月刊「女性東亜」、やっぱり重い! 重すぎます!! 夫婦喧嘩でこんなの投げつけられたら、頑健な韓国人男性でも当たり所によっては致命傷となるでしょう。いや、投げる以前に持ち上げられないか?
横浜市立図書館でその5月号を見ていて目にとまった記事が「‘21年ぶりに出会ったあなた’ ク・チャンモ」と、「‘オンマをお願い’でアメリカを虜にした申京淑作家のオモニ・朴福禮さんに突撃インタビュー」。
ク・チャンモは、80年代の人気グループ・ソンゴルメのリードヴォーカルとして人気を博した実力派歌手で、90年代初めから歌謡界を離れていましたが最近復活し注目されています。
・・・が、彼については(得意の)またいずれ、ということにします。
さて本ブログでは、これまで申京淑さんとその作品については何度もとりあげてきました。一昨年の大ベストセラー「オンマ(お母さん)をお願い」や「どこかで私を呼ぶ電話の音が鳴って」の紹介&感想、そして最近では4月28日の記事で「オンマをお願い」の英訳本が出てアメリカで注目されているということを書きました。
韓国では作家が自分の経験や実生活を素材に小説を書く例が非常に多くあり、申京淑さんも画期的名作「離れ部屋」など明らかに自身の経験をそのままふまえているようです。日本の文学史にも私小説の確固たる伝統はありますが(ありましたが?)、彼女の場合は例の西村賢太氏のような破滅型私小説とは正反対ですが・・・。そして「オンマをお願い」も彼女自身の母や家族の実像とかなり重なっていることがうかがわれます。
・・・ということもあって、彼女の愛読者としては「オンマをお願い」に描かれたオンマに実際に会ってみたいと思うのも無理からぬ話ではあるでしょう。
私ヌルボ、「女性東亜」の記事をコピーして読みましたが、後で「女性東亜」のサイトを見たら、その記事が全文載っているではないですか!
→コチラ① (→同・日本語自動翻訳)
→(続き)② (→同・日本語自動翻訳)
記事にもあるように、申京淑さんの実家は全羅北道井邑(정읍.チョンウプ)市の農家です。(ご両親は数年前に農業をやめて「今はお米を買って食べるというぜいたくをしています」と語っています。)
私ヌルボが「アレレ!」と思ったのは、記事中の「約束もなしに訪れた記者を、「"留守だったらどうするの"と言いながら迎えた」というところ。えっ、事前のアポなしで直接訪問取材してるのか!? ここらへんが日韓の違いなんでしょうね。続けて「内心拒否されるんじゃないかと心配したが、そのように冷たくすることができないのが田舎の人の心だった」と(ヌケヌケと、とは言いませんが)書いてるとこまで含めてね。
また、「娘が有名になって、家を訪ねてくるお客さんもいると語った。学校から団体でやってきたりもし、数日前にも女性(読者)が訪ねてきたと語った」とのことです。(自動翻訳では「家に持ち帰るお客さん」(!)とか「馬鹿な女性(読者)」とかメチャクチャな訳になってますが・・・。)
記事によると、小説との大きな違いは、オンマが認知症を患っていないこと。それに小説では5人兄妹ですが実際は6人です。オンマの話では6人全員国民学校の時は皆勤賞とか。ソウルでの夜間高校卒業に際し、家族皆が集まった場で、大学入学を決めたという京淑さんの言葉に怒ったオンマに対して、「自分が学費を稼いで通えばいいじゃない」と京淑さんが反発したというエピソードは彼女のファンにはよく知られていることかも・・・。(自動翻訳の「魂を出した」とか「化を出した」は「怒った」の誤訳。)
「オンマをお願い」と実際のオンマが同じ点は文字が読めないこと。「残念ではないですか?」と問う記者に簡単に「글치(クルチ)」と答えています。「글(クル)」=文字と、音痴(음치)などの「痴(치.チ)」の複合語。
4月30日の記事「韓国の非識字者の問題(2)成人人口の7%がハングルの読み書きできない(?)」にも書いたように、地方の女性高齢者の非識字者は今も決して少なくはないのです。
取材を終えて帰る記者に、オンマは「途中で飲んでね」と豆乳3個を持たせてくれたというのは、やっぱり伝統的な心やさしいオモニですね。
ナットクの記事でしたが、ヌルボとしては、この記事を読んだ彼女のファンが同様のアポなし訪問に押しかけるのでは?ということがちょっと心配になりました。それも日本人的感覚? しかし、「あの青い屋根の家」とか、すぐわかるように書いちゃってるしなー・・・。
さて、たまたまYouTubeで申京淑さん自身がオンマについて語っている動画が見つかりましたのでここに載せておきます。
早口ではないので、聴き取りやすい方ではありますが・・・、ハハハ(汗笑)。
【タイトルは「申京淑作家、私の話の源泉はオンマです」】
横浜市立図書館でその5月号を見ていて目にとまった記事が「‘21年ぶりに出会ったあなた’ ク・チャンモ」と、「‘オンマをお願い’でアメリカを虜にした申京淑作家のオモニ・朴福禮さんに突撃インタビュー」。
ク・チャンモは、80年代の人気グループ・ソンゴルメのリードヴォーカルとして人気を博した実力派歌手で、90年代初めから歌謡界を離れていましたが最近復活し注目されています。
・・・が、彼については(得意の)またいずれ、ということにします。
さて本ブログでは、これまで申京淑さんとその作品については何度もとりあげてきました。一昨年の大ベストセラー「オンマ(お母さん)をお願い」や「どこかで私を呼ぶ電話の音が鳴って」の紹介&感想、そして最近では4月28日の記事で「オンマをお願い」の英訳本が出てアメリカで注目されているということを書きました。
韓国では作家が自分の経験や実生活を素材に小説を書く例が非常に多くあり、申京淑さんも画期的名作「離れ部屋」など明らかに自身の経験をそのままふまえているようです。日本の文学史にも私小説の確固たる伝統はありますが(ありましたが?)、彼女の場合は例の西村賢太氏のような破滅型私小説とは正反対ですが・・・。そして「オンマをお願い」も彼女自身の母や家族の実像とかなり重なっていることがうかがわれます。
・・・ということもあって、彼女の愛読者としては「オンマをお願い」に描かれたオンマに実際に会ってみたいと思うのも無理からぬ話ではあるでしょう。
私ヌルボ、「女性東亜」の記事をコピーして読みましたが、後で「女性東亜」のサイトを見たら、その記事が全文載っているではないですか!
→コチラ① (→同・日本語自動翻訳)
→(続き)② (→同・日本語自動翻訳)
記事にもあるように、申京淑さんの実家は全羅北道井邑(정읍.チョンウプ)市の農家です。(ご両親は数年前に農業をやめて「今はお米を買って食べるというぜいたくをしています」と語っています。)
私ヌルボが「アレレ!」と思ったのは、記事中の「約束もなしに訪れた記者を、「"留守だったらどうするの"と言いながら迎えた」というところ。えっ、事前のアポなしで直接訪問取材してるのか!? ここらへんが日韓の違いなんでしょうね。続けて「内心拒否されるんじゃないかと心配したが、そのように冷たくすることができないのが田舎の人の心だった」と(ヌケヌケと、とは言いませんが)書いてるとこまで含めてね。
また、「娘が有名になって、家を訪ねてくるお客さんもいると語った。学校から団体でやってきたりもし、数日前にも女性(読者)が訪ねてきたと語った」とのことです。(自動翻訳では「家に持ち帰るお客さん」(!)とか「馬鹿な女性(読者)」とかメチャクチャな訳になってますが・・・。)
記事によると、小説との大きな違いは、オンマが認知症を患っていないこと。それに小説では5人兄妹ですが実際は6人です。オンマの話では6人全員国民学校の時は皆勤賞とか。ソウルでの夜間高校卒業に際し、家族皆が集まった場で、大学入学を決めたという京淑さんの言葉に怒ったオンマに対して、「自分が学費を稼いで通えばいいじゃない」と京淑さんが反発したというエピソードは彼女のファンにはよく知られていることかも・・・。(自動翻訳の「魂を出した」とか「化を出した」は「怒った」の誤訳。)
「オンマをお願い」と実際のオンマが同じ点は文字が読めないこと。「残念ではないですか?」と問う記者に簡単に「글치(クルチ)」と答えています。「글(クル)」=文字と、音痴(음치)などの「痴(치.チ)」の複合語。
4月30日の記事「韓国の非識字者の問題(2)成人人口の7%がハングルの読み書きできない(?)」にも書いたように、地方の女性高齢者の非識字者は今も決して少なくはないのです。
取材を終えて帰る記者に、オンマは「途中で飲んでね」と豆乳3個を持たせてくれたというのは、やっぱり伝統的な心やさしいオモニですね。
ナットクの記事でしたが、ヌルボとしては、この記事を読んだ彼女のファンが同様のアポなし訪問に押しかけるのでは?ということがちょっと心配になりました。それも日本人的感覚? しかし、「あの青い屋根の家」とか、すぐわかるように書いちゃってるしなー・・・。
さて、たまたまYouTubeで申京淑さん自身がオンマについて語っている動画が見つかりましたのでここに載せておきます。
早口ではないので、聴き取りやすい方ではありますが・・・、ハハハ(汗笑)。
【タイトルは「申京淑作家、私の話の源泉はオンマです」】