≪論述問題(笑い話? クイズ?)から考える≫
酒が気に入った村長が欲しがったのは水の入ったビンだった
前置きナシ。さっそく問題に取りかかってほしい。
次の文章を読み、設問に答えよ。
発展途上国の奥地。文明から取り残されたようなその村では、酒を造って飲むという文化がなかった。その村に入った日本人M氏は、リュックから焼酎のビンを取り出して村長の持つ器に注(つ)ぎ、水で割った。
「おお、これは美味い! 身体が温まってきて舞い上がるようだ。」
喜ぶ村長に、M氏は別のビンを出しながら「では、これはどうですか?」と勧めた。中身は梅酒。度数が高かったので、同じように水で割った。
「うん、これもすばらしい! 味も香りも申し分ない。」
村長はその梅酒の水割りを飲みほした。
酒のビンはもう一本あった。極上のウイスキーだ。M氏は水割りにして差し出す。
「いやあ、本当にいい心持ちだ。こんなものを飲めるのは実にしあわせだ。ところで、もしよかったら、そのビンを私にくれないだろうか?」
村長が指さしたビンは、酒が入った三本のビンではなかった。それは四本目のビン、すなわち水の入ったビンだった。
【設問一】なぜ村長は四本目のビンを欲しがったのか?
【設問二】村長彼自身はその選択が間違っていたことに気づいていない。では彼はなぜ間違えたのか? 論理的に説明せよ。
この問題は、十数年ほど前だったか、ある大学の推薦入学試験で出題された論述問題をアレンジしたものである。
とりあえず、解答例から。
【設問一】村長は、三種の飲み物に共通して入っている四本目の液体が自分を「いい心持ち」にしてくれたエッセンスだと思ったから。
【設問二】単純化すれば次のように数式化することができる。
aは焼酎、bはブドウ酒、cはウイスキー、そしてxは水で、0は酔った状態を示す。
①a×x=0
②b×x=0
③c×x=0
この①~③が成り立つ条件を考えてみよう。
これは簡単。x=0 であればよい。・・・と多くの人は即座に答えるだろう。
しかし、これだけでは不十分である。
xの数値を問わずa=b=c=0 でもよいのだ。
つまり、「いい心持ち」にさせるエッセンスは、第四のビンの液体に含まれているという見た目でわかる推定以外に、第一~第三のビン(a~c)のそれぞれに個別に含まれているという推定も可能なのだ。
三種類の酒には、実は「いい心持ち」にさせる真の原因であるアルコールという共通成分が含まれているが、それが視認できないから村長は気づかなかった、と言ってもよい。
上記の数式で、a、b、cのように違う文字だと、それらがすべて同じ数字で、それも0(ゼロ)という特別な数字だとは気づきにくいということだ。中学生レベルの決してむずかしくはないレベルの数学なのだが。
一般に、人はすぐわかる共通点に目が行き、それぞれの事物がその共通要素によって特色づけられていると考えるものだ。しかし、いつもそうとはかぎらないのである。
ここで連想したのは、アガサ・クリスティの有名な推理小説『オリエント急行殺人事件』である。くわしくは記さないが、ふつう関係がありそうもない人々が実は思いもよらぬ共通項を持っていたのである。
たとえば現実の連続殺人事件や放火事件などの場合、各犯行現場に共通して存在が確認された人物が容疑者とされるのは自然な推定といえよう。しかし絶対ではない。そこにもひとつのミステリーのネタがありそうだ。たとえば、三件の犯行現場に居合わせた重要参考人Aは実は犯人に仕立て上げられた人物で、そのように仕組んだのは相互に関係はない被害者たちに共通に怨恨あるいは利害関係のあったBという人物だった・・・とか。
いや、そんなフィクションだけの話ではなく、冤罪に関わる部分もあるかもしれない。
もっと日常的な事例で考えてみよう。
旅行好きの友人が国内の各地で撮った写真を見せてくれた。何枚もある写真の共通点は何だろう? 「山や海など風景が多い」「史跡が多い」等、被写体の特色はすぐわかる。カメラにくわしい人なら、色調や鮮明度などから使用したカメラのことがわかるかもしれない。あるいは、この撮影者に特有の構図のとり方に注目する人がいるかもしれない。また、ゴッホなどの絵画は何を描いたものでも彼の作品だとわかるが、そこまではいかないまでも撮影者の興味・関心、美的感覚、あるいは人となりといった「彼らしさ」が読み取れるかもしれない。
次の例。ある会社で、同じ時期にいくつもの部署で同じような問題が発生したとする。原因は、会社の基本方針のような全体に関わるルールにあるかもしれない。いや、共通といえば同業他社にも同様のことが起こっていないか見てみる必要もある。逆に、各部署の個別の問題がたまたま同時期に起こったのかもしれない。目に映ったことだけで即断すると、先の話の村長のように間違うことが多い。
最後はある高校での話。授業から戻ってきた先生が嘆いている。「あーあ、ここの生徒もやる気がないなあ。どのクラスに行ってもおしゃべりや居眠りばかりで、こっちもかったるくなるよ」。
おそらく、一部の高校を除いてよくある光景ではないだろうか? ふつうに考えて、その要因は複合的だ。入試制度やカリキュラムなどの教育制度や教育内容、生徒を取り巻く社会や家庭の問題等々。その学校の教育方針のような個別の問題もあるかもしれない。
しかし、この先生には尋ねたい。担当している三クラス以外でもおしゃべりや居眠りが蔓延しているのか? あるいはこの三クラスの他の科目の授業のようすはどうなのか?
彼にとっては、生徒のおしゃべりや居眠りなどの「やる気のなさ」は一目でわかる全クラスの共通項ということか?
彼は、もしかしたら自分自身が、(あるいは「自分も」)そんな状況を作ってしまっている可能性に気づいていないのかもしれない。先の話で、村長が三本のビンの液体に共通に含まれているアルコールに気づかなかったように。
大切なことは、他の同僚の先生や当の生徒たちとのコミュニケーションを緊密にとって実際の状況の把握に努めること。つまりは教師としての基本姿勢だ。
要はa~cのような個別のことと、xのような全体に共通することの間の関係性をどう理解するかということだ。目についたことだけで判断せず、視点を変えてみると、最初は見えていなかったものも見えてくる。さまざまな可能性を想定し、全体像を念頭に置きながら個別を緻密に見ることである。まあ、これも「言うは易くして・・・」の部類ではあろうが・・・。
酒が気に入った村長が欲しがったのは水の入ったビンだった
前置きナシ。さっそく問題に取りかかってほしい。
次の文章を読み、設問に答えよ。
発展途上国の奥地。文明から取り残されたようなその村では、酒を造って飲むという文化がなかった。その村に入った日本人M氏は、リュックから焼酎のビンを取り出して村長の持つ器に注(つ)ぎ、水で割った。
「おお、これは美味い! 身体が温まってきて舞い上がるようだ。」
喜ぶ村長に、M氏は別のビンを出しながら「では、これはどうですか?」と勧めた。中身は梅酒。度数が高かったので、同じように水で割った。
「うん、これもすばらしい! 味も香りも申し分ない。」
村長はその梅酒の水割りを飲みほした。
酒のビンはもう一本あった。極上のウイスキーだ。M氏は水割りにして差し出す。
「いやあ、本当にいい心持ちだ。こんなものを飲めるのは実にしあわせだ。ところで、もしよかったら、そのビンを私にくれないだろうか?」
村長が指さしたビンは、酒が入った三本のビンではなかった。それは四本目のビン、すなわち水の入ったビンだった。
【設問一】なぜ村長は四本目のビンを欲しがったのか?
【設問二】村長彼自身はその選択が間違っていたことに気づいていない。では彼はなぜ間違えたのか? 論理的に説明せよ。
この問題は、十数年ほど前だったか、ある大学の推薦入学試験で出題された論述問題をアレンジしたものである。
とりあえず、解答例から。
【設問一】村長は、三種の飲み物に共通して入っている四本目の液体が自分を「いい心持ち」にしてくれたエッセンスだと思ったから。
【設問二】単純化すれば次のように数式化することができる。
aは焼酎、bはブドウ酒、cはウイスキー、そしてxは水で、0は酔った状態を示す。
①a×x=0
②b×x=0
③c×x=0
この①~③が成り立つ条件を考えてみよう。
これは簡単。x=0 であればよい。・・・と多くの人は即座に答えるだろう。
しかし、これだけでは不十分である。
xの数値を問わずa=b=c=0 でもよいのだ。
つまり、「いい心持ち」にさせるエッセンスは、第四のビンの液体に含まれているという見た目でわかる推定以外に、第一~第三のビン(a~c)のそれぞれに個別に含まれているという推定も可能なのだ。
三種類の酒には、実は「いい心持ち」にさせる真の原因であるアルコールという共通成分が含まれているが、それが視認できないから村長は気づかなかった、と言ってもよい。
上記の数式で、a、b、cのように違う文字だと、それらがすべて同じ数字で、それも0(ゼロ)という特別な数字だとは気づきにくいということだ。中学生レベルの決してむずかしくはないレベルの数学なのだが。
一般に、人はすぐわかる共通点に目が行き、それぞれの事物がその共通要素によって特色づけられていると考えるものだ。しかし、いつもそうとはかぎらないのである。
ここで連想したのは、アガサ・クリスティの有名な推理小説『オリエント急行殺人事件』である。くわしくは記さないが、ふつう関係がありそうもない人々が実は思いもよらぬ共通項を持っていたのである。
たとえば現実の連続殺人事件や放火事件などの場合、各犯行現場に共通して存在が確認された人物が容疑者とされるのは自然な推定といえよう。しかし絶対ではない。そこにもひとつのミステリーのネタがありそうだ。たとえば、三件の犯行現場に居合わせた重要参考人Aは実は犯人に仕立て上げられた人物で、そのように仕組んだのは相互に関係はない被害者たちに共通に怨恨あるいは利害関係のあったBという人物だった・・・とか。
いや、そんなフィクションだけの話ではなく、冤罪に関わる部分もあるかもしれない。
もっと日常的な事例で考えてみよう。
旅行好きの友人が国内の各地で撮った写真を見せてくれた。何枚もある写真の共通点は何だろう? 「山や海など風景が多い」「史跡が多い」等、被写体の特色はすぐわかる。カメラにくわしい人なら、色調や鮮明度などから使用したカメラのことがわかるかもしれない。あるいは、この撮影者に特有の構図のとり方に注目する人がいるかもしれない。また、ゴッホなどの絵画は何を描いたものでも彼の作品だとわかるが、そこまではいかないまでも撮影者の興味・関心、美的感覚、あるいは人となりといった「彼らしさ」が読み取れるかもしれない。
次の例。ある会社で、同じ時期にいくつもの部署で同じような問題が発生したとする。原因は、会社の基本方針のような全体に関わるルールにあるかもしれない。いや、共通といえば同業他社にも同様のことが起こっていないか見てみる必要もある。逆に、各部署の個別の問題がたまたま同時期に起こったのかもしれない。目に映ったことだけで即断すると、先の話の村長のように間違うことが多い。
最後はある高校での話。授業から戻ってきた先生が嘆いている。「あーあ、ここの生徒もやる気がないなあ。どのクラスに行ってもおしゃべりや居眠りばかりで、こっちもかったるくなるよ」。
おそらく、一部の高校を除いてよくある光景ではないだろうか? ふつうに考えて、その要因は複合的だ。入試制度やカリキュラムなどの教育制度や教育内容、生徒を取り巻く社会や家庭の問題等々。その学校の教育方針のような個別の問題もあるかもしれない。
しかし、この先生には尋ねたい。担当している三クラス以外でもおしゃべりや居眠りが蔓延しているのか? あるいはこの三クラスの他の科目の授業のようすはどうなのか?
彼にとっては、生徒のおしゃべりや居眠りなどの「やる気のなさ」は一目でわかる全クラスの共通項ということか?
彼は、もしかしたら自分自身が、(あるいは「自分も」)そんな状況を作ってしまっている可能性に気づいていないのかもしれない。先の話で、村長が三本のビンの液体に共通に含まれているアルコールに気づかなかったように。
大切なことは、他の同僚の先生や当の生徒たちとのコミュニケーションを緊密にとって実際の状況の把握に努めること。つまりは教師としての基本姿勢だ。
要はa~cのような個別のことと、xのような全体に共通することの間の関係性をどう理解するかということだ。目についたことだけで判断せず、視点を変えてみると、最初は見えていなかったものも見えてくる。さまざまな可能性を想定し、全体像を念頭に置きながら個別を緻密に見ることである。まあ、これも「言うは易くして・・・」の部類ではあろうが・・・。
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