毎年夏のこの期間(8月6日、9日、15日)は安倍晋三にとっては 憂鬱な日々である。
なにしろ、心に思ってもいないことを多くの人たちを前に神妙に「読み上げなければ」ならないからである。
6日、9日は被爆国として、米国の原爆の実験台にされた日本人をはじめ多くの広島・長崎市民に代わって「怒り」を持って「原爆と核兵器」の廃絶を訴えなければならないにもかかわらず、原爆を投下した米国の核の傘のもとに安穏としている国のトップとしては、残念ながら存命する被爆者らへの眼差しは感じられない。
したがって、メディアの論調も毎年のように、おのずとこのようになってしまう。
「首相に憤る被爆者『何のため長崎に』 あいさつにも失望」
被爆者から求められた長崎原爆資料館訪問を拒み、核兵器禁止条約には言及すらせず、同じ文字の羅列を広島と長崎で読む。
— 明日の自由を守る若手弁護士の会/あすわか (@asuno_jiyuu) August 9, 2020
むしろ「自分は原爆の歴史にも核兵器廃絶にも無関心です」とアピールしたいのかと思ってしまうほど、良識では考えられない振舞い。やる気ないなら辞(略https://t.co/lsz1mmBM8r
首相に憤る被爆者「何のため長崎に」。
— 東京新聞労働組合 (@danketsu_rentai) August 9, 2020
使い回しのあいさつ文にも失望。
被爆者たちは昨年
原爆資料館を見てほしい、と切望した。
首相は…いまだに応じていない。https://t.co/ZUWkMMFJ5o
自分で挨拶文を作るほどの才能は当然持ち合わせてはいない安倍晋三なので、側近のスピーチライターが作成するのだが、毎年全く異なる文面を作成することは結構やっかいな仕事であり、一般的には前年の内容をベースに若干の部分修正を施しながら作成するということは決して褒められることではないが、取り立て責められることではない。
なにしろ官僚は「前例踏襲主義」であり、突然、今年のあいさつ文が大きく変われば、無用な詮索が生まれてしまうものである。
「首相の被爆地あいさつ、文面酷似」
「首相の被爆地あいさつ、文面酷似 広島と長崎、何のために来たのか」
— 志位和夫 (@shiikazuo) August 9, 2020
文面が同じになってしまうのは、核兵器問題について語るべきものをもたない、異常なまでの政治の貧困に起因するものです。https://t.co/shp4INsjwZ
さらには、毎度のことながらあきれてしまうこの「問答集」。
知っていたこととはいえ、こうして「問」「答」が丁寧に書いてあるペーパーを見てしまうと、ものすごくショックだ。
— 俵 才記 (@nogutiya) August 9, 2020
これが日本のリーダーとは?? https://t.co/uWClSoO5rt
しかしメディアに対するこんな指摘も的を射ているようだ。
この一枚の写真を見て。
— 麻木久仁子 (@kunikoasagi) August 9, 2020
これもう悪いのはメディアだと思う。行政の頂点がこれなのを許しているのはメディアです。 https://t.co/b3zaKjtJyH
ご丁寧にも過去の「あいさつ文」を調べた、「安倍首相の被爆75周年あいさつ、広島と長崎で“ほぼ同じ”だった。過去の例も調べてみると...」というニュースメディアサイトも健在であるが、いくら過去のあいさつ文と比較されても、安倍晋三にとっては「間違いなく」読むことが求められているだけなので、まったく意に動じないわけである。
さて、今年も半分以上が過ぎ去ってしまったが、前半はコロナ禍の「第一波」に襲われ日本中が右往左往し、耳慣れない新しい言葉もたくさん現れた。
おさらいついでに新語を並べてみた。
「濃厚接触」「3密」があり、小池都知事が使って流行した「密です」はゲームまで誕生した。感染に関わる「クラスター感染」「集団感染」「オーバーシュート」「感染爆発」、「ロックダウン」「ソーシャルディスタンス」「ステイホーム」「東京アラート」が出てきた。「巣ごもり需要」が高まり「フェイスシールド」をつけた人を見かけるようになり、「オンライン飲み会」「オンライン営業」などの「オンライン○○」、「テレワーク」「リモートワーク」など「テレ○○」「リモート○○」も増えている。ウェブとセミナーをかけあわせた「ウェビナー」に参加する機会も増えた。「不要不急」もその解釈をめぐって多くの議論が交わされた。「アベノマスク」は星野源コラボ動画との「便乗」とも相まって庶民の不興を買った。「コロナ便乗詐欺」も発生した。「ペスト」「スペイン風邪」などの歴史も繰り返し報じられた。今後は「新しい生活様式」「ニューノーマル」「第2波」の エピセンター(震源地)も登場した。 |
野次馬的には、この中から今年の「流行語大賞」候補にいくつ残るのか、大いに興味があるところだが、「新型コロナウィルス」という言葉はすべてのメディアの中でもダントツであろう。
上記の「新語」に警報をならしている人がいた。
同志社大の浜矩子教授が一昨日の東京新聞「時代を読む」というコラムで、「飛び交う変な言葉群」と題した記事を書いていた。
新型コロナとの人類の闘いが続く中で、さまざまな新語がわれわれの日常に闖入しつつある。「ソーシャルディスタンス」「リモート」「ウィズコロナ」などだ。中には新語とは言えないものもあるが、いずれにせよ、ここにきて何かと目に留まるようになっている。いずれも少し気になる雰囲気が漂う。 「ソーシャルディスタンス」という形で日本語化したこの言葉は、正しくは「ソーシャルディスタンシング(social distancing)」でコロナ感染拡大防止のために距離を取ることを指す。だがここでソーシャルという言葉を使うのもどうも奇妙だ。 空けるべきなのは物理的距離だ。人間同士が社会的に疎遠になることが求められているわけではない。そのような方向になってはいけない。ソーシャルディスタンスはやめてフィジカルディスタンスと言うべきだ。物理的には遠ざかっても、今この時、人類は社会的には互いに親密であるべきだ。 「リモート」も要注意言葉だ。リモートワークを賢く使うのはいい。だが、リモートという言葉にも、実は「疎遠」のニュアンスがある。「かすか」とか「わずか」という語感もある。「remote hope」といえば「わずかな希望(しかない)」の意だ。リモートワークが広がる中で、われわれがお互いに縁遠くなり、人間関係が深みのない冷ややかなものになってはいけない。逆に、リモート技術を巧に活用して遠くにいるたくさんの多様な人々と縁を深める。そのように心がけていないと、お互いどんどん遠ざかってしまう。 リモートコントローラーは、「リモコン」と短縮形で日本語化しまえば、人畜無害で便利な道具だ。だが、フルネームでいえば「遠隔操作する者」の意味にもなる。リモートワークが過ぎれば、どこかで姿無きリモートコントローラーに管理され、監視される体制に知らず知らずのうちに取り込まれてしまっているかもしれない。何かにつけてリモートは少し怖い。少し危険な香りがする。リモートとは、注意深く賢く付き合わなければいけない。(中略) ウィズコロナこそ最も違和感がある。ウィルス蔓延の中で賢く生きていく。それは大切なことだ。だが、「コロナと一緒」と言うと、われわれとコロナの間にお仲間感が出てしまう。こういう言葉の使い方はおかしい。相手はあくまでも克服すべき災禍だ。「ウィズインフルエンザ」とは言わない。だから「ウィズコロナ」もやめたほうがいい。 |
そういえば、我々は意に反してこの12年間ほど、「ウィズアベ」になってしまっているのではないだろうか。
あくまでもコロナ同様、闘って打ち勝つべきではないだろうか、とオジサンは思う。
最後に、2020年8月8日に日本民主法律家協会が発表した総会アピールの全文を紹介しておく。
コロナ禍の今を見つめ、安倍政治に終止符を打ち、平和で民主的で個人の尊厳が守られる政治に転換しよう! 2020年8月8日 日本民主法律家協会 (はじめに)新型コロナウィルス感染拡大は、安倍政権が市民の命と生活を守らない政権であることを白日の下にさらけ出した。営業停止要請や失職に対する補償はないに等しく、有効な感染防止策を打つことができない。しかも、感染者数が急増する中、巨費を投じて旅行を奨励する「Go-Toトラベルキャンペーン」を強行するなど、支離滅裂なパフォーマンスと明らかな税金の無駄遣いは目を覆わんばかりである。 コロナ禍の中、市民の政治的関心が高まる一方、政権への不信は深刻化している。5月に検察庁法改正法案が約900万の抗議のツイッターの力で廃案になったことは、その現れである。今こそ、安倍政権に代わる、平和で民主的で市民1人1人の尊厳が守られる、市民と野党の新しい政権が必要である。 9月にも解散総選挙が予想される今、2012年12月に発足して7年7か月になる第二次以後の安倍政権がどのような政権だったかを改めて振り返り、政権交代が必須であることを確認したい。 (権力の集中)安倍政権は、発足と同時に、国の根幹部分の人事を官邸が握る手法で権力の集中をはかった。日銀総裁、内閣法制局長官、NHK会長を交代させ、内閣人事局を設置して各省庁の幹部人事を官邸が一括して握った。恣意的な人事は司法にも及び、最高裁判事の任命において日弁連の推薦を初めて拒否した。ただし今年、検察庁法改正により検察幹部の人事も内閣が握る体制を作ろうとしたが、世論の強い反対の前に同法案は廃案となった。 (軍事大国化への暴走)安倍政権は、歴代自民党もなしえなかった方法で、日米軍事同盟の強化による軍事大国化への道を暴走した。政権発足後直ちに国家安全保障会議(日本版NSC)を設立し、米軍との情報共有のための特定秘密保護法を成立させ、2014年7月には集団的自衛権を容認する閣議決定を行い、2015年9月市民の強い反対の声を押し切って戦争法(安保法制)を強行採決した。その後は、戦争法による新任務を与えて戦闘状態にある南スーダンに自衛隊を派遣し、本年1月には「調査研究」名目で自衛隊を中東に派遣するなど、自衛隊の海外派遣を積み重ねた。 また、唯一の被爆国でありながら、2017年122か国の賛成で採択された核兵器禁止条約に反対した。 防衛費は、第二次安倍政権以降8年連続で増額され、トランプ大統領の言いなりにアメリカ製兵器を大量購入し、2020年度防衛予算は5兆3000億円を突破した。沖縄では県民の明確な意思を無視し、巨費を投じて辺野古基地建設を強行している。 中国や北朝鮮への敵視も異常である。第二次世界大戦中の日本のアジア侵略を反省する姿勢がないことから、韓国の徴用工判決を巡って日韓関係も最悪となっている。東アジアの平和を構築しようとする姿勢は皆無であり、かえって緊張関係を高めている。最近首相は、北朝鮮を対象とする敵基地攻撃能力論を言い出しており、「戦争をする国」への野望はとどまるところを知らない。 (9条改憲への執念)安倍政権は、発足と同時に「戦後レジームの転換」、「日本を取り戻す」と叫び、憲法尊重擁護義務を投げ捨てて憲法改正を政策の前面に掲げた。ただし、復古調の自民党改憲草案や憲法96条改正が世論の支持を得られないとわかるや、明文改憲の主張はいったんおさめ、集団的自衛権行使を盛り込んだ安保法制を成立させて9条の「実質改憲」を果たした。その上で、2017年5月、憲法9条1項2項を維持しつつ自衛隊を憲法に明記する改憲を2020年までに実現するとのメッセージを発し、これに、緊急事態条項、教育の充実、参議院の合区解消を加えた「改憲4項目」を打ち出した。しかし、改憲を望まない世論の力で、現在までの3年3か月、「安倍改憲」の議論は一歩も進ませていない。 (大企業と富裕層のためのアベノミクス)安倍政権は、デフレを克服し景気を浮揚させるとして、「アベノミクス」と称する経済政策を強行した。しかし、アベノミクスは、日銀に大量の株式や国債を引き受けさせて、株高と湯水のような公共投資を実現するものであり、大企業と富裕層には過去最高水準の利益をもたらしたが、労働者の所得は増えなかった。非正規雇用が増え、年収200万円以下のワーキングプアは1000万人を超え、社会保障は年々削減され、消費税は5%から8%に、8%から10%にと引き上げられ、格差と貧困は拡大する一方である。 (権力の私物化)安倍政権はまた、権力の私物化を大胆に行った。森友学園問題では、学校建設用地の売買において、安倍首相夫人の関与により9億円余の国有地を8億円値引きさせた。加計学園問題では、理事長と安倍首相が「腹心の友」であるところ、獣医学部新設について文科省の反対を安倍首相が抑え込んだ。7年連続で行われた首相主催の「桜を見る会」では、安倍後援会の会員を800名以上招待し、予算の3倍以上の国費を費やしていたことが明らかになった。 (相次ぐ閣僚の辞任)安倍政権の下では、10名もの閣僚が公職選挙法違反の不祥事や失言で辞任した。しかし、安倍首相が任命責任をとって辞任することはなく、森友、加計、「桜」など安倍首相こそが辞任すべき案件においても絶対に責任を認めることはなかった。 (公文書の隠蔽・改ざん)公文書の隠蔽・改ざんが多発したことも、安倍政権の大きな特徴である。 森友学園問題では、安倍首相夫人の関与が記載された近畿財務局の公文書が改ざんされ、これに関与させられた職員が自殺するという痛ましい事件が起きた。加計学園問題でも、官邸の関与を裏付ける記録が作成されていなかった。「桜を見る会」では、国会議員の質問通告の直後、招待者名簿が廃棄された。 これらの他、自衛隊の南スーダンの日報やイラク派兵時の日報の隠蔽、裁量労働制に関する労働時間のデータや「毎月勤労統計調査」のデータの偽装、コロナ専門家会議の議事録不作成など、安倍政権下における情報隠しや偽装は枚挙にいとまがない。2013年12月成立した特定秘密保護法は、内閣が勝手に秘密指定をすることによって市民の知る権利を奪うものであり、公文書隠蔽の法制化である。 (反憲的法案の採決強行)安倍政権は、2013年12月の特定秘密保護法、2015年9月の戦争法(安保法制)、2017年6月の共謀罪、2018年5月の働き方改革関連法案における高度プロフェッショナル制度の導入などの反憲法的な重大法案について、市民の強い反対の声に背を向け、数の力による採決強行を繰り返してきた。なかでも、過去3度廃案になった共謀罪法案は、「中間報告」の手法で参議院法務委員会の審議を省略し、参議院本会議で採決が強行された。まさに民主主義を踏みにじる暴挙であった。 |
往年のまともな政治家ならば、「安倍晋三は万死に値する」と草葉の陰で嘆いていることだろう。