこから信用創造に金を回してゆくということになるわけで、銀行(金融機関)が国債を選好してしまうのであれば、競合して買ってしまう必要があるのだ、ということ。金利が低下(=国債価格は上昇)を続けると、どこかの時点で「国債を優先して買いたいとは思わない」国債価格というのが出てくるわけですよ。そういう状況下になると、国債を買おうかな、と思う人は大幅に減って、もっと別なところに資金を向けようと考えるようになるんです。国債買入というのは、そういう役割があるんじゃないんですかね。ただでさえ、一般家計では現金を手持ちにして「動かないお金」を大量に生み出しているというのに、信用乗数が低下している中にあっては、現金供給をもっと増やすべきなのでは。海外との相対的な比較では、特にドルのマネタリーベース増加率より下回ると、円高を招きやすくなるでしょうね。

以前に書いた物々交換で、バナナ10本とかぼちゃ1個という比率だったものが、バナナの供給が増大すればバナナ15本とかぼちゃ1個という比率になってしまい、そうすると、見かけ上「バナナは価値減少」、「かぼちゃは価値増大」ということになるんですよ。これは需給関係で決まるわけです。為替では、こうした「貨幣供給」の相対的関係が現れるはずでしょう(参考:「お金LOVE」を打ち砕け!)。


いずれにせよ、日銀はマネタリーベースを増やす、という方策について、もっと真剣に考えるべき。マネーサプライの増加率が低いのには、それなりのワケがあるだろう、ということ。




直近のデフレ・リスク指数はどうなんでしょうか

2009年03月02日 18時22分44秒 | 経済関連
輸入物価下落や大幅なギャップ拡大などで、今後の見通しは厳しそうですが。

第1-3-17図 デフレリスク指数


08年10月くらいの時点での判断でも0.36でしたから、09年1Qだともっと悪化してる可能性がありますね。
「0.5超え」だと、マジでデフレリスク真っ只中ってことになってしまいますが。

誰か資料を見つけてカウントしてみて欲しいね。
つーか、月例報告とかの時、毎回かせめて4半期毎くらいに、このスコアを出せばいいんじゃないですかね。

この略称は何と言うのでしょう?
DRIndex? DRScore?
まあどっちでもいいけど、「DRI」なり「DRS」なりをきちっと出せばいいんですよ。そういう「判りやすさ」の為にあるんでしょう?こういう数字というのは。あるなら、チャッチャと使ってくれよ、普及させてくれよ、と。

で、事後的にインデックスの威力・効果を検証すればいいわけなんですよ。どの程度の信憑性というか、信頼性や妥当性があるか、他の追加すべき項目や入れ替えるべき項目はないか、項目の判定条件は適正か否か、そういう研究とかいくらでもありそうなのにね。誰かやってるの?(笑)
例えば為替の条件では「4%以上」の場合って、なってるけれども、これが「3%以上」であるとどう変わるのか、みたいなものです。広く範囲を取るかどうか、感度を良くするとはどういうことか、そういうのを実証データから検証する、ということです。為替要因がデフレリスクに対してウェイトがあまり大きくないなら、もっと判定条件の基準を厳しくして「5%以上」とか「6%以上」とかにした方が判別は優れているかもしれませんし。逆に、大きく影響を受けやすいですよ、ということかもしれません。

既にそういった研究があるなら、それはそれで別にいいんですがね。




寿命と経済成長の関係~ESRI ペーパーから

2009年03月02日 12時09分40秒 | 社会保障問題
大変良い文献。

Yahooブログ - 学習院大学・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学)で紹介されていたので、発見。

ESRIESRI Discussion Paper No207長寿国となった経済価値はどれだけか? 経済成長の成果の一試算


是非とも全文をお読み頂きたいと思います。
以前に素人の疑問のようなものがあったので、それに答えてくれたペーパーということになりました。まことに有難うございます。感謝申し上げる次第です。
(とは言うものの、別に私の疑問に答える為に書かれたものではありません。きちんと研究目的があってのことです。)

便益が大きく上回るという結果は、想像通りでした。
昔だと「命で払っていた」のですから、それはまあ便益が大きいだろう、と。
でも実際に「金額」として算出しないと、多くの政策担当者たちや医療には関係のない経済や政治学者連中を説得するのが困難ですからね。そういう面でも、学術的な検討というのが非常に大きい、ということは言えるのです。


医療におけるイノベーションとは、言ってみれば「人型ロボット」のようなものです。当初は全く歩けない。でも、ひとつ一つの基礎が飛躍的に向上してゆくことで、「ロボット」という全体の水準が大幅に改善されるということになるのです。ハードの進歩がなければ、2足歩行は極めて困難でした。コンピュータの一個一個の部品性能が格段に向上した、各センサー技術も飛躍的に向上した、計算処理能力が向上した、制御ソフトも向上した、というような、「どれが欠けても難しい」みたいなものでしょう。医療の進歩もこうした部分があって、『Asimo』が登場するまで苦難の連続だったように、何かを達成するまでには「各パーツ」の部分で困難を乗り越えねばならなかった、ということです。単純にガン治療の向上、みたいなことが言われるけれども、それは基礎研究からはじまって、ありとあらゆる関連分野の水準向上という貢献がなければ達成できないのですから。

侵襲度の小さな検査や治療技術がどんどん出されてきていて、こうした流れについても、やはり常にイノベーションに挑戦してきた結果なのです。それらを「マクロな視点」で成果として捉える―特に定量的に把握する―ということは大変難しく、多くの人々にとっては「どのような”価値”があるのか」というのが極めて判り難いのであろうと思います。

経済学者 「それは、いくらなんですか?」
医療学者 「判りません。けれど、医学的に有効なんです」
経済学者 「でも、便益が費用を上回らないと…」
医療学者 「便益って言われたって、患者さんが感謝するとかくらいしか…」
経済学者 「無駄に医療費につぎ込んでいるんじゃないですかね」
医療学者 「無駄って言われても、それで助かっている人が大勢いまして…」

こんな感じだったんです(笑)。

双方の言葉が通じない。医療従事者は「医学的に有効かどうか」ということには答えられるけれども、それがどういった経済学的意味合いのものなのかは、中々答えられないのです。経済学者自身が「便益とは何か」を見つけ出し定義して、費用便益計算を実行しない限りは、この問いには答えようがないのだ、ということです。そういう点でも、今回のペーパーは大変貴重なものとなりました。


そういえば、かつて社会保障改革の文献的考察の中で、削減についての経済学的エビデンスを出してくれ、とお願いしたら、確か諮問会議の下に分科会みたいなWGを作って、何かの分析を出していたような気がするが。確か見たんだけど、大した中身のない内容だったように思い(ごめんね、分析した経済学者の方)、記憶していない。取ってつけたような、ロジットモデルか何かの分析だったように思うが、定かではない。後で探してみます。


でも、結論ありき、で結果を出すことは不可能ではない、からね。結果だけを鵜呑みになんてできないから。
あの時のペーパーが他の専門家たちや学者たちにきちんと評価を受け、妥当性などについて検討されたという話を聞いたことはない。誰もそんな分析を「妥当だ、確からしい、正しそうだ」みたいには支持していないのかもしれない。一体、何の為の研究成果なのか、とは思う。



財政再建の最短コース発見さる!

2009年03月01日 18時29分12秒 | いいことないかな
はてブに落ちてたので、拾ってみたよ。


ホントに懲りないね。
はてなブックマーク - インフレとハイパーインフレ - 池田信夫 blog

池田の言う通りになるなら、夢の財政再建策でしょうが。
本文から一部引用してみる。

=====

普通は、資金需要と通貨供給の一致するレベルで金利が決まると物価も決まり、今のように事実上ゼロ金利になったあとは、通貨を増発しても何も起こらない。しかし中央銀行がインフレ予想を連続に変化させることができると仮定すれば、望ましいインフレ率になったところで通貨供給の増加を止めればよい。しかし実際にはそうは行かない。
(中略)
しかしそういう政権が長期的に継続できるとは思えないので、民主主義国ではハイパーインフレは起こらない(無限に通貨を発行することはできない)。

=====


◎「事実上ゼロ金利になったあとは、通貨を増発しても何も起こらない」

→ならば紙幣発行するだけで国債償却できるので、「増税なき財政再建」のまさに理想形。是非とも、何も起こらないように、発行を継続して下さい。いやいや夢のような再建策(笑)。常時ゼロ金利を維持しておけば、金利収入はあまり期待できなくなるが借入金利も低いし、紙幣発行で何も起こらないのでそれを全て税収に充てることが可能、ということではないですか。


◎「民主主義国ではハイパーインフレは起こらない」

→だからさ、ハイパーインフレが起こらないのだったら、尚のこと好都合じゃないの。バカですか?(笑)
今の政治体制の維持したまま、紙幣発行しても何も起こらず、民主主義国だからハイパーインフレにもならない、ということで、ゼロ金利+「何も起こらない紙幣発行」という、最強コンボ誕生ではないですか。

いやー、無税国家の究極・最終形態が、遂に明らかになったわけですな。


ポケモン風タイトルを付けるなら、
「爆誕!無税国家!!~進化した”ゼロ金利”の究極形態、”何も起こらない紙幣発行”」
無駄に長い。


何も起こらない、なんて宣言できるなんて、こりゃ参ったね。
だったら、「フリーランチOK」ってこと?
それは「スーパー大ラッキー」ってことではないですか。早速、明日にでも実行してもらえばいい。自称経済学者のお墨付きだ。

曰く、「何も起こらない」


ええっー???ウッソー!?信じられない!
世の中には、そんな「まいうー」な話があるとは思われないんだけど、学者が自信満々で断言してるらしいわよ、奥さん。

「何も起こらない」


えーっと、一番最初に札を刷るでしょう、それから、大都市部以外の道府県に配るでしょ、それから、借金返済に苦しんでる自治体とかで公営病院経営さえもままならない所には、「増額ボーナス」を支給するでしょ、それから、失業した人たちには「楽園農園」とか作って、作業すると寝食を提供+給与支給、それから…無限に広がるわ。
これらが、一切合財、刷るだけで出来てしまう!

だって、何も起こらないから。


偉大だ。
経済学って、本当に素晴らしい。



って、なめてんの?
んなわけないだろ。
なんも起こらんぜよ、とかいうのは、ありえねーっつーの。
そんな調子のいい話があるかよ。

ま、どっちにしろ「何にも起こらない」というのが正しいなら、マルっと儲けの丸儲けですし、デフレが脱却できるならやはり「良かったね」ということで、どっちにしろ損はねえ。結論を言えば、やるべきだ、やった場合の損は極めて少ない、ということじゃねーか。

唯一残される反論は、インフレよりも「デフレがいい」という場合くらいだろ。そんな意見に賛同している学者なんて、ほぼ聞いたことないけど。



小沢発言の「踏み絵」効果

2009年03月01日 12時44分46秒 | 外交問題
小沢発言に過剰反応を示す、マスコミや政治家たち。

ここで、あまりに疑問なのは、これまでの「朝日や毎日」的スタンスの人たちの反応。
これまで散々、在日米軍を縮小せよ、原子力空母は寄港するな、米兵の犯罪が問題だ、と非難してきたじゃないか。それを、急に弱腰に転換するというのは、一体、どういうことですか?

自民党からここぞとばかりに非難が集まるのは理解できるよ。失地回復を狙いたい、他に何も手がないので敵失を待っていました、という事情というものがあるわけだから。だけど、小沢発言を一斉に非難している社説とか、論説はどうよ?
はっきり言っておく。左派系の人たちならば、当然に「外国軍は出ていってもらう、自国は自分たちの手で守る」という主張になるのではありませんかね?軍拡になる、という「向こう側」の主張も、そう単純じゃないでしょう。
例えば警察の装備を、標準的にショットガン、拳銃、自動小銃、というのをパトカーに装備しておくというのが、絶対的な基準ではないでしょう?これまでは委託先の装備がこの3点だった、という時、今後自前で装備します、という場合にも、全く同じ3点が必要だ、ということにはならないでしょう?「いや、今度からは、拳銃だけにしました、ショットガンは廃止、自動小銃は特殊な人たちだけにごく少数配備します」というのは、珍しくも何ともないのではありませんか、という話だ。


私個人としては、「当然というべき発言」と思ったが。これはfinalventさんが最初から小沢支持を言っており、そういう言論がマスコミから出ないことが不思議でしょうがない。

2009-02-26 - finalventの日記

2009-02-28 - finalventの日記


おまけに、共産党や社民党の連中まで小沢批判って、どういうこと?
これまでの「自衛隊反対、軍備反対」の金科玉条はどこに行った?そういうのを「曲げない」気概すら失ったのか?たとえ「絵空事」だと罵られたって、それを掲げて「食ってきた」わけでしょう?違うの?だったら、「よくぞ言ってくれました」と言うべきところなんじゃないのか?まず在日米軍は廃止、続いて自衛隊の’軍備’(笑)廃止とかが、こういう人たちの正道だったんじゃないの?そうして、軍備のない「完全無防備社会(笑)」の誕生を目指していたんじゃないの?別に、共産党や社民党の主張について調べたことがないから、実際どうなのかは知らないんだけどさ。

ならば、外国軍の駐留部隊を国外に追い出す、というのは、最も初期段階のことでしょう?

それなのに、小沢発言には「反対」とかの非難をまず述べる、というのが、今の共産党や社民党なんだそうだ。朝日や毎日の社説だとか論説委員なんかも、同じく非難するんだそうです。


外国軍部隊が数十年以上の長期に渡って駐留している例というのは、先進国でどれくらいあるでしょうか?
イングランド軍に占領支配されちゃったフランスとか、ドイツ騎士団に駐留されちゃった小国とか、昔であると色々あるかもしれませんが、植民地や属国以外で日本みたいに大軍を駐留されている国が他にありますかね?ドイツの米軍だって、大幅移転縮小でしょう?

現在アフガンに駐留している米軍以外のNATO軍全部を足しても、3万人には行かないでしょう。米軍は3万人規模でしょうか。戦闘状態にあってでさえ、駐留している軍が”これしか”いないのです。日本はどうかといえば、米軍は約36000人以上駐留しているでしょう。言うなれば、日本は戦時下とほぼ同じような状態、ということです。地位協定にしても、イラク政府側は更新を拒んだと記憶していますが、日本では「延々と」更新が継続されています。

日本よりも国土面積が1.7倍も大きい、戦争状態になっているアフガンでさえ、全軍でも6万人規模でしか駐留していない、ということですわな。周辺には、イラン、パキスタン、インドなどの紛争地帯を抱えつつ、中央アジアの紛争も陸続きの近隣国で起こったようなリスクのそれなりに高い地域であると思うのですが、それでもこの兵数しかいません、ということですね。
だが、日本には約36000人の米軍駐留が必要、という理屈が出される、と。これは、小沢の意見の方が妥当性は高いのではございませんか、という当たり前の話だろうね。本当にそんな数の必要性というものがあるのか、という話です。仮に海兵隊や陸軍が全部いないとして一体何が困るというのか?


左っぽい?人たちですら、その挙げてる非難理由の主なものは、たぶん「危険だから」というものだ。
だったら、もっと危険なのはあっちの方とかなんじゃないですか?(笑)
日本の基地の主なものとは、沖縄をはじめとする、米兵への「リゾート地」提供という意味合いでしかないでしょうよ。実際米兵がそう思っていて、そう言っているんだもの。違いますか?
占領軍が長らく留まるのは、極めて特殊な支配地域だけでしょうな。北朝鮮や中国がアブナイ、とか言うのなら、在韓米軍は「日本よりも圧倒的に多く」しなければならない、という話になるのは、普通なんじゃないの?
でも、現実には減ってしまったみたいですけど(笑)。それはどんな論理ですかね。大変気になるところです。


地位協定をなくす、というのが、まず初めの一歩なんじゃないですかね。
これができないとする理由は一体何か、ということを、「協定は必要だ」という人たちが明らかにしてもらいたいですな。そんなことすらできてないのに、小沢発言を非難するのは百万年早い、というのが私の意見です。