ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

スッカラ(韓国のスプーン)はくぼみが浅い。 その理由は?

2011-11-27 20:15:08 | 韓国の文化・芸能・スポーツ関係の情報
 現在発売中の「週刊文春」12月1日号に、料理家の瀬尾幸子さんが「台所の仕事」という連載で、「優秀な調理道具、スッカラ」と題した一文を寄せています。

 スッカラ>(숟가락)とはもちろん韓国のスプーンのことですが、読者の大半を占める(?)オジサンたちにこの言葉がわかるのか、少し気になりました。(どうなんだろうなー?)

 さて、この記事の要点は次の通りです。
①スッカラは西洋のスプーンに比べて柄が長く、へこみが浅い。
②したがって、具を混ぜるのに適している。
③したがって、調理用具として役立てることができる。
 


 瀬尾さんが③の例として揚げて挙げているのがかき揚げ。瀬尾さんによれば、「スッカラの実力が実感できる料理」なのだそうです。
 「スッカラだと粉を練らず、切るように混ぜることができるから、グルテンが出過ぎずもたつかない衣に仕上がります」等々説明されていますが、このあたりはかき揚げ作りの知識も経験もないヌルボにはよくわからないので、あとはスルー。興味がある方は直接読んでみて下さい。

 それよりも、スッカラについて、私ヌルボが韓国料理好きの皆さんにお聞きしたい点があります。

 まず、スッカラの柄が長いのは誰もが気づきますが(ホント?)、「スッカラは西洋のスプーンに比べてすくう部分のくぼみが浅い」ということに気づいていましたか?
 次に、気づいていた方は、その理由を考えたことがありますか?
 さらに、考えた方、もしかして調べた方、その理由は何ですか?

 とりあえず身近なところから、と思って、たまたま昨日集まったハングルサークル仲間数人に聞いてみました。ヌルボを含め男3人、ネイティブの韓国人のU先生を含めて女性も3人です。
 ・・・で、スッカラの柄が長いことは全員知っていました。ただし、柄を韓国語で何というかわからなかったヌルボが辞書に載っていた자루という言葉を口にすると、「それは使わない」とU先生。ピタッときまる単語はなさそうですが、とりあえず손잡이とおっしゃってました。(손잡이というと冷蔵庫とかコーヒーカップとかの取っ手と同じですか・・・。)

 柄が長い理由としては、鍋物を食べる時便利、というのはふつうに考えられます。
 短いと、鍋の下に沈んでしまうおそれもあります。
 また、先生は「チョッカラ(箸)と一緒に並べる時、長さがそろっていた方が見た目がいい」とも・・・。

 そして肝心の「くぼみが浅い」という点については、どうも今まで知らなかったようなようすだったのがアジョシX氏1人・・・。

 そのくぼみが浅い理由について、きちんと書かれた記事があるか、事前に探してみた結果は、<ミスター世界の食文化紀行>というサイト中の記事にゴハンが主な用途なるゆえであるとあるのを見つけた程度。フェルマーのごとく(?)結論のみの突き放した書き方なので、結局ヌルボなりに考えてみました。

 もしスッカラのくぼみが深く湾曲していたら、先端部分がやや上向きになるため、ご飯をすくう時、手首から回転させなければならない。つまり浅い方が手の動きがラク、というのがヌルボの推定です。
 お酒の好きなTヒョン(兄)からは、「くぼみが深いと金属椀(コンギ)の隅っこのご飯がすくいにくいだろう」との見方も出されました。

 スッカラについて、<K-PLAZA.com>の掲示板に次のような質問が提示されていました。
 「鍋などからスープをすくって飲む際、スープも残り少なくなった時、どうやって鍋や食器の底からスープをすくうのですか? スッカラクは、スープのスプーンと比べると、浅い感じがしますが、あれで底の底までスープをすくいとる事はできますか? スープが鍋でなく食器に入っている時にも、食器を持ち上げて食べるのはNGなので、汁物でも食器に口をつけて飲んだりしないのですか?」
 これに対して、
 「韓国人が食堂で器を斜めにしてすくっているのをよくみるので、「なるほど!」と思い、自分もそうしている」という内容の回答が載っていました。

 しかし! U先生によれば、スッカラはスープを飲むための食器ではなく、ご飯を食べたり、鍋の中の具を取るためのものであるとのことです。
 器に残ったスープを飲みたくなったら、手に持ってそのまま飲みます。
 コムタン等の場合も、スッカラはそこに入れたご飯を食べるためのものです・・・。

 なるほど、そーなのか・・・って感じですね。

 ついでにもうひとつ。
 たとえば、ある韓国人女性が「なぜ、和食にはスプーンを使わないのか」というブログ記事で次のようなことを記されていました。

 日本に初めて来た時、味噌汁を見て「すみません、スプーン下さい」と当然のように頼んだ。店員が「え、え、スプーンですか」と聞き返す。どうやら、戸惑いを感じたのは私ではなく、店の人や同行した日本人だったようだ。そして、登場したのが可愛いティースプーンだ。韓国の思いやりのある大きなスプーンを連想した私には、すこし物足りない気持ちになった。こんな大きな食堂になぜ、ろくなスプーン(?)一つないのよ。

 ・・・食文化関係の日韓の比較でよく話題になるのが日本ではなぜ食事でスプーンを用いないのか?ということ。
 「日本のご飯は粘り気が多いので、スプーンだとくっついてしまう」という理由は、いくつかのサイトや本等で見たことがあります。
 一方韓国は、上記のブログ記事にもあるように、「乾燥した大陸気候にあわせて液体類の料理が多いため、スプーンはなくてはならない貴重な道具」というわけです。
 これと関連して、サークル仲間の話でも出たのが食器のこと。韓国のように金属製だと熱くて持てない。だから置いて食べるしかない、とか、木の椀は持って口まで運べるから、さじは要らない、等々。(食器の材質については、金属や陶器や木等の原料に恵まれているか否か等が関連してきますね。)

前川健一さんの「東南アジアの日常茶飯」を思い出して確認してみたら、やっぱり次のような記述がありました。
 青木正児氏は「用匙喫茶考」で、中国人の食事法を次のように述べている。手食をしていた中国人は、唐代あたりから飯を食べるためにサジを使い始めた。サジそのものはそれ以前からあったが、料理を口へ運ぶ道具としてサジを用いるようになったのは、このころかららしい。箸は汁の実をつかむために用い、汁そのものは器に口をつけて飲んでいた。飯をサジで食べるようになったきっかけは、ポロポロの飯にはサジの方が便利で手食よりスマートであると思ったからだ。明代になると、粘り気のある飯を好む南部の人たちが天下を取ったため、飯にも箸を用いるようになり、サジは汁物用になっていった。
 以上のことから、サジの使用には汁物とポロポロの飯が関係ありそうだとわかった

 ・・・まさにバッチリです!

        
    【左から、高麗時代→近代のスッカラ。柄は今ほど長くないですね。※コチラの韓国サイトより。】

 ことほどさように、スプーンひとつをとっても、その必要性の有無からその形状、食事作法等々、ふだんは意識していない点にまで、地理的・歴史的、ひいては美的だか思想的だか、考えてみればいろんな背景があるものだなあ、ということがシミジミツクヅク感じられます。

 なお、瀬尾幸子さんによれば、最近のスッカラは「形が西洋スプーン化して、くぼみが深い傾向にある」そうで、「私が惚れた絶妙な浅さのスッカラは、現地でも昔ながらの食堂か、アンティーク店でしか見かけなくなってしまいました」ということです。

 なおその2、U先生によれば、韓国では瀬尾幸子さんのようにスッカラを調理道具として用いることはないそうです。(それは邪道だっ、と言って瀬尾さんを批判してるわけでは全然ないので、誤解なきよう・・・。)
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする