「『自分の行動で国や社会を変えられる』と実感できる若者が増えればこの国は変わる」というつぶやきの中で、「成人の日」の一部の会場周辺の様子を見て、「コロナ禍以前ではハメを外した連中が騒ぎまわっていたが今年は全体的には「おとな」になった感じであった。」と書いた。
しかし全国各地が「おとな」になった20歳の成人だけではなかったようで、相変わらず目立ちがり屋のガキどもは健在であったようである。
このような20歳になったばかりの連中も対象としたJNN(TBS)の世論調査結果が発表された。
「年間1兆円の“防衛費増税"『反対』71% 『賛成』22%を大きく上回る JNN世論調査」
政府は来年度から5年間の防衛費を43兆円に増額する方針ですが、この防衛費の増額について「賛成」と考える人が39%、「反対」と考える人が48%であることが最新のJNNの世論調査で分かりました。 また、政府は防衛費増額の財源として、2027年度には1兆円あまりを増税で確保する方針ですが、こうした防衛費を増やすための増税については「賛成」22%、「反対」71%でした。 政府・与党はこの増税の実施時期について「2024年以降の適切な時期」としていますが、岸田総理が増税の実施前に衆議院の解散・総選挙を行い、国民に是非を問う必要があるか聞いたところ、「必要がある」76%、「必要はない」17%でした。 また、防衛費を増やすための財源として何が適切かを聞いたところ、「増税」8%、「国債の発行」12%、「他の予算の削減」72%でした。 【調査方法】固定・携帯電話による聞き取り(RDD方式) 全国18歳以上の男女2465人〔固定1044人,携帯1421人〕 有効回答1225人(49.7%)〔固定614人,携帯611人〕(58.8%)(43.0%) |
この調査結果を正確に理解していたのかはいざ知らず、定期的に(?)自己の存在感を誇示するため数値とは真逆のことをほざいていた老人がいた。
「防衛増税で麻生氏『多くの国民の理解得た』…『もっと反対の反応覚悟していた』」
自民党の麻生副総裁は9日、福岡県直方市内で講演し、岸田内閣が打ち出した防衛力強化に伴う増税について、「もっと反対の反応が出てくる可能性もあると覚悟して臨んだが、多くの国民の方々の理解を得た。真剣に取り組んでいる(政府の)姿勢を評価していただいている」と述べた。増税に対して世論に一定の理解が広がっているとの認識を示したものだ。 |
防衛力強化に伴う増税については、「賛成」22%、「反対」71%」と明らかな数値に表れていたのだが、このアホ太郎は「71%」が対象人数が「2465人」でそのうちの反対が「1750人」なのであえて過小評価したのかもしれないが、「踏襲」とか「未曾有」を正確に読めなかった老醜をさらす政治屋なので世論調査のパーセンテージの意味も理解できなかったほど耄碌しているのだろう。
もっとも、うがった見方をすれば「賛成」22%」という数字から、選挙で自民党が獲得した支持票もせいぜい30%程度なので、これを「多くの国民の方々の理解」と受け取ったのかもしれない。
今日のこのニュース知らないのでしょうか。
— ピーの空 (@lemonpoirot) January 9, 2023
それとも反対90%ぐらいだとでも思ってたのか?https://t.co/d4BLmNtq7A
これ、引っかけでは?
— 尾張おっぺけぺー (@toubennbenn) January 9, 2023
>防衛増税で麻生氏「多くの国民の理解得た」…「もっと反対の反応覚悟していた」 https://t.co/Lb4RaNMWCV
焦点を「防衛増税」(財源)に持って行こうとしている。
(歳出の「防衛費倍増」それ自体ではなく)
実際防衛費倍増計画にまともにぶつかる野党は・・・ねぇ?な状況
まあ、前座のお戯れはこの程度にして、少々気になるテーマながらも最近は大手メディアも積極的に取り上げなくなった「旧統一協会」と
「犯罪集団の黒幕・電通」に関する2つのブログ記事を紹介しておく。
最初は弁護士の「澤藤統一郎の憲法日記」から。
「人を不幸にする宗教が、信教の自由の美名のもとに被害を拡大し続けて行くことを許容してよいのか。」
もっぱら統一教会の主張を代弁している「世界日報」。その本日付の【社説】が、「安倍氏暗殺半年 揺らぐ民主主義の根幹」というタイトル。「軽視される信教の自由」「テロは決して許されぬ」という二つの小見出しが付いている。統一教会の言う「民主主義の根幹」とはいったい何のことだろうか、それが今どう「揺らい」でいるというのか。若干の興味をもって目を通したのだが、何とも説得力のある論考にはなっていない。 あるべきタイトルは、「安倍氏暗殺半年 揺らぐ自民党政治への信頼」あるいは、「暴かれつつある安倍政治と反社会的宗教との癒着」というべきであろう。小見出しは、「軽視される信教の自由の限界」「明らかとなったマインドコントロールの恐怖」「信者家庭の子にもたらされた苛酷な人生」あたりが適当か。「テロは決して許されぬ」だけは当然の事理。同種事件の連鎖を許してはならない。しかし、これをテロと言ってよいものか、必ずしも明らかではない。 統一教会・勝共連合・世界日報側が、銃撃された安倍晋三を悼めば悼むほど、惜しめば惜しむほど、自民党、とりわけその最右派である安倍派には迷惑なことになる。「統一教会とは大して親密な関係ではありません」と、何とか世論の批判をかわしたいのが安倍後継勢力。その心情に構うことなく擦り寄って来られるのだから。 しかし、統一教会側からすれば黙ってはおられまい。手のひらを返したような自民党や清和会の連れない態度には憮然たる思いがあって当然であろう。その面白くないという心情の吐露を汲み取る以外に、この社説の読むべきところはない。 それでもせっかくの論考。以下に赤字で引用して、黒字で私の感想を記しておきたい。 「安倍晋三元首相が奈良市で凶弾に倒れてから半年が経過した。史上最長政権を担った元首相が、選挙の遊説中に銃撃され死亡するという民主主義の根幹を揺るがす前代未聞の事件であったにもかかわらず、その本質が忘れられつつある。 そればかりか、テロリストが意図した通りの展開となっているのは憂慮すべき事態だ。」 この書き出しの文章は、安倍国葬提案理由の二番煎じでインパクトに欠ける。そもそも安倍晋三と民主主義が不釣り合いだった。そして何よりも、犯人自身が捜査機関に語った銃撃の動機は、統一教会への恨みであって、安倍晋三は韓鶴子の言わば身代わりなのだ。その意味では、本件は政治的テロ行為ではない。この事件の本質は、反社会的な宗教に洗脳された信者家族の悲惨さにある。そして、《多くの人を不幸にする宗教が、信教の自由の美名のもとに、被害を拡大し続けて行くことを許容してよいのか》が問われている。それが、今進行している事態の「本質」ではないか。これを「民主主義の根幹を揺るがす」とは、無内容も甚だしい。 「奈良市は銃撃現場を車道にし、慰霊碑などの構造物は造らない方針という。かつて同様にテロによって暗殺された原敬、浜口雄幸両元首相の東京駅の遭難現場には、それを示す印が床に嵌め込まれ、近くに説明板が置かれている。世界の平和と秩序維持に貢献し、国葬儀の際には多くの国民が献花の長い列を作って死を悼んだ安倍氏の遭難現場に、その痕跡すら残さないというのは理解に苦しむ。安倍氏のレガシーを認めたくない人々への迎合としか思われない。事件は民主主義への重大な挑戦であった。それを何事もなかったかのようにするのは、民主主義を守ろうという意思の欠如を示すものに他ならない。」 奈良市の措置に賛否の意見あるのは結構だが、大上段に「民主主義を守ろうという意思の欠如を示すものに他ならない」という断定はトンチンカンも甚だしい。この一文は、統一教会が安倍政治をかくも全面的に肯定し、安倍の死をかくも惜しむことによって、その政治的立場の一体性を示す貴重な資料として意味がある。 安倍晋三を、政治テロによって暗殺された原敬、浜口雄幸、あるいは犬養毅、高橋是清らと同列に置くことはできない。安倍は政敵に暗殺されたのでも、彼の政治信条を理由に暗殺されたのでもない。反社会的カルトとの癒着を嫌われて銃撃の義性となった。そのことをも考慮に入れての奈良市の対応である。にもかかわらず、「安倍氏のレガシーを認めたくない人々への迎合としか思われない」は、噴飯物と言うしかない。 「殺人容疑で送検された山上徹也容疑者が、母親が入信している世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みから、同教団と関わりのあった安倍氏を襲撃したとの供述内容が報じられたことで、人々の関心は旧統一教会問題に向かった。 その後のメディアの魔女狩り的報道で、岸田文雄首相は事件の全容や旧統一教会の実態が明らかにされる前に、早々と自民党と教団との絶縁を宣言した。これによって、政治が宗教の影響を受けることは悪であるかのような、戦後の日本に潜在してきた政教分離の誤った解釈を蔓延(まんえん)させてしまった。メディアに引きずられ、問題の本質を見誤った判断と言わざるを得ない。」 この前段はそのとおりだが、後段には看過できないいくつもの言い回しがある。統一教会への批判を「魔女狩り的報道」とレッテルを貼ることの意図は明らかで、こんなことで批判の言論に萎縮があってはならない。「政治が宗教の影響を受けることは悪であるかのような」は、あたかも「政治が宗教の影響を受けることは悪ではないような」主張である。議論を拡散せずに絞れば、「少なくとも、政治が統一教会のごとき反社会的なカルトから影響を受けることはけっして放置してはならない」と言うべきである。これに続く、「戦後の日本に潜在してきた政教分離の誤った解釈を蔓延させてしまった」は、だれにも意味不明、理解できない。おそらくは、社説を起案した本人にも何を言っているのか分からないだろう。 「事件が旧統一教会の献金に絡むものであったことから、法人などによる悪質な寄付などの勧誘行為を禁じる被害者救済新法が拙速に成立し、施行された。被害者の救済に一定の効果は期待できるが、憲法で保障された信教や内心の自由を軽視する傾向が強まったことは今後に問題を残した。この動きは地方議会にも波及し、憲法違反の疑いの濃い決議が採択されている。」 以上から汲みとることができるのは、「宗教批判はけしからん、だから、統一教会批判をしてはならない」という、単純で無邪気だが、乱暴な非「論理」。宗教を批判することはタブーではない。ましてや、具体的な事実に基づく統一教会批判や、それと癒着した安倍政治の批判に躊躇があってはならない。 「さらに社会的に問題があるとの理由で、政府は同教団の解散命令請求を視野に入れ、宗教法人法に基づいた質問権を初めて行使した。正当な理由なしに解散命令を請求するのは、宗教弾圧につながる深刻な問題だ。」 「正当な理由なしに解散命令請求することが深刻な問題」であることは当然のこと。しかし、統一教会による甚大な被害は、民事・刑事の多数の判決に明らかとなっている。霊感商法も、多額の寄付勧誘も、合同結婚式も、養子斡旋も、すべてはこれ以上の被害拡大防止のために「解散を命ずべき正当な理由の存在」を明らかにしていると言うべきではないか。「宗教弾圧」という言葉の陰に隠れ通すことはもはやできない。 「何よりこれらの流れは、安倍氏を殺害し教団への恨みを晴らそうとした容疑者の狙い通りの展開である。メディアは容疑者の行為を『もちろん非難されるべきだが』と断りながら、旧統一教会叩きを繰り返した。そこからは『いかなる理由があってもテロは許さない』という強いメッセージが伝わってこない。」 これは、論点外しである。詭弁と言ってもよい。被疑者の刑事罰を免責してよいはずはない。弁護権を確保しつつも、刑事訴訟手続は厳正に行われなければならない。その刑事手続の進行とは別に、事件をきっかけにあらためて世に問われているのが、カルトと政治の癒着の実態である。【社説】には、この問題の議論を封殺し、論点をずらして世論の批判を避けようとの姑息な詭弁が透けて見える。 「山上容疑者の鑑定留置が10日で終わることを機に、奈良地検は殺人罪で起訴するとみられるが、テロ殺人であることを忘れるべきではない。信教、内心の自由、そして暴力の否定は民主主義の根幹である。それをこれ以上揺るがせてはならない。」 この結論もよく分からない。「暴力の否定」に異論あろうはずはないが、そのことを「統一教会批判阻止」と結びつけようという論旨が、この社説の全体を訳の分からぬものとしているのだ。 |
さすがに弁護士だけあって、法廷に提出された被告側の拙い答弁書をことごとく論破していた。
次に、徹底的に電通の「黒企業」振りを暴いているこの御仁の記事。
「電通は犯罪組織か<本澤二郎の「日本の風景」(4680)」
<言論の自由封殺・世論操作は満州国傀儡政権時代の国策今も!> 何事も自分で直接体験しないと、本当の事情がつかめない。新聞社にいても営業幹部でもないと、日本最大の独占的広告会社・電通の悪徳が見えない。昨今は統一教会報道量と五輪疑獄で表面化した、電通の犯罪性に国民の関心は一段と高まっている。 幸か不幸か筆者は、次男正文を医療事故死を強いられた東芝経営の東芝病院を業務上過失致死で警視庁に刑事告訴したが、東京地検の悪徳検事・松本朗にうっちゃりを食わされた。検察審査会に訴えても無駄だった。 財閥病院への初の刑事告訴を警視庁担当の報道現場は、取材したにもかかわらず記事にしなかった。出来なかったのだ。電通大株主の時事通信と共同通信も。日本テレビ元幹部に尋ねると、犯人は電通だよと示唆した。元経産大臣秘書官は「東芝は役所内で別格扱いだった」と明かした。東芝と電通と政府は仲間だった。 しかも、行政・議会・司法さえも牛耳っていたのである。反省も謝罪もしない東芝に対して、手も足も出なかった無念を忘れない。自民党の商工族の知り合いは「刑事告訴しない前に言ってくれないと無理だ」と妙な釈明をした。 以上の残酷な生きた体験によって、電通が日本全土に張めぐらした「犯罪組織」であり続け、これに警察も検察もお手上げ状態であることが分かった。しかし、4兆円五輪賭博は少し違った。元電通顧問の高橋治之を検察が逮捕したが、その時期は多少ずれていた。保釈金8000万円を高橋はポンと用意した。安倍がらみだった。 <五輪疑獄「絶対に捕まらせないから引き受けて」と安倍が高橋に強要> ネット上では、今も安倍が親類先の電通OBに対して「逮捕させないから」という、日本の検察を番犬扱いをしていたことが話題を集めている。日本の検察も地に落ちたものだ。裏返すと、政府はどんな犯罪も可能というのだ。彼らには立憲主義も、法の下の平等も無縁だ。中国語だと「無法無天」ということになる。 日本にも独裁者が存在していた何よりの証拠であろう。神道・統一教会・創価学会の巨大カルト教団による違憲違法の祭政一致体制が、安倍の独裁を可能にさせていた。日本の民主主義の崩壊を物語っている。 「絶対に捕まらないようにします」元電通“五輪招致のキーマン"への安倍晋三からの直電――2022年BEST5 |
昨年、某テレビ局社員でレギュラーコメンテーターが本番中の番組で「電通」という固有名詞を出しただけでネット上ではネトウヨ連中を中心に激しいバッシングを浴び、番組内で発言の撤回と謝罪をしたにもかかわらず、その番組への出演が当初は10日間の謹慎であったが、謹慎後にレギュラーコメンテータ-を降板させられたという忌まわしい出来事があった。
常日頃から真っ当な政権批判をしていたのだが、時の政権よりもはるかに大きな影響力を示したのが電通であったという次第。
「電通首脳部に逮捕者はいない。これが犯罪退治の検察の限界」という事実からは、日本には「立憲主義」も「報道の自由」もなく、あるのは「カルト宗教集団」の「信仰の自由」だけとなってしまえば日本は暗黒の時代に入っていくのではないだろうか、とオジサンは思う。