昔から、「経済思想」に対応する「政治思想」という定義があった。
(1) 古典派→新古典派 ――― 保守主義・新自由主義(右派)
(2) ケインズ経済学 ――― リベラリズム(中道右派)
(3) マルクス経済学 ――― 社会民主主義(中道左派)
一般的には、自由主義は英訳すると“リベラリズム"なのだが、歴史的な背景が異なる。
古典派経済学の背景にある(1)自由主義を「18世紀のリベラリズム」として、歴史家の入江昭ハーバード大学名誉教授によると政府からの自由、つまり自由放任を求める考え方のことだという。
一方、政府による弱者救済策、つまり、リベラルな政策を重視する(2)リベラリズムのケインズ的な考え方を「19世紀のリベラリズム」として、見方を変えると政府による自由となる。
日本語で2つのリベラリズムを区別するために、「18世紀のリベラリズム」を自由主義とし、1930年代に登場し政府による積極的経済政策を重視する「19世紀のリベラリズム」をリベラリズム(リベラル)とした。
さらに、1980年代には、リベラルに対して「18世紀の自由主義」が再興することになるのだが、それを英語言っているでは「ネオ・リベラリズム」といっているが、これもまた中道のリベラルと紛らわしいので、日本語では「新自由主義」と言っている。
今年の3月28日に放映されたNHK「著者からの手紙」の中で著者の中村淳彦さん(ノンフィクションライター)へのインタビューから一部を紹介しておく。
「貧困を用意する「ネオリベ」というもの 中村淳彦・藤井達夫著『日本が壊れる前に』」
■地獄。これが新自由主義 ――この本は、日本が壊れてしまう状況を作り出している原因を、新自由主義、ネオリベの社会構造だと指摘しています。まず、このネオリベが生まれた経緯、ネオリベがどのように日本社会を変えたのか、解説をお願いします。 中村:「ネオリベ」と略していますが、ネオリベラリズム(新自由主義)という経済政策のことをいいます。今の流れだと、緊縮財政、グローバリズム、市場原理主義などなどですね。それを平成の半ばから、日本は政治によって徹底している状況です。 自分は12年前に、いろいろ事情があって介護施設を経営したんですけど、そのときに「こんな地獄みたいな世界があるんだな」とびっくりしちゃって。どうしてこんなことが起こるのだろうと2年間考え続けたときに、「新自由主義なんだ、これが……」と気付いたんです。 介護というのは新自由主義のもっともなところで、「民間が競争して老人をみなさい」と産業化したんですけども、末端の現場は人手不足だからといって賃金が上昇するわけではないし、働く側のみんなが本当に貧しくなっちゃうんです。現役世代である僕の周りもどんどんおかしくなっていったし、規制緩和して競争することの怖さのようなものを体感した立場です。 ■団塊ジュニア世代への警告 ――中村さんは、これからネオリベが作り出す貧困のあおりを受けるのが、現在40代後半、団塊ジュニア世代の男性だと指摘しています。本ではさまざまに論じられていますが、改めてその根拠を教えていただけますか。 中村:2年ぐらい前から、あらゆる企業がだいたい45歳から「リストラをします」「早期退職を募集します」というのがニュースで報じられて今も続いていますけど、僕と同じ団塊ジュニア世代が45歳になったときに、終身雇用をやめてはしごを外そうということを決めたんだなと思って、これは大変なことになったなと思ったのがいちばんの理由です。年功序列がないうえにはしごも外してネオリベとなると若い人のほうが価値があるわけだから、これはもう、団塊ジュニア世代は人数が多いので本当に切り捨てにかかったなと感じました。 40代後半になった男性というのは、年上のほうが偉い・先輩のほうが偉いという意識が強いんです。先輩風を吹かせたり、プライドが高いから、できないことをできると言ってみたりできる人にマウンティングをするとか、やるんですよね。なので、社会が変わってしまったことをまず自覚して自分自身を変えていかないと、と思って見ています。 若い人たちは、1人勝ちするのではなく勝った人がシェアをしようとか、コミュニティを作ってなんとか切り抜けていこうとか、中年世代にはない発想や行動をしていると思うんです。40代後半のわれわれの世代というのは、若い人たちに何かを教えるんじゃなくて教えてもらわないといけない時代に突入したなと思いますよね。 |
さて、だいぶ前置きが長くなったが、17日に告示された自民党の総裁選の各候補者の中で、「国防を強調」したり「女性、子供、高齢者、障害者がしっかりと生きていける政治」を掲げた女性候補にはこの国の未来像は期待できないが、従来の自民党の根本的な経済政策の転換を口にした候補者がいた。
「岸田文雄氏『小泉改革以降の新自由主義政策を転換する」 総裁選へ経済対策」
ひと言で言えば、アベノミクス批判であり、「成長と分配の好循環」「国民を幸福にする成長戦略」「所得倍増のための分配施策」と掲げたキャッチフレーズは、いずれも耳に心地よいのだが、残念ながらその担保はなく、果たして国のトップリーダーになったときに、従来の既得権益者らに立ち向かえるかどうかは全く不明である。
しかし初めて新自由主義政策を転換するといったことだけは評価したい。
その岸田の最大のライバルである河野太郎は真逆の政策の持ち主らしい。
「河野新政権は第2次菅政権だ – 竹中平蔵のネオリベ政策が無傷で引き継がれる」
自民党総裁選。河野陣営について気づかないといけない点がある。河野政権が誕生した場合、その実体は第2次菅政権だということだ。思い出してもらいたいのは、8月30日から一週間の過程で起きた政変で、菅義偉が解散に討って出ようとして失敗した権力闘争劇である。安倍・麻生に鎮圧された。このとき菅義偉が腹に矯めていた構想が、石破茂を幹事長に、小泉進次郎を政調会長に、河野太郎を官房長官に据えるという改造人事の打ち上げで、マスコミと世論を沸騰させ、瞬間風速の高支持率をもぎ取り、旋風を起こして総選挙に圧勝するという戦略だった。シナリオを描いて背後で嗾けていたのは軍師の橋下徹。菅義偉の腹心で政局工作の参謀である。田崎史郎が、あの週、小泉進次郎が何度も何度も菅義偉に諫言して、解散を思い止まらせたのに、翌日になったらまた解散に前向きになっていて、おかしい、誰に相談していたんだろうと解説していたが、それは橋下徹のことだ。強気一辺倒の強行突破策を指南し、最後の最後まで煽って粘って口説いていた。オレがテレビで喚いて勝たせるからと。 河野政権が成立した場合、首相が河野太郎、幹事長が石破茂、そして官房長官に小泉進次郎が座り、おそらく、副総理で菅義偉が要職に復権するだろう。何かの担当相を持ち、官邸詰めの副総理として内閣の実権をふるうに違いない。官僚を人事で脅すドンになるだろう。二階俊博は副総裁。菅義偉が解散戦略に出たときも、二階俊博にはこのポストが約束されていたはずだ。一見して、河野新政権が第2次菅政権だということが分かる。同じ陣容なのだ。河野太郎は菅義偉によって引き立てられ、日の当たる場所で活躍させてもらって実績を上げ、マスコミの注目と評価を過剰に浴びるキャラに育った政治家である。神奈川コネクションの陣笠であり、菅義偉は恩義のあるオヤジ(育ての親)に他ならない。イデオロギーも同一同類であり、したがって政策も、菅政権の路線と変わらず、菅義偉のネオリベ政策をそのまま引き継ぐのは間違いない。菅義偉の「自助・共助・公助」の政策を指導し方向づけていたのは、誰もが知るとおりブレーンの竹中平蔵だったが、実質的に、河野新政権は頭を挿げ替えただけの菅政権の延長となり、竹中体制(電通・パソナ中抜き体制)が盤石で続くことになる。 河野太郎が売り出し文句として掲げている「改革」も、マスコミは積極的な意味づけで持ち上げているが、当然ながら、「改革」とは新自由主義の看板の標語に他ならない。ネオリベを美称化する象徴的キーワードが「改革」であること、世間の常識である。河野陣営に馳せ参じた「若手議員」の顔ぶれを見ても、猛毒のネオリベで右翼の闘士が勢揃いしていて、見る者に邪悪で胡乱な妖気を放っているのを否めない。要するに、河野太郎の今回の政治は、安倍・麻生レジームの世代交代の幕であり、経済政策もイデオロギーも全く同じで、舞台の登場人物を若返らせるだけという意味しかない。この世代交代は、実は菅義偉がかねてより計画して、自らの腕で差配し実現することを目論んでいた図だった。表のポストに世襲貴族の河野太郎や小泉進次郎が就き、それを外から橋下徹(政局・マスコミ)と竹中平蔵(経済政策・予算)が支えて切り回すという体制は、菅義偉が思い描いていた将来展望だ。河野太郎が新総裁になるということは、麻生太郎抜きの第2次菅政権が立ち上がるということであり、表紙が新しく派手な意匠に変わるということだ。清新なイメージはフェイクである。 以上の分析と認識から、私自身は、この権力闘争は岸田文雄が勝てばいいという見方で傍観している。岸田文雄の宏池会の伝統へのコミットは、多少とも脈があるものと期待を持たせる。岸田文雄が総理総裁に即くことで、竹中平蔵が失脚し、極端で過激なネオリベ路線が止揚に向かうのではないかという淡い希望 - 幻想かもしれないが - を抱かせる。それは誰しも同じ感情だろう。無論、そうならない可能性は高く、11年前に菅直人が裏切った悪夢で懲りた経験もあり、安易に期待などできるわけがないという意識もある。ただ、新自由主義からの転換は国民の20年越しの悲願であり、それを自民党の政治家が総裁選で公約に掲げた意義は小さくない。敢えて期待的バイアスを加重させ、岸田文雄が総裁になった場合を楽観的に予想するなら、そのときの自民党政権は、(1)岸田文雄の官邸司令塔と、(2)安倍晋三の旧レジーム権力と、(3)河野太郎の「改革」勢力と、三者が鼎立して輻輳する三国志的な構図になると思われる。(1)は脱ネオリベだが、(2)と(3)は親ネオリベである。(2)と(3)は安保外交とイデオロギーの面で獰猛な反中反共右翼でもある。(1)のみがマイルドな属性を標榜し、座標軸のポジショニングが立憲民主党に近い。 岸田文雄が総裁になっても、黒幕の安倍晋三のパペットになり果て、公約した脱ネオリベ政策は骨抜きにされるのではないか。この懸念は至極尤もだが、ただ、総裁選を通じて従来の構図に変化が起きる。それは、麻生太郎の失脚が確実な点だ。安倍晋三の相棒だった副総理・財務相が消える。このことで、9年続いた安倍晋三のヘゲモニーは斜陽の時刻を迎える。(2)の権力と(3)の勢力とは、政策もイデオロギーも同じだが、世代交代の論理で対立する関係となり、すなわち自民党の多重ディレンマの一つの契機を構成する。フリクションとバランスの力学ができる。(2)と(3)が拮抗し竦み合うことで、(1)の権力が相対的に独立し安定した地平を確保し得る。三国志の蜀を建国できる。ツイッターでも書いたが、80歳の麻生太郎の進退はこの総裁選の決定的に重要な焦点だ。竹中平蔵のネオリベ政策は、この佞悪な副総理・財務相によって9年間予算と法律になって積み上がった。課長補佐クラスが入省したときから、この男が大臣に君臨し続けているのである。河野太郎は仲間を連れて麻生派から抜ける。麻生派の数は半分になる。有力な後継者はいない。派閥は潰れるだろう。 岸田文雄が勝った方がよいと考える理由のもう一つは、岸田自民党の方が衆院選で圧勝しにくいという環境条件の点だ。河野太郎が総理総裁になった場合、またぞろ「改革」熱狂のブームをマスコミが盛り上げ、「清新さ」を強引に喧伝する。新しい時代の到来を狂躁し、河野自民党に異常な高支持率を流し込む扇動が予想される。想像するだけでメンタルが病みそうだが、マスコミはそのイベントを待ち構え、河野新政権の一部になってお祭り騒ぎをやろうと嬉々として準備している。去年の菅政権時と同様、大衆を操作して愉悦する政治アドミニストレーターの欲望でハァハァしている。そのグロテスクな事態を憂慮したとき、新総裁は岸田文雄に転んだ方が精神衛生的に許容でき安心できる展開であることは間違いない。マスコミはネオリベ勢力の中核部隊であり、ネオリベ体制を保全する教宣装置だから、脱ネオリベを標榜する岸田文雄には熱狂的な高支持率を供与せず、岸田劇場の演出をしないだろう。ということは、無能な野党でも総選挙でそこそこ議席を拾えるという計算になる。今の野党の憫然たる体たらくで、河野劇場の祝祭作戦を仕掛けられたら一発で終わりだ。また自民党が大勝して300議席取ってしまう。 枝野幸男に政治センスが致命的に欠如しているという問題は、ブログやツイッターで何度も指摘してきたが、枝野幸男を奉戴し応援しながら、左翼のセンスも麻痺し耄碌してまともな思考力と判断力がなくなった。果たして、左翼は眼前の政治状況を正しく理解しているのだろうか。国民多数は脱ネオリベを希求している。そのニーズに対しては、岸田文雄が餌を撒く素振りを見せている。ここに一つの対立軸ができ、関心と争点のフェーズができている。他方、国民多数は安倍・麻生の旧レジームに辟易して脱却を求めている。そのニーズに対しては、河野太郎が「改革」ラベルの化学芳香剤を散布して大衆を釣っている。ここにも一つの争点ができている。総裁選では、それぞれ、国民の要望に即応した政治の謀計と模索がある。 |
これに対するこんなコメントがあった。
印象的なのは、あれほど安倍を批判していた石破が菅内閣の一年間、一度も菅首相の批判をしませんでした。 河野選出ならば、衆院選後は数年かけて政界再編となり右左のプロレスから旧守派(安部、大宏池会)と改革派(平蔵、河野、菅、橋下)の戦いになるのかなと予想しています。 |
私は基本的に「左」なので、選挙権を得てから自民・公明に票を入れた事は無いのですが、「河野総裁」か「岸田総裁」、どちらが来る総選挙で自民党を利するのか・・・と考えた時に「岸田」ではないかと踏んでいます。 「岸田」は派手さも無ければ、「実行力」も無さそうですが、とにかく「無難」ではあります。 「選挙に興味が無ければ寝てしまう」位の「マイルドな与党、或いは野党支持者」にとって「岸田」は「大それた事はしないし、出来ないだろう」と言う「パーソナリティー」でしょう。 丁度、映画「シン・ゴジラ」の大河原総理の様な・・・。 これでは、来る総選挙にて「マイルドな層」はことごとく「寝て」しまい、投票率は伸び悩み結果として「自民党単独過半数」と言う結果を導きかねない・・・と考えます。 物事にはアクションとリアクションが必ず有ります。 「河野」はアクションは派手ですが、リアクションも相当大きくなるでしょう。 原発回りの「変節」から野党支持層の反感も相当買っているので、ある程度の投票率になり、「自民・公明でなんとか過半数」になるかもしれません。 しかし、「スガ総理」のまま総選挙になれば自民党下野も十分に有り得たのに、 土壇場で引きずり下ろした「自民党の底力」には敵ながら天晴です。 |
同感です。積極的に支持する気にはなれないが、岸田氏ならまああんまり暴走せず党や官僚機構、専門家のバランスを取るだろうなという最低限の安心感はある。こういう感覚は久しくなかったものです。でも、河野政権はなまじっかメディアの後押しがある分、これまでのどの政権より暴走しそうな懸念がある。そして河野氏自身に漠然としたネオリベ傾向以外にはさほどビジョンがない分、内政が菅、コロナと軍事防衛が石破、党は二階、とか悪いところの寄せ集めみたいなグロテスクな政権になるんでは。 |
2006年9月20日に戦後最年少の54歳で、戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣になった安倍晋三は、当時の森喜朗に言わせれば「次の次」という表現で、まだ小粒で未熟な政治屋であった。
しかし時代の波に乗り15年後の今日は、いかなる犯罪的な行為を犯しても、総理を退いても刑を逃れ「キングメーカー」気取りである。
多くの国民の願いは『2A」と呼ばれる安倍晋三と麻生太郎、そして二階俊博の3人が政界から退陣することをを願っているはずである。
4人の総裁候補者の中では最年少の58歳の河野太郎は、典型的な世襲政治屋で、祖父や父親と比べればはるかに小粒であり未熟なのだが、このまま放置すれば安倍晋三のように醜く化けるかもしれない、とオジサンは思う。