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強制起訴の停止は却下

2010年10月18日 21時22分20秒 | 社会全般
んー、昨日の今日で、全くの偶然に驚きですが、東京地裁は起訴を停止する仮処分を却下したのだそうです。


ま、普通に考えれば、そうなるだろうね。
起訴を停止する理由というのが、あまりこれといって思い浮かばないものね。
日本での実情としては、起訴=アウトみたいなことになってしまっているけれど、基本的には起訴されたとしても、裁判で救済の余地がある、すなわち無罪判決というのがないわけじゃないから、裁判で決着を付けられるでしょう、という話ですよね。

なので、裁判所側としては、この手続を停止させるだけの法的根拠もなけりゃ、特段の理由というものも出せないでありましょう。

むしろ、裁判で問題点を出した方がよろしいんじゃありませんか、ということでもあるわけで。


ああ、全くの専門外の部外者の戯言で申し訳ないんですが、もしも自分ならば「起訴停止の仮処分」とかなんて出さないと思う。
まずやるのが、検察審査会のメンバーについて、名簿の情報公開を求めるでしょう。
その求め先が問題になるわけですが、地方裁判所なのか、東京第五検察審査会に直接なのか分かりかねますが、名簿の公開を求めるわけですよ。するとですね、検察審査会事務局としては、「公開には応じられません」と答える可能性が高いでありましょう。

そこで、「名簿公開を求める裁判」というのを提起してみてはどうかと思うんですよ。


名簿を拒否されたら、裁判を起こせる、ということになるわけです。
普通であれば、司法機関に対してならば、裁判所に請求とか申立てなどを行うしかないわけですが、検察審査会という組織が「裁判所の一種である」という回答が得られているわけではありませんから、被告として成り立たない、とは誰も言ってないわけですよ。すると、裁判が可能となるでありましょう。裁判としての形式が成り立つかどうか、というのを、裁判所で考えねばならなくなりますから、これに意味があるわけです。


更に、検察審査会事務局が「名簿公開を拒否できる」という法的根拠は存在していない、ということがあります。

例えば、以前に不満を書いたことがありますけれども、検察や裁判所の情報公開を拒否する姿勢というのがあるわけです。
調書漏出事件についての考察

刑事訴訟法53条のように、原則的には情報公開(閲覧可)となっているものであっても、拒否できるというのが「法的根拠を持って」いなければならない、ということなんですよ。
だから、検察審査会事務局が公開を拒否した場合には、その法的根拠を争うことができうるはずです。
法の根拠がないのに、拒否できる正当な理由というものは、原則的には存在していないからです。これこそが、裁判所で争えるということなのです。

そうすると、この情報公開を端緒として、その裁判中で検察審査会の手続論や強制起訴の違法性についてまで主張することが可能になる場ができる、ということです。公開するか否かを争うことになると、かつてあった議員の政務調査費や、警察及び検察の調活費の支出先などのような、法解釈上の争点とすることが可能になるのではないか、ということです。


なので、仮処分よりも、公開請求をまず管轄の地方裁判所か検察審査会事務局に提出し、拒まれたら提訴ということをするべきではないかと思います。




東京地検特捜部が「シロ」という確証はない

2010年10月18日 18時26分22秒 | 社会全般
大阪地検特捜部の証拠改竄容疑が報じられたが、大阪の特捜部だけの問題なのかどうかは、疑わしい。

大手紙や大マスコミが緘口令を敷かれているのか知らないけれども、一様に「報じなかったこと」に一層の疑念が強まるというものである。出ているのが、「夕刊フジ」とか「zakzak」だけ、というのは、何と言ってよいのやら(バカにしているのではありません)。
逆に、この両者の方が「記者魂」がある、と言えるのかもしれない。

小沢“金庫番”石川議員から押収証拠PCウイルス感染 - 政治・社会 - ZAKZAK

(以下に一部引用)

最強の捜査機関に、別の証拠品汚染疑惑か-。民主党の小沢一郎元幹事長(68)の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部に逮捕・起訴された小沢氏の元金庫番秘書、石川知裕衆院議員(37)の国会事務所のパソコン(PC)が、特捜部に押収されている間にウイルスに感染していた可能性があることが分かった。

 衆議院関係者によると、PCは衆院事務局から貸与されたノートPCで、OSはウィンドウズXP。1月中旬、特捜部による石川氏の旧議員会館事務所に対する強制捜査で押収され、3月に返還された。
 このとき、データ移行のために衆院の技術スタッフが検索したところウイルスを感知。USBメモリーなどの記録媒体を通じて感染し、情報流出につながる「スパイウエア」で、事務所関係者は「エクセルで作っていた政治資金収支報告書の明細が文字化けしていました。押収される前にはウイルスは感知されなかったので、捜査中に感染した可能性もあるのではないでしょうか」と証言する。PCは別のPCと取り換えた。


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ベタな憶測を書けば、改竄などの操作をするとか、何かをやらかそうと試みたところ、どこからかソフトなんかを引っ張ってこようとして、ウイルスがついてきてしまい感染させた、といったものがある。

しかし、私の想像では、そうじゃない。

既に書き換えなどの「実行」後ということだ。誰かが、パソコンに何かを仕組んで改竄したのだが、大阪の特捜部で書き換えがバレてしまったことが漏れ伝わり、慌てた東京の特捜部でも元に戻そうとしたとかであろう。
「改竄」の痕跡を消そうとして、ワザと感染させた、ということなんじゃないのか、ということである。
時期が一致しているしね。大阪地検内で改竄が発覚し、対応していた時期が丁度2月頃だったらしいから、東京地検特捜部にパソコンを預かっていた時期と同じだし、東京での改竄がバレたらそれはもう検察崩壊と言っていい程の一大事だからね。この痕跡を消す為に、ウイルスに感染させれば、もし何か問題が発覚しても、「ああ、それはウイルスに感染してしまったからだよ」と何とでも言い訳が立つから。

そんなに重要な証拠を、簡単に「ウイルスに感染させてしまい、データが失われました、完璧に壊れました」みたいな、超お粗末な管理とかになっているとは、到底思われないわけですよ。検察の事務官だか、専門の技官みたいな方々というのは、それほど低レベルであるとは思わないわけですよ。
資料をくまなく調べ、証拠を集めるということに長けた方々が大勢揃っていながらにして、そうそう簡単に「ウイルスにやられちゃいました~」みたいな、安易なことって、滅多にないのではないかとしか思えないわけで。


極めて偏った個人的な印象を言えば、どちらかと言えばある種の「職人気質」の人って、信頼できると思うわけですよ。職人だから(笑)。
特に、自分に厳しく妥協を許さないタイプの人たちって、そうなんだろうな、とは思うわけですよ。個人の栄達とか出世とか、そういうのよりも、より純粋に仕事の結果を求めると思うから。
穴を掘るのが困難と言われたら、掘ってみせる、みたいな。橋を架けるのは非常に難しい、と言われたら、絶対に架けちゃる、みたいな。だから、証拠集めというのも、そういう作業に似ていると思うから。だから、栄誉はないけど、職人っぽい人にしかできないような、探す能力だとか、粘り強さとか、そういう方を信頼するわけですよ。


やけに頭が良くて、要領よくパッと結果を出す、なんてのには、あんまり興味がないというか、そうそう簡単に信頼できないんですね。ああ、エリートを恨むとか僻むというわけではありませんよ。勿論、仕事が「すげー」できる人ってのもいるかもしれない。勉強なんかでも、鼻歌交じりで、楽々こなせてしまう、みたいな人っているじゃないですか。もう、我々凡人なんかには到底追いつけそうにないような、天才肌の人っていますよね。現実は、そういうものだとも思う。

だけど、そういうのと、地道に証拠を調べたり集めたりするのって、何かちょっと違うように思うんですよね。
個人的な感想としては、そういう地道にしかできない仕事を黙々とこなす職人たちの方が、信頼できるんじゃないか、という思いはあるわけなんですよ。


まあ、石川議員の持っていたパソコンは、ギリギリで発覚が回避された、ということだったのではないかな、と想像しているわけなんですよ。そして、これが大手マスコミでは一切報じられなかった、ということが、より疑念を膨らませるということですわ。怪しさは全開。石川議員の公判が何故開かれないのか、というのも気になるね。大久保秘書の公判もそうだが。




検察審査会の有する問題点について~3・検察審査会は違憲?

2010年10月17日 19時57分01秒 | 法関係
4)裁判員に比べ極端に閉鎖的な検察審査会

組織が行政機関ではないことから、行政機関情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律)の対象にはならない。刑訴法266条第二号のみなし公訴であれば、誰が決定を下したか、というのは、「当該下級裁判所の裁判官」というふうに特定が容易であるが、検察審査会の場合には、そうなっていない。
裁判員裁判において、裁判員は基本的に公開されている。裁判員に不服がある場合には、拒否すら可能である。

ここで、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」(略称はないが、本稿では「裁判員裁判法」と呼ぶことにする)の規定を取り上げてみる。

▼裁判員裁判法 第八条  
裁判員は、独立してその職権を行う。

検察審査会法3条の「独立してその職権を行う」という規定と同じで、裁判員においてもその独立性は変わりはない、ということである。

▼裁判員裁判法 第一条  
この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ、裁判員の参加する刑事裁判に関し、裁判所法 (昭和二十二年法律第五十九号)及び刑事訴訟法 (昭和二十三年法律第百三十一号)の特則その他の必要な事項を定めるものとする。

一方で、裁判員は刑訴法や裁判所法の諸規定に拘束される、ということである。検察審査会法では、そのような規定は見られない。
法律上の独立性が同程度であって、裁判員の情報に関しては公開対象となるのに、検察審査員は完全秘匿というのは、その理由というものがはっきりしない。

▼裁判員裁判法 第三十一条  
裁判長(第二条第三項の決定があった場合は、裁判官。第三十九条を除き、以下この節において同じ。)は、裁判員等選任手続の期日の二日前までに、呼び出した裁判員候補者の氏名を記載した名簿を検察官及び弁護人に送付しなければならない。
2  裁判長は、裁判員等選任手続の期日の日に、裁判員等選任手続に先立ち、裁判員候補者が提出した質問票の写しを検察官及び弁護人に閲覧させなければならない。


このように、候補者氏名の記載された名簿を送付し、質問票の閲覧をさせる義務があるわけである。被疑者側が見ることができる、ということである。

▼裁判員裁判法 第三十六条  
検察官及び被告人は、裁判員候補者について、それぞれ、四人(第二条第三項の決定があった場合は、三人)を限度として理由を示さずに不選任の決定の請求(以下「理由を示さない不選任の請求」という。)をすることができる。
2  前項の規定にかかわらず、補充裁判員を置くときは、検察官及び被告人が理由を示さない不選任の請求をすることができる員数は、それぞれ、同項の員数にその選任すべき補充裁判員の員数が一人又は二人のときは一人、三人又は四人のときは二人、五人又は六人のときは三人を加えた員数とする。
3  理由を示さない不選任の請求があったときは、裁判所は、当該理由を示さない不選任の請求に係る裁判員候補者について不選任の決定をする。
4  刑事訴訟法第二十一条第二項 の規定は、理由を示さない不選任の請求について準用する。


つまり、理由を提示せずとも不選任(の決定)請求ができるわけである。


▼裁判員裁判法 第四十二条  
前条第一項の請求を却下する決定に対しては、当該決定に関与した裁判官の所属する地方裁判所に異議の申立てをすることができる。
2  前項の異議の申立てを受けた地方裁判所は、合議体で決定をしなければならない。ただし、前条第一項の請求を受けた裁判所の構成裁判官は、当該異議の申立てがあった決定に関与していない場合であっても、その決定に関与することはできない。


また、裁判員の解任請求が裁判所に一度は却下と決定された場合であっても、なお異議申立てが可能であり、前回決定者(却下を決定した裁判官)以外の裁判官が新たに合議体で検討し決定をする、ということになっている。
では、検察審査会はどうなのか、というと、司法組織の一部であろう、ということではあっても、裁判所に不服・異議申立てができるわけではない。検察審査会に対する異議申立ての制度はない。


5)「検察審査会の強制起訴は違憲である」と主張する


これまでの検討から、検察審査会の強制起訴に関する手続がかなり危険なものであると判断せざるを得ないだろう。
個人的には、検察審査会法が違憲立法であると主張するべきであると考えている。小沢の弁護団が提起したような、行政訴訟というのは方向違いではないか。前提からして、検察審査会のの出した議決が行政処分である、ということを主張、立証するのは困難であろう。それよりも、刑事事件の手続き論として大きな問題が存在するということを言う方が妥当ではないかと思える。

まず憲法の条文から見てみよう。

▼憲法 第三十一条  
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

▼憲法 第三十七条  
すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

主張としては、「法律の定める手続きによる」という憲法31条に違反している、というのが第一。強制起訴が刑訴法に拠らないから、である。第二として、憲法37条の「公平な裁判所」の部分である。議決はこれに違反している、ということである。最後に、ちょっとテクニカルな感じになってしまうかもしれないが、(行政機関ではなく)司法機関である、という論点についてである。

▼憲法 第七十七条  
最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。
○2  検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。
○3  最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。


憲法77条第二項の「最高裁判所の定める規則」に従っていない、という主張である。

以下、この3つの論点について、個別に述べる。


①憲法31条違反

検察審査会法における公訴提起の規定は、刑事訴訟法に定められた権限ではない。刑事事件は、一般に刑事訴訟法に手続きが規定されており、この手続きによらない公訴は存在してこなかった。刑訴法247条の検察官の公訴権と、この例外規定である「みなし公訴」が刑訴法266条に規定されていることから、刑事訴訟法の手続きに拠らない公訴はない、ということである。検察審査会法が刑事訴訟法の上位法規であるという判例ないし法的見解が存在しているならばまだしも、そのような見解はみたことがない。
少なくとも、刑事訴訟法247条に反して公訴権が付与されており、刑訴法に定めのない公訴手続きは憲法31条違反である。


②憲法37条違反

刑訴法256条によれば、公訴提起には起訴状提出が必要であるが、起訴状に記載すべき公訴事実について、第三項に『公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。』と規定されている。
訴因明示、すなわち「以て罪となるべき事実を特定」が必要になるのであり、検察審査会の議決においては、これが守られていない。殊に同法第六項においては、『起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し、又はその内容を引用してはならない。』と規定され、事件につき予断を生じせしめる虞のある「内容を引用」してはならないはずである。
にも関わらず、本件検察審査会の議決においては、検察官が不起訴処分とした事件の検察官が特定していない事実を列記し、予断を生じせしめる虞のある内容について言及・記載したものである。
このような予断を生じせしめる虞があれば、裁判所の公平が保たれているとは言えず、憲法37条違反というべきである。


③憲法77条違反

第二項によれば検察官は「最高裁判所の定める規則に従う」ことになっているが、検察審査会による公訴提起規定においては、検察官が存在していない。ただ、検察官の職務を行う弁護士が選任されることから、当該弁護士が検察官というべきであり、当該弁護士は当然のことながら、憲法77条第二項の遵守が求められるはずである。そうすると、「最高裁判所の定める規則」とは何か、ということになるが、これは最高裁判所規則であろう。これには、刑訴法266条第二号による「みなし公訴」における規定(最高裁判所規則第174条、175条)が存在しており、検察官による公訴権の例外であっても、最高裁判所規則に則るものである、ということが言える。
しかしながら、検察審査会法による公訴提起は最高裁判所規則に従うということが言えるものではなく、最高裁判所規則の範囲外にあるとしか見えないのであって、憲法77条2項に反するものと言えるのではないか。

※※追記(18日10時頃)

「司法機関である」ということについての記述が抜けておりましたので、追加いたします。
検察審査会はこれまで示したように行政機関ではなく司法機関の一部である、ということであるから、最高裁がその頂点にあるべきである。憲法77条1項の、最高裁が「訴訟手続、司法事務処理等について、規則を定める権限を有する」ということになっているが、検察審査会は指揮監督権が検察審査会長に存すると規定(20条4項)されており、最高裁判所の指揮命令・監督権が及ぶと判断することはできない。やはり憲法77条違反と言うべきである。



④検察審査会の手続きは問題がある

違憲かどうか、ということはとりあえずおいておくとして、最後に裁判員との比較などから問題点を挙げてみる。

裁判所の決定(例えば刑訴法266条)であれば、

・裁判所は裁判所法に拘束される
・最高裁判所の指揮監督が及ぶ
・最高裁判所は判事が国民審査を受け間接的に国民の監督下にある

のに、検察審査会は

・裁判所法に規定がない
・最高裁の指揮監督は及ばない
・検察審査員は国民の監督下にない
(検察組織ならば法務大臣権限が及ぶ)

また、

・検察審査員選任に異議申立てができない
・不服請求を裁判所や検察審査会に出せない
・名簿の公開請求もできない
・行政機関の情報公開法も対象外
・裁判所決定の裁判官や裁判員は公開部分があるが審査員にはない

と、非常に問題が多い。


以上のように見てくると、検察審査会という仕組みそのものの改善が必要ではないか。もう少し公開部分や検証可能部分を増やすべきである。



検察審査会の有する問題点について~2

2010年10月17日 19時45分43秒 | 法関係
(続き)

3)強制起訴に関する法手続上の問題点

①検察官以外の公訴

基本的な大原則として、検察官の独占的公訴権がある。

▼刑事訴訟法 第二百四十七条
 公訴は、検察官がこれを行う。

検察審査会には「公訴権」は存在していない。刑事訴訟法上には、検察審査会による公訴権限の規定は存在していないからである。

検察官による公訴以外については、例外規定が刑事訴訟法に設けられている。

▼刑事訴訟法 第二百六十二条
 刑法第百九十三条から第百九十六条まで又は破壊活動防止法(昭和二十七年法律第二百四十号)第四十五条若しくは無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律(平成十一年法律第百四十七号)第四十二条若しくは第四十三条の罪について告訴又は告発をした者は、検察官の公訴を提起しない処分に不服があるときは、その検察官所属の検察庁の所在地を管轄する地方裁判所に事件を裁判所の審判に付することを請求することができる。

例えば刑法194条の特別公務員職権濫用罪や195条の特別公務員暴行陵虐罪(先日のこ告訴が報じられた)について、検察官が不起訴としたような場合に「身内だから庇ったんだろう」というような疑いを向けられないとも限らないわけである。
そうすると、この262条規定によって公訴提起しなかったという処分に対する不服を申立てることができ、地方裁判所の審判請求で公訴するかどうかを決めてもらう、という手続きをとるわけである。この規定で公訴が発動される場合があり、それは、やはり刑事訴訟法の規定による。

▼刑事訴訟法 第二百六十六条
 裁判所は、第二百六十二条第一項の請求を受けたときは、左の区別に従い、決定をしなければならない。
一 請求が法令上の方式に違反し、若しくは請求権の消滅後にされたものであるとき、又は請求が理由のないときは、請求を棄却する。
二 請求が理由のあるときは、事件を管轄地方裁判所の審判に付する。


▼刑事訴訟法 第二百六十七条
 前条第二号の決定があつたときは、その事件について公訴の提起があつたものとみなす。

このように、「公訴提起があったものとみなす」場合には、刑事訴訟法上での規定が定められているわけである。これが検察官以外の公訴権についての例外、ということであって、検察審査会の議決については「公訴提起があったものとみなす」とは書かれていない。


②「刑訴法266条第二号」による公訴は検察審査会と類似

前項で述べた「刑訴法第266条第二号」の決定が裁判所で行われた場合には、同267条により自動的に公訴提起となり、この検察官役を弁護士から指定する、という仕組みになっている。これは、検察審査会の強制起訴の場合と、ほぼ同様のものである。

▼刑事訴訟法 第二百六十八条
 裁判所は、第二百六十六条第二号の規定により事件がその裁判所の審判に付されたときは、その事件について公訴の維持にあたる者を弁護士の中から指定しなければならない。
○2 前項の指定を受けた弁護士は、事件について公訴を維持するため、裁判の確定に至るまで検察官の職務を行う。但し、検察事務官及び司法警察職員に対する捜査の指揮は、検察官に嘱託してこれをしなければならない。
○3 前項の規定により検察官の職務を行う弁護士は、これを法令により公務に従事する職員とみなす。

(以下略)

条文を比べてみる。

▼検察審査会法 第四十一条の九  
第四十一条の七第三項の規定による議決書の謄本の送付があつたときは、裁判所は、起訴議決に係る事件について公訴の提起及びその維持に当たる者を弁護士の中から指定しなければならない。
○2  前項の場合において、議決書の謄本の送付を受けた地方裁判所が第四十一条の七第三項ただし書に規定する地方裁判所に該当するものではなかつたときも、前項の規定により裁判所がした指定は、その効力を失わない。
○3  指定弁護士(第一項の指定を受けた弁護士及び第四十一条の十一第二項の指定を受けた弁護士をいう。以下同じ。)は、起訴議決に係る事件について、次条の規定により公訴を提起し、及びその公訴の維持をするため、検察官の職務を行う。ただし、検察事務官及び司法警察職員に対する捜査の指揮は、検察官に嘱託してこれをしなければならない。
○4  第一項の裁判所は、公訴の提起前において、指定弁護士がその職務を行うに適さないと認めるときその他特別の事情があるときは、いつでもその指定を取り消すことができる。
○5  指定弁護士は、これを法令により公務に従事する職員とみなす。
○6  指定弁護士には、政令で定める額の手当を給する。


制度としては似ているが、検察審査会の強制起訴については、刑訴法266条第2号のような刑訴法上の特例としての扱いにはなっていないのである。また、裁判所が決定を下すのと、一般人のみの構成からなる検察審査会が議決を出すのは、当然意味合いが異なっている。


③「刑訴法266条第二号」のみなし公訴に関する法の支配

請求は裁判所に出され、裁判所が決定を下すものだ。裁判所は、裁判所法に支配されており、上級組織である最高裁判所の指揮監督も当然受けることになる。また、刑訴法に基づく刑事事件の手続きであって、最高裁判所規則の適用も受けるわけである。

▼最高裁判所規則 第百七十四条 
法第二百六十六条第二号の決定をするには、裁判書に起訴状に記載すべき事項を記載しなければならない。
2 前項の決定の謄本は、検察官及び被疑者にもこれを送達しなければならない。


▼最高裁判所規則 第百七十五条 
裁判所は、法第二百六十六条第二号の決定をした場合には、速やかに次に掲げる処分をしなければならない。
一 事件をその裁判所の審判に付したときは、裁判書を除いて、書類及び証拠物を事件について公訴の維持にあたる弁護士に送付する。
二 事件を他の裁判所の審判に付したときは、裁判書をその裁判所に、書類及び証拠物を事件について公訴の維持にあたる弁護士に送付する。


また、最高裁判所というのは、最高裁判事が国民審査の対象となっていることから、間接的には国民の監視監督を受けている、という制度になっているわけである。

つまり、このみなし公訴というのは、刑訴法、裁判所法、最高裁規則、などで支配されており、国民からの監督は最高裁を通じて間接的に効いている、ということになっているわけである。


④検察審査会の強制起訴はどのような支配を受けているのか

そもそも、検察審査会議決による公訴提起については、刑訴法上では規定がない。最高裁規則にもない。組織としての指揮命令については、前記1)及び2)から、行政組織でなく、司法組織の一部のようではあるけれども、最高裁の指揮命令権が及んでいるとも言えない。検察審査会法には、そのような規定が存在しないからである。更に、裁判所法にも規定がない為、法文上では全くの「自主独立機関」に近いように見受けられる。
指揮命令は前述した検察審査会法20条第四項の通りに、「検察審査会長」ということになっており、この会長は互選であるから、上位機関からの指揮命令は効いていない、というふうに解釈せざるを得ないのである。そうすると、間接的にも国民からの統制は及ばない組織、ということになり、指揮監督権が独立した存在ということになってしまうのである。
唯一あるのは、検察審査会法、である。

(続く)



検察審査会の有する問題点について~1

2010年10月17日 19時45分21秒 | 法関係
今年、脚光を浴びることになった検察審査会であるが、実はよく知らないことが多いということを気付かされた。制度変更で導入されて間もない「強制起訴」という強力な武器についても、制度上の危うさが気になるところである。また、検察審査会の議決を巡って、行政訴訟提起との報道もあり、個人的見解について述べてみたい。


1)検察審査会の議決は行政処分ではない

過去に最高裁判例があるらしい、ということだが、当方は法律について素人であり、判例集も持っていないことから、当該判決文を見てはいない(最高裁の見解がどういうものであったかは、自身で調べて下さい)。当時には強制起訴制度が存在していなかったことから、あくまで現行制度について検討をする。

①検察審査会は行政機関なのか

議決が処分に該当するのかどうか、というのがポイントとなろう。行政訴訟提起に当たっての前提とは、検察審査会が行政機関でなければならない、ということになろう。処分の妥当性を争う、ということなのだから。
名称からして「検察」と付いていることから検察庁の下部組織なのかと思ったら、どうやらそうではないようだ。検察庁からの権限が及ばないということであり、法務大臣の指揮監督も及ばない、ということになろう。


②「行政機関」説を否定する理由

行政手続法による規定から判断できると思われる。

▼行政手続法 第二条
二  処分 行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為をいう。
五  行政機関 次に掲げる機関をいう。
 イ 法律の規定に基づき内閣に置かれる機関若しくは内閣の所轄の下に置かれる機関、宮内庁、内閣府設置法 (平成十一年法律第八十九号)第四十九条第一項 若しくは第二項 に規定する機関、国家行政組織法 (昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項 に規定する機関、会計検査院若しくはこれらに置かれる機関又はこれらの機関の職員であって法律上独立に権限を行使することを認められた職員
 ロ 地方公共団体の機関(議会を除く。)


定義から判るように、第二号の「行政庁の~行為」が処分であり、第五号のイに掲げられる国家行政組織法等の法律規定に基づく組織には、検察審査会は該当していない。


③行政不服審査法の対象にもならない

これも条文からすると、判りやすいのではないか。

▼行政不服審査法 第四条  
行政庁の処分(この法律に基づく処分を除く。)に不服がある者は、次条及び第六条の定めるところにより、審査請求又は異議申立てをすることができる。ただし、次の各号に掲げる処分及び他の法律に審査請求又は異議申立てをすることができない旨の定めがある処分については、この限りでない。
六  刑事事件に関する法令に基づき、検察官、検察事務官又は司法警察職員が行う処分


他の号は略してあるが、行政庁の処分であれば原則として異議申立ては可能であるが、除外規定も存在する。それが、刑事事件に関する処分である。一般的に言う「検察官の行った処分を行政訴訟の対象にするのはヘンだ」という言い分は、こうした規定からも窺われるわけである。

同様の規定は行政手続法にも存在しており、
▼行政手続法 第三条
次に掲げる処分及び行政指導については、次章から第四章までの規定は、適用しない。
五  刑事事件に関する法令に基づいて検察官、検察事務官又は司法警察職員がする処分及び行政指導


この第五号規定があることから、「仮に検察審査会が行政機関であるとしても、不服申立てや行政訴訟の対象とすることは困難」であると考えてよいだろう。


従って、
・検察審査会は行政機関(組織の一部)とは認められない
・行政手続法や行政不服審査法の適用対象外
・仮に議決が行政処分の一種であると仮定しても、行政訴訟は困難
ということになろう。


2)検察審査会は司法組織の一部である

行政機関ではないことが判ったとして、では何に当てはまるのか、というのが気になるところである。最高裁判所のHPには検察審査会が載せられており、検察審査会事務局の規定からすると、恐らくは司法の一部と看做して良いのではないか。

▼検察審査会法 第二十条  
各検察審査会に最高裁判所が定める員数の検察審査会事務官を置く。
○2  検察審査会事務官は、裁判所事務官の中から、最高裁判所が、これを命じ、検察審査会事務官の勤務する検察審査会は、最高裁判所の定めるところにより各地方裁判所がこれを定める。
○3  最高裁判所は、各検察審査会の検察審査会事務官のうち一人に各検察審査会事務局長を命ずる。
○4  検察審査会事務局長及びその他の検察審査会事務官は、検察審査会長の指揮監督を受けて、検察審査会の事務を掌る。


最高裁判所が裁判所事務官に命じて検察審査会事務官とし、更に各地方裁判所等に事務局を置くことから、司法組織の一部と判断したわけである。ただし、組織上は独立的であり、指揮命令・監督権というのは「検察審査会」にあるようである。

▼検察審査会法 第三条  
検察審査会は、独立してその職権を行う。


(続く)



釈明義務違反って

2010年10月16日 17時26分35秒 | 法関係
そんな義務があるなんて知りませんでした。初めて聞いたものです。

arret:釈明義務違反新判例: Matimulog


このような論点が、目新しいものである、というのも当然ながら知りません。
完全な部外者から見れば、それもヘンな話ではあるな、とは思いますけれども。


以前に拙ブログで、最高裁判決に厳しい注文を付けさせてもらいました(笑)が、当時に思ったこととあまり大差ないように思えますが、いかがでしょうか。

偽装派遣の有効性を認める最高裁

この中で、次のように書きました。

最高裁が一部高裁判決を破棄した部分であるが、これは、「会社側」が本当にそういう理屈を主張したんですか?その担当弁護士がそういう理屈を生み出し、弁論でも同じく主張したものですか?
最高裁は、主張してないことを自ら作り出してもいいですよ、ということなのかもしれません。まあ、そういうもんだ、ということなら、仕方がないでしょう。


更に、

カ)の派遣先企業が何らの主張立証をしない、というのに、最高裁が代弁してくれて、被告人が行っていない立証を肩代わりしてくれましたぜ、ということなんでしょうかね。弁論主義だか、そういうのはどうなったのか?(笑)


このように、上告人(ないし被上告人)が言ってもないことを、最高裁が勝手に法的解釈や新規論点及び主張を構築し、肩入れした側に有利になるような結論を導き出して、それを「最高裁判決だから」という絶対的正当性でもって押し付けているようなものである、というようなことを批判したものです。

今回の最高裁が差し戻した判決では、それと似たようなものではありませんか、ということですね。
要するに、自分(最高裁)が言われたことを、今度は高裁に言ったんだ、というように見えなくもない、ということです。

当方如き法律素人が何を言う、といいますか、最高裁などに意見して、それが有効なんだ、とまで豪語するつもりはありませんが、どうして他の法曹とか法律の専門家という立場の方々が疑問に思ったり、批評したりしてこなかったのか、ということについては、不思議だなとは思いますね。


まあ、業界内では、最高裁は絶対的存在だから、畏れ多い、ということなのかもしれませんね。




INPEXの公式なリリースが出てたみたい

2010年10月15日 21時38分46秒 | 経済関連
昨日の記事を書いたのと、やけにタイミングが合ってしまったな(笑)。偶然でしょうけどね。
で、アザデガン油田からの撤退を正式に発表していた。

15日15時>国際石油開発帝石(株)【1605】:プレスリリース - Yahoo!ファイナンス
(東証が閉じた後で発表、ということだったのでしょう)


ふーん、そうなんだ、としか言いようがないわけだが。

ま、基本的には民間企業のやることだから、とやかく言ってもしょうがないけど。


経産省の敗北感といったらないわな、ということですかな。
よく知らない。


ここでの譲歩は止むを得なかった、ということだろうが、ド阿呆菅政権では手も足も出ないに決まっている。
おまけに、それに輪をかけてマヌケで無能な外務省がいるとあっては、もっと悲惨ということなのかもね。



続・激化する「経産省vsエクソン・モービル」闘争と翻弄されるイラン問題

2010年10月14日 21時56分12秒 | 外交問題
(前の続きです)


⑤これらの連携プレーの意味するところ

アザデガン撤退報道、エクソン・モービル撤退報道、そして4社撤退の会見、これらのタイミングと意味合いというものを考えれば、上述したような、経産省とエクソン・モービルのバトルという構図が浮かび上がるわけである。そして、INPEXを撤退に追い込むという、イラン制裁法と7月のCISADAの適用という圧力カード、この意味と日米関係をよく観察し考えておく必要がある。

そもそも、副長官が大仰に発表した、ロイヤル・ダッチ・シェル、トタル、ENIなどは、前から撤退が予定されていたものだ。それは、7月にEUで決議されたイランに対する制裁措置で、エネルギー関連投資を禁止する、ということになったからだ。欧州の企業はこの適用を受けてしまうわけで、別に米国のCISADAには直接関係なく、EUで禁止されたのだから撤退するよりなかったわけである。だから、スペインのレプソルも撤退を決めていた。以前からの報道で殆ど名前の出てきていなかったスタトイル(ノルウェー)が、やや目新しかったというくらい。

それに、イランの核開発に最も責任を負うべきなのは、米国をはじめとする「6カ国協議の枠組み」を構成していた国々に決まっている。イランへの接近を警戒した米国は、日本は勿論のこと、韓国をも外させるという思惑が働いていたわけで、イランの人口規模やGDPの大きさというものが、これらアジア諸国と結び付けばどうなるか、というのを警戒しないわけがない。
安保理常任理事国である5カ国とドイツという、いわばかなりの利害関係者で構成していたわけで、自分たちの失敗を尻拭いするべきなのは当然ではないか、というのがまずある。日本を外しておいて、協力してくれも何もないだろう、という話である。


もうひとつは、中国と米国の裏取引の事情、というものがあるかもしれない。

米国サイドの「イランからの撤退要求」というのが報じられたのは、28日以降だった。
イランへの制裁強化、というのを、矢鱈と強調しなくてもよさそうな時期だったはずだ。アフマディネジャド大統領の国連演説に、無性に腹が立ったので報復的に制裁措置を強化する、というものでもあるまい。

9月半ば頃には、イラン側が「協議に応じてもよい」と、やけに軟化姿勢を示してきていたはずで、それなのに「今から制裁強化」というのは腑に落ちないわけである。

そうすると、米国は中国との間で「アザデガン油田の権益を完全に中国サイドに移すことを認めましょう、日本には放棄させますから」という約束をしていても不思議ではない、ということです。その為の方便ならば、一つや二つ使っても、何ら問題ない、ということなのでは。
中国側が尖閣問題というもので米国に多大な利益供与をしてくれたわけですから、米国だって何かお返しをしなけりゃならないでしょう?

米国は、イランが協議に応ずる、という軟化姿勢を知っていながら、敢えてここに来て「イラン包囲網」を強化するようなフリをしつつ、日本には権益放棄を迫った、ということでは。
ロシアは、S300の売却を延期ではなく完全契約破棄として、イラン制裁に同調を示しつつ、原発稼働には何らの制限も受けていない。また、イランに展開する中国の石油企業は、制裁対象として「名指し」を国務省から受けているわけではない。スタインバーグは、中国企業に制裁を課すとは明言しなかった。

このようなダブルスタンダードを「6カ国協議の枠組み国」に認めている以上、米国の方針にだけ従うなんてのは無意味である。日本にとっては不利益は多いが、利益はない。


更に奇妙なのは、イラン側からの「同情」である。
日本が権益を放棄せねばならないのは、欧米の圧力のせいだから「気にするな」みたいに、言っていることである。
日本の立場は、分かるよ、理解しますよ、ということを殊更言うのは、割と疑問なのだな。イランのこれまでの姿勢とかから見れば、「日本の核施設だってヘンだろ」とか散々文句を並べることはあっても、逆は殆ど見かけないからね。
もしもアザデガンに関して、中国側からの資金提供や何らかの有利な条件など、見返りがある場合であれば「日本が放棄するのは仕方がないよ、気にしなくてもいいよ」とおべっかを言うに決まっている、ということである。それが人間というものだ(笑)。



つまり、経産省とエクソン・モービルのバトルに端を発しているかのように見える出来事も、大きな流れの中の一つの要因でしかないのではないか、ということである。一断面という話でしかない。

イランとその石油を巡る、米国の石油メジャーや中国の巨大石油プロジェクトなどが絡み合って、外交や密約が動いているのかもしれない、ということだ。いずれにおいても、日本は毟り取られ、搾取される側になるのが悲しいのだけれども。


勿論、沖縄、そして普天間基地移転問題、というのも、そういう文脈の中にあるのではないか、という疑いが、私の中に芽生えつつあるのである。



激化する「経産省vsエクソン・モービル」闘争と翻弄されるイラン問題

2010年10月14日 21時33分17秒 | 外交問題
突然降って湧いたように「エクソン・モービル日本撤退」の報道が、10月1日の読売新聞朝刊の見出しを飾った。これを見た時、「んんっ?」と引っかかるものがあったのだが、それはパッと思い至らなかった。

ただ、前日のブログに、アザデガン油田からの撤退という石油関連の記事を書いたばかりだったから、どうして「このタイミングで」というのが気になっていた。またしても米国の圧力に屈したのだな、という思いはあった。
一体、どういう流れで、こうした撤退報道が出されたのか、それを辿ってゆくと日米の石油を巡る争いの構図が見えてきたのだ。


①「アザデガン油田撤退」報道で日本のエネルギー政策に敗北感

直接的にはエネルギー庁なんかの管轄ということなのかもしれないが、淵源を辿れば「通産省」と石油メジャーとの確執ということになるのだろうか。
アザデガン油田は、日本が権益75%であったものを泣く泣く10%にまで縮小し、これに代って中国が権益を獲得したという経緯がある。今回は、その残り僅かの10%さえも放棄しろ、ということを米国サイドから要求された、ということである。

9月28日の新聞報道で、イラン制裁強化の為に、このアザデガン油田からの撤退を米国が要請した、と報じられた。翌29~30日にかけて、関連報道が出されたわけだが、政府方針がどうやら「撤退で固まりつつある」というような観測が出された。これは中国と日本との「尖閣問題」で、米国側からの協力と圧力というのがあったが為、という見方はあった。尖閣問題では、クリントン長官発言を出してよい、という替わりに、アザデガン油田からは撤退するという取引のようなもの、ということだろう。外務省的には、そういうのを率先して推進しようとするかもしれない。日本が尖閣問題での支援を仰ぐのと引き換えに、イラン問題では米国に協力するよりない、という譲歩を強いられたということである。これは、平たく言えば外務省の大失敗というか、大幅な失点による不利益である。


②エクソン・モービル撤退の裏側の事情

表向きとしては、日本市場というのは非常に厳しい、というものである。それはまあそうであろう。現実に、ガソリンスタンドは大幅に店舗数が減少した。経営的にも苦しんでいる。しかも、日本は今後少子化、車離れ、ガソリン消費減(ハイブリッド普及など)、ということが言われているわけで、ガソリンスタンドが旧来のままで生き残れるというのは非常に厳しいわけだ。
そう考えると、スタンド経営から撤退したい、という企業の意向というものは、そう突飛なものではないだろう。だが、タイミングというものが重要なのであって、それが何故10月1日だったのか、というのは、何らかの意味というものがあるかもしれない、ということである。

すると、エクソン・モービル系の日本子会社である東燃ゼネラルには、ある問題があったのである。これこそが、石油メジャーと経産省との紛争を象徴する火種であるのだ。


③「エネルギー供給構造高度化法」の存在

参考>エネルギー供給構造高度化法について

和歌山県有田市にある東燃ゼネラルの設備が、今年7月に施行された法律(制定は21年7月)に引っ掛かりそうだ、というのが発端のようである。しかも、10月末日までに経産省に計画書を提出しなければならない、ということになっていた。平成26年までに設備を追加する等を決めて報告しなければならない、ということであったらしい。
この法律をクリアする為の新たな設備投資には、500億円規模という巨額が必要になりそうだ、ということが大問題となったわけである。法律の適用を回避できれば、こうした出費はなくて済むけれども、経済産業省が「うん」とは言わない。
そこで、エクソン・モービル側の強烈な工作が始まり、経産省側が応戦して、両者の静かな紛争が勃発した、ということであろう。


④弱みの「INPEX」と「雇用」を衝かれた経産省

元々は官業の石油公団からの歴史を背負っているわけで、「通産」閥の一派であるには違いないであろう。未だに経産省が筆頭株主であり続けているわけだし。そこで、経産省叩きに好都合なものとして、イラン制裁問題が急浮上したわけである。
恐らく石油メジャー(エクソン・モービル)のロビーは、アザデガン油田に出資しているINPEXを制裁対象企業とするように、米国政府筋に働きかけたのではないか。
大義名分は立つ、ということである。
撤退か、さもなくば、制裁か。
経産省は窮地に立たされることになった。防戦一方となったのである。

更に、日本国内産業、特に日本の最も心情的に弱い部分である「雇用」を見事に狙い打ちしてきたのが、先の「エクソン日本撤退」というセンセーショナルな一報であった。国内産業振興や中小企業支援を重要視してきた経産省の、まさに「痛い所」を衝いたということだ。ガソリンスタンドの経営主体というのは、多くが地域に根差した中小企業が主だろう。万が一、それら雇用が失われるような事態になれば、人口の少ない地方においては大打撃となるのは必至だ。そういう意味においても、急所を攻撃された経産省には衝撃が走ったに違いない。


④唐突だったスタインバーグ国務副長官のブリーフィング

9月28日以降に「イランからの撤退要請がわかった」、更に30日には「イラン撤退という方針を固めた」と報じられたわけである。その報道を目にしたので、あの怒りの記事を書いたのだが、その後に行われた(日本時間との時差がるから、かなり後のはずだ)のが、スタインバーグ副長官のブリーフィングだった。

欧州石油4社、イラン撤退に同意 米国が制裁対象から除外 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

(以下に引用)

【ワシントン=犬塚陽介】米国務省は9月30日、米国の対イラン経済制裁に歩調を合わせ、国際石油資本(メジャー)の英・オランダ系ロイヤル・ダッチ・シェルなど4社がイランの石油産業からの撤退に同意したと発表した。米国はイランに協力的な海外企業に対する制裁を検討しているが、4社はこの制裁対象から除外された。
 日本政府系企業の国際石油開発帝石もイラン南西部のアザデガン油田からの完全撤退を決めているが、今回の制裁対象除外リストには含まれなかった。クローリー米国務次官補(広報担当)は日本側とこの問題について協議していることを認めたが、詳細への言及は避けた。
 国務省によると、撤退に同意したのは、ロイヤル・ダッチ・シェルのほか、仏トタル、ノルウェーのスタトイル、イタリアのENIで、イランのエネルギー業界への投資をやめることも約束したという。
 米国は包括的なイラン制裁を実施するため、7月に新たな制裁法を施行。イランのエネルギー産業に2000万ドル(約16億7千万円)以上を投資する企業に対し、独自の制裁を科すことが可能になった。
 スタインバーグ国務副長官は記者会見で、4社の決定を歓迎し、「国際社会はイランに対する旧態依然とした取り組みを放棄せねばならない」として他の企業も追従するよう要求した。
 また、スイスを拠点とするイラン国営石油の子会社NICOを制裁対象に加えることも発表した。


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はっきり言えば、この日に発表しなければならないほどの重大事ではなかった。しかも、通常であればPJ(笑)が済ませる程度の内容のことを、殊更大袈裟に副長官にブリーフィングさせるというのも、ちょっとよく判らなかった。しかも記者からの質問には、一部が判らずに助っ人(まあ、官僚みたいな役回りの人だろう)が答えていたりするという、お粗末な会見となっていた。
(一応、国務省のHPで会見は目を通しました)

どうせやるなら、もっとみっちり下準備(つまり、副長官に対するレクチャー)をさせてから開いてもよかったものを、やけに慌てて開催。んー、どうしてなんだろう、と、思うわけである。付け焼刃的だったように見受けられたのである(いや、ガイジンじゃないし、英語はあんまり判らないから、あくまで個人的印象というだけなんですけどね)。
で、内容というのが、シェルなどの大きな石油企業が撤退に同意したよ、というものだ。これは、言い換えると、「日本の企業だけじゃないんだよ」というのを強調したい、ということでもあるわけだ。確かにそうだ。日本だけじゃない。

(続く)



続々・異様な抽出?~検察審査会の度重なる訂正

2010年10月14日 14時24分21秒 | おかしいぞ
知らなかったけど、またまた訂正だったんですと。
もうここまで来ると、アホだな、といいますか、何をどう信じろと言うつもりなのでしょうね。
「若すぎる検察審査会」メンバーも異様だが、ここまでバカな検察(?、法務省?)の事務局とやらも、本格的に異様としか思えないわけだが。子供でもできることが、大の大人が何人がかりかでやって、しかも前回の訂正の際には十分確認をしていたはずであろうに、それができていない、というのは尋常ではないよ、ということである。


小沢氏の審査員、平均34・5歳 年齢は議決時で統一 - 47NEWS(よんななニュース)

(以下に引用)

 東京第5検察審査会の事務局は13日、資金管理団体の収支報告書虚偽記入事件で不起訴とされた民主党の小沢一郎元代表を強制起訴すべきだと議決した審査員11人の平均年齢について、議決日の9月14日時点では34・55歳だったことを明らかにした。

 事務局は12日に平均年齢を当初明らかにしていた30・90歳から33・91歳に訂正したばかり。審査員はほぼ半数が互い違いに任期6カ月で入れ替わることから、これまで明らかにしてきた平均年齢は二分される就任日の時点で算出していたという。

 事務局によると、11人の就任日は、6人が5月1日、5人が8月1日。平均年齢をめぐって二転三転となった対応に、担当者は「就任日時点では実態にそぐわないと判断した。今後は議決日時点で統一したい」と釈明している。


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昨日書いた記事で計算しなおすと、合わないよ、と書いた。
その時はうっかり気付かなかったけれども、最初の起訴相当の議決を出した時の平均年齢が34.27歳だったのに、37歳の人を足して計算しなおすと、何と再び全く同じ「34.27歳」になってしまっていたんだと。笑えるな。まあ、ぼくもうっかりしていて、気付いてなかったよ(笑)。


で、また慌てて、再訂正を発表したんだそうで。
議決時点での年齢ではなかったんだ、というような、言い訳にすることにしたんだと。ふーん。
ま、いいけど、初回の議決が34.27歳、2回目の議決が34.55歳となるような、更に「異様に偏った」抽出になっている検察審査会というのは、百万回に1回とか起こりますかね?

これほどまでに、平均年齢が34~35歳に収まる可能性なんて、そうそう起こるものではありませんよ。


裁判官にお尋ねしたい。いや、他の法曹の方々とかでもいいんですけどね。

まず第一に、犯罪者が自己の罪を回避したりしようとする時に、ウソをつくということがありますね?
そうすると、法廷証言なんかが変遷したりするわけですよ。
さっきはこう答えたのに、今度は別な答え、みたいな。
そういう証言なんかが二転三転するような場合って、その人を信用できますかね?
たった今、こう言っていたものを、舌の根も乾かぬうちから、今度は別なことを言う、みたいな場合って、信用性というものはどうなんでしょうか?
特に、矛盾を指摘されたり整合性がないと言われた後になって、前言を翻すってのは、どうも怪しいわけですよ。検察審査会についての発表が、信用できうるものなのかどうか、ということですな。もしも何かを隠したいのだとすると、それは検察サイドに何があるのか、という話なんですわ。


それから、判決なんかでは「大体、9割くらいで、アウトなら、アウト」みたいな、かなりいい加減といいますか、大雑把な水準ですよね?
99.99%アウトなら、残りの可能性が0.01%セーフかもしれない、ということであっても、判決としてはアウトですよね?

今回の検察審査会のメンバーの年齢構成というのは、まさしくそういう状態に近くて、例えば抽出された11人の平均年齢が1回目に35歳以下かつ2回目にも35歳以下(最後に訂正された場合でも該当する)となるような確率となると、モンテカルロ法なんかで計算しなけりゃ分からんだろうけど、恐らくあっても一万回に1回くらい、ということでしょうよ。つまり、9999回は起こらない、というような現象なのだ、ということですよ。裁判の判決レベルで行けば、「陰謀(と取られても仕方ない)」レベルが99.99%、本当に検察サイドの言い分が正しくて「ただの偶然」というのが0.01%、ということなら、ほぼ間違いなく判決は「アウト」の判定なのではありませんかね?


今、検察サイドが発表している事象というのは、そういう水準の出来事なのだ、ということなんですよ。

これを、裁判官はどう思いますか?



続・異様な抽出~愚か者の悪巧み?

2010年10月13日 18時48分40秒 | おかしいぞ
笑うね。
検察審査会の平均年齢が異様に若いことについて、また墓穴を掘ってくれたみたいですね。

コレの続き>異様な抽出?~検察審査会の疑惑


中には、能天気な人がいるみたいで、30.9歳という構成は「ありないわけではない」なんてことを言うわけですが、理解してないというだけではないかと思うわけです。例えば、「0.1%」というのは「0.001」のことであり、1000回に1回という水準なんだ、ということが分かってないわけだ。

1回目が34.27歳、2回目が30.90歳という、極めて稀な現象が発生するのは、100万回に数回から30回程度でしか起こりえない、ということが分かってないとしか思えないわけである。


じゃあ、半チャン1回の中で役満2回上がるのは絶対不可能と言えるか、みたいなことを言う人がいるかもしれない。確かに、麻雀をたくさんやっていると、そういう「極めて稀な現象」に遭遇することはあり得る。確率的には、厳しいとしても、起こらないというものではない。個人的には、見たことがある(笑、アガリは別々の人だったが)。

しかし、異常な事態、というのは留意すべきである。


で、泡食った検察サイドが、奇妙な言い訳を考えてきたようだ。

小沢氏起訴議決、審査員の平均年齢間違えた (読売新聞) - Yahoo!ニュース

(一部引用)

東京第5検察審査会は12日、10月4日に公表した小沢一郎・元民主党代表に対する起訴議決に絡み、当初「30・9歳」としていた審査員11人の平均年齢を、「33・91歳」に訂正すると発表した。

 同審査会によると、同審査会事務局長が9月14日付の起訴議決にかかわった審査員の平均年齢を計算した際、1人の審査員(37)の年齢を足さないまま、10人分の合計を「11」で割るなどしたという。


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「本当に悪い人なら、平均年齢を30.9歳なんて、発表するはずがない、だから、陰謀なんてなかったんだ」とか、お目出度いことを言ってる人がいたりするかもしれないが、それは悪者側が賢いならそうだ、というだけ。しかし、間抜けどもの場合には、うっかり言うべきでないことまで言ってしまうので、墓穴を掘るってことになるんですわ(笑)。

上記の平均年齢の訂正記事から、おや?、と思うところがあったので、また書いておくことにする。


まず、条件として、

・37歳の人の年齢を足してなかった
・10人分を11で割ってしまった
・その結果が30.9歳だった
・今回計算しなおすと平均は33.91歳だった

ということが分かります。


すると、最初の計算というのは、10人の合計年齢をxとすると、

  x/11=30.90(歳)

だったわけですから、10人の年齢合計は、

  x=339.9

となり、10人の年齢の合計は多分「340」だったと思われます。


で、37歳の人の年齢を足し忘れていた、ということなのですから、37を足せば、11人の年齢合計は、「377」となるはずです。すると、この平均を出せばいいのですから、

  377/11=34.27(歳)

ということになるはずです。が、33.91歳らしいので、計算が合いませんよね。どうしてかな?おかしいですよね?
後付けで、誤魔化しの為の策を考えたからか?


今度は33.91歳から推測される年齢合計は、33.91×11≒373となり、一人は37歳だそうなので、残りの10人の年齢合計は「336」となる。

このうち2人が、例えば65歳と55歳という年齢(2人の組み合わせが合計120となれば、どんな組でもよい)なら、残り8人の平均は27歳となるわけだ。25歳4人、29歳4人、というような構成ということだ。


こんな偏りは、そうそう起こるものではない、としか思えないわけだが。


それに、1回目に34.27歳、2回目に33.91歳、という、とても稀な現象は、やっぱり「万にひとつ」もあるかないか、ということである。30.90歳よりはマシかもしれないが、10万回に数回あるかどうかという本質的な部分では、そう変わりはない、ということだ。

恐らく、簡単にバレるような証拠捏造などを実行する程度の検事を輩出するくらいの検察ですので、この程度の算数についても「頭が回らない」のではないかと思ったりします。


こうして、ウソの上塗りをやってゆくのが「自ら墓穴を掘る」ということを理解できていなのが、検察という組織なのかもしれません。



急性膵炎か…次長課長の河本

2010年10月12日 15時42分40秒 | 俺のそれ
飲み過ぎちゃうの?(笑)


次長課長の河本が急性すい炎で緊急入院 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース


(一部引用)

世田谷井上病院の井上毅理事長は「急性すい炎はすい臓にある酵素がすい臓自体を自己消化してしまう病気。背中や胸、胃が痛くなり、おう吐することもある。重症であれば、多臓器不全で死に至ることもあります。1、2か月間ほどの静養が必要でしょう」と説明。検査結果次第では、年内いっぱいの静養が必要となりそうだ。

 河本は10日正午に自身のミニブログ「ツイッター」で「心が病みそうです」と、つぶやいたのを最後に更新がストップ。5日に「腰が割れるように痛い」とつづり、6日には腹痛を訴えていた。


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ひとの不幸を笑ってはいけませんね。

ところで、以前にも、この急性膵炎を取り上げたことがありました。
そうです、番長清原さんの時の話ですよ。


清原さんの背部痛


あの時の報道では、後日談みたいなのが判りませんでしたが、結局病名が何だったのかは分かりませんでした。
その後、テレビ出演などをしていると思いますから、きっと大したことなく治ったということなのでしょう。

病名検索に長くかかるとか、結石とかで迷われると、それはそれでまあ「ナンですな」とは思いますよね。判断が難しい場合はきっとあるんでしょうけど…。

まるで、ドラマの「キミと~ボクとで、アミーとゴー」(我が家では大人気だったのに~!続編作って、と妻は言っていたよ。最近の家族間の流行りは、このポーズをとることです)みたい。


それにしても、芸能界に多く見られるというのは、やはり不摂生が崇ったのでは…




中国の日本短期債売却は「利益の確定」説?

2010年10月11日 15時03分19秒 | 経済関連
どうしてこんないい加減な解説を信じ込むのか、私には理解できない。まあ、出鱈目解説の横行するマーケットでは、騙しあい、ばかしあい、というのも当たり前、ということなのかもしれませんがね(笑)。

asahi.com(朝日新聞社):政治的意図?利益の確定? 中国、日本国債を大量処分 - ビジネス・経済

(以下に一部引用)

 日本国債を買い進めてきた中国が一転して、償還期間1年以内の短期債を大量処分したことが波紋を呼んでいる。日本の財務省が公表した8月の国際収支状況(速報)によると、短期債が大半を占める中国の対日証券投資は売却・償還額(処分額)が購入額を2兆182億円上回った。昨年8月~今年7月の買い越し額の累計2兆2383億円に匹敵する異例の水準だ。
 8月の中国の対日証券投資の内訳をみると、短期債は2兆285億円の処分超、中長期債は103億円の買い越しだった。
 中国の対日証券投資の買い越し額は4月以降、毎月約2千億~約7千億円に達し、日本の市場関係者の間では「中国が外貨準備をドルから他の通貨に多様化する一環」との解釈が主流だった。8月に売却・償還額が購入額を大幅に上回ったのは、円高進行に伴い利益を確定させたのではないかとの見方が出ている。


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どこの誰が「円高進行に伴い利益を確定させた」のではないか、という、超出まかせを言ってくれたのか、知りたいものである。もっと笑えるのは、そういうのを真に受けてしまい、まんまと記事に書いてしまう経済記者氏である。

現実に「円高進行で利益を確定する」というのがどういうことなのか、それを考えてみるといいのにね、と思いますよね。それは、何をするのですか?、って話ですよ。記者氏は具体的に考えることができないからこそ、こういうのに引っかかるとしか思えないですね。実生活の中での体験不足、ということなんでは。

儲けを確定させる動き、というのは、平たく言えば、相対的に

・円が安かった時に(人民元を売って)円を買い、円が高くなった時に円を売って人民元を買う

ということをするんですよね?

すると、今年7月までは日本円の短期債を継続して買い越してきていたのであれば、8月に過去の買入分の9割くらいに相当する額を売ったとすると、どのような現象が起こると思いますか?
普通に考えると、円を売って人民元を買う、ということをするわけですから、人民元高―円安、ということが発生するということになるのではありませんか?
過去数カ月ではそこそこ分散して円を継続的に買ってきていたので、円買いによる円高促進効果が非常に弱かったとか目立ちにくかったとして、8月単月にこれまでの買入分の9割も一気に売ってしまった場合には、それなりに円売り効果(=円安促進)を持ってもいいはずではありませんか?

約2兆円も円売り―人民元買いを行えば、結構な人民元高が達成されても良さそうなのではありませんか、ということです。

実際のレートはどうなのかといえば、8月初めには1元=約12.8円だったものが、徐々に円高が進み、9月初めには12.4円となっていました。この間をグラフで見れば、ほぼ一貫した「(人民元の)下げトレンド」であって、円が売られて人民元が買われた、というのは、ほぼ想定できない動き方なのですよ。むしろ逆で、地道に「人民元を売って円を買う」という動き方なら、整合的な説明が付けられる、というくらいです。

更に、例の円売りドル買い介入が行われた9月15日前後ですが、その時点では円が売られた為に、1元が0.4円ほど円安になっていました。14~15日の、わずか1日で、ですよ。あの時の円売り介入規模ですが、2兆円強という水準であったはずですので、ドルペッグにほぼ近い動き方、ということでなら、その程度の変動はあるでしょう、という話です。

そうすると、もしも8月に円を売って人民元を買い、為替差益を確定させたということであれば、相対的に人民元高が起こっていても不思議ではなかったかもしれません。ドル円で見れば、8月10日に1ドル85.4円、20日に85.61円、24日に84円を付け31日には84.16円と若干の円高になっていました。

ドル円の変動水準は、約1.64%(85.4→84.0円)の上昇ですが、人民元と円で見れば約3.13%(12.8→12.4円)と幅が大きくなっています。つまり、円が売られて人民元が買われた、という根拠は、ほぼ窺うことができない、ということです。たとえドル円などのクロス取引の影響があるとしても、むしろドル円の変動幅よりも「小さい」ならば、まだ説明の妥当性について可能性は残されるかもしれませんが、「大きい」となると円売り人民元買いというのは疑わしい、としか思えないわけです。
多分、売却した短期債は、円のまま持っていた可能性が高かったのではないかと思いますね。今も円のままなのかどうかは、不明ですが。


そういうことをチラッとでも考えるならば、「利益確定の売りだ」とかいう出鱈目を言うはずがないんですよ。日々レートの動きを追っているのを商売にしているような連中が、どうして何も考えずに根拠レスな解説を言うのか、それが本当に不思議でならないわけですよ。またそれを鵜呑みにする記者氏というのも、不思議でしょうがない。

まあ、この件に限らず、様々な分野でそういう「鵜呑み」が見受けられるわけですがね。



それと、当方のブログ記事で書いた「ギクリとして、焦って売ってしまったんじゃないか」というような、もっと陰謀論めいた話はどうなのよ、という指摘は否定はしませんが、ありえそうな話という比較だけなら、「利益確定売り」よりはマシではないかと思いますが、どうなんでしょうか。



拘束邦人を解放~中国

2010年10月10日 16時22分08秒 | 外交問題
残る一人の日本人が9日に解放された、ということです。
とりあえず、事態は沈静化に向かい、ホッとしたということろでございましょうか。


今回は、予測が外れてしまいました。

9月30日>拘束邦人4名の一部釈放


この記事中には、次のように述べた。

そうすると、最後の1名が戻されるのは、船長と同じようなタイミング―24日釈放だったから、やはり同じような進行ということを考えれば、10月9日前後、ということになるだろう。そして、もしこの日よりも以前に解放された場合には、日本への「政治的配慮」をしました、というメッセージ、ということだろ。

日本のボンクラ民主党政権とおバカ外務省なんかの実例(船長の逮捕、勾留というのと同じようにやって見せてくれている、ということさ)と比べて、日本への特別の取り計らいをしましたよ、ということなら、それより先に解放されるであろう、ということだ。恐らく、今の雰囲気でいけばその可能性は高いだろう。



9日よりも前に解放されるのではないか、という予想を書いたわけだが、9日のまんまだった。

単なる偶然に過ぎない、と言われればその通りとしか言いようがないわけだが、日本のマスコミなどに流れるヘンな解説よりはマシではないかな、と思えなくもない。

といいますか、日本の政府関係者とか外務省とか、そういう方々の質の低下はどうにかならないものなのでしょうか。人的問題ではなく、システムの機能不全ということなら、もうちょっとまともな方向にするべきではないでしょうか。普通の素人考え以下、というのは、本当に酷すぎるように思います。

政府主導で、とか、仙谷主導で、とか、そういう掛け声はどうでもいいんですが、基本的なことが基本的でなくなるといったことがないように、きちんとするべきでしょう。余計なことはするが、肝心要のことは抜けてしまって何もできてない、なんてのは、本当に最低ですから。
邪魔なだけで、存在がマイナスって、そりゃ、いない方がマシってやつでして。

サッカーのゴールを固めるDFという役回りなのに、自陣で目の前の敵にパスするとか、しまいには「自殺点」を叩き込むとか、そういうDFならいない方がマシでしょう?それと同じなんだ、って言ってるんですよ。


この国の劣化は、至る所に浸透していて、本当に酷いです。
いい加減に目覚めてほしい。



アルゼンチンに勝利~ザッケローニ監督初陣

2010年10月09日 18時00分13秒 | いいことないかな
船出としては最高となった、ザック・ジャパン。
今後の飛躍が期待される。

スポーツナビ | サッカー|日本代表|アルゼンチン戦後 ザッケローニ監督会見(1/2)


以前には日本チームに決定的に欠けていたのは自信だったが、今は予想以上に良い方向に来ている。
戦う前から既に負けていたものが、それが無くなったのは大きい。


ただ、マジ・モードのアルゼンチンというのとは違う、と選手たちも感じていたようなので、浮かれてる場合ではないだろう。


それにしても、今回の監督人選は、かなり「大当たり」なのではないかな。
ザッケローニ監督の一番凄いというか素晴らしい部分は、選手を理解しようとする為に、まず、「日本人のメンタリティ」というものについて最も理解を深めようとしているところである。そこが凄いのだ。

サッカーの戦術云々という以前の、戦い方を選ぶ為の準備として、最初にやるべきことが「メンタリティを理解しようとする」という姿勢とか発想そのものが、監督としての能力の高さを示しているのではないかな、と。
そこからは、チームに何を求めるのかということを、比較的シンプルに選手に意識させる、というのも、凄いと思える。

これまでを見れば、どちらかと言えば、「褒めて伸ばす、育てる」ように見える。多分、日本人選手にはそうした方がいいんじゃないか、ということで選んだ方法なのではないかな。


期待が一層膨らみます。