最近、テレビのCMでたびたび顔を出すのが元国立国際医療研究センター感染症専門医で現在は大阪大学大学院教授の忽那賢志医師。
積極的に国民にワクチン接種を呼び掛けている 御用医師である。
この医師は、相変わらず「ワクチンメリット論」を振りかざしている。
「若い人がワクチンを打つ4つのメリット 感染症専門の忽那医師<新型コロナ>」
メルットとしては以下の2点を強調していた。
◆副反応より「かかったほうがつらい」
→本来の由来とは異なるが、文字通りの「「先憂後楽」の発想である。
◆感染そのものを防ぐ効果も
→これはそもそもワクチンの役目なのだが、そのリスクはスルーしている。
巷ではこんなことが報告されている。
「男子高校生ら「副反応の心筋炎や心膜炎が心配…」 それでも厚労省がワクチン接種を勧める理由<新型コロナ>」
厚労省はサイト内で「頻度としてはごくまれ」と強調しており、心筋炎や心膜炎の専門家によると、軽症の心筋炎・心膜炎は治癒する病気で、循環器の通常の診療体制で対応できると答えている。
それでは、心筋炎・心膜炎に罹った場合の治療費は公費なのかといえば「自助」のようである。
「ごくまれ」という表現は、ワクチン接種後の死亡も同様に扱われている。
「ごくまれ」でもいざ自分がその対象になり死んでしまうかもしれないと考えれば、「ハイ喜んで」接種するには勇気がいる。
また、「『治験が終わっていないから危険だ』といった間違った情報がネットで拡散する。『いずれもデマです』」と断ずることも危険であろう。
「ワクチン接種後4日程度の間に、胸の痛みや息切れが出ることが想定されるといい、こうした症状があった場合は医療機関を受診した方が良さそうだ。」と同記事は結んでいたが、受診し治療費は個人負担であることには変わりがない。
日本の薬局で市販されている錠剤などは、年齢制限があり1回に服用する量も限定されている。
それでは日本の「成人」と欧米の「成人」は全く同じ条件なのだろうか。
食生活も異なり体格もかなり差があるように思う。
国産のワクチンや各種の薬剤は日本人の治験結果に基づいて承認される。
しかし現在国内で主流の2種類のワクチンは海外での治験も完全に終了しているわけではなく、国内治験はごくわずかという状態で厚労省は「特例承認」した。
したがってワクチン接種は義務化できなかったという経緯がある。
そんなワクチンなので、製造会社によっては接種した日本人によっては異なる副反応が生じている。
「ぜ日本人はモデルナで発熱するのか…ファイザーの2~3倍 2回接種後に感染も」
【東京新聞より】
◆38度以上が6割超 「頑強な自衛隊の方でさえ、4割が病休したのはちょっとショック」。ワクチン副反応の調査を担う厚労省研究班の代表、伊藤澄信・順天堂大客員教授は、副反応検討部会で率直にそう述べた。モデルナの調査は自衛官を中心に行った。2回接種後、4割が「仕事にならない状況」だったという。 調査によると、2回接種で37・5度以上の熱が出たのは、ファイザーが約4割に対し、モデルナは約8割。38度以上では、ファイザー約2割に対し、モデルナは約6割で3倍の開きがあった。 米疾病対策センター(CDC)のワクチン副反応報告システム「V―safe」に約95万人が回答したデータによると、ファイザー、モデルナの2回接種から1週間以内の発熱は、それぞれ21・5%と37・6%で、両ワクチンの間に大差はなかった。 ◆専門家も「原因分からぬ」 伊藤氏は「日本人のデータで、これほどの違いが出た原因はわからない。ファイザーとモデルナは有効性の指標にも、それほど違いはないのだが」と首をかしげる。 検討部会では「モデルナの国内治験の結果でも、海外より発熱者が多いとあった。海外ではかなり、解熱剤を前もって飲んでいるとか、体重の違いという意見も審査段階であった」と明かす委員もいた。 モデルナでは、新型コロナに感染したことがある人が、1回接種から副反応が強く出る傾向もある。発熱、倦怠けんたい感は、それぞれ未感染者の8倍、3倍に上る。伊藤氏は「38度以上の発熱の比率も高く、40度の人もいる。体に負担がかかるので、準備して接種を」と呼び掛ける。 ◆万能ではないワクチン ワクチンを2回打ち、副反応を乗り越えても油断は禁物だ。国立感染症研究所は、7月5~15日の10万人あたりの新規感染者数をワクチン接種歴別に比較。未接種27・4人に対し、1回接種は9・1人、2回接種は1・3人と激減したが、ゼロではなかった。 横浜市立大の研究では、ファイザー製ワクチンを打った105人中、2回接種でデルタ株に対する十分な抗体を得た人は102人。残る3人は十分な効果が得られず、ワクチンが万能でないことを示した。 感染研は6月末までの3カ月間で、ワクチン接種後に感染した27都道府県130人の検体を回収。うち67人は2回打ち、免疫がついたと考えられる2週間たった後に陽性と判明した。感染研は「ワクチン接種後も2次感染のリスクは否定できない」と、感染防止策の継続を求めている。 |
「危険を恐れていては医学の進歩はない」とは、江戸時代の話であろう。
しかし現実的には日本でも過去に数知れない薬害事件を引き起こしている。
「戦後の薬害事件の概要と教訓」
現在では、誰もが感染するリスクが高いデルタ株により、「万能ではないワクチン」の接種は自らが判断して 接種するしかないであろう。
さて、「呪われた五輪」が終わり3週間目に入ったが、様々なメディアで総括やら検証記事がでている。
どんな記事を選ぶかで五輪への評価が分かれるのだが、スポーツ関係者や開催側、ましてや感染専門家ではないジャンルの人の記事のほうが気にかかるものである。
「東京五輪閉幕 最も深い傷とは? 作家 赤川次郎氏が目にとめた2つの小さな記事」
「傷だらけの祭典」 <東京オリンピック2020>(実際は2021年だが)をひと言で言えば、これが適当な言葉だろう。 もともとが原発事故の「アンダーコントロール」と、「東京の7月は温暖でスポーツに最適」という二つの嘘からスタートした祭典である。平穏無事に開催できるはずがない。 それにしても安倍首相(当時)のあの発言に唖然としなかった日本人がいただろうか? 原発事故は全く先が見通せない状態だった。 さらに七月の猛暑を、どうやって「温暖な気候」に変えるのか? だが、毎年猛暑はくり返し、さらに新型コロナという厄災が追い打ちをかける。その時点で、当然「オリンピックどころではない」という議論がわき起る、と私は思っていた。 しかし、世界でどれだけの死者が出ようと、オリンピックの準備は、何ごともなかったように進んで行った。そこにはもう想像力や良識のかけらもなかった。 そしてオリンピックは終った。 終った? 終ったのか? 本当に? オリンピック閉会後に激増するコロナ感染者数。今、オリンピックのつけを払わされているのは、すでに崩壊しつつある医療現場で必死に戦っている医師、看護師や、そして感染しても入院さえできずに苦しむ人々である。 いくら菅首相や小池都知事が「オリンピックと感染拡大は関係ない」と言い張っても、誰が信じるだろうか。しかもオリンピック開催にあれほど執着していたこの二人が、コロナ対策となると、まるで他人事のように「人流」のせい、と言って澄ましている。 反対の声を無視して、オリンピックを強行した人々にこそ、つけを払ってもらわなくてはならない。その責任を取らせたとき、初めてオリンピックは終るのだ。 それにしても、これほど不祥事とスキャンダルにまみれたオリンピックがあっただろうか。 そのきっかけになった、森喜朗氏の女性差別発言を聞いたとき、私は二十代のころ勤めていた職場での上司を思い出した。親分肌で、上司としては決して悪い人ではなかったが、酒の席で酔うと女性社員の胸やお尻をなでて、「触ってあげなきゃ失礼だよ」と言うのだった。 四十年以上も前と、日本の男は少しも変っていなかった。それに続いて次から次へと出て来た、「問題発言」や、開会式の演出を巡る混乱と辞任劇。 見せられるこちらの方が目を覆いたくなる惨状だった。しかし、これがオリンピックという国際舞台で起ったことでなかったら、これほどの問題になっていただろうか。森氏の発言など、ただのジョーク(笑えないが)ですんでいただろう。 おそらく、一連の出来事で批判された人々は表向き謝罪しても、内心では「外国のメディアが大げさに取り上げたからだ」と苦々しく思っていただろう。 そういう本音を含めて、今回のオリンピックをめぐる一連の混乱は、文字通り今の日本の縮図と言って良かった。何でも自分の思い通りにして、周囲からはほめられたことしかない人々と、それを形にした大手広告代理店の相互依存の骨組をレントゲン写真のように明白にしたのだ。 聖火ランナーの前を巨大な宣伝カーが行進する光景を見て、恥ずかしいと感じなかった人々が、コロナ禍にオリンピックを強行開催したのだった。 私は、今度のオリンピックの残した最大の傷は(もちろんコロナの感染拡大もあるが)、日本のジャーナリズムの敗北だったと思う。 安倍さんの「アンダーコントロール」発言から、日本のジャーナリズムはその問題点を指摘して広く世界に発信すべきだった。原発はいつ再び地震で事故を起すか分らず、七月の猛暑を変える手段などどこにもないということを。 さらに、新型コロナという人類史上にも例のない、世界同時感染の恐怖がやって来て、特にヨーロッパでは埋葬すら間に合わないほどの死者が出たときも、日本で「オリンピックを中止すべき」という声は上らなかった。日本のジャーナリズムは日に日に内向きになり、「明日は我が身」と考えることさえしなかった。 大新聞やTV局はオリンピックの協賛企業になって、国民の命を守ることより、保身に走った。私は朝日新聞の「声」欄にオリンピックの中止を求める投稿をした。朝日新聞は翌日夕刊の<素粒子>で、「胸のすく思い」と書いてくれたが、それきりだった。「胸のすく思い」をした人は、その後何をしていたのか? 「その通りだ」と思えば、やるべきことはあっただろう。 結局オリンピックは開催された。それがコロナの感染爆発をひき起す可能性を知りながら、ジャーナリズムは、首相と都知事が死のルーレットに国民の命をチップとして賭けるのを黙って見ていた。 今、現実に医療崩壊が起きても、政権を非難する声は小さい。 最近私は二つの小さな記事に目をとめた。 一つは、電通が史上最高益を出したこと。 もう一つは、IOCのバッハ会長の記事だ。 近年、これほど日本で評判の悪かった外国人はいなかっただろう。偉大な作曲家と同じ名前ということに、音楽を愛する者としては腹が立つのだが、この人、菅首相と小池都知事に功労賞を贈ったという。このニュースで私が連想したのは、一夜に十万人の民間人の死者を出した昭和20年3月10日の東京大空襲を指揮した米軍のカーチス・ルメイに、戦後、日本が「航空自衛隊の創設に貢献した」として勲章を贈ったことだった。 立場は違うが、「日本人の命を危険にさらした」という点では共通している。 そして、少しほとぼりがさめたころに、日本政府は「東京オリンピック開催に貢献した」として、バッハ会長に勲章を贈るに違いない、と私は思っている。(寄稿) |
冷静に、核心を突いた内容で最後は痛烈なメディア批判であり、日本のジャーナリズムの劣化を指摘していた。
オジサンは五輪が強硬開催された時点で、「崩壊した五輪開催に抗議します!!!」と当ブログの休会を宣言した。
そして8月8日に五輪が閉会ししばらく再開を時期を思案しているときに「パラ期間もお休みされるお考えでしょうか?」というコメントを頂いた。
小池百合子は口癖に「オリパラ」と一緒にして呼んでいたが、それには若干の抵抗があった。
それは五輪はIOCの利権が前面にでていたが、パラリンピックにはバッハの影がなかったからである。
したがって、終戦記念日に、「呪われた五輪が終わって-前半」と、翌日に「呪われた五輪が終わって-後半」と、休会中に集めた様々な記事を駆使して再開した。
そして、パラリンピック開会後には、「パラスポーツの素晴らしさはテレビ観戦で十分楽しめる」とつぶやいた。
そのパラリンピックの開会式に対してはすでに終わった五輪の開会式と比較する記事が多かったようである。
「物議のバッハ会長が去り、「利権がからんでない」パラ開会式が称賛される理由」
東京パラリンピックの開会式に出席するため、再来日していた国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が8月25日夜、ひっそり帰国した。 パラリンピックの開会式に招待されていたバッハ氏は23日に来日。だが、特例として隔離措置は取られず、物議を醸した。 政府分科会の尾身茂会長は25日の衆院厚生労働委員会の閉会中審査で、「なんでわざわざ来るのかと。そこでは、そういうことをなぜ、普通のコモンセンス(常識)なら(判断が)できるはずなんですね」と苦言を呈していた。 「銀ブラをしたり好き勝手な行動をしたバッハ会長が再来日することに政府もJOCも『NO』と言えない。東京五輪は利権が絡んでいるからです。視線がIOCにばかり向いているから、国民の思いに気づかない。不要不急の外出を呼び掛けてもこれでは説得力がないですよ」(スポーツ紙記者) 一方、東京パラリンピックでアスリートたちが連日、奮闘している姿に、心を揺さぶられる視聴者は多いのではないだろうか。 24日夜に開催された開会式は日本国内だけでなく、世界中から「感動した」、「ハイクォリティーな構成、演出で圧巻」と絶賛の嵐だった。 「WE HAVE WINGS(我々には翼がある)」をコンセプトに行なわれたイベントで、開始を告げるダンスパフォーマンスには、公募で選ばれたダンサーたちが登場。タレントのはるな愛の姿も見られた。車いす俳優のはしぐちしんさんなど様々な障害や個性を持ったダンサーがポップな音楽に合わせ、笑顔で息の合ったパフォーマンスを披露した。 印象深かったのが、演劇「片翼の小さな飛行機」だ。主人公として抜擢されたのは、羊膜索症候群や関節拘縮症により上肢下肢に機能障がいのある13歳の和合由依さん。オーディションで選ばれたが演技経験がないとは思えない。その表現力は圧巻だった。和合さんは、翼が1つしかないために飛ぶことを躊躇する様子を表情と全身で表現。 物語の中盤では、悩む和合さんの前に光り輝く「デコトラ」が登場。歌手・布袋寅泰が荷台に乗って登場し、この開会式のために書き下ろした「TSUBASA」と「HIKARI」の2曲を、全盲ギタリストの田川ヒロアキ、車いすギタリストの川崎昭仁、不登校を経験した笑顔が魅力の17歳ベーシスト・アヤコノさんと共に演奏し、ダンサーが踊りだす。 勇気づけられた和合さんは約20メートルの滑走路を車いすで走り、無事に飛び立った。一連の物語は、困難を乗り越えて戦いに臨むアスリートたちの姿が重ねられている。 「五輪の開会式は視聴者が置いてきぼりになった感がありました。詰め込みすぎて何を表現したいのかわからなかった。せっかく大竹しのぶさんなど表現力がある女優が出演したのにもったいないように感じました。パラリンピックの開会式は一貫性のある演出で制作スタッフの強い思いが伝わってきました」(テレビ関係者) 五輪の開会式でバッハ会長が13分に及ぶ挨拶で、「長い」とヒンシュクを買ったが、パラリンピックの開会式では国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドリュー・パーソンズ会長の挨拶は6分半あまり。 「ここまで来られたことに信じられない気持ちです。多くの人がこの日が来るのは不可能だと考えていました。それでも多くの人々のおかげで、地球上で最も大きな変革を起こす力のスポーツの祭典が、いま始まろうとしている」 「パラリンピックは、単に観戦する楽しみにとどまらず、地球上の他のスポーツイベントとは異なり、社会を変革する力を持っています」と身振り手振りで訴えかけた。日本語で「ありがとうジャパン、ありがとう東京!」と感謝する場面もあり、多くの視聴者の心をつかんだ。 「挨拶一つとっても五輪への思い、熱意は伝わってきます。バッハ会長とパーソンズ会長は対照的でした」 スポーツ紙五輪担当記者は五輪とパラリンピック開会式についてこう振り返る。 「東京五輪は開会式の演出チームのメンバーが次々に辞任、解任する想定外のアクシデントがありましたが、酷評された現実は受け止めなければいけない。イベントが大きくなれば大きくなるほど、外部からの口出しが多くなり演出チームの思い描いた形にならないケースが珍しくない。日本にも世界に誇れる立派なクリエイターがたくさんいます。パラリンピックの開会式で証明してくれましたし、学ぶべき点が大いにあると思います」(同前) SNS、ツイッター上でも東京五輪とパラリンピックを比較した意見が相次いだ。 「五輪の開会式はゴチャゴチャしていて何がやりたいか分からなかったけど、パラリンピックの開会式はシンプルな構成で凄く深いから見入った。日本人はこういう素晴らしい作品が作れるんだと誇らしい気持ちになりました」 視聴者にいったい、何を伝えたいか――。この観点を軽視して忖度してばかりでは視聴者の心に響かない。 |
改めて思うのは、「ぼったくり男爵」のIOCを私物化しているバッハ会長と、その尻馬に乗って己の目的を果たそうとした菅義偉と小池百合子が現在の日本に大きな災厄を招いた最大の「疫病神」なのであろう、とオジサンは思う。