新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

残虐なロシア兵も「腹が減ったら戦はできぬ」哀れさ

2022年04月07日 11時07分07秒 | 戦争と歴史

ロシア軍が残虐行為の部隊、ふたたび投入か ウクライナ国防省の見解」との記事によると「ブチャで残虐行為を働いたのはロシアの「第64自動車化狙撃旅団」だという。
 
この自動車化狙撃旅団とは、正式には独立自動車化狙撃旅団といわれ、ロシア陸軍の基本的な展開部隊だという。
 
自動車化狙撃大隊(機械化歩兵)を3個大隊、自走榴弾砲大隊を2個大隊、戦車大隊を1個大隊、その他いくつかの戦闘支援/後方支援部隊(大隊から小隊規模)を保有する諸兵科連合部隊であり、兵力は約4,000人と公表されている。
 
おそらくはそれなりの訓練と実戦経験を積んだ「精鋭部隊」なのだろうが、ロシア陸軍第三自動車化狙撃師団という部隊がどれほどの集団なのかは全くわからないのだが、ウクライナ市民によりトンデモない不覚を負ったらしい。
 
ウクライナ市民が“毒入りパイ"でロシア兵を殺害。空腹に耐えかねた30人を騙し討ち、交戦規定違反?ネットは賛否両論
 

ウクライナ市民に対する虐殺行為が発覚し、国際社会から大きな批難を浴びているロシア。そんな中、ウクライナ市民がロシア軍に驚くような反撃をしたようだ。なんとロシア兵30人に“毒入りパイ"を振る舞い、2人が死亡、28人を病院送りにしたという。
■毒入りパイ&酒で“合法的"にロシア兵を殺害?
ウクライナ国防省情報総局によると、ロシア兵に対して思いも寄らぬ反撃を行ったのは、ウクライナ二番目の都市であるハルキウ(ハリコフ)から130Km南東にあるイジューム地区の住民だった。
ロシア陸軍第三自動車化狙撃師団に所属する兵士に毒入りパイやピロシキを振る舞うと、ほどなく2名が死亡。さらに28人が地元病院の集中治療室送りになったという。
イジューム地区住民が提供した料理には毒が入っていたとみられるが、今のところどのような毒物が混入されたかは分かっていない。
また同じイジューム地区のロシア陸軍第三自動車化狙撃師団500人が地元民からもらった毒酒を飲んだために、重度の中毒症状を起こして病院に運ばれた事例も報告されている。
ウクライナ国防省情報総局によると、ロシア軍司令部はこれらの事件を「ロシア軍の恥」とみるのか「非戦闘損失」扱いとして、もみ消しているという。
3月3日、ウクライナ政府はゼレンスキー大統領の署名つきで「民間人がウクライナに配備されたロシア兵を殺害しても罪に問わない」とする法案が可決されたことを発表している。
■なぜロシア兵は疑うことなくパイを口にしたのか?
しかし、なぜロシア軍の兵士は敵国であるウクライナ市民から提供されたパイや酒を何の疑いもなく口にしたのだろうか?
何の落ち度もない母国に突如侵入し、殺戮と破壊の限りを尽くすロシア兵をウクライナ国民が憎く思わないはずがない。毒を盛られる危険があるのは重々分かっていたはずだ。
それでもなお、食べ物に食らいつかざるを得なかったのは、ロシア軍の深刻な“食糧不足"問題があるからだといえる。
ウクライナ侵攻が開始された当初から、ロシア軍の後方への軍需品・食料の供給は不十分で、ロシア兵の士気を損ねていると報じられてきた
4月1日には人道回廊を進むバスに積んだ赤十字の人道支援物資をロシア軍に没収されたと報じられたが、ロシアのベレシュチュク副首相は国際赤十字の仕切りの悪さが原因だと言い逃れた。
さらに4月5日に共同通信はウクライナの情報機関が傍受した「食料不足のあまり犬を食べた」と家族に語るロシア兵の音声通話をTwitterに公開した。ロシア軍の食料不足の深刻さが窺える生々しい音声だ。
また「ブチャの虐殺」と呼ばれるキーフ(キエフ)近郊ブチャで犠牲になった殺戮も、元はロシア兵が食料を求めて民家に侵入したことが発端だと言われている。
長引く戦闘が食糧難をエスカレートさせ、それがロシア兵の民間人への略奪、さらには暴行・虐殺を招いているようだ。
今となっては貴重なロシア軍のレーション(戦闘糧食)だが、一時「ミリ飯(メシ)」と呼ばれ話題になり、メルカリやヤフオクでも出品されていたこともある。
長びく戦闘が士気の低かった兵士に虐殺を引き起こし、果てはウクライナ市民を復讐の鬼に変えてしまった。ウクライナの地獄絵図が収束する気配はない。

 
あくまでも、ウクライナ国防省情報総局の発表であり、ロシア軍司令部はこれらの事件を認めず公表もしていないのは当然であろう。
 
2月24日に侵攻した兵士たちは、ウクライナ国内滞在日数が40日前後となり、その間はまともな食生活はできず、いままで経験したことのない長期実戦なので後方からの兵站機能が衰えた結果、このような事態になったのであろう。
 
興味深い話がある。
 
「第2次世界大戦はグローバルロジスティクスの闘いだった」と、「素人は「戦略」を語り、プロは「兵站」を語る」の記事の著者である「日経ロジスティクス」記者である大矢昌浩は、第2次世界大戦の日本の敗因に「グローバル補給戦」の欠如があったという。
 
■日本軍になかった「グローバル補給戦」の概念
日本軍は真珠湾攻撃の奇襲に成功しながらも、そこにあった艦船を補修するための乾ドックや補給タンクには爆撃を加えずに放置した。そのことが後に仇となった。
 1942年6月のミッドウエイ海戦で日本は大敗北を喫し、その後の主導権をアメリカに奪われることになるわけだが、真珠湾の乾ドックを潰しておけば戦局はまた違ったものになっていただろう。
 日本はミッドウエイ海戦に「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の空母4隻を参加させている。一方のアメリカは、本来なら「エンタープライズ」と「ホーネット」の2隻の空母しか用意できないはずだった。
 ところが当時の米太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ大将は、その1カ月ほど前の珊瑚海海戦で被弾し戦闘不能状態にあった空母「ヨークタウン」を、真珠湾の乾ドッグに入れ、驚異的なスピードで補修して、ミッドウエイ海戦に間に合わせた。
 空母は海戦における主戦力であり、その数的優位性は極めて重要だ。歴史に「たら・れば」はないとは言うものの、ミッドウエイ海戦における日米の空母の数が4対3ではなく4対2であったなら、戦いの様相が大きく変わっていたことは、多くの軍人・研究者の一致する見方だ。
 さらに、日本が「グローバル補給戦」という概念で第2次世界大戦に臨んでいれば、連合国に勝つまでには至らなくても、負けないようにする、引き分けに持ち込むことはできたと分析する戦史家もいる。
 ドイツ軍のクルト・フリッケ海軍軍令部長は1942年春に、当時の野村直邦海軍中将に共同作戦を打診している。連合国の補給ルートを一緒に断とうという作戦だった。
 当時のヨーロッパにおける連合国の主力は、イギリスが中東に置いた65万人の部隊だった。地中海を枢軸国が抑えていたため、その補給ルートは大西洋側からアフリカ大陸をぐるりと回るほかなかった。
 この補給ルートを潰せば、中東のイギリス軍は孤立する。そこで大西洋側のルートをドイツが叩くので、インド洋側を日本が叩いてくれという要請だった。
 日本が担当するインド洋の海戦では、マダガスカル島のディエゴ・スワレスという軍港が決定的な要衝だった。ディエゴ・スワレスを基地にすれば、日本軍が連合国の補給ルートを断つのは容易と考えられた。
 そして当時のマダガスカルはフランス領で、フランスはドイツの占領下にあった。日本軍はディエゴ・スワレスを利用できた。しかし、この共同作戦の申し入れを日本は断っている。
当時のインド、イラク、イランはすべて反英国家で、独立運動の最中にあった。中東のイギリス軍を追い出し、アジアの反英国家を見方につければ、日本とドイツは東西からユーラシア大陸をまたがって連結できた。
 その結果、枢軸国が北極を挟んで北米大陸と対峙する形になる。その体制に持ち込まれたら、連合国はノルマンディー上陸作戦のようなヨーロッパ侵攻作戦を採ることがほとんど不可能だったという分析を後の戦史家は下している。
■明暗を分けた「兵站計画」の有無
 当時の日本はもちろん、ドイツにも北米大陸を占領する力はなかった。従って、第2次世界大戦で枢軸国が連合国に勝つ可能性はなかった。枢軸国の狙いは当初から「短期決戦・早期講和」だった。
 日本とドイツの共同作戦が実現していたなら、そのチャンスはあったのかもしれない。しかし、日本はそうした戦略思想を全く欠いていた。ロジスティクス軽視は致命的だった。
 太平洋戦争に突入する前夜の日本では、連合国のアメリカ、イギリス、オランダを相手とした戦争計画を、陸軍と海軍がそれぞれに立案し、毎年、天皇に上奏していた。
 しかし、ロジスティクス計画についてはペーパー1枚が割かれていただけで、その中身も、「全国民が一丸となって節約に励み、物資動員に全力を注ぎます」といった、スローガンに近いのものだった。
 一方のアメリカは1941年6月に、フランクリン・ルーズベルト大統領が当時の陸軍幹部に対して、枢軸国と戦争になった場合の詳細なロジスティクス計画を提出するように指示を出している。
 その指令を受けて作成された兵站計画が、後に「ビクトリープラン」と呼ばれる第2次世界大戦の壮大な物資動員計画へと発展していく。
 その計画は枢軸国がどのような戦略を採るかという分析からスタートする。そして連合国が枢軸国に勝つには、どれだけの兵員、武器・弾薬、物資を、どこに投入する必要があるのかを弾き出す。
 さらに必要な物資はアメリカ内で調達できるのか。生産にはどれだけの期間がかかるのか。何隻の船が輸送に必要なのか。一つひとつ見積もって計画を詰めている。
 その結果、連合国が枢軸国に勝つのは可能だという結論を下す。ただし、必要な物資が揃うのは1943年の半ばになる。そのため、連合国が攻勢をかけるのはそれ以降だという答申を出している。
 それに対して、日本ではビクトリープランに相当するロジスティクス計画が、結局、最後まで策定されなかったようだ。
・・・中略・・・
■勝敗のカギは戦略よりも兵站
 戦史家のマーチン・ファン・クレフェルトは、その著作『補給戦――何が勝敗を決定するのか』(中央公論新社)の中で、「戦争という仕事の10分の9までは兵站だ」と言い切っている。
 実は第2次世界大戦よりもはるか昔から、戦争のあり方を規定し、その勝敗を分けてきたのは、戦略よりもむしろ兵站だったという。端的に言えば兵士1人当たり1日3000kcalの食糧をどれだけ前線に送り込めるかという補給の限界が、戦争の形を規定してきた。そう同著は伝えている。
 エリート中のエリートたちがその優秀な頭脳を使って立案した壮大な作戦計画も、多くは机上の空論に過ぎない。
 現実の戦いは常に不確実であり、作戦計画通りになど行かない。計画の実行を阻む予測不可能な障害や過失、偶発的出来事に充ち満ちている。
 史上最高の戦略家とされるカール・フォン・クラウゼビッツはそれを「摩擦」と呼び、その対応いかんによって最終的な勝敗まで逆転することもあると指摘している。
 そのことを身を持って知る軍人や戦史家たちの多くは、「戦争のプロは兵站を語り、素人は戦略を語る」と口にする。

 
ウクライナに比べれば圧倒的な軍事力をもっているロシアが戦場で「空腹に耐えかねた」兵士たちが、ロシア側からすれば「不名誉な戦死」を遂げてしまった事実を認めたくないのはわかるのだが、少なくともプーチンやその取り巻き連中は兵站をおろそかにして戦略を語る「戦争の素人」であり、この戦には勝利できないことは過去の歴史が物語っているのではないだろうか、とオジサンは思う。
 
最後に、冒頭の「毒入りパイ"でロシア兵を殺害」という行為に対するネット民の声を紹介しておく。
 

こんな厳しい声もあった。
   

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 5月9日まで戦果にこだわるプ... | トップ | メディアは好戦的な雰囲気を... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

戦争と歴史」カテゴリの最新記事