新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

安倍晋三の功罪は「DD論」で論じてはならない

2022年08月04日 11時35分56秒 | 安倍晋三国葬

よく政治の世界では、裏事情に詳しい人物が「真実は墓場まで持っていく」などと、まことしやかに喧伝されていた時代があった。
 
ITジャーナリストの篠原修司は3年前にこんな検証記事を書いていた。
 
中曽根元首相『真実は墓場まで持っていく』発言は本当にあったのか?
 
結論から言えば中曽根元首相のそんな発言は公式には残っておらず、むしろほかの総理との発言を混同したらしいことを突き止めていた。
 

毎日新聞(1988.05.20)
山中貞則党税調会長
一連の会談の中身について山中氏が「だれにもしゃべらない。墓場まで持って行く」と周辺に漏らすように相当突っ込んだやりとりが行われたと見られているが、首相は牛肉・オレンジ問題の日米二国間決着の大切さを繰り返し説くと同時に、税制改革へ向けての取り組みでは政府与党一体の全力対応を要請したようだ。
AERA(1989.04.18)
桑田弘一郎 朝日新聞東京代表・専務
最後の緒方・犬養会談では、その重大な法相進退についてどんな話が交わされたのだろうか。考えてみると記者として大事なことを随分と詰めてこなかった。そうしたいと思ってはいたのだが、いつのまにか関係者は真相を墓場へ持っていってしまうのだね。
中日新聞(1989.06.01)
竹下登首相
20・44 首相、官邸発、私邸へ。私邸前で記者団から宇野氏の名前がだれの口から最初に出たかを聞かれた首相、むっとした表情で「それを言っては失礼になる。これは墓場まで持っていくことだ
毎日新聞(1990.02.22)
加藤六月・政調会長
党本部四階の会見場で、加藤政調会長は、グレーの背広姿、手をひざの上に乗せて神妙な表情。自ら「粉骨砕身し、身を粉にして頑張らねばと決意した。皆さんのご指導、ご鞭撻(べんたつ)を」と記者団にあいさつした。しかし、記者団からさっそく返ってきた質問は「リクルートのけじめ問題」。もともと表情の変わらない政調会長だが、息をのみ込むように背筋を伸ばして「ゼロから出発しなければならない」「道義的問題は墓場まで持って行かねばならない」とあらかじめ考えていたのか、一気に釈明の言葉を続けた。
毎日新聞(1991.10.23)
竹下登元首相
また竹下氏も首相の不出馬表明後側近に「解散発言を聞いてあらゆることを想定したが、今言うべきではない。墓場まで持って行く」と語った。
AERA(1994.11.28)
石原信雄官房副長官
--「平成」という元号は、引き継ぎの時点ですでに決まっていたのですか?
その道の学者で、どなたとどなたに元号の案をお願いしているということをお聞きしただけです。だれにお願いしていたかは今に至るまで言えない。私が墓場に持って行く話です。
徳島新聞(1998.06.20)
後藤田元副総理
政治学者らのインタビューに対する後藤田正晴元副総理の口述記録をまとめた「情と理―後藤田正晴回顧録」上下巻(講談社)が二十三日発刊される。後藤田氏は十九日、東京都内の事務所で「墓場まで持っていく情報は別にして、うそは書かれていない」と相変わらずの“後藤田節"で出版に至った経過を語った。
産経新聞(1998.08.09)
後藤田元副総理
欧米の政治家はノーベル文学賞を受賞した英国のチャーチル元首相をはじめ、回顧録を書くために政治をするのではないかと思われるほど熱心に記録を残すが、日本の政治家は色紙を書くのは得意だが、回顧録はあまり書かないといわれる。
墓場までもっていく。それが日本の常道じゃないの。最近は(元首相の)中曽根さんも回顧録を出されているが、それは日本のなかでは邪道かもしれんよ」
ところが、そういう後藤田氏のもとに友人である下河辺淳元国土庁事務次官からの紹介で、伊藤隆東大名誉教授、御厨貴都立大教授らがインタビューしたいと要請してきた。

 
だいぶ引用が長くなったのだが、「墓場まで持って行く」という表現は少なくとも自分が生きている間は真実は明らかにしない、という意味なのであろう。
 
前述した発言主はほとんどが天命を全うしたらしい。

可能ならば、彼らの墓場を覗けばさまざまな極秘情報があふれていたのかもしれない。
 
そういう意味では、「墓場まで持っていく多くの真実」があったにもかかわらず、他人によって一気に墓場まで送られた安倍晋三の場合は、本人の了解を得る必要がなくなり、今回の旧統一教会がらみの話も、雨後の筍のように湧いて出てくる。
 
さらに、内閣人事局により人事権を握られていた霞が関官僚たちも、当時はだ黙っていた連中が口を開き始めている。
 
追い詰められる自民党…旧統一教会の名称変更問題で『下村議員許すまじ』と文科省反乱か
 

 
 
「党との組織的な関係はない」──。旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との関わりについて、自民党の茂木幹事長は2日の記者会見でもこれまでの見解を繰り返した。だが、100人近い所属国会議員がイベント出席などで関係しているうえ、旧統一教会の丸抱え選挙で支援を得て当選した議員までいる。“個人の責任"で逃げるのはとうてい無理があり、早晩、追い詰められるのは必至だ。
  ◇  ◇  ◇
 3日召集の臨時国会は3日間で閉じるが、野党は閉会中審査を要求。「国葬」について説明が尽くされていない問題もあり、自民党はいやでも閉会中審査を開かざるを得ない。
 これに野党側は手ぐすね引いている。立憲民主党はもちろんのこと、いつもは“ゆ党"の日本維新の会も強硬姿勢だ。2日早々と、教団側と接点のあった所属議員13人の氏名を公表。松井一郎代表が「自民党が何の問題もないというのは大問題だ」と迫り、内部調査を実施していない自民党の対応を批判した。
 独自調査を最も進めているのが共産党だ。旧統一教会と自民党の癒着疑惑の“核心"となっている2015年の統一教会の名称変更問題で、宮本徹衆院議員の求めに応じて文化庁が「決裁文書」を開示したことは既に日刊ゲンダイでも報じた。実は、この「決裁文書」にズサンな誤りが複数見つかったうえ、それを文化庁がスルーしていたことが分かったのだ。
■「決裁文書」は間違いだらけのデタラメ
 教団側が提出した書類には、名称変更後の新法人の「新規則」全文が添付されている。規則の新旧対照表には、「名称変更(統一教会→家庭連合)」と「宗教法人の認証者(東京都知事→文部科学大臣)」の2カ所の条文の変更が明示されているのだが、「新規則」全文を見ると、なぜか名称は、古いままの「統一教会」と表記されているうえ、認証者として新旧ともにあり得ない「文化庁」と書かれてあるのだ。よくぞ、こんなデタラメな書類を文化庁は平気で受領し、名称変更を認めたものだ。“書式主義"の霞が関では、通常あり得ないことだ。
 文化庁宗務課の担当者はこう言った。
「新規則の全文は参考として添付されたもので、変更手続きの必要書類ではありません。誤記があっても認証の判断には影響していない。当時、誤記と分かったうえで受領したのかどうかは分かりません。当時の経緯を精査しているところです」
 宮本議員は「初めから(名称変更を認める)結論ありきで手続きが進んだのではないか」という疑念を強めていて、さらに追及を続けるとしている。
なぜ文化庁が間違いだらけの文書を開示したのか
 それにしても興味深いのは、なぜ文化庁が間違いだらけの文書を野党議員に開示したのか、だ。自分たちの対応が、いかにデタラメだったのか、自ら公表するようなものだからだ。名称変更当時の文科相・下村博文衆院議員に対する“反乱"が文科省内で起きているという見方がある。
「下村氏は当初、ツイッターで『文化庁によれば、通常、名称変更については大臣に伺いを立てることはしない。今回の事例も最終決裁は、当時の文化部長』と弁解した。全責任を役人に押し付けようとした。しかしその後、有田芳生前参院議員が保有していた文書で、文化庁が大臣に事前報告していたことが明らかになり、下村氏は説明を変えた。文科省内では『下村氏は文化部長に全責任を押し付けるつもりなのか』と怒りが渦巻いています」(文科省関係者)
 今後について、元文科次官の前川喜平氏が発売中の「サンデー毎日」で、「(認証の経緯は)リークで出る可能性はある、加計学園の時は散々出た。文科省はそういう意味で情報管理が甘いですから」と話している。
 官僚リークはあるのか。野党に加え、霞が関を敵に回したら、いよいよ自民党は逃げ切れないんじゃないか。

 
なかには、下村博文衆院議員に対して擁護する声もある。 
 

 
確かに諸悪の根源は明らかに安倍晋三なのだが、すべてが安倍晋三の指示にしたがっていたわけではない。 
 
《内部文書入手》 「統一教会」関連団体幹部が名称変更当時の下村博文文科相に陳情、パーティ券購入
 
さて、話変わって国民の過半数が反対する安倍晋三の「国葬」はすでに日本政府はOECDを始めとする各国に出席依頼を出しており、その取りまとめが「電通」との話がささやかれている。
 
岸田文雄はよほどのことが起きないならば、国葬は強行するだろう。
 
そうなればNHKを始め民放各局は改めて「安倍晋三の足跡」とか「功績」を垂れ流すことは間違いない。
 
すでに「安倍晋三の功罪」らしき特番を組んでいた番組もあったが、最終的には「功>罪」というトーンなっている。
 
とりあえず、今回はアベ政治には批判的だった政治ジャーナリストと経済学者に登場してもらう。
 
【“安倍政治"の功と罪】ジャーナリスト斎藤貴男『日本社会を根底から腐らせた』
    
安倍氏への銃撃事件には大変な衝撃を受けました。謹んでご冥福をお祈りしたい。しかし、7年8カ月に及んだ「安倍政治」の評価を問われれば、それはまた別の話です。
 集団的自衛権の行使容認やアベノミクスなど個別の政策については、議論が分かれるところだと思います。それよりも、安倍政治の最大の罪は、民主主義を完全に形骸化し、日本社会を根底から腐らせたことです。
 安倍氏なりの理想とする“国家像"というものがあったのでしょう。けれども、それを実現するためには手段を選ばなかった。自分の理想以外の価値観を軽視し、踏みにじってきました。
 異論に耳を傾けず、重要法案を数の力で押し切った。特定秘密保護法や安保法制、「共謀罪」法などで強行採決を連発しました。安倍氏の考えに共感できる人たちにはすごく頼もしくも映ったでしょうが、反感を持つ人たちは強烈な怒りを覚え、国論が両極端になっていきました。
 森友・加計問題や桜を見る会では、公文書の改竄(かいざん)や廃棄が常態化。具体的な証拠を突きつけられても「批判は当たらない」で済ませ、権力者は何をやってもよいのだ、というのが自民党や官僚の常識になりました。
 こうした強権的な手法やスキャンダルを巡って国論は二分され、ネット上などで互いに罵詈(ばり)雑言を浴びせ合うようになりました。社会が分断されたのは、新自由主義によって格差が広がったのも主因です。公正な競争など望むべくもない条件の差をそのままに、いわゆる“負け組"はすべて自己責任で片付けられてきた。新自由主義は小泉純一郎政権の時に顕著となり、当然の帰結として安倍政権ではネポティズム(縁故主義)がはびこりました。
今回の国葬を決めた岸田首相は政権維持のため、安倍派を取り込みたいという思いもあったのでしょう。しかし、国葬を巡っても賛否は真っ二つに分かれています。これ以上、国民を分断することは避けるべきです。
 分断と対立が進んで最も懸念されるのは、冷笑主義の蔓延(まんえん)です。安倍氏は国会で質問中の野党議員に対して、「日教組、日教組」とヤジを飛ばしたことがありました。日本教職員組合の何が問題かを説明もせずに、日教組という名称そのものを悪口にして、せせら笑ったのです。真っ当な批判に耳を傾けるどころか、お互い議論をしようという態度さえ冷笑の対象になる。これでは罵(ののし)り合っているほうがまだマシ。社会の閉塞(へいそく)感はますます高まるばかりです。

  
【“安倍政治"の功と罪】浜矩子『安倍政権は経済政策の“使命"からかけ離れていた』
 
安倍氏への銃撃事件には大変な衝撃を受けました。謹んでご冥福をお祈りしたい。しかし、7年8カ月に及んだ「安倍政治」の評価を問われれば、それはまた別の話です。
 集団的自衛権の行使容認やアベノミクスなど個別の政策については、議論が分かれるところだと思います。それよりも、安倍政治の最大の罪は、民主主義を完全に形骸化し、日本社会を根底から腐らせたことです。
 安倍氏なりの理想とする“国家像"というものがあったのでしょう。けれども、それを実現するためには手段を選ばなかった。自分の理想以外の価値観を軽視し、踏みにじってきました。
 異論に耳を傾けず、重要法案を数の力で押し切った。特定秘密保護法や安保法制、「共謀罪」法などで強行採決を連発しました。安倍氏の考えに共感できる人たちにはすごく頼もしくも映ったでしょうが、反感を持つ人たちは強烈な怒りを覚え、国論が両極端になっていきました。
 森友・加計問題や桜を見る会では、公文書の改竄(かいざん)や廃棄が常態化。具体的な証拠を突きつけられても「批判は当たらない」で済ませ、権力者は何をやってもよいのだ、というのが自民党や官僚の常識になりました。
 こうした強権的な手法やスキャンダルを巡って国論は二分され、ネット上などで互いに罵詈(ばり)雑言を浴びせ合うようになりました。社会が分断されたのは、新自由主義によって格差が広がったのも主因です。公正な競争など望むべくもない条件の差をそのままに、いわゆる“負け組"はすべて自己責任で片付けられてきた。新自由主義は小泉純一郎政権の時に顕著となり、当然の帰結として安倍政権ではネポティズム(縁故主義)がはびこりました。
今回の国葬を決めた岸田首相は政権維持のため、安倍派を取り込みたいという思いもあったのでしょう。しかし、国葬を巡っても賛否は真っ二つに分かれています。これ以上、国民を分断することは避けるべきです。
 分断と対立が進んで最も懸念されるのは、冷笑主義の蔓延(まんえん)です。安倍氏は国会で質問中の野党議員に対して、「日教組、日教組」とヤジを飛ばしたことがありました。日本教職員組合の何が問題かを説明もせずに、日教組という名称そのものを悪口にして、せせら笑ったのです。真っ当な批判に耳を傾けるどころか、お互い議論をしようという態度さえ冷笑の対象になる。これでは罵(ののし)り合っているほうがまだマシ。社会の閉塞(へいそく)感はますます高まるばかりです。
 
「国葬」を辞書で引けば「国家の大典として国費で行う葬儀」と定義されています。経済政策に関していえば、安倍氏が残したものは、この対応に値するとは思えません。
 経済政策の使命は次の二つ。(1)経済の均衡保持と(2)弱者救済です。(2)があるから(1)がある。なぜなら、経済の均衡が崩れると、最も深く傷つくのが弱者だからです。
 経済均衡がデフレ方向に崩れれば、賃金が下がり、たちまち弱者の生活は行き詰まってしまう。それが安倍政権下の状況でした。逆にインフレ方向に均衡が崩れれば、真っ先に物価が上がり、やはり弱者が困窮する。これが、安倍政権の流れをくむ岸田文雄政権における日本の現状なのです。
 かくして安倍政権の出現以来、経済政策はその使命を果たしてきませんでした。それは安倍氏が、経済政策を彼の政治的野望実現のための手段として扱ったからです。
 本人の言葉を借りれば「私の外交・安全保障政策は、アベノミクスと表裏一体であります」(2015年4月、米国笹川平和財団の講演)。これはいけない。「表裏一体」という言葉を使うなら、経済政策の二つの使命を指すべきです。経済政策が他の何かと表裏一体であってはいけません。
 しかも安倍氏の外交・安全保障政策の眼目は「戦後レジームからの脱却」にありました。戦後が嫌なら、戦前に戻るしかない。そこは大日本帝国の世界。つまり安倍氏は“21世紀版大日本帝国"の構築をもくろんでいたともいえます。彼の経済運営が目指したのは、新大日本帝国の大きく強い経済基盤づくりでした。
 だからこそ、彼は日本を「世界で一番企業が活躍しやすい国」に仕立て上げようとしました。「働き方改革」もそこにつながっていた。日本銀行を政府の子会社と位置づけ、財政資金の供給マシンと化すことを求めたのも、強く大きな経済基盤づくりのため。いずれも経済政策の本来の使命からあまりにもかけ離れていた。
「アベノミクスの継承」を確認した岸田政権において、この枠組みが大きく変わるとは思えません。重苦しい空気の中で、「国葬」に向かって時が刻まれていきます。

 
どちらも平易な短い文章なのだが、的確にアベ政治は「功<<罪」と断じており、今後の岸田文雄のプロパガンダに惑わされないようにしなければならない、とオジサンは思う。 
    
   

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