韓国語を読んでいると、しばしば日本語と同じような言い回しがあることに軽い驚きを覚えることがあります。
私ヌルボの場合、記憶に新しいところでは「만전을 기하다」(万全を期する)というのがありました。
今回のテーマはこのような日本語と朝鮮語の表現の<共通性>についてです。
横浜市立図書館の書架でたまたま南富鎭「文学の植民地主義」(世界思想社)という本が目にとまりました。日本統治期の朝鮮人作家と言語の問題等を書いた本のようです。
パラパラと拾い読みしたら、なかなか興味深い記述がありました。
林和(임화.1908~53)の、いわゆる「移植文学史」についてです。
戦前の左翼詩人&文学評論家・林和については松本清張の「北の詩人」を20年ほど前(?)に読んで以来それなりに知っていましたが、南富鎭先生が「かの有名な」と枕詞を付している「移植文学史」については初めて知りました。
「朝鮮近代文学の形成が日本近代文学の形成が日本近代文学の「移植」によってなされた」というもので、しかもこの問題の深刻性は、(林和の文を引用すれば)「新文学生成期にもっとも重要な問題であった言文一致の文章創造においては、朝鮮文学は全く明治文学を移植してきたことである」というのです。
本書では、さらに金東仁(1900~51)の回想録からその「移植」の例をあげています。
彼は明治学院在学中に回覧雑誌に日本語で書いた小説が「正真正銘の処女作」で、これは李光洙・李人植・朱耀翰も同様だそうです。小説の構想も「すべて日本語で想像した」という彼が「最も苦心したのが「用語」の問題だった」そうで、具体的に次のように記しています。
小説で最も使われている「ナツカシク」「-ヲ感ジタ」「ニ違イナカツタ」「-ヲ覚エタ」のような言葉を「정답게」「을 느꼈다」「틀림없었다」「느끼었다」などというように - 一つの言葉にそれぞれあてはまる朝鮮語を得るため多くの時間を費やした。
・・・ほかにも、金東仁は小説での「過去詞」の使用、日本語の「カノ女」から「그」の採用など、自ら朝鮮語「口語体」を作りあげた苦心と自負を吐露しているそうです。
さらに金東仁の回想録から。
日本語の「違ヒナカツタ」を直訳して「틀림없다」「다름없다」などと、はじめて書くときの不自然さはいまだにはっきり覚えている。・・・・ いま小説や詩を書く後輩たちのなかで、いったいだれかこのような苦心をしているたろうか。太古の時代よりこのような小説用語がすでに存在していたと思って書いているだろう。わが国の小説用語の建築 - そこには想像もできない苦心と躊躇があり、それを実行するときの果断な蛮勇があり、またそのような蛮勇によって築き上げられたのである。
えーっ、そういうことだったのか、と私ヌルボ、内心驚きましたねー。
すると冒頭に記したような日韓の表現の共通性というのは、朝鮮人作家日本の言文一致体を朝鮮語に置き換えていった結果ということなんですか!? (中国語起源の共通表現もあるでしょうが・・・。)
では、シム・スボンの歌う「百万本のバラ」の歌詞中にもある「아낌없이 아낌없이・・・」という言葉も、たとえば有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」の<惜しみなく>をそのまま置き換えたもの、ということなんですか・・・。
この本でさらに興味深いのは、日本語で完成度の高い小説を書いた張赫宙と金史良が、朝鮮語で書いた小説はどれも前近代的な勧善懲悪の累計を呈しているということ。
小説で用いらる言語は小説の内容まで規定するんですね。村上春樹の作品はあの翻訳文のような文体によって逆規定されている、というようなものですかねー?
南富鎭先生は次のようにまとめています。
近代朝鮮語は日本語を合わせ鏡にして形成されてきた。言文一致の構造をはじめ、表現と文章レベル、語彙と表現の形態などの多くは日本語から借りたものである。やや語弊はあるが、現在の韓国人が使用している朝鮮語は、朝鮮王朝時代の朝鮮語とは大きく違う。どちらかといえばより日本語に近いかもしれない。近代日本語をモデルにして、翻案と翻訳、日本文をモデルにした言文一致などによって新しく作り直されたものである。近代朝鮮語と朝鮮近代文学は、近代日本こと日本近代文学に照射されることによって初めて<近代>を獲得することができたのである。
・・・民族主義的傾向が強いのがふつう(?)の韓国人の学者の中にもこうした分析をする人がいるんですね。彼は最後に、<旧植民地国家にはたして近代文学が成り立つのか>という問題を提起してこの論考を結んでいます。
私ヌルボの場合、記憶に新しいところでは「만전을 기하다」(万全を期する)というのがありました。
今回のテーマはこのような日本語と朝鮮語の表現の<共通性>についてです。
横浜市立図書館の書架でたまたま南富鎭「文学の植民地主義」(世界思想社)という本が目にとまりました。日本統治期の朝鮮人作家と言語の問題等を書いた本のようです。
パラパラと拾い読みしたら、なかなか興味深い記述がありました。
林和(임화.1908~53)の、いわゆる「移植文学史」についてです。
戦前の左翼詩人&文学評論家・林和については松本清張の「北の詩人」を20年ほど前(?)に読んで以来それなりに知っていましたが、南富鎭先生が「かの有名な」と枕詞を付している「移植文学史」については初めて知りました。
「朝鮮近代文学の形成が日本近代文学の形成が日本近代文学の「移植」によってなされた」というもので、しかもこの問題の深刻性は、(林和の文を引用すれば)「新文学生成期にもっとも重要な問題であった言文一致の文章創造においては、朝鮮文学は全く明治文学を移植してきたことである」というのです。
本書では、さらに金東仁(1900~51)の回想録からその「移植」の例をあげています。
彼は明治学院在学中に回覧雑誌に日本語で書いた小説が「正真正銘の処女作」で、これは李光洙・李人植・朱耀翰も同様だそうです。小説の構想も「すべて日本語で想像した」という彼が「最も苦心したのが「用語」の問題だった」そうで、具体的に次のように記しています。
小説で最も使われている「ナツカシク」「-ヲ感ジタ」「ニ違イナカツタ」「-ヲ覚エタ」のような言葉を「정답게」「을 느꼈다」「틀림없었다」「느끼었다」などというように - 一つの言葉にそれぞれあてはまる朝鮮語を得るため多くの時間を費やした。
・・・ほかにも、金東仁は小説での「過去詞」の使用、日本語の「カノ女」から「그」の採用など、自ら朝鮮語「口語体」を作りあげた苦心と自負を吐露しているそうです。
さらに金東仁の回想録から。
日本語の「違ヒナカツタ」を直訳して「틀림없다」「다름없다」などと、はじめて書くときの不自然さはいまだにはっきり覚えている。・・・・ いま小説や詩を書く後輩たちのなかで、いったいだれかこのような苦心をしているたろうか。太古の時代よりこのような小説用語がすでに存在していたと思って書いているだろう。わが国の小説用語の建築 - そこには想像もできない苦心と躊躇があり、それを実行するときの果断な蛮勇があり、またそのような蛮勇によって築き上げられたのである。
えーっ、そういうことだったのか、と私ヌルボ、内心驚きましたねー。
すると冒頭に記したような日韓の表現の共通性というのは、朝鮮人作家日本の言文一致体を朝鮮語に置き換えていった結果ということなんですか!? (中国語起源の共通表現もあるでしょうが・・・。)
では、シム・スボンの歌う「百万本のバラ」の歌詞中にもある「아낌없이 아낌없이・・・」という言葉も、たとえば有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」の<惜しみなく>をそのまま置き換えたもの、ということなんですか・・・。
この本でさらに興味深いのは、日本語で完成度の高い小説を書いた張赫宙と金史良が、朝鮮語で書いた小説はどれも前近代的な勧善懲悪の累計を呈しているということ。
小説で用いらる言語は小説の内容まで規定するんですね。村上春樹の作品はあの翻訳文のような文体によって逆規定されている、というようなものですかねー?
南富鎭先生は次のようにまとめています。
近代朝鮮語は日本語を合わせ鏡にして形成されてきた。言文一致の構造をはじめ、表現と文章レベル、語彙と表現の形態などの多くは日本語から借りたものである。やや語弊はあるが、現在の韓国人が使用している朝鮮語は、朝鮮王朝時代の朝鮮語とは大きく違う。どちらかといえばより日本語に近いかもしれない。近代日本語をモデルにして、翻案と翻訳、日本文をモデルにした言文一致などによって新しく作り直されたものである。近代朝鮮語と朝鮮近代文学は、近代日本こと日本近代文学に照射されることによって初めて<近代>を獲得することができたのである。
・・・民族主義的傾向が強いのがふつう(?)の韓国人の学者の中にもこうした分析をする人がいるんですね。彼は最後に、<旧植民地国家にはたして近代文学が成り立つのか>という問題を提起してこの論考を結んでいます。