新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

正しい数値も加工されれば国民を欺ける悪しき安倍政権

2019年10月05日 12時18分31秒 | 安倍晋三

1週間前になるが、あの、例の「どっちもどっち」の自称国際政治学者のツイートが話題になっていた。

三浦瑠麗氏、あいトレの「表現の不自由展・その後」に関するツイートを多数投下/さらにあいちトリエンナーレのあり方検証委員会からヒアリングを受けたことも明かす

その後、いくつかのネットメディアで批判されていたが、最も手厳しいリテラにボコボコにされていた。

三浦瑠麗が『表現の不自由展』感想ツイートでまた無教養と御用ぶり晒し非難殺到! ナチスばりの芸術観まで披露」 

記事は最後にこう結んでいた。

「三浦氏は例の連続ツイートでもそうした社会状況をまったく問題視しないし、なんなら批評すら試みない。だから“御用学者”なのだ。
 念を押しておくが、本サイトは別に、三浦氏がアートや表現の問題に無知で、ただの“御用学者”だからといって、外野がよけいなことに口をはさむな、と言うつもりはない。当然、三浦氏にも「表現の自由」があるし、どんなジャンルで言論活動をしてもらっても結構だ。
 ただ、こういう“どっちもどっち”的なポーズとレトリックに騙され、無知無教養に気がつかないで有識者扱いするメディアや公的団体がいるかぎり、今後も、三浦さんの言論の底の浅さを指摘せねば「ヤバイ」とは思っている。」

この記事の筆者に関しては、過去にかなり厳しい記事で批判されていた百田尚樹はこんなツイートを飛ばしていた。

三浦瑠璃批判は、ついに作家の適菜収の「それでもバカとは戦え」という日刊ゲンダイの担当コラムに登場した。

<ナチスか? 悪霊の復活…三浦瑠璃の“見識”に頭がクラクラ>
 2019/10/05 06:00 日刊ゲンダイ
 国際政治学者を名乗るコメンテーターの三浦瑠麗が、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展 その後」についてツイッターに連投。
《大衆的な民主主義の時代においては、一番の権力者は民衆です。彼らに全く受け入れられない「アート展」には持続可能性がありません。公共の場を借りた展示が、多くの人の学習意欲を満たし、十分に教育的で説明的であってほしい、という需要に応えるものになっていくことが求められている結果です》
 頭がクラクラ。これは企画展の是非や補助金の不交付がどうこうといった問題がぶっ飛ぶほどの恐ろしい発言だ。
 要するに三浦は「一番の権力者」に「受け入れられない」アートを否定しているわけだ。
 ナチスですか?
ヒトラーは印象派などの近代美術を「退廃芸術」として攻撃。芸術を「学習意欲を満たし、十分に教育的で説明的」なものに限定していった。スターリンも芸術を「学習」「教育」のために利用した。「ロシア・アバンギャルド」は弾圧され、「社会発展のために役に立つプロレタリア芸術」のみが認められた。こうして芸術は党の管理下に置かれるようになった。
 三浦は展示品に対し「説明不足」「鑑賞者に説明なしに黙って見ることを要請」と繰り返すが、芸術とは「鑑賞者に説明なしに黙って見ることを要請」するものである。そもそも簡単に説明できるものなら芸術という形式をとる必要はない。
 なお、ここで論じているのは展示品が芸術か否かではない。三浦の芸術観が幼稚で浅はかであるだけでなく、過去の悪霊の復活につながることを指摘しているのだ。
 三浦は展示品の作者に対し《そもそも、何をもってして「目覚めた自分」と「目覚めていない大衆」を分けているのか》と批判するが、それはこちらが聞きたい。三浦の文章からにじみ出るのは「自分は目覚めた側の人間であり、社会を俯瞰的に眺めている」という傲岸不遜な態度である。
 そんなルリ(39歳)が考える「一番の権力者」に受け入れられ「持続可能性」のある「学習意欲を満たし、十分に教育的」な芸術展とは何か。ナチス公認の「大ドイツ芸術展」というのもあったが、われわれの社会は20世紀の愚行を繰り返そうとする危険人物に対し寛容に過ぎるのではないか。


浅薄で、アートや表現の問題に無知で、ただの“御用学者”だから、立派な安倍晋三応援団としてテレビメディアにもてはやされたのだろうが、鋭い見識者に遭っては、「物言えば唇寒し」であろう。

ところで、昨日開会された臨時国会(第二百回国会)の前日の安倍晋三の行動に批判が集まっていた。

首相動静(10月3日)

何しろ14時半から1時間以上にわたって、新聞・通信各社の論説委員、在京民放各社の解説委員、内閣記者会加盟報道各社のキャップと懇談していたのだから驚く。

まさか、中身のない所信方針演説なので厳しい記事を書くなよ、なんてことはお願いしているわけがないだろうが・・・。 


権力批判が仕事のメディアの幹部連中が、権力ベッタリでいい訳がない。

ジャーナリズムがまともに機能している国なら、こんな懇談だけでも十分スキャンダルになるはずだが、日本では白昼堂々官邸で行われている限りは、「マスゴミ」と呼ばれても仕方がない。

それではさっそく昨日の演説の全文(ルビ付)を見てみよう。

第二百回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説

原稿を全て安倍晋三が書いたとは思えないのだが、少なくとも他人の言葉の引用には、それなりの注釈があってしかるべきなのだが、演説の最初の方で(一億総活躍社会)の場面で、「新しい時代の日本に求められるのは、多様性であります」という文章の前振りに、唐突に「みんなちがって、みんないい」という一節が入っている。

これは、山口県生まれの金子みすずの「わたしと小鳥とすずと」という詩の中の最後の一節である。

引用なので出典を明らかにするのが常識だと思うのだが、当然、安倍晋三にはそのような素養はなかっただろうし、コピーライターの側近も考慮しなかったのかもしれない。
   
この演説の前日のメディア各社の連中との懇談の成果がさっそく朝刊に現れたようである。  

首相の改憲論議呼びかけに、野党ヤジ『越権行為だ』

この記事のタイトルに違和感を持った人がいた。

もはや大手マスメディアは「旗幟鮮明」しないことが生き残れる術だと思っているのか?

本来ならば、安倍晋三の演説内容に対して読者に分かりやすく解説することがメディアの使命ではないだろ言うか。

<<論戦ファクトチェック>「65歳超えても働きたい 8割」 基データは5割超 数字は誇張>
 2019年10月5日 朝刊 東京新聞

   

 安倍晋三首相の4日の所信表明演説を、本紙がファクトチェック(事実確認)したところ、高齢者の就労希望について「65歳を超えて働きたい。8割の方がそう願っている」と説明した部分が、実際は5割超だった。8割としたのは回答者を「仕事をしている人」に限って統計を再処理した結果で、首相の説明は誇張と言える。
 政府によると、演説の基になったのは内閣府が2014年度に実施した「高齢者の日常生活に関する意識調査」。全国の60歳以上の男女約3900人が回答。何歳まで仕事をしたいかという設問で「働けるうちはいつまでも」は28.9%、「70歳くらいまで」は16.6%、「75歳くらいまで」は7.1%、「80歳くらいまで」は2.7%。合計すると55・3%で、8割を大きく下回る。
 この設問について内閣府は17年版の「高齢社会白書」で、回答者約3900人のうち「現在仕事をしている人」の約1300人に絞って再集計。「働けるうちはいつまでも」から「80歳くらいまで」の4項目を合計すると79.7%になり、「約8割が高齢期にも高い就業意欲を持っている」と結論付けた。
 首相はこの結果を引用したとみられるが、「現在仕事をしている人」という前提条件を説明していないため、高齢者の8割が「65歳を超えて働きたい」と思っていると誤解させかねない。演説では、70歳までの就業機会の確保を掲げており、社会保障費の支え手を確保するため、高齢者の働き手を増やしたい思惑が透けて見える。
 経済政策「アベノミクス」に関しては、雇用が改善した成果として「正社員は130万人増えた」と強調した。総務省の労働力調査によると、正規で働く人は第二次安倍政権が誕生した12年から18年までに131万人増えており、説明は正しい。
 だが、同じ期間中にパートやアルバイトなど非正規で働く人も304万人増加したことには言及せず。役員を除く雇用者全体に占める非正規の割合は18年に37.9%へ上昇し、その多くが低賃金で生活に苦しんでいる実態には目を向けなかった。

安倍晋三の特徴は、決してデタラメな数値は用いないが、様々な統計データを加工して相変わらず我田引水の数字を持ち出して自画自賛するということであろう。

来週からの国会審議では各野党は安倍晋三の目くらましに騙されず、自らデータ数値の検証を行いファクトチェックをしたうえで厳しく追及してもたいたいものである、とオジサンは思う。     
   

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