新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

総裁選告示(酷自・残酷な自民党)から改めて考える

2021年09月18日 10時36分00秒 | 総裁選

江戸時代の商家は代々その「屋号」を守るため長男または男兄弟が後を継ぐとか、娘しかいない場合は婿養子を迎えるなどとして「お店(たな)」を維持してきた。
  
武家の世界はもっと深刻で「お家断絶」から免れるために、また家督相続をめぐる様々な凄惨なドラマが繰り広げられていいたことはよく時代劇などで度々お目にかかる。
 
現代では1960年代後半(昭和40年代)頃から各地でスーパーマーケットをはじめとした大型商業店舗の出店が急増し、多くの個人商店が姿を消し始めた。
 
それまでは、いたるところに商店街が存在しており、生活必需品を販売する、「米屋」、「八百屋」、「魚屋」、「肉屋」「酒屋」等々、「~屋」と呼ばれるおなじみの店があったことを懐かしく思い出す。
 
それらの店は親から子に代々に引き継がれ、地元の学校を卒業し、都会にでた若者が10数年ぶりに実家に帰ると当時の同級生が親の後を継いで店主になっていた、というほほえましい光景が見られた。
 
その後、時代とともに人々の生活様式も変わり親の仕事を引き継げば安泰という時代は遠い過去の話となりつつある。
 
一部の「老舗」と呼ばれる店を除いて後継者がいない店舗は姿を消していくという時代になってきているわけである。
 
しかし、そのような世の中の流れとは縁遠い世界がわが国には存在する。
 
昨年来の「コロナ禍」にもかかわらず、仕事を失うこともなく、年収と歳末手当等が保障されている人たちが本来の仕事をしないで権力闘争に明け暮れている。
 
そんな連中は一体誰であろう。
 
昔から「公務員」は給料が税金から支払われ景気に左右されない安定した職業と言われた時代があった。
 
確かに、景気が悪くなったからと言って、「公務」に携わる職業の人たちが整理解雇などされれば、社会の秩序が成り立たないのは誰にでも理解できる。
 
一口に「公務員」といっても様々だが、政治の世界では、国家公務員法による国家公務員特別職に該当する国会議員と呼ばれる公務員がいるが、この公務員は国民による選挙でその地位を得ている。
 
日本では、選挙で当選するためには、「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」の3つのバンが必要であるといわれてきた。
 
本来ならば、政治家は優れた政策や資質、能力で選ばれるべきとされているのだが、日本では、実際の当落は後援組織(ジバン)の充実度、知名度の有無(カンバン)、選挙資金(カバン)の多寡や集金力に依存している場合が多いのも事実である。
 
したがって国会議員だった親が引退すれば、当然のように息子または娘、時には娘婿が養子となり親の地盤を引き継ぎ立候補すれば、親の代の後援組織がそっくり後継者を支援してすんなりと当選してしまうということが「家業」となっている一家も決して少なくはない。
 
与党自民党の世襲議員は約3割にも関わらずもうすぐ変わるのだが現在の菅義偉内閣の20人いる閣僚のうち世襲議員が実に6割を占めているのも驚きである。
 
いっぽう野党に世襲議員は極めて少ないのは利権に縁のない親の苦労を知っているからかもしれない。
 
もちろん、「世襲=悪」とは言いきれないのだが、なぜダメなのかといえば「政治家業」専門の一族が生まれてしまい、普通の候補者が出にくい環境が生まれることや、親の政治資金管理団体の資金が世襲する子供に受け継がれ、非課税相続の温床になることがあげられているのだが、親の資金管理団体を清算するのならともかく、この手法で資金のロンダリングが可能になるわけで親の資産を受け継ぐような世襲は違法ではなくとも道義的には許されることではない。
 
実際、こんなことがあった。
 
「【週刊現代入手しました】安倍首相、3億円の相続税脱税か? 財務省「この通りなら脱税ですね」 
 
父親の故・安倍晋太郎元外相が生前に個人資産を自らの政治団体に寄付し、安倍首相はこの政治団体を引き継いだのだがその過程で相続税を不正に免れていた疑いを指摘する内容であった。
 
安倍首相、『脱税疑惑記事』質問で激高 今度は『週刊誌憎し』の感情が爆発
  
ビジネスの世界では創業者を超える後継者は少なく、同族企業では、「三代目が会社を滅ぼす」と昔はよく言われていたが、自民党の世襲議員の中でも親を超えたと評価される世襲議員は見当たらずむしろ劣化しているのが現状であろう。
 
ところで、politics(政治)を仕事にする政治家がpoliticianなので基本的には「政治家」はpoliticianとの表記で特に問題はないのだが、ポリティシャン(politician)ともう一つのステーツマン(statesman)は、両方とも政治家を意味する言葉でありながら、その意味するとことが異なる場合がたまにある。
 
There are many politicians, but few statesmen(政治屋は多いが政治家は少ない)ということわざが示す通り、ポリティシャンは同じ政治家でも、私利・党利を目的とする「政治屋」を意味することが多く、これに対して、ステーツマンは、リーダシップやすぐれた識見をもつ政治家を示す場合が多いとされている。
 
ちなみに、イギリスでは下院議員をpolitician、 特に権力のある下院議員・閣僚をstatesmanと区別して使っているという。
 
少なくとも、現在の日本においては残念ながら親から受け継いだ「3バン」によって、社会経験が少なく、しかも親の利権までも受け継いだ「政治屋」が政権の中枢に居座っている限りは、「政治家が劣化した」、「民意を無視した政策が多い」など国会が機能していないという指摘が最近では特に顕著になっていることは確かであろう。
 
さて、話は少々変わるのだが、最近の民放テレビ番組は長引コロナ禍により、多くの役者・スタッフを必要とする本格的なドラマが少なくなっているのだが、その代わりに増えたのが、タレントもどきの芸人たちによる「評判の飲食店探訪」というお手軽な番組が目立つ今日この頃である。
 
単なる「おいしい店」ではなく特徴のある店舗を紹介する番組もあった。
 
その店は「昔の店名」では客が少なく、思い切って店の名前、すなわち「看板」をかえたところ、客が増えたという。
 
訪れたタレントが「メニューも何か新しいものにしたのですか?」と質問すると、店主は平然と「中身は全く同じです」と答えていました。
こんな話は飲食店だけではなく、政治の世界でもありそうである。
 
昨年の9月16日により内閣総理大臣に指名された菅義偉は1年もたたずに9月3日にその職を投げ捨てるかのように「自民党総裁選には出馬しない」と一方的に宣言した。
 
当然ながら、次の総裁が決まり国会で首班指名が行われるまでは現職続行なのだが、笑ってしまうのはその理由で、「コロナ対策に専念したい」と平然と言っていた。
 
それでは今までは片手間のコロナ対策だったのかという怒りの声がネット上にあふれたのは言うまでもない。
 
実は不出馬の理由が「衆議院解散権」と「自民党内の人事権」が奪われたからだとの報道があった。
 
本当にそうなのか。
 
菅義偉内閣はそもそも1年ほど前、当時の首相・安倍晋三が新型コロナウイルスの感染拡大防止策に行き詰まり、かつ過去の「総理と桜を見る会」の前夜に地元の支援者約500名を都内の高級ホテルに招待して開かれた前夜祭における費用の一部を負担したことによって、政治資金規正法とか公職選挙法に抵触するという容疑から逃れるために2度目の持病悪化という名目で辞任したことに端を発している。
 
したがって、安倍晋三による保身のための危機回避から生まれた菅義偉内閣はまさに「安倍内閣継承内閣」であり、「アベスガ内閣」とも揶揄されながらも、発足当時は70%近い高い支持率を得ていた。
 
まさに「看板」だけを変えて中身は全く変わらない先の飲食店と同じであった。
 
その後の菅義偉内閣では、持ち前の強権的な姿勢が前面に出始め残念ながら中身が以前より悪くなり、とりわけ、新型コロナウイルスの感染拡大防止策に関しては、感染状況を冷静に分析して的確な判断から新たな政策をするということができず、やることがことごとく「後手・後手」」と批判され、ましてや、安倍晋三の「置き土産」ともいえる「2020東京五輪」の強行開催に至るまでの、国民の声を無視した独断ぶりは五輪閉会後の全国的な感染者数の拡大を招き国民から多くの批判を浴び、さらに医療崩壊を生じさせ、「安全安心」どころか国民の命を犠牲にした五輪とも糾弾されている。
 
特徴的なこととして言えることは、首相としての菅義偉は今年になって初の国政選挙(衆参の補選・再選)では、北海道・長野・広島とことごとく野党候補に敗れているが、北海道と広島は自民党の不祥事が原因で、長野は立憲民主党議員の死去による補選なので菅義偉には直接的な責任はないかもしれなかった。
 
しかし8月25日の地元の横浜市長選挙で、コロナ対策に不満を持つ横浜市民の圧倒的な民意により、自らが全面的に支援した候補者が惨敗し、自民党が進めるIR事業も頓挫し、「選挙に弱い首相」という評価が自民党内で高まり、それがボデーブローとなったのは言うまでもなかった 。

メディアによる世論調査では内閣の支持率が30%を割ると危険水域と昔からよく言われていた。
 
横浜市長選後の8月28日には菅義偉内閣の支持率が26%まで落ち込み(毎日新聞と社会調査研究センター調査)その結果が菅義偉に大きく影響したことは明らかであった。
 
まさに「論語」の「民信なくば立たず」である。
 
その後はご承知のように「雨後の筍」のように賞味期限切れの有象無象の総裁候補たちが現れた。
 
もちろん、総裁選に立候補している個々の政治家については各メディアが盛んに報じているのでコメントするまでもない。
 
なにしろ皆で「アベスガ内閣」を支えてきた連中でであり今日の我が国の惨状を招いた共同責任があるのは当然である。

そして2年連続、国のトップリーダーが途中で政権を投げ出すことを許してしまい、その結果は国民の生活がますます悪くなるばかりである。
 
自民党という「老舗」が看板(総裁・総理)をいくら変えてもその中身は旧態依然であることは国民がよく知っている。
 
4人の総裁選候補者がどのような政策を掲げようとも、安倍晋三政権下では悪政を黙認してきた共犯者である。
 
その悪政の根源を清算できなければまったく日本の政治は変わらない。 
  
いまこそ「自民党的」なるものを一掃し、安倍・菅政治の9年間で何をやってきたのだと、厳しく追及し国民のための新たな政権を作ることが大きな課題であり、そのためには来るべき総選挙で「自民党NO!」という民意を示さなければならない、とオジサンは思う。。
 

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